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苛立ち

 その日の夜、スレンピックに向けて色々準備を進めていた。

 今度街に行くときに買っておきたい物を考えながらピックアップする。

 基本、そういうことをする役割の人もいるらしいのだが、モレルゾに色々と妨害されているうちのチームにはいない。もしくはいる、けど完全にモレルゾの息がかかっていて、まともに働かなさそうなのでほっといている。

 となると自分達でやるしかないので、必然的に私があれこれ動き回ることになった。

 地味に器用なペルーシュさんもさりげなく引き込んで手伝ってもらっている。


 エーディスさんはまだシオンと練習中だ。

 さすがに遅いなぁ……

 まだ夕飯も食べてないのに。


 きりのいいところで立ち上がり、様子を見に行くことにする。

 最近ちょっとシオンも疲れているように見えるし、エーディスさんは焦ってる感じがする。

 あんまり根を詰めすぎても良くない。


 外に出ると真っ暗だった。

 ランプの魔法具(魔法のランプなんちゃって)

 を持ってふたりを探しに向かった。



 ふたりはすぐ見つかった。

 声がしたからだ。


「違う……!」


 荒げられた声。その方向へ向かう。


「そうじゃない!」

 ピシッ!

「違う!」

 パチン!


 エーディスさんらしくない、強い当たりだ。

 シオンは混乱しているのか、首を振り、後退したり走り出そうとして止められたりしている。

 これは、良くない。


 エーディスさんは苛立ちを隠さずシオンに当たっている。

 私は走り寄る。


「エーディスさん!」


 苛立った表情で私を見下ろすエーディスさん。

 怯みそうになるが、ここで引いたら不味いことになりそうな気がして、グッと堪えた。

 肩で息をしたエーディスさんは、小さく息を吐き出すと冷たく言い放つ。


「何?邪魔しないでくれる」

「……今日は、もう終わりにしませんか?」

「この状態で終われと?ねえ、そこにいると危ないし邪魔」

「シオンが混乱してます」

「だからやってるんでしょう!」


 睨まれ、語気が強くなる。私はその視線を受け止め、じっと見つめ返した。


「今のエーディスさんは上手くいかない苛立ちをシオンにぶつけてるようにしか見えません」

「は?……何がわかるの」

「……」


 エーディスさんが舌打ちしながら下馬して、私に向かって鞭を突きつける。

 すごく怒っているけど、引くわけにはいかない。

 このまま続けたってエーディスさんとシオン、ふたりの関係が悪くなる一方だ。


「ねえ、何?邪魔しに来たの?俺に説教しに来たの?」

「違います……。さっきみたいにやっていても、シオンは混乱して怯えるだけです!」

「分からないんだから仕方ないだろ!わかるまでやるしかないんだよ!」

「それも一理ありますけど、何度も同じことをしてわからないなら、伝え方を変えないとだめです!エーディスさん、焦る気持ちはわかりますけど、少し落ち着いてください」

「うるさい!」


 ヒュッ! ピシッ!


 エーディスさんが鞭を思い切り地面に打ち付ける。

 シオンがびくりと震えた。

 エーディスさんはそれを見て、ハッとする。


 俯き、鞭を放り投げ、私に背を向けた。


「ごめん、頭冷やしてくる」


 そう言ってその場から消えた。



 私はその場に立ち尽くす。

 下馬した状態のままのシオンが、ぶーと荒く鼻息を落とす。


「シオン、大丈夫だよ。キミの主人はちゃんと戻ってくるからね」


 取り残されたシオンに語りかける。

 シオンはエーディスさんが消えたあたりをじっと見つめていた。

 私も一緒にしばらく眺めた。

 シオンが私に鼻を擦り付ける。私は落ち込んでる様子のシオンを撫でてやる。


「新しいことを始めて、少し混乱しちゃったかな?難しいかもしれないけど、大丈夫。きっとできるようになるよ」


 首を撫でながら、誰も見ていないのをいいことにでっかいため息をつく。


「ハァ……怒らせちゃったよ……何でこう、もっと上手く言えないんだろ……ハァ……」


 シオンが私の手を舐める。


「うう、ありがとうよ。自己嫌悪してるだけだからね、キミのせいじゃないよ」


 本当は頭を抱えたいところだ……ハァ……。

 いや、怒られるのは覚悟してたつもりだったんだけど、エーディスさん普段怒らないからやっぱり面と向かってあの態度だとちょっと堪えるね……。


「エーディスさんはたぶん少し焦ってるだけなんだ。自分はエースなのに、チームの足を引っ張れないって。

 プレッシャー、凄いだろうね。毎年毎年勝ってるみたいだもんね」


 シオンが首を下げる。落ち着いてきたみたいだ。

 私もその場に座り込んで膝を抱えた。


「はあ」


 私がまたため息をつくと、シオンもぶるると鼻息を漏らした。


「大丈夫、大丈夫だよ。キミがきっとできると思ってやってるだけで、キミが嫌いになったわけじゃないんだよ……キミが頑張ってくれてることもちゃんとわかってるからね。ずっと、エーディスさんがキミを大好きなのは変わらないよ……」


 ザッ


 足音がして、シオンがふっと首を上げそちらを振り向く。

 私もゆっくり振り仰ぐと、シオンがそちらに向かって歩いていった。

 月明かりで表情は窺えないが、あのシルエットはエーディスさんだ。


「ごめん、シオン」


 微かにエーディスさんの声が聞こえる。

 シオンを撫でながら言うその声は、僅かに震えてはいたが先程よりも落ち着いていた。


 しばらく、エーディスさんはシオンの首筋に顔をうずめて黙っていた。


 私はなにも言わず、ふたりを見守る。



 エーディスさんがシオンの馬装をといてやる。

 シオンはエーディスさんを見つめていたが、ゆっくりと歩み去った。あとは戻りたいときに勝手に戻ってくるだろう。


 エーディスさんが座り込んだままの私の隣で同じように座り込み、膝を抱えて顔を伏せる。


「ごめん、ツムギ。……当たったりして」

「いえ……私こそ、もっと言い方を……」

「謝らないでよ、惨めになるから」


 口をつぐむ。


 黙った私をちらりと見て、自嘲するように呟く。


「俺の方こそ、言い方を考えないとだね……」

「エーディスさん……」


 何か言わないといけないと思うが、言葉は出てこなかった。

 エーディスさんが口を開く。


「本当にごめん。上手くいかなくて焦ってた。

 ……君の言う通り、チームの足を引っ張ることはできないと思ってた。でも上手くできなくて苛ついてた」


 顔を伏せ、くぐもった小さな声で、独白するように。

 エーディスさんは話し続ける。

 というか私のシオンに言ってた独り言聞いてたのか……。


「俺の焦りがシオンにも伝わってたんだろうな。父さんに、馬は人を映す鏡だってさんざん言われてたのに、忘れてた」

「私も、その言葉聞いたことがあります」


 エーディスさんが少しだけ顔を上げ、こちらを見る。


「そうなんだ……じゃあそれは、きっと真理なんだろうね」

「そうですね……」




 エーディスさんは語り出す。


「シオンは、俺がはじめて出産を見届けた馬なんだ」


 遠くでのんびり歩きながら草を食べているシオンを見ながら、エーディスさんは昔話をしてくれた。


 馬産地で、たくさんの牧場がある領地を持つエーディスさんの実家は、家族みんなが馬に乗ると言う。

 初めて乗せてもらった馬が、シオンの母親。

 そして、その馬が妊娠して、出産が近づいた。


「俺はその時もう王都にいる時間の方が多かったし、その前は子どもで、大体夜中に産まれるから産む瞬間を見たことがなかったんだ。でも、シオンが産まれるときはどうしても見たくて、暫く王都に行くのをやめて、毎日眠さでフラフラしながら遅くまで起きてた」

「やっぱり、感動しますか?」

「うん、すごく不思議な気持ちだった。命が産まれるってすごいなって思ったよ」


 私はまだ見たことがないので、少し羨ましい。


「それで、わがまま言って貰い受けて、気づいたらもう14年」

「思い入れがあるんですね」

「うん、そうなんだ。でも、俺は酷く当たってしまった。彼女は許してくれたけど、すごく……自己嫌悪だ」

「それだけ一生懸命だったってことは、シオンにも伝わってますよ」

「うん。……ありがとう、あのとき止めてくれて。

 あのままやってたら、もっと関係がこじれてたかもしれない」


 エーディスさんが私の背中にもたれかかる。

 温もりを感じる。私も、エーディスさんの肩に頭を預けた。


「明日、考えましょう?みんなで」

「うん……」

「ひとりで悩まなくてもいいんですよ。せっかくチームでやってるんですから」

「うん。……そうだね、意地張らずに助けを求めれば良かった」

「今からでも、遅くないです」

「ありがとう」


 エーディスさんがようやく小さく笑ってくれた。


「また、何かしてたら、止めてね」

「いつでも今ヤバイって見極められるとは限らないですよ?」

「君の判断でいいからさ」

「それなら、がんばります……」


 エーディスさんが立ち上がり、私に手を伸ばす。

 私はその手を取った。


「帰ろっか」

「はい」

えーと、しばくことも、時には、必要なの……。

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