第一話 目覚め
俺はゆっくりと顔を上げた。キョロキョロと辺りを見渡しても女神以外は見当たらない。その女神も恭しく傅き頭を下げたままでいる。
「だ、誰……です?」
「我は神。名は好きなように呼べ」
呼べって言ったって……。
「我にとって名などどうでも良いのだ。それよりも、よ。これからそなたはこの者の世界へと旅立つ」
「そなたを殺したのはこの者の世界から転生した人間だった。我にとって人の生き死になど些末な事。それ故捨て置こうと思っておったのだがこの者が縋ってきおってな」
神にとってはやっぱり人間なんてどうでも良い存在か。
まあ、そうだよな。
それにしても別世界への転生ってあるんだな。
「何を思おうとも構わん。この者の言った事は単なる建前に過ぎぬ。我ら神は自身の存在位階上げる事以外に興味がない。その者はそなたの魂に破格の価値を付けた。それがそなたが旅立つ理由だ」
「さしづめ俺は取引の道具という事ですか」
悪態を垂れてはみたが、正直心の底からへこんでいた。
女神の話は正直信用出来なかったがこの神の重圧は本物だ。こんなもの生きてた世界で出会えるような代物じゃない。つまり俺は少なくとも異世界に存在しているのだろう。それは理解した。そして自分が本当に死んだのかも知れないという事も。
「理解したのであれば早く行け。いや、その前に儀式があるのであったか?」
神の言葉に反応して女神がゆっくりと立ち上がった。
「はい、日本の神よ。生きるという事は戦いです。それは肉体での戦いであったり、頭脳での戦いであったり、奪ったり、奪われたり。強くなくても良い、出来る限りあちらの世界で快適に過ごせるようなスキルを授けます」
「分かった」
ぼーっと神同士の会話を聞いていると女神と目が合った。
「あ、あのですね。普通スキルは生まれた時に幾つかランダムで与えられるんです」
ーーと、いう事は俺の不運と短命もその時に、か。
「ですが今回はこちらの不備という事もありまして、あなたの望みのスキルを授けます! 私の世界であなたは何をしたいですか?」
「何をしたいか?」
俺が何をしたいのか。あまり考えた事が無かった。
恋人もいない。友人もさほど多くはない。休日だってただ寝て過ごすくらいなものだ。
「欲しいものとか」
欲しいもの。悩みが増えた。
金? 家? いや、それよりもーー
「向こうの世界で言葉はどうするんだ? 俺、ちょっとした英語と中国語くらいしか話せないぞ?」
「問題ありません。こちらで処理します」
こちらで処理します?
「じ、じゃあ、俺はこの姿で向こうに行くのか? 出来ればもう少し若い方が……」
「問題ありません。肉体は私の世界に合わせて構築しますので年齢設定は自由に出来ます。その際に言語を使用出来るようにしますし、新しいスキルの付与も行います。もちろん記憶もそのままですよ」
ああ、そういう事か。
それなら安心だ。っと忘れてた。
「それなら今のスキルは? 短命に不運なんてーー」
「それも問題ありません。スキルはリセットして新しいものにします」
良かった……。
また三十年くらいで通り魔に刺されて死ぬなんてまっぴらごめんだ。
さて、それなら先ずは何をしたいかだな。それに合わせてスキルも選ぶ事にしよう。
「スキルの数は?」
今までみたいに二個だけなら遊びには使えない。慎重に選ばないといけなくなる。そう思った俺は「ところで普通は何個なんだ?」と続けた。すると日本の神が「一個か二個だな」と答えた。
一般的にスキルはクジのようなものらしい。プラス効果のものが出ればそのまま人生がスタートし、マイナス効果が出ればもう一度クジを引け、二度目のクジはほぼ間違いなくプラス効果のスキルになるはずだった。
俺の場合一度目に不運が当たり、二度目が短命だったのだと言う。これは千年に一度あるか無いかの出来事だったらしい。不運スキル最悪だな!
「私の世界では三個になります」
おお! 一個でも多いに越した事はない。マイナススキルも無くなるし今より全然マシだ。
それならーー。
「ーー俺、会社で働くのも飽きたし農家をやるよ」
「農家ですか」
「農家だったら食いっぱぐれも無さそうだしさ。一国一城の主? ってのかな? そんなのにちょっと憧れもあったんだ。農家用にどんなスキルがあるんだ?」
「それでしたらこちらをご覧下さい」
女神が言うといきなり何もない空間に画面が現れた。透明なタブレットが宙に浮いているような感覚だ。
「これはわかりやすく言うとステータス画面みたいなものです。テレビゲームくらいはした事があると思いますがそんな感じのものだと思って下さい。で、スキルの項目をタップするとスキルが列記されますのでフィルター機能を使って検索してください」
なるほど。確かにそんな感じがする。それにしてもフィルター機能も付いてるのは便利だな。ってか女神もゲームするのか。
「それならこれと……これ! 後はこれだな」
「はい、分かりました。それでは私の世界に送りますね」
「ああ! ありがとう! あ……」
「どうされました?」
俺は辺りを見回してみた。
多少の圧迫感を感じるが日本の神の気配はもう無いようだ。
「一言言いたかったんだけどな……」
自分のスキルの事を聞いた時は腹が立った。
いくら神様でも一言くらい文句を言ってやってもバチは当たらないはずだ。
「でもまあ、良いか。日本の神様、お世話になりました! 俺この世界じゃてんでダメでしたが向こうでは上手くやるつもりです。今までありがとうございました!」
「よろしいですか? それでは転送しますね」
俺はその問いに「はい!」と答えた。
少し元気が良過ぎたかもしれないが構わない。来る異世界生活への希望と期待を胸に俺は旅立つんだ。少しくらい元気な方が良いに決まってる。
こうして俺の異世界生活が幕を開けたのだった。
◆◆◆
葉山桐郎が旅立った後の異空間。
「日本の神よ。『無償での』魂の提供本当にありがとうございます」
女神は何もない空間に向かってペコリと頭を下げた。その先からは「構わん」という声が返って来た。
「ところで本当にあんな風に思っていたのですか? 取引の道具だなんて言ってましたが……。一番のお気に入りだったのでしょう? ずっと見守っていましたし」
女神は頭を下げたまま上目遣いで尋ねた。
「一度与えられたスキルは死なねば変わらぬ。例え生まれ変わり新たなスキル手に入れたとしても役に立つかどうかはわからぬ。その上魂は洗浄され記憶は消えるしスキルを把握する事も叶わぬ。結局与えられたスキルを使いこなせるなどほんの一握り。希望したスキルを手に入れ、それを認識する事が出来たという事実。負のスキルと戦い続けた勇気ある我が子が死してようやく手に入れた幸運よ。尻を叩いてやるのが親というものであろう?」
「親心というものでしょうか? 彼、きっと気付いてませんよ」
「いつの世もそのようなものよ」
顔は分からない。そこに存在しているのだけは分かる。女神はそう言った日本の神が寂しそうに笑ったような気がした。