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猟人の星  作者: 伊藤 薫
6/12

[6]

 帝国軍に優秀な狙撃手がいることは、無線傍受から掴んでいた。その狙撃手は《銀狼》と呼ばれていた。連隊では最近、《銀狼》の狙撃による損害が増えていたのである。屋敷の一室で、連隊長は軍曹とぼくに向かってこうぼやいてみせた。


「今日も敵に撃たれた将校の穴埋めに、25人の下士官を昇格させたばかりだ。《銀狼》はわが軍の士気を見事にくじいているよ・・・」


 軍曹とぼくはその日も、この小さな街のどこかに潜む《銀狼》狩りを続けていた。


 元共同住宅だった5階建ての建物に地下から入り、4階の一室を拠点とした。ぼくたちは室内にあった木材や家具で、遮蔽物をつくる。ぼくは窓の陰から《銀狼》を探していた。軍曹も今は倍率8倍の双眼鏡を手にしている。


 日が高く昇っていた。周りの新雪は黒ずんだ壁に映えて、キラキラと輝いている。気温は低く、零下だった。ぼくはもう寒さに慣れてしまって、気にならない。ぼくがいま見ている交差点では街路に積もった雪の中からいくつもの手足や頭が突き出して、破壊された敵の装甲兵員輸送車が横倒しになっている。


 輸送車の奥、黒い屋根の共同住宅が建っている。白いカーテンが掛かっている窓の1つに眼を向けると、その奥で何か動いているように見えた。次の瞬間、その窓から発砲炎がきらめいた。


「いた・・・!軍曹、《銀狼》だ!」ぼくは思わず叫んだ。


「方角は?」軍曹は言った。


 ぼくは双眼鏡をのぞいたまま、指先でその方向を指し示した。《銀狼》の銃弾が友軍の陣地に向かって飛翔する。誰かに命中したかどうかを確認している余裕はない。


 軍曹は双眼鏡を置き、エミル・レオンを手にすると、ボルトハンドルを引き上げた。


「距離600、2時の方角、角度はゼロ・・・ぼくたちと同じ高さだ。交差点が見える?」


「ええ」


「その向こう側にある黒い屋根の建物、その4階・・・右端の窓にいる」


 軍曹は3・5倍のPU照準器をのぞいたまま、答えなかった。


「軍曹?」


「・・・」


「白い窓枠に、白いカーテンが掛かってる。右だ。右端の・・・」


「見つけた・・・!」


 軍曹は照準器に、敵の姿を捉えた。


 帝国軍独特のヘルメットを被った人影が、長い銃身とともに部屋の奥に消えた。その横に観測兵が双眼鏡を覗いている。不用意に上半身を見せていた。軍曹は照準器のレンズに描かれたT字型照準線の上に、その兵士を捉える。トリガーを絞った。


 発射音が響いた。敵は倒れない。


「弾着、見えた!標的の右50センチ!」


 ぼくは潜望鏡をのぞいたまま、叫んだ。


 軍曹は素早くボルトを引き上げる。スライドした遊底から空薬莢が排出された。白い煙が線を引き、火薬の匂いが漂う。軍曹は弾着位置を、ベランダの木片が飛び散ったことで確認していた。このとき《銀狼》も狙撃されていることに気づいた。


 ぼくは驚いた。敵は射撃姿勢のまま、銃身をこちらに向けようとしてきた。

 

 軍曹はT字型照準線に、敵が自分自身に照準を定めたのを感じた。


「それじゃ遅い」


 軍曹は標的のより左に、照準を即座に修正する。トリガーを絞った。照準器の中で敵のヘルメットが弾かれたように振動した。その後、脱力したように窓枠の下に消えた。


「当たった・・・!」


 敵の狙撃手が被弾した観測兵を部屋の奥に引きずっていく。狙撃手は刹那、こちらに眼を向けた。軍曹は《銀狼》と照準器のレンズを通して視線が合った。次の射撃機会を待ち、しばらく狙撃姿勢を取り続けた。


「どうする、軍曹?」


 ぼくは軍曹に問いかけながら、考えを進める。おそらく《銀狼》はぼくたちの狙撃位置―共同住宅の4階にあるこの部屋を知ったに違いない。


「このまま、待つ」


 しかし敵は、また窓際に姿を現すことはなかった。敵は移動したのだろうか。狙撃手なら同じ場所に長く居続けることは、まず無い。観測兵はおそらく胸に被弾した。そいつは死んだのか。仮に生きていたとしても、重傷だろう。


 陽はまもなく没して、周囲は真っ暗闇になった。暗くなってしまえば、敵も味方も撤収するしかない。射撃姿勢を続けることに疲れたのか。軍曹はようやく狙撃銃を床に置いた。

 

 1本のロウソクの火だけが、暗い部屋の中をぼんやりと照らしている。吐息が冷気で白く舞っては、すぐに消える。ぼくは配給のレーションと温かい紅茶を軍曹と分けたが、軍曹は紅茶だけ飲んだ。中指の部分を無理やり伸ばして手袋を外し、温かいブリキのコップを包み込むように持つ。その仕草に、ぼくは不思議とどこか軍人らしくないところを感じて、こんなことを聞いていた。


「軍曹は戦争が起こる前は、どんなことをしてたの?」


 軍曹は答えなかった。指先まで疲れ切っているようにも見えた。ぼくも眼が腫れて、ズキズキと痛んでいた。コップの中の薄い液体を見つめていると、ここ以外で行きたい場所はいくらでも思いつくことが出来た。

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