昏睡
お寝んねしてもらいます
「あれ?……ここ」
もやがかかったようにはっきりしない意識の中、見覚えのある景色の中に佇んでいた。
そう、実家だ。
そう認識したら、いてもたってもいられなくて家の中へ走り出す。
「ただ、いま!」
声をかけてリビングまで走る。
そこには、お母さんとお姉ちゃんがテレビを見ていた。
嬉しくて弾む声で呼び掛ける。
「お母さん! お姉ちゃん!」
ふたりは声に反応して振り返るが、私を見ても顔をほころばせるどころか、驚き恐ろしいものを見たというように顔を歪めた。
「……だ、誰?」
「ちょっと! あんた誰!? すぐ出ていくなら通報はしない。今すぐ出ていきなさい!」
怖い顔でお母さんを守るように立ちふさがるお姉ちゃん。
訳がわからないけど、説明しなくてはと声を張り上げる。
「私、紬だよ! 還ってきたんだよ!」
「紬……?」
「そんな人、知らないわ」
え……?
「う、嘘、嘘だよね? お姉ちゃん、妹の紬だよ? 忘れちゃったの?」
「私に妹なんていないわ」
「そ、そんな……!」
睨み付けられて、もう、ここにはいられなかった。
ケンカもたまにはしたけど、基本的に仲良しで優しいお姉ちゃん。
あんな顔、見たこと、ない。
無我夢中で走ってはしって、つまずいて転ぶ。
「……ここ、大学?」
気がついたら大学まで来ていたのか。いまだにはっきりしない頭を振り、歩き出す。
「あ……綾」
「あ、」
そこにいたのは、親友の綾だった。
私を見て驚いた顔をしている。綾は、私を忘れてなんかいない。きっと、そう。
「綾、綾! 覚えてるよね? 私、紬だよ!」
綾の手を取ると、振りほどかれる。
腕を組み、面倒くさそうな顔で私を見た。
「あーあ。何? あんた戻ってきちゃったの?」
「え……?」
「あんたがいなくなってせいせいしてたのに」
「そ、そんな……」
「じゃーね。話すことなんてないし」
去っていく綾。私は、力なく座り込む。
うそ、嘘。こんなのおかしい。
また、気づけば景色が変わっている。
厩舎だ。
「ああ、ツムギが居なくなってくれて良かったわ。あの子に付き合ってると、まともに作業が終わらないもの」
「そうだよな~。正直、役に立たないっていうか、ねえ?」
「足手まといってやつ?」
カシーナさん、アラグさん、ペルーシュさんが私のことを話していた。
私がすぐそばで聞いていることも気づかない。
みんな、どうして?
私は、やっぱり役立たずだったの?
「そうだよ」
「……エーディス、さん」
気づけばエーディスさんが目の前に立っていた。
うっすら微笑みを浮かべ、私に手を差し出した。
「辛いね? 皆、君のことなんてどうも思ってない、むしろ邪魔だと思っていたんだね?」
「信じ、たくない」
半泣きでそう言うと、ゆるゆると首を振る。
「これが、本当」
「……エーディスさんも、そう思ってるの?」
エーディスさんが、問いには答えず笑う。
「さあ、一緒に行こう。君は役立たずの邪魔者なんだろう?」
「……どこに、行くの? 戻れるの?」
「戻らないよ? 覚めることのない夢の世界へ。行けば、もうここに戻ってくることもない」
「夢……?」
「そう。君を邪魔者扱いするやつなんてどこにもいない世界だよ」
そこなら、受け入れてもらえるだろうか……。
役立たずで邪魔者な私でも……。
「私は、やっぱり役立たずでダメなんだ……」
差し出された手を取ろうと、ゆっくり手を伸ばす。
『皆、君が頑張ってることをちゃんと解ってるよ』
ふと、エーディスさんに言われたことを思い出す。
私が役に立てないって凹んでいたら、ちゃんと役に立ててるよって、いつも言ってくれる。
「……私、また、自分のことダメだなんて、言っちゃった」
エーディスさんに怒られちゃうな。
「君のことなんて誰も待ってないんだから、戻ってどうするの? 早く行こう?」
目の前の人が誘う。私は首を横に振った。
「行きません。あなたはエーディスさんじゃない。エーディスさんは、私のこと役立たずだなんて言わない。みんなもそう。
一緒に過ごしてきたから、ちゃんとわかる」
そう言うと、突然目の前の景色が真っ白になる。
エーディスさんだった人はぐにゃぐにゃと輪郭を失い、私を睨み付けた。
家族も友達も、ちゃんと信じられる。さっきのは、この人が見せた幻だ。
《ありがとう、ツムギ。君のおかげだ》
どこからか声が聞こえる。
《絶対に、君の頑張りを無駄にはしない》
「エーディスさん……」
《だから、負けないで……戻ってきて。どうか目を覚まして》
柔らかい光が降り注ぐ。
ああ、この感覚。覚えがある。
柔らかく清涼な……エーディスさんの魔力だ。
とても、とても気持ちが良い。
暖かい。
だんだんと、眠くなってくる。
「私は、みんなのところに戻らなきゃ。
私を待ってくれる人がいるから」
そう言うと、エーディスさんだったものは弾けて消えた。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
*********
ふ、と目を開ける。
ここは……。
エーディスさんの家の、私の部屋のベッドだ。
起き上がろうと力をいれようとするが、うまく身体が動かない。
へなへなに萎えてしまったようだ。
ふと、右手を見ると、誰かの手に握りこまれていた。
その手を辿ると、エーディスさんがベッドの脇に座り込み、寝こけていた。
「エーディス、さん」
声が掠れて囁き声にしかならない。
喉の乾きを覚えて小さく咳き込む。
その音に反応してか、エーディスさんのまぶたが震える。
「んん、う……」
エーディスさんの緑色の瞳と目が合った。
嬉しくて、笑顔になる。
「……ツム、ギ?」
「エーディスさん、おはよ、ござます」
掠れて声が出ない。
エーディスさんは目を見開いて、私をじっと見つめた。
「ツムギ!」
叫ぶなり、私の首もとへ抱きついてくる。
「ああ、良かった! ほんとうに良かった……!」
鼻をすする音。微かに震える身体。
泣いているのかもしれない。
でも、うまく身体が動かせなくて、されるがままだった。
「エーディスさん、のど、かわきました」
カッスカスの声で囁く。目を赤くしたエーディスさんがばっと離れ、虚空からコップに入った水を出す。
「ご、ごめんね気づかなくて」
差し出されるが、起き上がることも、手を伸ばすことも身体がへなへなで動かせない。
首をわずかに振りながら苦笑いすると、エーディスさんが水を口に含む。
あ、と思った時には唇から水を流し込まれていた。
こくり、飲み込む。
それを確認して、もう一度。
お水……甘い。
水と一緒に流し込まれていたのは回復魔法だったのか、少しだけ身体が動くようになった。
「ありがとうございます、エーディスさん」
「お礼をいうのは、俺の方だよ……」
そっと、エーディスさんに手を伸ばす。
涙で濡れた頬にそっと触れる。
エーディスさんの手が、私の手をその上から包み込んだ。
「ほんとうに、良かった……」
泣き笑いをするエーディスさん。
「どこか痛いところはない?」
「大丈夫です。だるいというか、力が入らないだけで」
「長いこと眠っていたからね……」
「え? 今、何時ですか?」
「今は、夜中だけど。あの日から、6日経ってるよ」
「ええ、 6日、も? ってことは?」
「明日、というかもう今日だね。スレンピック最終日だ」
「うっそー……全然見てないのに。
……どど、どうだったんですか?」
私、寝すぎだろ!! スレンピックまるまる見損ねてるじゃん!
「大丈夫。俺たちは決勝に行ったから明日、見れるよ」
エーディスさんがそう言って笑う。
「よ、よかったぁ……。シオンは、大丈夫でしたか?」
「うん。君のお陰で、回復したよ。……ありがとう」
「役に立てて、良かったです」
言うと、くすりと微笑む。
「シオンも、君のお陰って解ってるよ。俺よりもやる気出してた位だからね」
「ふふ、良かったです。
ちなみに、他の競技は……?」
エーディスさんの団体演技以外の出場競技は既に終わっていた。もちろん、優勝だ。
モレルゾと直接対決と思われた障害飛越は、モレルゾの馬の体調により棄権となり、モレルゾと戦うことはなかったそうだ。
もうひとつの競技もあっさり優勝。
ちなみに、アラグさん、ペルーシュさんの結果は、アラグさんは3位。ペルーシュさんも7位入賞となかなかの好成績を残したそうだ。
良かった!見れなかったのはめっちゃ、めーっちゃ残念だけど!
「じゃあ後は明日の結果次第です、ね」
「うん。表彰台、行けるといいけど……」
「行けますよ。絶対」
笑顔でそう言うと、エーディスさんも笑って頷いてくれた。
そのまま、また抱きついてくる。
「……もう、目を覚まさないかとおもった」
「ええ……そんなにヤバかったんですか、私」
「すごくうなされてた。解毒したあともずっと」
エーディスさんがあの後のことを話してくれる。
散々もがき苦しんだあと、昏睡状態になり、医務室で解毒処置を受けた。
泣く泣く競技のためその場を離れ、競技を終えたが、解毒は終わったはずなのにずっとうなされていると言う。
薬の解析をしてくれたリンガーさんによると、この薬は前回餌に入れられたものと同じ系統の薬物だが、より精神に働きかける効果が強められていること、また直接注入された分効果が強く出ていることがわかったという。
「この薬を使用すると、魔力が尽きるまで暴れまわる。
ただ、魔力が尽きた後のことはあまり記録がなくてわかっていなかったんだ。まさか、こんなに昏睡が続くなんて……。
解毒はかなりスムーズにいったから、影響は少なかったはずなんだけど……
本当に、ごめん」
悲痛な面持ちのエーディスさんを元気付けたくて、笑顔で抱きついた。
「大丈夫ですよ。
……私、意識ない間、夢を見てました。
みんな、私のこと忘れてたり、役立たずの邪魔者だって言うんです。……すごく悲しかった。
でも、それは幻でした。私、エーディスさんに言われたことを思い出したんです。皆、私が頑張ってるってちゃんと解ってるよって言ってくれたこと。
……だから、幻から抜け出して、戻ってこれた気がします」
「……うん。そうだよ。君は役立たずなんかじゃない、俺にとっても、みんなにとっても大切な仲間だ」
エーディスさんがそう、耳元で囁く。
「えへへ、嬉しいです」
私が照れ笑いすると、頬にキスされて、至近距離で見つめられた。柔らかく微笑み、穏やかな声で言ってくれる。
「ツムギ、忘れないで。俺にとって君は何よりも大切な人だから。ね?」
「……はい。私にとっても、そう、です」
私の返事に、エーディスさんが満足げに笑って、ベッドに潜り込んできた。
あっという間に、腕がまわってきて抱き枕にされる。
「え? ここで寝るんですか?」
「うん。もう、眠くて……動けない」
転移すればいいのに、と言うつもりはもうなかった。
くすくす笑ってエーディスさんの身体に擦り寄る。
「おやすみなさい。明日、頑張りましょうね」
ブクマ、評価ありがとうございます!




