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第6章

● 世田谷西署捜査本部



小木美智子の遺体が見つかった日の夜の捜査会議。


「おい、そのビデオを流せ」


真田管理官がプロジェクター機器の所の鑑識課員を見た。


「はい」


その鑑識課員がもう一人に目配せすると、室内の明かりが消された。


会議室前方の角に立てられたスクリーンに映像が映り始めた。


まずは室内が広く映る映像が、段々とその遺体をクローズアップし始めた。


手前に池田と松田が映っていた。


ちょうど顔が映る時に池田が重なったので、カメラは右に少しずれた。


そこで顔が映るはずだったが、なぜかその顔の部分が黒いもやが掛かったようになっていた。


「おい、誰がモザイク処理しろと言った」


真田が鑑識課員を睨んだ。


「いえ、自分は何にもしていません!」


「じゃあ、あの顔を隠してるのは何だよ?」


「な、何でしょう?撮った後に確認した時はちゃんと撮れてましたが……」


鑑識課員が首を傾げた時だった。


映像が乱れ始めた。


「おい、どうした?」


「いえ、分かりません!え?何だこれ」


その鑑識課員は停止ボタンを押しているようだったが、映像は止まらず、そのまま砂嵐状態になった。


彼はしばらく操作していたが、


「すみません……映像が消えています……」


消え入るように言った。


「写真は?」


「それが、最初の方は黒く潰れていて、写っているのはその後の状態のだけでして……」


鑑識課員がそう言った後、頭を下げた。


証拠の写真はあえてフィルムで撮る。


それでもダメだったということだ。


真田は深く溜め息を吐いた。


赤井と三田村は顔を見合わせた。



「結局、証明にはなりませんでしたね……」


三田村が小声で言った。


「まあ、そうだな」


赤井はもう、普通の殺人事件とは思っていなくて、こういうのも有りかと思っていた。


これは警察がどうこうできる事件じゃない。


ただ、そういう思いだった。


「でも、あの池田が『はっきり見たんです!』って管理官に訴えたのには笑えました」


赤井もフッと笑った。




遺体については司法解剖に出されていた。


DNA鑑定もそこでされる。


頭部の方は結果待ちではあるが、身体の方は小木美智子で間違いないと思われた。


それは、身体の黒子などの特徴が、アルバムにあった水着の写真と一致していたからだ。


今度は、小木美智子の頭部がないということだ。


この順繰りと頭部を入れ替えることに、何の意味があるのかはまだ不明だ。


しかしこれで、本件は連続殺人事件となり、真田はあらためて幾つかの捜査を指示した。



「それから、次がある時は、俺も現場に行くからな。解散」


真田が憮然として言った。


捜査員達がサッと立ち上がると敬礼をした。


それぞれの担当が打ち合わせを始めたが、これまでと少し雰囲気が違っていた。


普通の殺人事件ではないとの認識が、段々と捜査員の中にも浸透し始めていた。





その二日後の夜の事だった。


23時半頃、SS(エスエス)というバンドのボーカルとキーボード担当のnor(ノル)という女性が、その日のライブを終え、世田谷区にある自宅マンションに帰ってきた。


もちろん、norはアーティストネームだ。


彼女は、5階でエレベーターを降りると、自分の部屋の方に歩いて行った。


彼女の部屋は3部屋過ぎた先の角を左に曲がって一番端の505号室だった。


その角を曲がると、廊下の明かりが消えていた。


こっちは点いているので、真っ暗なわけじゃない。


「明日、管理会社に連絡しなきゃ」


norは、ただ、そう思っただけだった。


そのまま部屋に向かおうとすると、前から来る女性とぶつかり掛けた。


なぜか顔の周りが暗くてよく見えなかったが、その顔は真向かいの部屋の女性だった。


「あ、すみません」


norは避けたが、彼女の顔が触れるくらいすぐ横を通った。


そして、肩と肩がぶつかるはずだった。


でも、なぜかぶつからずに、彼女はそのまま行ってしまった。


振り向こうとしたが、その前に、目の前に座り込んだ女性に目が行った。


「あれ?」


見知らぬ女性だった。


その暗がりの中で、まるで酔い潰れた様に、真向かいの506号室のドアに背中を預け、足を投げ出して座り込んでいた。


「あの~、大丈夫ですか?」


norは彼女の前にしゃがんで、声を掛けた。


反応はなかった。


顔とかよく見えなかったので、norはスマホのライトを点けた。


明かりに照らされたその表情は、何故か微笑んでいる様な感じで、良いお酒だったようだ。


「あの~、こんなところで寝てると風邪引きますよ」


norは彼女の肩を揺すった。


すると、目の前でその女性の首に赤い線が描かれていった。


「え?」


norは、その線に目が釘付けになった。


赤い線が端まで描かれた。


「な、何これ……」


norがそう呟いた途端、その首がゆっくりと手前にズレてきた。


「あ……」


ぽとりと落ちた首がスマホを持ったままのnorの手の上に乗っていた。


そのライトに左から照らされた表情は、さっきのまま微笑んでいた。


norはそのまま気を失って倒れた。





● 世田谷西署捜査本部



真田が長机に両肘を付いて額を押さえていた。


「で、その第一発見者は何て供述しているんだ?」


真田はその格好のまま、顔を上げずに言った。


「酔って寝てるのかと起こそうと肩を揺らしたら、首が切れて落ちたと……、えっと、今までのと同じです」


事情聴取をした捜査一課の捜査員が立って答えた。


「そうか……、で、今回は一般人だった訳か」


真田は、今度こそ自分で確認したかったが、結局見られずに落ち込んでいるようだった。


「首のところについては、具体的には?」


真田が顔を上げた。


「目の前で赤い線が描かれる様に見えた後、首がズレ始めた、ズレ始めるまで切れているとは思えなかったと、供述しています」


「わかった」


真田は呟く様に言った。


norが見覚えのなかったその顔は、小木美智子だった。


そして、身体の方は、昨日から行方が分からないnorの真向かいの部屋の住人、市倉伸子いちくらのぶこ27才だと想定された。


その後、真田はしばらく黙っていたが、大きな溜め息をつくと、遺体のDNA鑑定、被害者の交流関係、怨恨の有無等、まずは今までと同じことを指示した。


「主任、小木美智子の身体に載っていた頭部はやっぱり柳静香でしたね」


三田村が、さっき報告されてホワイトボードに貼られた情報を見ながら言った。


生前の顔と腐敗した顔が並べられて貼られているのが物悲しかった。


「もう、何も疑わないさ。完全に順繰り首が挿げ替えられているだけだ。次に見つかる遺体の頭部は市倉伸子ということだろう」


赤井が市倉伸子の顔写真の横を指先でとんとんとしながら言った。


「ですよね……」


「それよりも、気になるのは、この事件の間隔だ」


「え?」


「間隔だよ、間隔」


赤井はホワイトボードを顎で示した。


「最初は、17年前の頭部。次は1ヶ月くらい。そして、今回は5日。どんどん短くなってる」


「確かに……」


「そのうち毎日遺体が見つかるとか、ないよな?」


「いや、それはやめてください」


「俺に言うな」


赤井は虚ろに答えた。


でも、何故だ?


赤井は見た目の雰囲気よりも真剣にそれを危惧していた。



「ところで……」


赤井は三田村を少し睨んだ。


「え?何ですか?」


「渕上遥香と連絡取ってないだろうな?」


「いやいや、主任に釘刺されてからは我慢してますって」


三田村は両手を左右に振った。


「本当か?」


「はい……」


「なら、いい」


そう言って赤井はまたホワイトボードを見たが、そろそろ新たな被害者の事を伝えて、向こうの情報も貰おうと思っていた。





● 岩手県奥見田町(おくみたまち)うつり塚



遥香達は、岩手県奥見田町にあるうつり塚に来ていた。


「ここも洞穴の中なんですね」


「そうだな」


遥香と教授がうつり塚を見上げた。


ここも、町外れの山の中で、鬱蒼とした森の崖の途中3mくらいの所にあり、そこまで小さな階段が作られていた。


中は上まで上がらないと見られない。


「確かに、塚と言いながら珍しいですよね」


ここまで案内してくれた奥見田町教育委員会職員湯沢が言った。


湯沢の話によると、奥見田町付近でうつり塚と呼ばれる物はここだけで、ここは町で管理してはいるが、代々、調査は禁止されているらしい。


郷土史誌にも何の記述もなかったが、あえて出さない様にとも申し送りされているらしい。


そんなうつり塚なので、なぜここにあると知ったのかと問われたが、教授は風の噂でとだけ答えて濁した。


「昔はこの近くにあったお寺が管理していたらしいんですが、大正の頃かそこらで廃寺になったそうで、それ以来町の管理だと聞いています」


湯沢がうつり塚を見上げながら言った。


教授が少し観察する振りをして、湯沢から離れて遥香を手招きした。



「で、どうだ?何か感じるか?」


教授が横に並んだ遥香に小声で聞いた。


「いえ、何にも」


遥香もうつり塚を見てる振りして小声で答えた。


「女の子は?」


「向こうの方でこっちを見てますが、無反応ですね」


遥香はここへの入り口辺りを視線で示した。


「そっか」


教授と遥香は、忍達と話していた湯沢の方に戻った。


「中を覗いてみてもいいですか?」


「入るのはダメですが、見るだけならどうぞ」


「ありがとう」


教授は口元だけで微笑むと、その幅50cmくらいの階段を上り始めた。


遥香と忍、湯沢も上り始めたが、季世恵は下に独りで残った。


ここのうつり塚も入り口に木の格子柵がはめられていたが、奥行きはそんなになく、塚はすぐそこで、外からでも見る事ができた。


こんもりと盛り上がった土の上に小さな祠が載っていて、四隅に木の柱が立てられ、しめ縄で囲まれていた。


「同じだな」


「そうですね」


「女の子は?」


教授に聞かれて遥香が振り返ると、さっきのところにはいなかった。



「あれ?いなくなりました」


遥香が反対側を見ようとすると、


「!!」


目の前にいた。


かろうじて口を押さえて声を出さずに済んだ。


「もう、びっくりした」


女の子はつぶらな瞳で遥香を見ていた。


「どうかした?」


「ここ、何もないよ」


「え?」


女の子はそう言って消えた。


遥香は周りを見回したが、もうどこにもいなかった。


「あの、教授」


「ん?」


「ここ、何にもないそうです」


「え?あの子が言ったのか?」


「はい」


「そっか、わかった」


教授は少し考える様に頷いた。


「湯沢君、どうもありがとう」


「あ、もういいんですか?」


「ああ、大丈夫。参考になったよ。ありがとう」


教授はみんなを下りる様に促した。



「先生、どうかしたんですか?」


下りたところで忍が聞いた。


「ここには、何も、ない、そうだ」


教授は小声で忍に耳打ちした。


「そうですか」


「じゃあ、役場に戻るか」


教授は大きな声で言うと、さっさと来た道を戻り始めたのだった。




「何か、便利だな」


奥見田町役場でお礼を言った後、今度は宮城に向かう車内で教授が言った。


「先生!」


遥香が少し怒った顔で助手席から睨んだ。


「あ、すまんすまん」


そうだった、この車に一緒に乗ってるんだったと、教授は思い直して苦笑した。





午後には宮城県御栗木町(おぐりきまち)役場に着いた。


教育委員会職員の吉田が対応してくれたが、ここでもうつり塚の起源についてはまるでわからなかった。


ただ、この町では、郷土史誌にも載せられていて、さらにうつり塚は首塚と認識されていた。


町外れにあるお寺にそれはあった。



「これです」


吉田が手で示した。


目の前にあったのは、ほぼお墓に近い形をしていた。


しかも結構新しかった。


「建て替えたのは10年くらい前ですかね」


一緒に立ち会っていた住職が言った。


まだ40代くらいだった。


「その前のがこれですね」


住職はアルバムを差し出した。


「ありがとうございます」


教授が受け取り見てみたが、その前からも似た様な物だった。


さらにその前は、ただ大きな石が置かれているだけだったようだ。



「これがうつり塚と呼ばれる様になった経緯はご存知ですか?」


教授は住職にアルバムを返しながら言った。


「私自身はここの住職を継いで日が浅いんですが、死んだ親父が言ってたのは、あ、前の住職ですけどね、首のことをうつりと言ったとかなんとかなんですけどね」


「え?この辺では首のことをうつりって言ってたんですか?」


「いや、自分自身では知りません。吉田さん、首をうつりって言う方言聞いたことある?」


「いやぁ、聞いたことないですね」


吉田は首を振った。


「そんな感じで、今となってははっきりしないんですけど、親父がそうじゃないかって言ってただけかもしれません。仮にそうだとしても、江戸時代のこの寺の配置図で、既にうつり塚となってましたから、かなり古いことなんでしょうね」


「そうなんですか」


そのやり取りを聞きながら、遥香は女の子を捜していた。


でも、女の子は現れなかった。


教授が遥香を見た。


遥香は軽く首を振った。


「わかりました。どうも忙しいところありがとうございました」


そう言って教授は頭を下げた。




吉田を役場に送って、役場の駐車場でみんなが車に乗り込んだ。


「さて、この後はどうするかな……」


教授が呟いた。


ここに来る前に判明していたうつりに関係しそうな場所は以上だった。


「あの、私何となく思ったんですけど」


「ん?」


「うつりに対する恐怖感がこっちに来るにつれて、段々薄れた気がしませんか?」


「いや、そのとおりだな」


教授も頷いた。


「多分、本当の発祥の地は青森辺りだろう。そして、その周辺までは、かなりの恐怖感があった。だから、直接名前を出すのも避けて記録が残らなかった」


「でも、ここまで来ると、あまり恐怖感もなく、ただ、北の方の風習を真似ただけ……という感じですよね?」


遥香が呟く様に言った。


「そのとおり。だからこそ、うつり塚が首塚だとはっきりもしていた。ある意味、調べるならこの辺の地域なのかもしれない」


「あとは、山形でのうつりの絵ですね」


「そうだな。それが一番決定的かもしれない」


教授は頷いた。


「今の所その手掛かりがないが、うつり塚もあるかもしれないし、とりあえず行ってみるか?旧家を当たっていけば見つかるかもしれんし」


「そうですね。行ってみましょう」


遥香が言うと、忍と季世恵も頷いた。


「よし、行こう」


教授の言葉を合図に、忍は車を山形に向けて出発させた。




その山形へ向かう途中、遥香のケータイに赤井から電話が掛かってきた。


「赤井さん、どうかしたんですか?」


遥香はすぐにその雰囲気を感じ取った。


『実は、あれから立て続けに2件、同様の事件が起きました』


「え!本当ですか!?」


『ええ……』


「やっぱり、それぞれ……首が違うんですか?」


『ええ、まあ』


「もう3人も……」


遥香自身、次の被害者が出るだろうとは思っていたが、こんなに短期間でとは思わなかった。


『それで、そっちで何か分かりましたか?』


赤井にそう聞かれて、遥香は女の子の霊のことは省いて、これまでのことを説明した。


『やっぱりうつりという妖怪みたいなのがいるということですか……』


「それが首だけの何かとは想像できますが、まだそれが、何をどうするかまではわかってないので……」


『でも、そこまでしてそれを防ごうとしたということですよね……』


「はい……」


『できれば、退治方法まで調べられることを祈っていますから。私達では終わらせることも、いや、防ぐことさえできないみたいなので』


「赤井さん……」


『では、お気を付けて』


「赤井さんも」


遥香は電話を切った後、教授を見た。


教授もその視線に答える様に、


「急ごう」


と静かに言った。





● 世田谷西署捜査本部



各捜査員が調べて来たことが次々と報告されたが、もちろん事件に繋がる事実は何一つ浮かんでこなかった。


遺体からは殺人の物証となるものが一切出ないし、殺された理由も分からず、犯行の動機がある者もいない。


かと言って、無差別殺人だとしても、犯人らしき人物の目撃情報もないし、そもそも凶器も、その殺され方も不明。


捜査が進展するはずがなかった。




会議を終えて、捜査員達が散らばった後、真田が赤井を呼んだ。


「なんですか?」


赤井は無表情で言った。


「赤井、そんな顔をするなよ」


真田が少し弱々しく言った。


赤井は軽く溜め息を吐いた。


「で、何です?」


「実際のところ、手詰まりだ」


「そうですね」


「お前の意見を聞かせてもらってもいいか?」


「一刑事の意見を聞いても仕方ないでしょう」


「それを聞きたいくらい、追い詰められてるんだよ、俺は」


「……そうでしょうね」


赤井は、連日のマスコミのバッシングや本庁での管理官の報告を考えたら、そう言うしかなかった。


「この事件は、管理官が変われば解決すると思うか?」


真田のその質問は、弱々しく言ったのとは裏腹に、真田の本音が見えた。


「……いえ。無理でしょうね」


赤井はそれに応えた。


「やっぱりか……」


真田は少しほっとした様に苦笑した。


「お前、裏で何か動いてるだろ」


真田がボソっと言った。


「……いえ」


赤井もボソっと答えた。


「正直、俺はそれに賭けてる」


「え?」


赤井は目を少し見開いた。


「とりあえず交代させられない程度に俺も頑張ってみる。その間は、お前と三田村はやりたい様にやれ」


「管理官……」


真田は、赤井の肩を軽く叩くと、「ちょっと一服してくるわ」と会議室を出て行った。


赤井はその背中に頭を下げた。





● 山形県米沢市内のビジネスホテル



遥香達は、いくつかの旧家を訪ねながら、山形県内を移動していたが、うつりの絵は見つからず、今夜は米沢市内のビジネスホテルで泊まることになった。


女の子の霊の存在が分かって以来、季世恵さんは教授と同じ部屋になり、遥香と忍はシングルに泊まっていた。


遥香はお風呂を上がるとベッドに座ってタオルで髪を拭いていた。


下を向いてタオルで頭を包むように拭いていると、視界の右端に女の子の足が見えた。


そのまま少し横を向くと、女の子が隣に座っていた。


遥香はまた髪の毛を拭き始めた。


拭き終わると、タオルを首に掛けて女の子を見た。


女の子はただ前を向いていた。


「どうかしたの?」


遥香は女の子の顔を少し覗き込んだ。


「ここにずっといるの?」


「え?ここ?このホテル?」


女の子は答えなかった。


「えっと、この町ってこと?」


女の子は頷いた。


「ずっとじゃないよ。いてもあと二日くらいかな」


「そう……」


女の子はすうっと消えた。


女の子はこっちを一度も見ないままだった。


それに、声が少し怖かった気がした。


「何だろ……いちゃだめなのかな?」


遥香は少し不安になって、着替えると、教授の部屋に行った。



教授は机でパソコンを見ていた様だった。


「季世恵さんは?」


「今、お風呂に入ってるが、どうした?」


教授が窓際のテーブル席に座る様に促した。


「さっき、あの子が出てきたんですけど」


「そうか。で、何か話したのか?」


遥香はさっきの会話を伝えた。



「何が言いたかったんでしょうか?」


「わからん。だが、この米沢市にいることが、良くないってことなのか……」


「何か、そんな感じを受けたんですよね」


「何だろな」


そこで、季世恵が風呂場から出てきたので、話はそれまでになった。


季世恵は頭を拭きながら、二人でどうぞとジェスチャーをした。



「ところで、先生は何を調べてたんですか?」


「ああ、俺が作った掲示板を見てた」


「え、掲示板ですか?」


「うつりについて書き込んでおいたんだ。オープンにしてるから他の検索にも引っ掛かるし、何か情報が書き込まれるかもしれないしな」


「それで、何か書き込みありました?」


「いや、いろいろ書き込まれてはいるが、有力な情報は特に……」


教授は掲示板を見ながら言ったが、


「え?ちょっと待て」


教授は新しく書き込まれたコメントを食い入る様に見つめた。


「遥香君……」


「は、はい」


「うつりの絵のある旧家とやらがわかった」


教授が少し呆然とした顔で遥香を見た。


「え!本当ですか!」


「え!本当?」


季世恵も反応した。


「ああ」


教授が、パソコンを二人に見える様に向けた。


そこには、例のブログを書いた本人らしい人からの書き込みがあった。


[うつりの絵なら山形の旧家で見た事があります。そこの住所は山形県米沢市……]


「教授、やりましたね」


「ああ、明日はここに行こう」


「はい」


遥香は忍にもそれを伝えに言った。



ドンドン。


「忍ちゃーん!」


「はーい。ちょっと待って」


遥香が忍の部屋のドアを叩くと中から返事がした。


忍は慌てて身だしなみを整えていた。


「あのね!例の旧家の住所わかったの!明日そこに行くからね!」


「それは良かった……ね」


忍がドアを開けると、既に隣の部屋のドアが閉まるところで、それは独り言になった。


「あはははは……」


忍の乾いた笑いが少し廊下に響いた。





翌日、遥香達はその住所に行ってみた。


そこは少し市街から離れた農村地域にある大きな農家だった。


大きな蔵とか、古そうな大きな母屋といくつかの離れが、瓦付きの少し低い白壁の向こうに見えた。


確かに旧家なのだろうが、その言葉で検索しても引っ掛からない感じだった。



忍はとりあえず、家の前の道に車を停めた。


「ちょっと行ってくる。君達はここで待っててくれ」


教授がそう言って降りて行った。


アポを取っていないので、そっちの方がいいだろう。


家の周りは古そうな白壁で囲まれていた。


車も通れるくらいの大きな木の門を教授が入って行った。


その門には山科やましなという表札があった。


「元はお武家さんなのかな?庄屋かな?」


遥香が窓からあちこち見ながら言った。


「さあ……」


その向こうから忍がハンドルに保たれながら呟いた。


「庄屋かな?」


季世恵さんが開けた窓に頬杖をついて言った。



しばらくして教授が出てきた。


「車を中に入れて、君達も降りて来なさい」


そう言って手招きした。


忍が中に車を入れて、みんなが降りると、玄関のところに高齢の女性が立っていた。


さっきまで農作業をしていたという感じの服装だった。


「東京からだとか、さあさ、中にお入んなさい」


「お邪魔します」


みんなは頭を下げると、その老女に付いて行った。


遥香は周りを見回してみたが、女の子はいなかった。


(おかしいなあ?)


遥香は首を傾げた。


かなり広い土間の玄関から入ると、中は歴史を感じさせる匂いがした。


天井が高く、太い梁が目に留まった。


「ここは100年以上前の家ですけどね。よく保っているでしょう」


みんなの視線を見て、その老女が言った。


「ええ、すごいですね」


遥香が答えると、老女は微笑んだ。



山科聡子やましなさとこと言います」


掛け軸の掛かっている20畳はあるかという座敷に通されて、みんなが大きな座卓の周りに座ったところでその老女が言った。


「私は先ほども名乗らせていただきましたが、東京の東武蔵大学の教授で園山と言います。こちらが娘で同じく講師の季世恵と、教え子の渕上君と松山君です」


教授がみんなを紹介した。


「どうぞよろしくお願いします」


遥香があらためて言った。


「失礼します」


そう言って50代くらいの痩せた女性が襖を開けてお茶を運んできた。


「娘の晶子あきこです」


「遠いところ、よくお越しくださいました」


その格好はやはり農作業をしていたという感じだった。


「いやあ、突然押し掛けてしまい恐縮です」


教授が頭を下げた。


「いえ、いいんですよ。昼間は私と娘だけですから、お客さんは嬉しいものです」


「そうですか」


教授は微笑んで答えた。


「あ、晶子。例の絵を蔵から持ってきてくれるかい?」


「はい」


その物静かな娘は素直に、絵を取りに行った。


「さっきもおっしゃってましたが、前に旅の途中で泊まった学生さんから聞いたということですね」


「ええ、直接会ったわけではありません。私達がうつりについての情報を求めていたらここを教えてくれただけなので」


教授が言った。


「そうですか。いろいろこの土地の事を話していたら、ふと思い出して、あの絵を学生さんに見せたんですよね。やっぱり怖いって言ってましたねぇ」


「そのうつりという妖怪というか物の怪というか、何か知ってることはありますか?」


教授があらためて聞いた。


「残念ながら、知っているのは、あの絵に描かれているそんな妖怪がいるという事だけです。ただ、描かれている状況から、人を死なせる妖怪なんだなとは思ってました」


「人を死なせる?」


「ええ、見てもらえば分かります」


そこへ、丁度晶子が戻ってきた。


彼女は縦40cm、横30cm、高さ5cmくらいの桐の箱を手にしていた。


「これです」


晶子が教授の前に置いた。


真ん中辺りに白い紙が貼られて『うつりというもの 広田恒貞ひろたつねさだ』と、かなり古い字体で書かれていた。


広田恒貞とはその絵を描いた絵師の名前の様だった。


「開けてよろしいですか?」


「どうぞ」


聡子が微笑んだ。


教授は、その蓋を開けて、横へ置いた。


赤い紐で結ばれた白い和紙が見えた。


その赤い紐を解くと、和紙を左右に広げた。


すると、巻物ではなく、平たく4つくらいに折られた黄ばんだ紙があった。


教授はそれをそっと取り出した。


そして、遥香の顔を見た。


遥香は頷いた。


忍と季世恵は息を飲んでいた。


教授は、破らない様にそっと座卓の上に広げた。


江戸時代以前の絵でよく見る斜め上からの遠近感のない俯瞰の絵だった。


少しくすんではいるが、色は塗られていた。


右上に『うつりというもの』と書かれている。


右下の方に女性が描かれていた。


でも、そこにあるべき首はなく、足元に転がっていた。


血はあまり描かれていない。


そして、左上の方に宙を飛ぶ様な生首が描かれていた。


その向きは首のない身体を目指している様に見える。


「やっぱり、『うつり』は首だけの妖怪ということか……」


教授が溜め息混じりに呟いた。


「首を切り落として身体を奪おうとしてる……」


遥香が呟いた。


「そうとしか見えないな」


「やっぱり、この妖怪がいるということなの?」


季世恵が教授を見た。


教授は頷いた。


「どうかなさったんですか?」


聡子が季世恵と教授を見た。


「あの、これ写真を撮ってもいいですか?」


それをごまかすように、忍が聡子に聞いた。


「ああ、どうぞ」


忍は真上から何枚か写真を撮った。


その後、教授はあらためてその絵を見つめていた。


「どうかしました?」


遥香が言った。


「この飛んでいる首だが、この首に塗られた薄墨はなんだろう?汚れただけかな?」


遥香もあらためて見てみると、確かに、首に黒い靄が掛かっている様に見えた。


「汚れただけなんですかね……。あえて描いてる様にも見えますね」


「そうだな……」


「あと、この殺された女性だけ、何か線が震えている感じがするな」


「ええ、描くのに躊躇した感じを受けます」


「どういうことだ?」


教授は腕組みをしてしばらく絵を見つめていた。


「ところで奥さん。なぜこの絵がここにあるのかご存知ですか?」


「ごめんなさい、知らないんです。私がここに嫁いで来た時にはあったみたいなので、先祖代々なのか、主人が手に入れたのか……。主人が生きていれば何か分かったかもしれないんですけどね」


「そうですか……」



「あの、奥様」


遥香が聡子を見た。


「なあに?」


「今までこの絵を見に訪ねて来た人っているんですか?」


「そうねぇ……」


聡子は少し考えていた。


「あ、一人いたわ」


「え?どなたですか?」


「顔とか名前は覚えていないんだけど、確か10年くらい前にこの絵を見に訪ねてきたわね。主人が対応したので、どんな話だったのか私はよく知らないんだけど」


「どんな方でした?」


「その時でかなり高齢の男性の方でしたね。70くらいかしら」


「その後のやり取りはなかったのでしょうか?」


「ええ、特に」


「そうですか」


教授はみんなを見渡した。


遥香も首を振って、特に他になさそうだった。



「どうもありがとうございました」


遥香達は、お礼を言って山科家を出た。


遥香がふと気になったのは、山科家にいる間、あの子が一回も現れなかったことだった。


(うつりの正体がわかったのに、あの子には関係ないのかな?)


遥香は心の中で首を傾げていた。




「教授、どこへ行きます?」


屋敷の外で一旦停めていた忍がルームミラーの中の教授を見た。


「とりあえず、何か飯でも食べよう。米沢市内に向かってくれ」


「わかりました」


忍は車を発進させた。


「あの、先生」


助手席の遥香が後ろを振り返った。


「さっきのうつりの絵を見に来た人っていうのは…」


「ああ、多分な」


「やっぱり、うつり塚を調べていた人ですよね」


「俺もそう思う。うつりを調べるなんて、そうそういるはずがない」


「すると、最低でも10年前から調べていたとすれば、私達より情報を得てるかもしれませんね」


「そうだな」


「その人が見つかれば、この先、唯一の手掛かりよね?」


季世恵が言った。


「あ、あと一人」


忍がルームミラー越しに言った。


「広田恒貞だろ?」


「はい」


忍が頷いた。


「よし、方針は決まった。まずは腹ごしらえだな」


「はい!」


みんなで力強く返事をした。





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