フィリーチェ嬢
「いやですわ……そんなに遠くだなんて。せっかくですから、もっとお近くに行っても?」
「……ええ、構いません」
応接室にて、テーブル越しのふたつのソファに別れ座ろうとしたエーディスさんにそう言って、隣に座るフィリーチェ嬢。
清楚系だし、まじで楚々としているのだが、思ったより押しが強い。
それくらいエーディスさんに気があるということなのだろう。
「昨日は帰ってしまわれたのですね……わたくし、探し回ってしまいましたわ」
「挨拶ができず、申し訳ございません。少しトラブルがあったものですから」
「そうなのですか……でも今日お会いできてとっても嬉しいですわ」
「身に余る光栄です」
話をしている間、お茶の用意だけ手早く済ませた従者の二人は壁際で虚空を見つめている。
これはあれだ、部屋のオブジェクトになりきっている。
私も習ってオブジェクトになることにした。いや、見守るけど。見るよ!私は!
だって気になるもんね!
二人の背後からチラリちらりと見守る。
「エーディス様……実は、ご相談があって……」
躊躇うように言葉を切り、またエーディスさんを見つめる。
「エーディス様はとてもお強いと聞いて……貴方様にしか相談できませんの……」
「……なんでしょうか」
「わたくし、最近、監視されているのです」
監視?ストーカー?
「差出人不明の手紙が、度々届くのですわ。どこそこへ行ったんだねとか、今日の服は可愛いよとか」
ストーカー……か?
毎日届いてたらちょっとアウトっぽいけど、ただのラブレターのような気もしなくとないが……。
でも差出人不明の手紙が何度も届くのは確かに怖いかも……せめて誰からか判ればまた違うのかもしれないけど。
フィリーチェ嬢は、怯えるようにあたりを見回す。
「もしかしたら、この瞬間も見られているかも……!」
「心配ございません。今は魔法で誰から見られることも声を聞くこともできない状態になっていますので」
「そうなのですか……」
安心したようにほほえみ、そっとエーディスさんにもたれかかる。
「とても、安心しましたわ。いつでも監視されているのではないかと眠れない日々を送っていたのです」
「そうでしたか。それはお労しい」
どこか棒読みのエーディスさん。
いやいや、そこは肩の一つも抱いてやらねばダメだろう、エーディスさん!
私は口出ししたくなる衝動をこらえつつ、オブジェクトになりきる。
「エーディス様、お菓子を召し上がっては?はい、あーん」
フィリーチェ嬢は果敢にエーディスさんに挑んでいく。
エーディスさん、目を泳がせるがこれは拒否できまい!耳が赤くなっているぞ。
小さく口を開けてクッキーを齧る。
クッキーのくずがエーディスさんの服に落ちる。
「あら、落としてしまいました……」
と言い、フィリーチェ嬢が服についたくずを取るため、更に近寄り身体にほっそりとした腕を這わせる。
と、思ったら、だだ、抱きついたー!
発育が良さそうな胸部がエーディスさんの腰に当たっているよ!
エーディスさんからは谷間がガッツリ見えているだろう!
どうするエーディスさん!
私どっかしらで部屋をそっと出ていかないといけないかも!?
目の前で繰り広げられる私と同じくらいの歳のフィリーチェ嬢の手腕に、つい興奮してしまう。
「わ、わたくし怖いのですわ……いつか、あの手紙の主がわたくしに何かしてくるのではないかと……。もうすぐ迎えに行ける、とか書いてあるんです」
しくしく、小さくすすり泣きながらエーディスさんに訴えるフィリーチェ嬢。
エーディスさんは不自然に腕を持ち上げて静止している。
いやいや、私の時みたいにポンポンしてあげればいーじゃん!
チラリと私を横目で見てくるエーディスさんに、ジェスチャーで伝える。
眉を寄せ、小さく息をついてからそうっとフィリーチェ嬢を抱きしめる。
フィリーチェ嬢が顔を上げる。見つめ合う二人。
ち、近いなぁ。
抱きしめ合う美形の男女……。絵になるねぇ、うん。
しばらくその状態が続く。えーと、その先の展開は……? ハグとしたら次はさぁ……。ほら、キッスとか。
え? 私邪魔者? 抜けましょうかね?
「……何もして、下さらぬのですか」
「俺は伯爵家の四男坊ですので、フィリーチェ侯爵令嬢とは釣り合いません」
「わたくしは構いませんわ!エーディス様、わたくしはひと目見て貴方様を……」
「……申し訳ございません」
「……」
ああ、ショック受けてるよ……
フィリーチェ嬢が立ち上がり、走り去っていく。
いつの間にか二人に接近していた従者が慌てて後を追う。
「エーディスさん、女性に恥かかせちゃ駄目でしょーが!」
思わず説教すると、めっちゃムッとした顔をされる。
「なんで君にそんなこと言われないといけないの」
「だってフィリーチェ嬢が不憫です!」
エーディスさんのヘタレっぷりが不憫です!
エーディスさんが手を伸ばして私のほっぺたをつねってくる。
「いひゃい」
「彼女、どうせ演技だよ。他に狙いがあるに決まってる」
私もエーディスさんのほっぺたをつねり返す。
「それはひろいれす!ほんろにえーりすさんのころ、すきかもしれまへんよ!」
「いたい。なに?」
「本当にエーディスさんのことが好きだったらどうするんですか!なんで演技とか決めつけるんですか!酷いですよ!」
「理由はある。第一に、バウルム侯爵家はガルグールと敵対してる。
第二に、昨日彼女をエスコートしていたのはグレルゾだよ。あいつと婚約話でも出ているんじゃないか?」
「それでも、本人は本当にエーディスさんのことが好きかもしれないじゃないですか!」
「俺じゃなくてガルグール狙いかもしれないし」
「はあ?殿下、婚約者いるんですよね?」
「王家は側室も有りだから狙う令嬢は大勢いる。俺は何度もそういう女性に騙された」
「だから、女性が苦手なんですか……」
「俺はガルグールの一番近くにいるから、つながりを持ちたい女が寄ってくる」
「そういう言い方……」
「うるさいな。さっさと戻るよ」
「でも、そういう女性ばっかりじゃないって、わかってますよね?」
「……」
カシーナさんだって位は低いけど貴族の娘さんだし、たまに見に来てくれるリンガーさんの奥さんとか、それなりに良い関係を築いている女性だっているじゃないか。
「……自分が、傷つきたくないからって無関係なフィリーチェ嬢を傷つけたら駄目です」
エーディスさんの目を見て、言う。
暫く沈黙が流れる。
エーディスさんは唇を噛んでスッと目をそらす。
「じゃあどうしろと?あのままキスの一つでもすれば良かったのか?」
呻くように言い、睨みつけられる。思わず気圧されて一歩下がる。
「君だったらどうするわけ?俺はフィリーチェ嬢をなんとも思ってない。よしんば彼女が本当に俺を好きだったとしても俺は好きになってないんだよ?」
エーディスさんが迫ってくる。お怒りである。
気がつけば壁際まで追い詰められていた。
いわゆる壁ドンの状態で、冷たく見下ろされている。
至近距離なんだけど色気もクソもない。
「……キスなんてしたくない」
ぼそりと呟き、エーディスさんが離れ、そのまま部屋を出ていく。
エーディスさん……。
絶対、なにか拗らせているな……。




