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第9章

慈空達は白い修験僧の格好のままで、錫杖しゃくじょうを鳴らし経を唱えながら世田谷区内を北西部から歩き回っていた。


初日は何の手掛かりもなく終わったが、その2日目の夜のことだった。


住宅街の中でありながら、少し広い土地が竹林になった場所に彼等が差し掛かった時だった。



「ちょっと待て」


慈空が立ち止まった。


慈空が胸元からお札を出した。


お札が熱を帯びていた。


普通の人には分からないが、霊力のある彼等にはさらに青白く淡く光って見えた。



「この中か」


慈空が暗闇に浮かぶ竹林の中を睨んだ。


「おかしいですね、兄者。何の妖気も感じません」


「ああ、確かに。だが、お札が示している」


「では、この近くで結界を張れる場所を探しましょう」


慈延が言った。


「そうですね」


慈海が頷いた。


しかし、慈空は竹林を睨みつけたままだった。


兄者あにじゃ?どうしました」


「まずは本当に奴かどうかわからん。妖気を感じないのが気になる」


慈空が竹林から目を離さずに言った。


「ですが、それも危険では……」


慈延が言った。


「これまでも、4つのお札で抑えられていた。確認だけなら大丈夫だろう」


「兄者……」


慈空兄じくうあに……」


慈延と慈海は顔を見合わせた。


「確認する」


慈空が言った。


「わかりました」


慈延と慈海が頷いた。


「では、行こう」


慈空はお札を胸元に仕舞うと、虫の音が騒がしい小道を入って行った。



慈延と慈海もそれに続いた。


暗い中、懐中電灯も使っていないが、彼等は山奥の修行で暗闇に慣れていた。


それに霊は明かりで見えるものでもない。



少し入ったところにお堂があった。


その前には外灯が点いていて、少し明るかった。


お堂の前に小さな案内板の様な物もあり、今来た小道も低いロープを張った柵も整備されていた。


どうやら、何かの史跡を残した物の様だった。



「この中か」


慈空は、そうは言ったが、ここまで来てもほんの少しの霊気だけだった。


やはり、凶々しさは微塵も感じなかった。


だが、ふと気が付くと、虫の音が止み、静けさの中にいた。


「やはり奴なのか?気を付けろ」


「はい」


慈空は後ろの二人に言うと、自分はお堂の戸を開けようとした。


その時、中からの霊気が急に強くなるのを感じて、慈空は後ろに飛び退いた。


「慈空兄!」


「下がっていろ」


三人でお堂を見つめていると、戸が開いた。


「向こうから出てくるということか」


慈空は身構えた。



中は真っ暗でよく見えなかった。


だが、そこに何かがいるのは分かる。


胸元のお札もさらに熱を帯びてきた。


それに合わせる様に、奥から何かがゆっくりと出てきた。


街灯の光で闇との境があったが、そこをその何かが越えそうになった瞬間、女性の顔だと分かった。


それも首だけ。


少し低い位置に浮かんだまま、そこで止まった。



「やはりうつりか」


慈空はその顔を睨みつけた。


その女性の顔は5番目の被害者田島理恵だった。


虚ろな目でこちらを見ていた。


ただ、この状況でも、まだ妖気を感じなかった。


「兄者!ここは一旦引きましょう!」


慈空はその矛盾に戸惑いながらも、妖気を感じないのは結界が効いているからだと思った。



「いや、ここまで来たら、今封印する」


彼は胸元から青白く光るお札を出すと、片手で印を切り、経を唱え始めた。


慈延と慈海は顔を見合わせたが、同じく慈空の後ろで錫杖を構え、印を切り、経を唱え始めた。


理恵の首はお堂を出ることなく、ただこちらを見つめていた。


3人で経を唱えていると、お札がさらにその光を増した。


その光が最大となったところで、慈空は素早くお堂の階段を駆け上り、理恵の首にお札を貼り付けようとした。


だが、その首にお札が届かなかった。


首と慈空の間には何かの圧力があった。


貼り付けようとする慈空の力と、それを押し戻そうとする力。


首はただ虚ろに慈空を見ている。


その感覚に、慈空は戸惑った。


だが、更に念と力を込め、お札を押し込んだ。


後少しで首に触れる。



「邪魔をするのか?」


その突然の声と顔に合わない声色に慈空は怯んだ。


数歩後ろに飛ばされた。


「むう!」


慈空は気を取り直し、再び念と力を込め、お札を突き出す右手を錫杖を持った左手で押さえ一歩ずつ前に出た。


慈延と慈海も更に念を込め、経を唱えた。



「お前はわらわの邪魔をするのか?」


声色と言い方は変わらず静かだったが、抗いがたい深いものがあった。


それなのに、この状況であっても、まだ妖気を感じなかった。


なぜだ?


慈空達は戸惑っていた。


「邪魔などではない!お前を封じるだけだ!」


慈空は叫んだ。


「邪魔する者は許さぬ」


静かにそれは言った。


その瞬間、何かが左右に動き、慈空の動きが止まった。



「兄者!」


「慈空兄!」


叫んだ二人の前に何かが転がってきた。


それは、カッと目を見開いた慈空の首だった。


「!!」


残った身体は後ろにゆっくりと倒れて、階段を落ちてきた。


さすがに慈延と慈海が怯んだ。


理恵の首が、ふわりと慈空の身体に近付いたが、その表情は少し歪み、そのまま、またお堂の入り口に戻っていった。



「やはり、男の身体は合わぬ」


それはそう言った。



「俺が行く」


慈延が、兄弟子を亡くした悲しみを抑えながら言った。


「慈延兄!」


「俺がダメなら、慈海、お前は逃げろ。住職達に伝えねばならん」


「それはできません!私も一緒に!」


「お前までここで果てたら、この状況を誰が伝える!他の誰かにあれの退治を任せねばならんのだぞ!」


「慈延兄……」


「離れていろ。ダメならすぐにここを去れ!」



慈延は、慈空の右手にあるお札を手に取った。


「お前もわらわの邪魔をするのか?」


「邪魔ではない。ただ、すべき事をするだけだ」


慈延は、お札を手にお堂の階段を駆け上がった。


そして、念を込めお札を首に突き出した。


やはり、首までの間に何かがある様に押し返される。


「ぬぉおおおーー!!」


慈延はさらに念を込めた。


その思いが勝ったのか、お札が首に届いた。


首に触れた瞬間、お札が更に光を放ち、光の輪がお札を中心に弾ける様に広がった。


理恵の首は苦悶の表情となり甲高い悲鳴を上げた。


そしてまだ光るお札自体の光の中で目を閉じると、床に落ちた。



「やったのか……」


慈延は、そのまま光の消えたお札を突き出していた。



「慈延兄!」


慈海が慈延に駆け寄った。


慈延は、落ちた理恵の首にお札を貼り付け印を切った。


辺りには元の静けさが戻っていた。


「慈延兄……」


慈延が慈海の声にゆっくり振り向いた。


「我らはこれを封じたのですか……」


慈延はもう一度、理恵の首を見た。


もう何の動きもない。


「ああ……そうだな。我らはやった……」


そう呟くと、傍らに倒れている慈空の亡骸を見て涙を堪えながら言った。


「兄者、我らはやりましたぞ!」


そして、溢れた涙を気丈に振り払った。





だが、気が付いた。



「む……、静かすぎる」


慈延が言った。


「確かに……」


慈海が周りを見回した。



そのとおりだった。




「なんとひどい事をする……」


その声に、慈延と慈海は後ろに飛び退った。


理恵の首がまた、宙に浮いた。


そして、貼り付けたお札がハラリと剥がれると、落ちる途中で一瞬のうちに燃えた。



「邪魔をする者は許さぬ」



「慈海!逃げろ!」


慈延が慈海を突き飛ばした。


「うぐっ!」


慈延が胸を押さえて倒れるのを堪えていた。


「慈延兄!」


「ぐふうっ……」


慈延は血を吐き、その場で倒れ絶命した。


慈海は錫杖を構えて戦おうとしたが、


「くそっ!」


諦めた。


自分にできる事は、もう何もなかった。


お堂に背を向けると竹林の外へと走った。



「くそうっ!!」


彼は竹林を飛び出しても後ろを見ずに、永凛寺の方へとただ走った。


結局、慈海の後を追うものはなかった。


そして、慈海の走り去る足音と錫杖の金輪の鳴る音が聞こえなくなった頃、また虫達が騒がしく鳴き始めたのだった。





● 永凛寺本堂



昼過ぎに永凛寺の本堂にみんなが集まっていた。


今度は赤井と三田村も来ていた。


「慈海さんは、二人の名前を言った後は、ずっと黙秘しています」


赤井が言った。


「そうですか……」


永凛寺の住職が呟いた。


慈海は、住職に事の次第を報告した後、世田谷西署に出向いたのだった。



「二人の死因は……」


教授が言いにくそうに聞いた。


「慈空さんは首を切られ、慈延さんは心臓を潰されていました」


それを聞いて季世恵が気を失ったのを忍が支えた。


「捜査本部も何が起こったのか分からず戸惑っています」


三田村が言った。


「なぜ彼等があそこに居たのか、言える訳がないので」


赤井が悔しそうに言った。


「確か、そこはあの有名な上人が昔居たというお堂でしたよね」


教授が言った。


「ええ」


「そんなところにいたとは」


「今でもそこにいるんでしょうか……」


遥香がそう言うと、赤井が視線を向けて溜め息を吐いた。



「渕上さん、何でまだこちらにいるんですか?」


遥香は黙って下を向いた。


「え?どういうことですか」


教授が赤井を見た。


「一連の被害者がA型です。一応、渕上さんも同じなので、東京を離れている様にお願いしていました」


「ああ、そういう事ですか」


「遥香ちゃん、こんな状況だからさ、やっぱり東京を離れていた方がいいよ」


三田村が言ったが、忍が睨んだ。


それに対して三田村も忍を睨み返していた。


今までだと赤井が三田村を叩く場面だが、今はそんな軽い雰囲気も救いかと思われた。



「もう、何も手立てはないんでしょうか?」


遥香は話を逸らす意味もあり、そう言った。


その視線の先の住職は、何も答えず、腕組みをした。


遥香は、それを見て、やはり、もうあの女の子に頼るしかないと心を決めた。



「ただ、慈海殿が一つ気になる事を言っていました」


「何です?」


教授が言った。


みんなも住職を見た。


「霊気は感じたが、最後まで凶々《まがまが》しさというか、まるで妖気を感じなかったと」


「え?どういう意味です?」


「妖怪や悪霊のたぐいなら、感じるものを、一切感じなかった……ということです」


「じゃあ、うつりは一体何なんです?」


「もしかして……」


住職がその先に言った言葉に、みんなが驚いた。


それを聞いて、教授はある事を思い出した。



「広田さんの資料に、ある言葉が書かれていました」


「何と?」


住職が聞いた。


「『うつりには悪気がない。だから恐ろしい。悪気はないが、邪魔をすると殺される』という言葉です。やっとその意味がわかった気がします」


教授は言った。


「なるほど……」


住職も唸った。


「今回はうつりにとって『邪魔をした』から殺されたという事だと思います。結界は張られた訳ですし……しばらく、様子を見ましょう」


教授はそう言ってみんなを見た。


そこにいる者は、頷くしかなかった。





遥香は、15時過ぎにみんなと別れた後、昨日慈空と慈延が殺されたお堂の前に来ていた。


竹林の入り口には黄色いテープが張られていて、警官が一人立っていた。


遥香はその場で手を合わせた。


しばらくして顔を上げると、零れた涙を拭った。



「私が何とかしますから」


遥香は決意を新たにした。


とりあえず周りを見回したが、女の子はいなかった。


遥香は、他にいそうな場所に向かった。



遥香は、各遺体の発見現場を回った。


しかし、どこにも女の子はいなかった。


実家にも行ってみた。


家の前でちょうど帰ってきた父祐志と会った。


「どうした?」


「あ、ちょっとお母さんに」


「そうか。まあ、上がれ」


「うん」


遥香は素直に言った。



祐志が晩ご飯を作ってくれている間に、遥香は仏間に行った。


母へ手を合わせた後、しばらくそこに居た。


でも、母の霊は現れなかった。


「遥香、できたよ」


祐志が呼びに来た。


「はい」


遥香は仏間を後にした。



「で、何か分かったのか?」


祐志が食べながら言った。


「うん、結構いろいろ」


遥香も食べながら言った。


「俺に何かできるか?」


遥香が見ると、祐志は真面目な顔をしていた。


「ううん。私達には何もできることはないよ」


遥香も真面目な顔で答えた。


自分のしようとしている事は言えなかった。


「……そっか」


しばらく二人は黙ってご飯を食べていたが、祐志が何か言いたげなのに遥香は気が付いた。


「なに?」


遥香は食べるのをやめずに聞いた。


「あ、ああ……」


祐志は茶碗を持ったまま遥香に目を合わせたが、すぐに視線をずらした。


「……家に、帰って来ないか?」


やっとのことで、祐志はその言葉を絞りだした。


「……そうしたいんだけど、まだお爺ちゃんの面倒を見なきゃね」


遥香は、少し間を空けながらも、そう言った。


「……そっか」


祐志は、その口元に少し笑みを浮かべた。



その後は特に会話はなかった。


遥香が実家を出た時は夜も更けていた。


今夜は帰ることにした。





その帰り道、遥香のケータイに忍から着信があった。


「忍ちゃん、どうしたの?」


『ちゃん言うな』


「用がないなら切るよ」


遥香は真面目な口調で言った。


『あるある!切るなよ』


「冗談だよ。で、なに?」


遥香は忍の慌てた感じに吹き出した。


『なあ、赤井さんの言ってたことだけどさ』


「ん?」


『おまえ、本当に東京、離れてろよ』


「忍ちゃん……」


『慈空さん達でさえ殺されたんだ。俺にはおまえを守る術がないんだよ。頼む。しばらく東京を離れていてくれよ』


「だからこそ……無理だよ」


遥香は忍の気持ちがうれしかったが、そう言った。


『え?どういうことだよ』


「私が何とかするしかないと思う」


『おまえ、何をする気なんだよ?』


「あ、大丈夫。私は頼むだけだから」


『もしかして、あの女の子の霊にか?』


「うん。ダメだろうけどさ」


遥香は笑った。


『おまえが、直接何かをするわけじゃないんだな?』


「当たり前だよ。できるわけないじゃん」


『そうだよな……』


「でしょ?」


『分かった。無理するなよ?』


「うん」


『俺に何かできる事があったら言えよ?』


「うんうん」


『本当だな?』


「うん」


『分かった』


忍が溜め息まじりに言った。


「忍ちゃん」


『なに?』


「ありがとう」


いつにもなく、遥香は優しく言った。


『いや、別に……』


忍は照れた。


「じゃあね」


『ああ、お休み』


「お休み」


遥香は電話が切れてツーツーとなる音をしばらく聞いていた。


「忍ちゃん、ありがとね」


遥香は、また、思いを強くした。





教授は自宅の書斎で、今日住職が言ったことをずっと考えていた。


うつりの正体。


首が身体を求めるのは必然。


でも身体を奪いながらも、そこで終わらない。


次々と移っていく。


それをどうくい止める?


いや、今は慈澄さんが命を懸けた結界で、また止まっているのかもしれない。


その結界があるうちに、退治しなければ、また被害者が続くことになる。


うつりが住職が言った存在だとすると、一体誰が退治ができるのか……


いや、退治という言葉を使う事自体間違っている。


人間がどうこうできるわけがないということになる。


「悪気がない……か。確かに、それが一番恐ろしいよ」


教授は誰もいない書斎で呟いた。



トントン。


教授はドアの方に顔を向けた。


「お父さん、まだ起きてるの?」


季世恵がドアを開けて顔を出した。


「ああ、もう寝るよ」


「そう。じゃあ、お休みなさい」


「あ、季世恵」


季世恵はドアを閉めようとした手を止めた。


「なに?」


「今までいろいろありがとな」


「え?何よ。別に大した事してないし、大事なところでは気絶してるし……」


後半は小さな声で言った。


「もう、おまえはこの件に関わるな」


「え?どういう事?」


季世恵がドアを開けて書斎に入ってきた。


「もう、俺達にできることはない。後は結界が効いている事を祈るだけだ」


「お父さん……」


「本当に、俺達にできることは、ないんだ……」


少し遠い目をして言った教授に、季世恵は何も言えなかった。


それに、明日からは新学期が始まってしまい、言うほど自由な時間も取れないのも確かだった。





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