第一話 目覚め
ふと気づくとそこは真っ暗な何もない異質な空間だった。
見えてはいるのだが見えてない。そんな不思議な感覚だった。
「こんにちは。女神です」
不意に挨拶をされた。声の下場所を見ると女が立っていた。
少し幼気な印象があったがとても綺麗な女性だった。
フワフワとした神と幼げな顔つきが印象的だ。
俺は反射的に「こんにちは」と頭を下げた。
女神と名乗った女は俺を見ながらにこりと微笑んだ。
「葉山桐郎さんですね?」
俺の名前だった。
女の顔に覚えなはいのだがこれは何かの面接だろうか? 俺はとりあえず「はい」とだけ答えた。
「良かった。意識の混濁は無いようですね」
意識? 何かあったのだろうか?
俺はここに来る前の記憶を辿ってみた。
……あれ? 何があった?
普通に出社して、仕事をして、少し残業して、会社を出た。
……そこからの記憶が曖昧だ。
帰りの電車には……乗ってない。何処かの居酒屋に? 立ち寄ってない。
何だ? 会社を出た辺りで急に……。
「大変申しにくい事なのですが……」
女神の声に反応して俺は我に返った。
「あなたは会社を出たところで死にました」
意味がわからない。
死んだのなら今の俺は何だと言うんだ?
「いや、そんな……。誰か知らないがそんな趣味の悪い冗談は……」
女神はじっと俺の顔を見つめていた。とても悲しそうな顔だった。
「あなたのスキルには『短命』が付いていました。これは若くして死ぬ運命です」
「スキル?」
「他にも『不運』のスキルもありこれが今回の引き金を引いたのでしょう」
「いや、待て待て。スキルって何だ? 短命とか不運とか何を言ってるんだ?」
目の前の女の言ってる事が理解出来なかった。
いや、単語の意味は何となく理解出来る。スキルとはゲームや何かのシステムの事だろう。短命や不運なんてのも文字の意味通りの事だろう。しかしそれが現実の世界で存在しているなんて……。
「お怒り、驚き、ごもっともです。ですがーー」
女神の話では、地球と呼ばれるこの世界には「神」と呼ばれる存在が複数いるらしい。
所謂宗教上の神と似たようなものではあるのだが人間の五感には一切反応しない次元の違う存在という事らしい。スキルというのはその神々から地球人一人一人に与えられた特技のようなもので、決して見聞きする事が出来ない。結果、生涯そのスキルに気付かない者も多くいるのだが、たまたまそのスキルと同じ系統の職に就けば莫大な富を築いたり、プロスポーツ選手になれば大活躍するといった事も可能だと言う話だ。
「眉唾物だし、俺のスキルが不運とか短命とか……」
女神の話が本当であればそのスキルが正常に発動していたという事か。
三十代半ばで死んだのであれば確かに短命だ。
それに女神の話では俺の死因は通り魔に刺されての失血死らしい。不運もきちんと発動していた。
思えば人生ろくな事が無かった気がする。それらの全てがスキルの影響というのなら腹が立つが納得も出来る。
俺は項垂れ「はぁぁぁ……」と深い溜息を漏らすと女神に向き直った。
スキルはもう良い。それよりもーー。
「人間に感知出来ないのならあんたは?」
「私は地球の神々程高位の存在では無いので……」
女神は少し恥ずかしそうに答えた。
どうやら地球の神々は高位の存在であり、目の前の女神は別の世界の神なので普通の人間である俺にも感知出来るという事らしい。そして女神の反応を見るにそれは彼女にとって恥ずかしい事でもあるようだ。
「で、その別世界の神が何を?」
俺の問いに女神は満面の笑みで「はい! 実は我々の世界においで頂こうと思いまして!」と答えた。俺は思わず「ん?」という言葉を漏らした。
俺が死んだのであればここは天国行きか地獄行きかを決める所謂あの世なのだと思っていた。輪廻転生なんて言葉もあるので生まれ変わりという可能性も考えてはいたのだが別世界に行く? 一体どういう事なのだろうか。
「偉大な神々に守られた地球という世界は、様々な世界の中でもとりわけ信仰心の高い人間が住んでいます」
信仰?
「信仰というのは神に対してだけでなく物であったり、人であったり、概念であったりと様々ありまして。その中でも日本人の方の信仰心は他国の群を抜いて高いのです」
「いや、日本人ってのはもっぱら信仰心の薄い民族って話を聞くぞ?」
「そんな事はありませんよ」
女神はにこりと微笑むとこう続ける。
「年の初めは神社にお詣り。結婚式は教会で。お葬式はお寺で。あ、年末にもお寺にお詣りですよね? 他にも毎月のように宗教的行事があったり、他国の宗教的行事を積極的に取り入れたり、アイドルに夢中になったり、アニメや漫画に熱中したりーー」
どうやら彼女の言う信仰というのは「神仏を信じて崇め奉る」という事ではなく「何かを信じる」という部分にウェイトが置かれているようだ。それなら確かに日本人は世界でも群を抜いているかも知れない。
「もちろんお金を信仰する人間もいますし、悪を信仰する人間もいます。そう言ったもの全てをひっくるめて日本人の信仰心は日常レベルまで昇華されているのです」
言い分は分かった。少々納得いかない部分もあるが言葉の意味が違うと思えば良いのだろう。英語の”hero”という単語を日本語に訳すと「ヒーロー」だったり「英雄」だったりするやつだ。自分の中では似て非なるものと勝手に思っておけば良い。
「言いたい事は何となく分かったけど何で俺なんだ? そんなに信仰心がある訳じゃないと思うんだが……?」
彼女の言い分は分かるのだが俺自身はそんなに何かを信じているという自覚が無い。
家が宗教関係とか、自分がそんな資格を持っている訳でもない。さっき話にあがった金やアイドルが好きかと言われれば確かに好きだが、そんな程度は誰でも好きなものだろう。
「それはですねーー」「そこは我が説明しよう」
女の声だった。
言葉を遮られた女神が肩を竦めた。
同時に俺の全身の感覚が消えていく程の絶対的な恐怖。
姿は見えない。声だけだ。それでも次の瞬間には自分が消えてしまう。そう確信してしまえる程の重圧。
まるで立っていられない。
俺は肩を抱いて地面に崩れ落ちた。
「すまぬ。我が子よ。我の存在位階を下げねば現界は出来ぬ。現界出来るまで下げたとしてもそなたの位階では耐えられぬ」
ふと身体が軽くなった。
「スキル『鷹揚』を与えた。これで少しはマシになったであろう?」
スキルのおかげなのだろう。確かにさっきまでのパニックは治った。