妹よ 愛していると 言ってくれ
人間の生存に必要なものは、酸素と、水と、愛である。
だというのに誰も俺に愛をくれないのはなぜか。
今日クラスのマドンナ水野さんに告白したがフラれた。昨日は隣の席の沢田さん。一昨日は同じ陸上部の斎藤さん。三日前はなんとなく掃除の時に2、3度話した森さん。四日前は電車でよく会う美人なお姉さん。
ことごとくフラれてしまった。しかもみんなやんわり優しくおまけにやや困惑気味にフッてきた。悲しい。
……ちなみに段々本命に迫っていったのがお分かりだろうか。
今日、ついさっき大本命の水野さんにフラれたことで俺はもう生存に必要な愛を手に入れる望みを失ったのだ。(ちなみに本命を最後に持ってきたのは俺が好きなものは後に残すタイプだからである。)
もう限界だ。誰か俺に愛をください。このままでは死んでしまいます。
そんなことを考えていたからだろうか。この後帰宅した俺が情けなく、普段なら思ってもみないことを口にしてしまったのは。
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「ただいま~……」
自宅の玄関の扉を開けて靴を脱ぐ。リビングに入ると暖かくてちょっとびっくりした。
「おかえりなさ~い」
妹がソファでマンガを読んでくつろいでいる。リビングの暖房が効いていたのは妹がつけたからか。
「あ、マンガ借りてるね。てかボーとしてないで扉さっさと閉めてよ。廊下の寒い空気が入ってきちゃうじゃん」
「ああ、うん」
言われたとおりに扉を閉める。
そのまま二階の自室に行こうとした俺を、妹はなぜか訝るようにして見てきた。
「お兄ちゃん、なんかあった?」
「え?」
「いや、別に、なんとなく元気ないように見えて」
妹は「なんでもないならいいの」と言ってマンガの続きを読み始めた。
俺は妹の言葉を聞いてびっくりした。自分が泣きたいくらい落ち込んでいることに気が付いたからだった。
わが愛しのマドンナ、水野さんにフラれたことが相当ショックだったのだ。指摘されてその事実に気付き、俺は愕然としたのだ。
固まったまま動かない俺に、妹は再びマンガから顔を上げて不審の目を向けた。
「な、何?あ、もしかして読んじゃダメなやつだった?これ」
「……いや」
「れ、冷蔵庫のプリン……あたしのだけど、食べる?」
妹と俺は仲が特別良いわけでも悪いわけでもない、普通の兄妹だ。
リビングで顔を合わせたり、マンガの貸し借りしたり、でも基本はお互いそれぞれの部屋で好きなことをしている。朝になったら適当にパンを焼いて、バラバラに家を出る。
それだけの関係のはずなのに、予想外に優しくされて俺は戸惑ってしまった。弱った心が動揺しているのが分かる。
ぬくぬくのリビングと、明るい照明。妹の戸惑いと気遣う視線。妹は、真冬だというのに薄い長そでと長ズボンで、おまけに裸足だ。
凍てつくような外の寒さから帰ってきたばかりの俺は急な温もりにぶわっと心が揺れ動いて、全身を素手で撫でられたように気持ちよくなって、そして涙が出てきた。
「え、えぇ!?泣いた!!」
俺は慌てる妹によろよろと近づいて、目をぎゅっとつむって思ったままに口を開いた。
妹よ……
「愛していると言ってくれ……」
お願いします。誰か俺を愛していると言ってください……。もう死にそうでたまらないんです……。
そのまま崩れるように座り込んだ俺を、妹はどうすることも出来ずオロオロと見ているだけだった。
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「だ、大丈夫?」
「うん」
泣いたことで、俺は気分が晴れていた。普段よりテンションが高いくらいだ。もう明日にはいつものハッピーで何も考えてない自分に戻れるだろう。
だがそんな俺の心境など妹は知る由もない。落ち着かせようとココアを作って手渡してくれた。
人を慰めるのなんて慣れていないのだろう。チラチラとこちらを気遣う妹の様子に俺はおかしさを感じた。なんだか心配されるのが嬉しくてしょうがなかった。
「もしかして、虐めにでもあってるんじゃ……」
なんて突拍子もないことを呟くからついつい笑ってしまった。俺が笑うのを見て妹はちょっと顔を赤くしてムッとしたようだ。
「お、お兄ちゃん。何笑ってるの!」
「いや、ごめん。でもまず虐めなんて発想が出てくるのはおかしいだろ」
「お、おかしいのはお兄ちゃんじゃん!妹に愛を要求するのなんて、へ、変!」
そう返されて俺はちょっと言葉に詰まった。
確かに、愛してくれなんてなんで言っちゃったんだろう。
そりゃ好きだった人全員にフラれて軽く絶望してたけど、だからって妹に泣きつくという発想はこれっぽっちもなかったのに。
不思議に思って妹を眺めた。妹は戸惑い気味の視線を返してくる。
すると、妙なことに自分の心に妹への愛しさが巣食っているのを発見せざるを得なかった。
それも、ついさっき優しくされたからコロッと来たのではなく、ずっと昔から大好きだったような気がしたのだ。
だが、そんなこと分かったところでどうしようもない。妹をこの感情に付き合わせるのは申しわけがないし、自分でも信じられなかった。だって別にそんなに普段話さないし……。
「まあ、さっきの俺の発言は気にしないでくれ」
俺は平静を保ってそう言った。
すると俺の言葉を聞いて、妹は髪をくるくると指先で弄りながら、ちょっと引っかかる返事を返した。
「いやまあ、お兄ちゃんの愛してくれ、なんて別に気にしてないけどさ」
「ん?」
「だってお兄ちゃん、色んな人にそう言って告白しまくってるんでしょ」
それは事実だが。まぎれもない事実なのだがなんだか否定したくなった。
というかそもそもなんでそんなこと知ってるんだ。
俺の表情を見て言いたいことを察したのだろう。妹はどこかよそよそしく話を続ける。
「誰にでも告白する上級生がいるってクラスでちょっと噂になってるもん」
「え、嘘」
「ほんと。お兄ちゃんって変人で浮いてるし、だからあたし、とうとう虐められ始めたのかと思ったわけだし」
俺は高校三年生で妹は高校一年生である。ちょっと遠くの、同じ高校に通っている。
俺にそんな軟派な噂が流れていたとは……。友達が少ないせいか全く知らなかった。
「それに知ってるよ。お兄ちゃんどうでもいい人ばっかに告白して本命、確か水野さんって人には何も言ってないんでしょ。ビビり」
「なっ」
なんでそんなことまで???
いや、しかし二つ勘違いをしている。確かに俺はビビりで、大本命の水野さんに中々告白できていなかったが、それは昨日までの話だ。
「水野さんには今日告白した」
「え、ほんと?」
妙に食いつきがいい。
「フラれた」
「……あ~、なるほどね。だから落ち込んでたんだ。ふ~ん」
「それにな、誰にでも告白してるわけじゃない。好きだから告白してるんだ。まあ確かにより好きな人ほど後に告白したけど……」
「……それって途中でOKされたらどうだったの……」
と呆れた目を向けてくる妹だったが、途中で何かに気が付いたように目線が宙に浮き、次第に顔が赤くなってきた。
なぜだろうと不思議に思って尋ねた。
「どうかした?」
「い、いや、水野さんの後にあたしに告白したんだなって思って……。そんなわけないよね。さっきのあれは告白じゃないよね」
何そんなこと気にしてるんだ。なんでそんなことで顔を赤くしてるんだ。
そう思った途端俺は、妹に気持ちを伝えよう、と決意した。
生存に必要な愛を妹から貰えたら、俺はもう寂しくない。どんなに外が寒くても、リビングの暖かさを知っていれば耐えられると、そういう気がして俺は妹を見つめて言った。
「愛してる」
「え?」
妹は俺と目を合わせて固まった。俺はそらさなかった。
やがて妹は目線をずらし、ゆっくりと俯いて、それから言葉を紡いだ。
「……信じないから。お兄ちゃん、ほんとは誰でもいいんだね」
「……」
「お兄ちゃん誰にでも告白するけどさ、様子見てたら、実は水野さん一筋なんだ、って気が付いてた。でもフラれてあっさりあたしに鞍替えするようなお兄ちゃんなんだもん。そんなお兄ちゃんの愛してるなんて、信じないから」
俺は何も言い返す言葉を持っていなかった。自分でも、どうして妹のことを愛していると感じるのかわからないのだ。
所詮コイツは妹じゃないか。
ご飯の時くらいしか話さなくて、好きなマンガが近くて、昔は喧嘩とかもよくして、落ち込んでたら気づいてくれて、ずっと一緒に暮らしてるだけじゃないか。
俺は胸が苦しくなった。息もできないくらい苦しくなった。
さっきより切実に、妹に、愛していると言って欲しかった。しかしそれは叶わないのだ。
だが、妹はソファから立ち上がって、睨みつけるような強い目をして俺に言った。
「でももし、お兄ちゃんが、明日になってもあたしより好きな人に告白しなかったら、一ミリだけ信じたげる。一年たっても誰にも告白しなかったら三百六十五ミリだけ信じたげる」
「あ……」
「分かった!?」
「わ、分かった!」
真っ赤な顔してそれだけ言うと妹は、自分の部屋にぴゅーっと脱兎のごとく消えていった。
ソファに一人取り残された俺はドクドクと、さっきとは違う胸の苦しさを味わった。
俺は飛び上がりたかった。俺の告白はこれまでと違って、やんわり優しくおまけにやや困惑気味に、流されたりなんかしなかった。
『ごめんね、よく知らないから』
そう言われなかったのだ。初めて、俺の想いが相手にぶつかる手ごたえを感じた。
妹と俺の心の距離は、一体何センチ、何メートルあるのだろう。愛していると言ってくれるようになるにはどれだけかかるのか。
しかし、確かに道筋がある。
どうすれば愛されるのか分からなくて、闇雲だったこれまでと比べて遥かに明確に、愛の輪郭を垣間見た。
もう大丈夫だ。生きていける。
人に愛される、予感がしたのだ。