太陽のような君と、過ごす夏
リタ・アロットは緊張していた。
ドキドキと高鳴る胸を押さえて、自分の身嗜みを確認する。行きがけにもちゃんと確認したし、魔法で生み出した水鏡で何度も髪型の乱れとか服装の乱れも確かめたから大丈夫だと思う。――母親から物凄くニヤニヤしながら色々と服を押し付けられたが、今では感謝している。少しだけ。
今日の為に母親が用意してくれたのは、真っ白なサマードレスである。薄青や薄緑などの刺繍糸で花の模様が施されており、夏らしい意匠となっていた。オフショルダーの形をしているので華奢な肩や鎖骨の部分が大胆に露出しており、肩には細い紐が結ばれている。ここまで露出することがなかったので少し恥ずかしいが、ほんの少しだけ「可愛い」という言葉を期待してしまう自分がいる。
麦わら帽子を被り直し、緩やかに波打つ真っ赤な髪の毛の先を手持ち無沙汰に弄る。足元を飾る白いリボンが特徴的なサンダルに汚れがないことを確かめてから、リタは「よし」と頷いた。服装の乱れも髪型の乱れもない。
「リタ、お待たせ!!」
その声が聞こえてきた時、リタへ心臓が口から飛び出してしまうのではないかという本日最大の緊張感が襲ってきた。
「は、ハルア、さん」
「ごめんね、ユーリとエドとアイゼがめっちゃニヤニヤしてくるからしばき倒してたら遅くなったよ!!」
リタに駆け寄ってきたのは、赤茶色の髪と琥珀色の瞳を持つ少年である。
普段は数え切れないほどのポケットを縫い付けた真っ黒いつなぎを身につけているが、今日は青い半袖シャツと明るい茶色の七分丈ズボンを合わせた夏らしい装いである。シャツの下に着込んだ真っ白い肌着では雪の結晶が刻まれたドッグタグが揺れており、彼の元気のよさが表れていると言っていい。
足元を飾るのは色鮮やかな青い運動靴である。そういえば、彼は運動靴を集めることに凝っていただろうか。真新しい運動靴は汚れが見当たらず、今日の夏らしい服装によく似合っていた。
ハルア・アナスタシス――ヴァラール魔法学院の用務員として勤務している少年だ。
「待たせちゃってごめんね、暑いからどこかのお店に入って待っててもよかったんだよ?」
「い、いいえ、私も今来たところなので!!」
「嘘はよくないよ、リタ」
ハルアはリタの頬に触れると、
「ほら、こんなに汗掻いてる。こんな暑いところで待っていたらリタが倒れちゃうでしょ」
「あ、あう」
いきなりハルアが頬に触れたことで、リタは自分の体温が上昇したのを感じる。普通にこれはリタが倒れてしまう。
「あ、そうだ。リタにこれあげるね」
「な、何でしょう?」
ハルアが思い出したようにズボンのポケットから薄い板のようなものを取り出す。
桃色をしたそれは、ハルアがよく使っている通信魔法専用端末『魔フォーン』だ。拙いものだが通信魔法を使うことが出来るリタにとっては縁遠いものだし、何より魔フォーンそのものの値段が少し高めなので学生であるリタには手が出せない魔法兵器だったのだ。
魔フォーンをリタに手渡したハルアは、
「今はまだ夏休みで学校に来れないけど、いつでも通信魔法を飛ばしていいからね!!」
「え、でも、これ」
「お誕生日プレゼントだよ!! リタ、今日が誕生日でしょ!!」
ハルアはリタの手を取ると、
「じゃあ行こっか!!」
「あ、はい、はい!!」
ハルアの手から心臓の鼓動が聞こえてしまわないか心配するリタだが、いっそ彼には伝わってしまえとばかりに強く手を握りしめてやった。
☆
ハルアに誘われたのは、ヴァラール魔法学院のお膝元である商業都市イストラの屋外アクアリウムである。
数日前に通信魔法が飛んできて勢いよく誘われたものだから最初は理解できなかったが、よくよく考えるとハルアと2人きりのお出かけらしい。それはつまりデートであった。
その日からリタは眠れない夜が続いた。ハルアとのデートを想像するたびに心臓が高鳴り、悶えてベッドを転がったものだから両親に心配された。
「ほああ」
「ふわああ」
目の前の光景に、リタはハルアと共に思わず声が出てしまった。
青い空に煌めく水の球に、大小様々な魚たちが泳ぐ。極彩色の鱗や尾鰭を優雅に揺らし、空中に浮かんだ水の球体を自由自在に泳ぎ回っていた。
まるでシャボン玉のように作られていく球体の中に、次々と魚が生まれていく。それはリタも図鑑で見たことがない幻想の魚ばかりだ。翼が生えたものや大きな口を持つ魚、全身が真っ白で猫耳を生やした鮫など多岐に渡る。
ハルアは空を揺蕩う水の球体に手を伸ばして、
「凄え!!」
「本当、凄い綺麗です……!!」
リタも緑色の瞳を輝かせて球体の中を自由に泳ぐ魚たちを見上げた。
屋内アクアリウムと聞いていたからてっきり水槽や巨大なプールを置いて、そこを泳ぐ魚たちを見るだけかと思っていたのだ。建物の水族館が屋外に展開されるものだと勘違いしていたのだが、まさかここまで幻想的なものだとは想定外である。
図鑑で見たことのある魚だけではなく、おそらくこの屋外アクアリウムを展開する魔法使いや魔女が頭の中で作り出した幻想の魚まで泳いでいる。そんな夢のような世界があるなんて、やはり魔法は素晴らしい。
「私もあんな魔法を使うことが出来るでしょうか……」
「リタなら出来るよ!!」
快活な笑みを見せるハルアは、
「リタはいっぱい魔法が使えるから、将来は有名な魔女さんだよ!!」
「ユフィーリアさんと比べてしまうと、そんなにいっぱい魔法が使える訳ではないのですが」
「ユーリと比べちゃダメだよ。生きてる年月が違うもん」
苦笑いを浮かべるリタに、ハルアがキッパリと言う。
「リタはリタのなりたい魔女を目指すんだよ。ユーリを目指したらどれだけ生きたって足りないんだから」
「……そうですね。ユフィーリアさんとは系統が違いますから」
リタも納得したように頷く。
ハルアの上司である銀髪碧眼の魔女、ユフィーリア・エイクトベルは星の数ほど存在する魔法を手足のごとく操る魔法の天才だ。彼女に追いつこうと思ったところで、果たして一体どれほどの年月を重ねることが必要になってくるのか。もしかすると、一生かかっても追いつくことなんて出来ないかもしれない。
それでも、リタにはリタの得意なことがある。魔法動物のことだったらユフィーリアとも張り合えるぐらいではないかと自負している。全ての魔法を幅広く使えるのがいいかもしれないが、やはりリタとしては大好きな魔法動物に関連する立派な魔女を目指したい。
ハルアは「あ、そうだ」と言い、
「オレ、飲み物買ってくるね!! 暑いから水分補給をしなきゃ倒れちゃう!!」
「じゃあ、私も一緒に」
「リタは日陰で待ってて!!」
「あ」
ハルアはあっという間に人混みの中に消えてしまった。行動が速すぎて追いつかない。
とはいえ、飲み物の購入を提案してくれて助かった。今日は水筒を忘れてしまったので飲み物の持参が出来なかったのだ。あとでお金を返せば問題ないだろうか。
リタは言われた通りに、日陰に設置された長椅子に移動する。ちょうど誰も使っていなかったので、すぐに座ることが出来た。
「わあ」
ふと空を見上げると、巨大な水の球体が頭上をよぎった。
その巨大な球体では、大きな鮫が悠々と泳いでいる。小さな鮫がお腹の辺りにくっついているのがまた可愛らしく、立派な尾鰭で水を叩くと飛沫が散って地上に雨の如く降り注ぐ。それがまた見物客たちに涼を与えて歓声が上がった。
その時、
「すみません、迷惑です!!」
「別にいいじゃん、暇なんでしょ?」
「悪いようにはしないからさ」
女性の如何にも迷惑そうな声に被さるかのように、軽薄な印象を受ける男性の声が聞こえてくる。
リタが声の方向へ視線をやると、気が強そうな少女と怯えた様子の少女の2人組が数人の男性に取り囲まれていた。金色の髪を煌めかせる少女は青い瞳で男性たちを睨みつけているが、彼女の背後に守られている黒髪の少女は今にも泣きそうだ。
男性たちはニヤニヤとした笑みを見せて、少女たちに迫る。服装から態度に至るまで軽薄さが滲み出ており、ナンパ目的であることが傍目からでも理解できた。こんな場所にまで来て異性をナンパするとは、一体何を考えているのだろうか。
長椅子から立ち上がったリタは、
「あの」
「え?」
「何?」
思わずリタは少女たちとナンパ野郎どもの間に割り込んでいた。
自分でも何をしているんだろうと思う。後先考えずに行動するのは本当に悪い癖だが、どうしても迷惑そうな少女たちのことを放っておかなかったのだ。
リタはナンパ野郎どもを真っ向から睨みつけると、
「この人たち、迷惑がっています。無理強いはよくないです」
「いきなり出てきて何言ってんの?」
ナンパ男の1人が首を傾げると、
「ていうか誰?」
「何か関係あるの?」
それからナンパ男が品定めするようにリタを上から下まで観察すると、
「あんまり可愛くないね」
「地味っていうかさ」
「君に用事はないからとっとと退いてくれる?」
ナンパ男の集団に酷い言葉を投げかけられても、リタはその場を退くことはなかった。
彼らに何を言われようと関係なかった。数多くの評価なんてリタには必要ない。たった1人、リタのことを思ってくれる人からの評価をもらえればナンパ男から「あまり可愛くない」と言われたって傷つくことはない。
せめて防衛魔法でやり過ごそう、とリタは鞄の中から普段使いしている杖を引っ張り出すと、
「リタ、こんなところにいたんだね!!」
「げはあッ!?」
唐突にリタの目の前に立っていたナンパ男が吹っ飛んだ。
何が起きたのかと思えば、飲み物を購入してきたらしいハルアがナンパ男めがけて強烈な回し蹴りを叩き込んでいた。蹴飛ばされたナンパ男は3回転ぐらいしながら飛んでいき、地面に叩きつけられて動かなくなる。殺したとは思いたくないが、白目を剥いて気絶する無様な姿を晒したところは社会的に死んだと言っていい。
ハルアは両手に持つ瓶の飲み物を「はい!!」と笑顔でリタに渡してくる。メニエサイダーと呼ばれる飲み物で、夏場ではキンキンに冷えた状態で売られるところをよく見かける。強めの炭酸が美味しくて、リタもよくヴァラール魔法学院の購買部で買っていた。
メニエサイダーの瓶を受け取ったリタに、ハルアは自分の瓶も押し付けてくる。
「オレのも持ってて!!」
「え、え?」
押し付けられるがまま瓶を受け取ったリタをよそに、ハルアはナンパ男たちを睨みつけた。
ナンパ男たちは仲間の1人が蹴飛ばされたことで怒りを露わにしていたが、それ以上にハルアの方が怒っているように思えた。その表情から笑みが消え、爛々と輝く琥珀色の瞳が真っ直ぐにナンパ男たちを見据えている。その迫力に怖気付いたのか、ナンパ男たちは後退りをする。
ハルアはナンパ男たちに詰め寄ると、
「誰のことを可愛くないって言ったの」
「え」
「あの」
「可愛いでしょ、リタは」
ナンパ男の胸倉を掴んだハルアは、
「リタのことを傷つけたんだから、オマエらも傷つく覚悟はあるんだよね?」
そして、ナンパ男の整った顔に、ハルアの右拳が容赦なく突き刺さる。
吹き飛ばされるナンパ男。彼の口から散った白いものは、あの無駄に煌めいていた彼の歯だろうか。歯が吹き飛ぶ勢いで殴られておきながら、起き上がれるほど頑丈さは持ち合わせていない様子だった。
ハルアは残ったナンパ男に視線をやり、
「オマエらならオレ、3秒で殺せるよ。覚悟してね」
――その日、ナンパ男はヴァラール魔法学院の問題児を怒らせたことで痛い目を見ることになった。
☆
ナンパ男たちは無事に医務室へ送られた。
「怖かったよね、リタ。ごめんね、1人にしちゃって」
「いえ、大丈夫です」
メニエサイダーの瓶を傾けながら、リタは人混みに視線を投げる。
先程の喧嘩騒ぎなど最初からなかったかのように、賑やかさを取り戻していた。子供がイルカが閉じ込められた水の球体を眺めて歓声を上げ、恋人同士らしい少年少女が色とりどりの魚が優雅に泳ぐ球体に触れようと手を伸ばす。
ナンパの憂き目に遭っていた少女たちはリタにお礼を言って、どこかに行ってしまった。ハルアにどこか畏怖の眼差しを向けていたが、惚れられていないことを信じるばかりである。
ハルアはあっという間に飲み干したメニエサイダーの瓶を手持ち無沙汰に弄りながら、
「リタが可愛くないだって。失礼しちゃうね、こんなにお洒落してきてくれたのにね」
「でも、ナンパされていた女の子たちより可愛くないのは事実ですから」
リタは寂しそうに笑う。
ナンパされていた少女たちは、綺麗に化粧もして髪型も整えて綺麗だった。異性なら鼻の下を伸ばすような可憐さがあったのだ。急拵えでお洒落をしたリタとは比べ物にならない。
リタは化粧なんて普段はしないから、鼻の頭もそばかすだらけで地味である。せめてその分は勉強が出来るようになろうと魔法の勉強に励んだ結果、ますますお洒落から遠ざかっていった。改めて認識すると、ちょっと物悲しくなる。
ハルアは琥珀色の瞳を瞬かせると、
「何でそんなことを言うの?」
「え?」
「リタは可愛いよ。オレが言うんだから可愛いの」
ハルアはリタの頬をむにっと摘み、
「オレの大好きなリタを悪く言わないで。たとえそれは、リタでも許さないよ」
「ふぇ」
パッとリタの頬を解放したハルアは、何かおかしなことを言ったかと首を傾げる。
「どうしたの?」
「今、あの、好きって」
「うん、大好きだよ?」
ハルアの真っ直ぐすぎる言葉に、リタは顔全体を赤く染め上げる。
どう反応していいのか分からない。もしかしたら、ハルアのことだからそういう意味で言ったつもりではないかもしれない。彼は優しいから「友達として大好き」って意味合いではないだろうか。
彼はいつでも面倒見がいい。後輩であるメイド服姿の少年と一緒に遊んでいるところをヴァラール魔法学院でもよく見かけていた。大好きとは言いつつも、その意味はきっと別のものだろう。
少し照れくさそうに笑うハルアは、
「リタと同じ『好き』なのか分からないけど、でも会えなくなったら会いたくなるし、会ったらもっとずっと一緒にいたくなるんだ。友達としても好きだけど、女の子としても好きだよ」
「え、それって」
リタが答えの真意を問いただそうとしたところで、ワッと歓声が起きた。
どうやら今までシャボン玉の如く浮かんでいた水の球体が1つになり、巨大な球体となっていた。球体の中には大量の魚が泳いでおり、その壮大さは言葉に出来ない。その場にいた見物客は誰もが瞳を輝かせ、歓声を上げていた。
ハルアも、そしてリタも目の前の球体に夢中だった。幻想的な水槽が合体する瞬間を目の当たりにして、魅了されない訳がなかったのだ。
リタに手を差し出したハルアは、
「行こう、リタ!!」
「は、はい!!」
ハルアの手を握るリタは、手を引く彼に導かれて合体する水槽のもとまで行くのだった。
今はまだ、この関係でいい。
でもいつか、彼の隣に立てるのが自分でありますように。
リタ・アロットはそう願うのだ。
《登場人物》
【リタ】ヴァラール魔法学院の1年生。ハルアに対して淡い恋心を抱く少女。他人からの評価は特に気にしないが、知り合いからの評価は死ぬほど気にする。魔法動物の知識に関しては、魔法の天才ユフィーリア・エイクトベルにも負けずとも劣らない。
【ハルア】ヴァラール魔法学院の用務員。リタを屋外アクアリウムに誘った張本人。リタのことは可愛い女の子だと思っているし、友人だと思っている。まだ好きという感覚を掴むまでに至れていない。