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感謝

 額に汗を浮かべながら、正樹は目的の場所へ向かっていた。

 もうずいぶん暑い時期になった。

 長い梅雨の時期は過ぎ、蝉が鳴く。いかにも夏を思わせる季節だった。


 正樹の片手には、水がたっぷりはいったバケツ。それに肩にいろいろ荷物が入って少し重い鞄の紐をかけている事もあってか、薄着でもなかなかに歩くのに苦労する。


 目的の場所についたときは、ハァハァと息を切らす情けない状態だった。


 まずはバケツに入った水を柄杓ですくい、飛び散らないようにかけていく。

 誰かが最近訪れていたのだろうか、正樹が思っていたよりも汚れていないことに少し違和感を感じながらも葉っぱやゴミなどをバケツの中に放り込んでいく。

 作法はよく知らなかった。考えてみれば両親たちともこういうことは数えるほどしかなかった。

 ネットで前もって検索して調べてくればよかったかなと思いながら掃除していく。

 元々綺麗ではあったがより綺麗になったのを確認した後、コンビニで買ってきた線香をそれっぽいところにおいて管理事務所でバケツと一緒に借りてきたライターで火をつけて煙が出ているのを確認してから、手を合わせて拝み始めた。


 正樹の目の前にあるのは山名家乃墓と彫られた墓石。

 そう、正樹は山名凜花の墓を訪れていた。


 正樹が書いた後ネットに公開した文書である『僕は何人殺しましたか?』において彼女の存在はとても大きい部分である。

 一度は彼女の墓を訪れようと思ってた正樹だったが、あれを公開した後、色々とあったため来るのが今日という日まで遅くなってしまった。



「――私にも拝ませてもらってよいかね?」

 拝んでいた為、周りを見ておらず思わず掛けられた男性の声に正樹は驚き、声が聞こえた方向を向いて更に驚いた。

 それは自分が想像すらしていない人物だったから。

 彼は白いポロシャツとズボンという実にラフな格好であったが、そこには独特の威圧感を感じていた。

 テレビで見たときよりも遥かに黒く焼けた肌などから別人かとも一瞬思ったが見間違える筈はなかった。

「河本清太郎……さん?」

 思わず呼び捨てにしそうになりそうになってから、あわててさん付けをした正樹を気にしないように彼は山名家の墓の前に立ち、手を合わせた後、頭を下げ続けていた。


 正樹よりも長い間そうしていただろうか。

 河本清太郎は正樹の方を向いた。その表情は正樹が思っていたものとも、テレビなんかで最後に見た彼とも違う実に穏やかな表情だった。


 『僕は何人殺しましたか?』は多くの人間に影響を与えた。

 ネットで拡散されたこのファイルは賛否両論を生みながらも爆発的な話題となった。

 その影響を一番受けたのが河本清太郎だった。

 彼のSNSアカウントにはとんでもない数の問い合わせが来ていた。

 内容はこの内容が真実なのかと言う疑問を問いかけるものが多かったが、中には彼こそが里中航平という大量殺人者を生み出した真なる凶悪犯扱いするものも少なくはなかった。

 そんな過激な意見に苦言を呈する者も当然存在はしていた。


 野党やマスコミとしては『僕は何人殺しましたか?』は実によいバッシング材料だった。

 早速彼にこの内容の真偽を確かめようとした。

 隠し子。殺人事件の隠蔽行為。

 彼を失脚に追い込む、そして政権にも大ダメージを負わせるチャンスだった。


 しかし河本清太郎の行動は実に素早かった。その行動は野党はおろか与党の関係者も驚くものだった。

 彼は、その審議日程の話が出る前に早々と大臣を辞職。それどころか議員辞職まで行ってしまったのだ。

 彼の言い分は「今は非常に大事な法案の審議中であり、その妨げになるのであれば私は議員を辞する」というものだった。

 彼は『僕は何人殺しましたか?』の真偽には一切触れることなく、辞めるべきではないかと声が高まる前に、議員辞職という国会議員にとって最大級の責任のとり方により一気に終わらせてしまったのだ。

 それは彼の順風満帆の政治家人生の終わりも意味していたが、その潔さは評価された。

 一方で彼が何も語っていないことは確かで、ある意味消化不良のまま過ぎ去ってしまっていたことから、河本清太郎に対する評価は二分している。

 議員辞職以降、彼は表舞台から姿を消しテレビなどには全く現れなくなっていた。


 そんな彼が正樹の目の前にいるのだから正樹としては気が気ではなかった。


「遠坂正樹くんだね?」

 河本は正樹に名前を尋ねる。正樹は驚き隠せなかった。

 嘘をつくこともできた。でもこのように聞いてくるという河本は正樹を知っているのだからそれは無駄だろうと直感した。


 小さく頷いた正樹に河本は笑みを浮かべる。

「人違いではなくてよかったよ。遠坂くん。実は君に逢いたかったんだ。そして君に話したいことがある。ついてきてはもらえないかな?」

 どこまでも穏やかな声だった。

 正樹は彼の声に恐怖を感じていた。


 ――どうしてそんなに穏やかにしていられるのか?

 自分がもし彼の立場ならば、こんな声をかけることなんてできない。

 正樹の顔を見たならば罵声を浴びせ、顔を殴っていただろう。


「わ、わかりました」

 河本とともに正樹は墓地の中を歩いていく。

 年齢を考えれば親子に見えなくはない年齢差だ。

 自分の父親に近い年齢だと思えば、息も乱さずどんどん歩いていく河本の体力に驚きを感じていた。



「こんなところで申し訳ない。エアコンも効いてるし、外よりはいいだろう。それにまぁ人に聞かれると困る話でね」

 彼が案内したのは墓地の管理事務所の一室だった。

 どうやら和室らしく、座布団とテーブルが置かれていた。


「冷えてるのだと麦茶しかないんだが……君ぐらいの若者だとコーヒーのほうがいいかな。下の自販機で買ってくるか」

「い、いえ。お気遣いなく……」

 河本の行動に慌てて断る正樹を見てから「そうかね?」と言いながら彼は氷が入ったコップに麦茶をなみなみと注いだのを二つ用意し、そして正樹に一つ渡してから座るように言った。


 正座する正樹に苦笑しながら、河本は麦茶を一気に飲み干してからこう告げた。

「そんなに緊張しなくてもいいよ。別に取って食おうってわけじゃないんだ。まぁ君も飲みたまえ。冷たくて美味しいよ。汗をかいた後に飲む冷えた麦茶は良いものだ」

 飲み干したコップに再度自ら注ぎながら河本は正樹の行動を待っていた。


 正樹は彼が入れてくれた麦茶を飲む。

 確かにとても冷えてて美味しかった。汗をたっぷりかいた体にはとても心地よいものだった。

 喉を通過していく冷たい液体が少しずつではあるが正樹の冷静さを取り戻させていく。

 唇がパサパサに乾いてるのに気づき、麦茶で潤していく。


「どうだね。落ち着いたかい?」

「え……えぇ……」

「その様子ではあまり落ち着いてないように見えるがね。君はあれかね。人と話すのになれていないタイプかね?」

 議員をやめたとは言え、河本清太郎と話をするのに緊張しない人間がいるなら今すぐにでも自分がそうなりたいと切実に思った。

 彼に聞きたいことは色々とあった。

 まさかこんな形で出会うなど想定外であったが、これは間違いなくそのチャンスであった。


 だが、言葉がうまく出てこなかった。

 里中の面談のときにもそうだった。今回も正樹にとってあまり良くない思い出がよぎってきていた。

「君の様子を見ると、単に話すのが苦手って感じではないな。そうだな目上の人なんかと話すのが苦手だったり、面接みたいなのが駄目なタイプと見たんだがどうかね?」

 河本の指摘に正樹は目を丸くした。


「図星かね? 別に驚く話でもないよ? これは長いこといろんな人間に会ってきた経験ってやつさ。こう見えても人を見る目はあるんだ。君は私から見ると結構顔に出やすいタイプだからわかりやすい方だけれどね」


 正樹にとってのトラウマは大学時代の話であるが散々受けてきた入社試験において圧迫面接によるものだった。

 何十社も受けては落ちてを繰り返した結果、どんどん面接が下手になっていき、最終的にはどこにも就職できずアフィリエイトブロガーとして生きていくしかなかった正樹は知らない間に目上の人に該当する人と話すことを極端に苦手にするようになっていた。

 里中の面会のときに正樹が動揺したのは、面会室が当時の面接の記憶を思い出したからであった。


「そんなに緊張していてはうまく話せないな。どうしたものか」

 河本は少し悩む仕草をした後こう続けた。

「そうだ。遠坂くん。私に聞きたいことはないかね? 年齢でも体重でも、妻のことでも今後のことでも何でも構わないよ、まぁ君が聞きたいのはそういうことじゃないだろうけれどね」

 気さくな雰囲気を崩さないまま話し続ける河本に正樹はどう話したらいいか悩み続けていたが、ついに覚悟を決めて彼に問いかけた。


「河本さん。あなたは私を恨んでいないんですか?」

 これが最大の懸念だった。普通なら恨んで当然と思っているのにどうしてこうも彼は優しく話しかけてきてくれるのか。

 正樹には理解できなかった。

 だから怖かった。それなら罵声を浴びせてくれる方が遥かにありがたかった。


「恨みか……。そうだね、ここは正直に言わないと君には信じてもらえないだろうから、率直に言わせてもらおう。君を全く恨んでいないかと言うならば君自身がわかっているだろうが答えはノーだ。だけれどね。遠坂くん。そんなことより私は君に感謝しているんだよ」



仕事の関係で更新は週末までお待ち下さい……申し訳ないです

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