計画
――感謝だって?
正樹は河本からその言葉が放たれたことに言葉を失っていた。
その言葉は河本から正樹に当てる言葉として最も不適切な言葉だと思った。
軽蔑、怒り、憎しみ、その手の言葉こそ自分に当てられる言葉だと。
「感謝って……」
どういう意味ですか? と聞こうとした正樹の言葉は河本の言葉によって遮られる。
「十年だ……。十年もの間、私は自分の娘の葬儀にも参加できず。墓参りすらできなかったんだ。自分の立場を気にして自分の気持ちを隠し続けていた。これは私にとってずっと刺さり続けていた棘だった。忘れるわけにも消すわけにも行かない罪だ。
それを君のあの文書が解決してくれたんだ。私は国会議員という立場を失ってしまったが、それこそ罪に対する罰だったんだろう。だから私は君に感謝しているんだ」
「認められるんですね……凜花さんがあなたの娘であったことを」
「ああ、認めるとも。誰が否定したとしてもあの子は私の娘だよ。まぁDNA検査はしていなかったがね」
河本はついに山名凜花が自分の娘であると認めた。
そして正樹は自分が書いた『僕は何人殺しましたか?』が正しかったのだと実感したのだった。
「凜花は、私と秘書を務めていた女性との間に生まれた子だ。言ってしまうと不倫だよ。当時妻とうまく行っていなくてね。そんな中、献身的にサポートをしてくれる彼女に魅入られて、関係を持ったんだ。
……後に彼女から妊娠したと聞いたときは驚いたし、堕ろすように提案したよ。私には妻もいたし、別れるつもりはなかった。無責任で勝手な話だと自分でも思ってるよ。だが、彼女は産むことを諦めなかった。
だから、私は生まれてくる子を認知してあげることはできない。でも私ができる範囲での支援はさせてもらうと彼女に提案したんだ。彼女はそれで承知し、私の元を去った。そして凜花が生まれたんだ」
不倫も今考えれば十分なスキャンダルになっただろう。円満な家庭と言われている河本清太郎にもこのような過去があったことに少し驚きつつも、だからこそ彼が山名凜花死亡に対して隠蔽工作を行った理由になると正樹は考えていた。
「君の『僕は何人殺しましたか?』だったか。あれを読んだときに驚いたよ。まさに鬼気迫るような内容だった。君の必死の思いが伝わってくるようだった。そしてそこには私の知らない内容がたくさん書かれていた。
娘のいじめ。そして娘の死についてだ。まさかあの大量殺人鬼である里中航平の最初の殺人が自分の娘であるなんて夢にも思っていなかったよ」
正樹は河本の今の言葉に違和感を持つ。
何かがおかしい。彼は確かに山名凜花を娘と認めていた。そしてそれは『僕は何人殺しましたか?』が正しい内容だったのだと正樹の中で判断を下していた。
でも、何かが引っかかる言い方だった。
「よかった、君の顔を見てると緊張感がほぐれてきているように感じるよ。話をする上でとても大事なことだからね。ではここからが本題だ」
河本は優しい口調を崩すことなく、その顔を少し正樹にちかづけて彼が言う本題を正樹に告げた。
「私は君が書いた『僕は何人殺しましたか?』を隅から隅まで読み込んだ。そのうえで一つ君の書いたあれに対して否定しなくてはいけない部分があるんだ。
君はあの中で私が山名凜花の死を事故だとするように隠蔽工作を図ったと書いていたね。
はっきりと言おう。私は隠蔽などしていない」
「そんな……。そんなのはありえないです! 嘘だ!」
「おっと。声を荒らげないでくれ。話ってやつは冷静に行うもんだ。冷静さを失って相手を否定しながら行う会話ほど話を進行させる上で無意味なものはない」
「す、すみません」
河本清太郎の隠蔽工作の否定。
それは『僕は何人殺しましたか?』の全てではないが非常に大きな部分に対しての否定だった。
それが許せなくて思わず大きな声が出てしまっていた。
「しかし、君は殺人鬼の死刑囚の言葉は信じるのに、私の言葉を信じないんだね」
「そ、それはちが……すみません」
「いやいや、政治家なんてもんはそういうもんと思われても仕方ないところはある。口ではどうとでも都合の良い言葉だけ並べて、肝心な自分に不都合なとこは誤魔化す。私だってそういう経験や認識はあるさ。でも比較対象として見るとなかなかにショックだと思わないかね?」
苦笑する河本に正樹としては謝るしかなかった。
「遠坂くん、よく考えてほしい。君は私が認知していない娘の死を知ってそれがスキャンダルになると思ってその死を大きな事件ではなく事故になるように警察に圧力をかけ隠蔽を図ったと考えているはずだ。そうなら娘の死を隠蔽し続けたことに対して罪を感じているのだと判断してもおかしくはない。
でも、私だって人の親だ。もし自分の娘が自殺した、もしくは誰かに殺されたと聞けばそれこそ警察に圧力をかけてでも徹底的に調べさせるよ。それが親ってもんじゃないか」
「それは……。確かにそうかもしれません。でもあなたはそうされなかった」
「……そうだね。君の言う通りだよ。私は凜花の死を疑い調べるべきだった。そうしていれば、あの里中航平が起こした他の殺人も今回の一件も起きなかったのかもしれないのだからね。
……あの時期は選挙戦の真っ最中だった。当時の私はまだまだ未熟な人間でね。相手の候補も強かった。他のことに気を割いている余裕がなかったのは確かで事実だ。
だが、凜花の母から娘の死を知ったとき私はいても立ってもいられなかったよ。すぐにでも向かおうと思ったよ。
だが、彼女がそれを止めたんだ。『先生にはやらねばならないことがあるはずです。私に全てを任せてください。決して先生にご迷惑はおかけいたしません』ってね。
その言葉を受けたのもあるし、周囲の者たちの制止する言葉を聞いて私は彼女に凜花の一件をすべて任せたんだ。
そして、彼女から凜花の死は自殺などではなく、不幸な話ではあったが事故であったと聞かされてそれを信じた。
私は娘のことを思いながらも必死に頑張った結果当選した。だが選挙が終わってからは忙しくて葬儀にもでれなかったし、近いうちに墓を訪れようとも考えてたが国会議員の仕事をしていく中どんどんマスコミが私の周囲につくようになった。
縁もゆかりも無いはずの山名凜花の墓を訪れればきっとマスコミはそのことを調べ、凜花が私の子であったことを突き止める可能性があった。
だから私は今まで墓へ行かなかったし、娘の死を思いながらも国会議員として国のために頑張ってきたんだよ。すべてが終わった時私は娘の墓に報告するつもりだった」
河本清太郎の言葉には説得力があった。
それは彼が熟練の政治家だからこそ出せるものだったのかもしれない。
だが、彼のその言葉には疑問がどうしても残る。
「河本さん。それならば何も話さずに議員を辞めるのではなく、全てをお話になればよかったじゃないですか」
正樹の質問に河本は思わず笑みを浮かべた。
「遠坂くん、君はマスコミや野党の連中が『私はそのようなことに関与していない』と言って納得してくれるとでも思ったのかい?
しないよ。あいつらはそんなことで納得なんてしない。
言葉だけの否定ではあいつらは『我々の指摘に対して、証拠もなくただ否定だけするのはおかしい。疑惑は更に深まった』とか勝手に騒ぎ立てるんだ。
疑惑を勝手にぶつけてきて、こっちに証拠や証人を求めてくるんだ。ひどい話だと思わないかい?
でも、そういうもんだからね。仕方ない面もある。
そして君のあの文書に対して調べる時間が必要だった。
だが、あのときの私も言ったことだが非常に大事な法案の審議の最中でね。私のことで審議を止めるぐらいならばとっとと辞めたほうが話が早く終る。だから辞めたんだよ。
まぁ安達くんには任命責任とかで迷惑をかけることにはなったが、今までいろいろ彼のサポートをしてきたんだ。たまには恩返しもしてもらわないとね」
河本清太郎がいう安達とは今の内閣総理大臣である安達晋助のことだろう。
今現在のこの国のトップである人間に対してこのような言葉を言える辺りが彼がどれほどの重鎮であるかを示していた。
「なにせ十年にもなる昔のことなんだ。昨日の話じゃないんだから、調べるにしても証拠を集めるにしても証人に来てもらうにしてもとても時間がかかるんだよ。
君だってこの文書を作るまで途方も無い労力と時間を掛けたはずだ。
よく言われるんだが、十年前のことであってもそんな大事なことなら覚えてるはずだって指摘には正直憤りすら感じることがあるよ。
自分たちはどうなんだ? 十年前のことを全てしっかりと覚えているのか? ってね。
もちろん私は凜花の死を忘れるはずはない。でもね細部まで覚えているはずがないんだよ。誤った記憶にすり替わっていることすらある。悔しいことだがね。
まぁ私がどんなに丁寧にしっかりとした証言をしたとしてもだ。私を嫌うマスコミや野党の連中やSNSの人たちは延々とネチネチと重箱の隅をつつくかのような指摘を繰り返しただろうし、どんな証拠もでっち上げたと勝手に判断してただろうがね」
随分喋り続けたからだろうか、喉が渇いたのだろう。
彼はコップの麦茶を飲み干し、再び注ぐ。
「まぁ、議員をやめたおかげで色々と調べる時間ができた。煩わしいマスコミや野党が突っかかってこないことで久々に自由を感じることができたのは皮肉なもんだが」
河本の言葉の最後はどこか悲しさを感じるものだった。
「こいつは私なりの推理だ。そしてこれには残念で情けない話になるが証拠もない。政治家が探偵の真似事なんて実に妙な話だがね。だが、この結論に至ったとき私は恐怖した。そして君にこのことを話さないといけないと思った。実は明日にでも君の家を訪ねようと思っていたんだ。そんな中で君が凜花の墓を訪れてくれたのは、一刻でも早くと娘が私と君を引き合わせてくれたのかもしれないね」
河本の言っていることがわからなかった。
推理?
何を推理することがあるのだろう。その疑問は河本のあまりにも予想外な言葉によって更に肥大化することになった。
「今回の一件は、遠坂正樹くん――君の書いた『僕は何人殺しましたか?』を媒介にした里中航平による最後にして最大最悪の殺人計画だ」