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「ああ、くそ!」
正樹は頭を掻き毟りながらパソコンのバックスペースキーを押し続けていた。
こんな文章では駄目だ。こんな言葉では自分が見聞きしたことのすべてを誰にも伝えることができない。
そんな思いの中文章を書いては消してを繰り返し続けていた。
自分には文才がない。才能がない。勇気がない。
そんな物があれば今のこんな生活ではない人生を送っていたかもしれない。
いや、送っていたに違いない。
正樹は所詮文章作成においてはプロではないただのアフィリエイトブロガーにすぎないのだ。
どこかの匿名掲示板のスレッドの内容を貼り付けたり、SNSの発言を貼り付けたり、どこかのネット記事をくり抜いてそれっぽく加工する程度のことがほとんど全てだった。
自分が聞いた話はあまりにも自分が扱うにはおもすぎる内容だった。
何度も自分ではない誰かにこのことを伝えた上で発表してもらうべきではないかと考えていた。
実際、何社かその手のマスコミや出版社にまだまだ未完成のものを書いている段階ではあったが事前に【里中航平についてお話したいことがあります】とメールを送ってはいた。
その反応は芳しくないものだった。
いたずらと思ったのだろうか、定型文で返ってくるならまだましという状態。
返ってこないところもそれなりに存在した。
数少ないちゃんとした返信が来たところは、詳しい話を聞かないと何もできないという内容だった。
それはそれで当然だった。
だが、この内容をマスコミにただ話すのは不安があった。
相手は警察にさえ圧力をかけられるほどの大物政治家、河本清太郎だ。
さらに言えば山名凜花が死んだことを隠蔽したときから十年に近い年数が経っており、今や次期総理と呼ばれる人物になっていた。
彼の権力は更に増しているはずである。
この日本において最上位と言っても良い領域にいるほどの権力者である。
そんな人物を相手に極わずかのマスコミに対して情報をただ垂れ流すだけではもみ消される可能性を否定できなかった。
だからおいそれとこの隠された真実を打ち明けることができなかった。
何日もまともに寝ていない。
何日もまともに食事をしていない。
何日もブログを更新していなかった。
自分の生活がかかっているブログの更新すら捨てて、正樹はこの文書を完成させることに文字通り命をかける思いで書き続けていた。
パソコンのデスクトップには彼が調べ上げた多くの人物から聞いて録音したものから音声反訳したテキストファイル、すでに取り壊されていたが山名凜花が転落死した校舎付近の写真、
そして里中航平が殺害し撮影した後にネットにばらまいた被害者たちの写真や動画ファイルがフォルダにしまいこんだ状態で並んでいた。
即時削除されるこの被害者たちを冒涜するデータはインターネットで探す手間などはあるが見つけることは決して不可能ではない。
一度ネットに流れたものが完全に根絶されることなど絶対にないとは言わないもののそれは非常に厳しいものだ。
特に日本人女性がそのような状態になっている写真や動画は海外でのその手のサイトなどでも希少なためか、よく持っている人間がアップロードすることがある。
最初一つも持っていなかった正樹が里中が投稿した全てのデータをダウンロードできたのもそのような人間のおかげであった。
とはいえ日本のSNSや匿名掲示板でも空気の読めない馬鹿がよくこの手の動画なんかをアップロードしてくれる人間を募集して炎上しているのは決して珍しくはないもので、もう少し頭を使えよと思ってはいた。
正樹も動画を記事を書くためだと少し見たが、5分もしないうちに気分が悪くなってからは見ないようにしていた。
だが削除するわけにはいかなかった。これは里中航平を知るための重要なデータなのだから。
もちろん正樹には誰かにこれを押し付けたい気持ちもあった。
そうすればきっともっと気楽だっただろうにとも考える。
自分は昔からそうやって生きてきた。一番面倒なことは人に任せて楽になってきたところで自分が相乗りする。それが正樹の処世術だった。
アフィリエイトブロガーなんてのはまさにこの典型的なものだった。
大本の情報はすべてネットに任せ自分はそれを形を整えてそれを記事にして閲覧してもらうことで金を稼ぐ。
もちろんこれにも十分な知識も必要ではある。色んな情報を読みやすい、わかりやすいように形を整えて記事にするというのは案外手間がかかるしそれなりのセンスが必要となる。
とはいえ便利な面も多い。
元の情報が誤っていたとしても、自分はそれをただまとめただけで大本の責任は最初の情報を出した人間にあると思っている。
一応過去には謝罪記事を書いたこともあるが、それはあくまで表面だけのもので内心から本当に申し訳ないからなんて気持ちで書いたことなんてなかった。
強いて言えばどう書けば、現時点でそして未来においても損をしないか。そこを重点的に気にして書いていた。
そんな正樹が初めて自分の手で一から全てを作り出している。
理由はとても簡単だった。
「あとはあなたにお任せいたします」と言った里中の言葉だ。
初めて人に頼られたのだ、それだけの信頼を勝ち取ったのだ。
それも誰もその領域にたどり着けなかった大量殺人者を相手にだ。
この期待に応えないといけない。
彼はこの真実をどうしてもいいという。正樹の自由にしろという。
ならば自分がやれることは、この真実を多くの人が見れるようにすること。政府や警察にさえ消し去ることができないようにすること。
ヒントは自分がやってきたこと、そして里中が行った行動の中にあった。
そこにたどり着いてしまえば。正樹が取る方法は一つしかなかった。
あとは文章を書き続けるだけだった。
「で……できた」
何度も見直し、書き直し、推敲を繰り返した。
それ用のソフトを使い何度も文章を書き直した。
それは自分の中で生み出し、絞り出したもので誰の力も借りずに書き上げたものだった。
髭も伸び、髪もボサボサになり、ボロボロの状態ではあったが心は満足していた。もう後悔することなど何もないほどに。
あとは実行に移すだけだった。
いつもの使っているブログの管理ページにアクセスし、
テキストファイルとそれをPDF形式に変えたものをアップロードする。
そして、いつものように記事を書く。
自分が世紀の強姦殺人鬼である里中航平と面会し、本人から信じられない話を聞いたこと。
それをまとめるのにとても時間を費やしたこと。
そして、その内容をまとめたファイルを見れるように貼り付けた。
ブログの記事の内容として表示される文章を一通り書き終えた後に記事のタイトルが未記入であることに正樹は気がついた。
少し悩んだ後にこう打ち込んだ。
「僕は何人殺しましたか?」と。
そして投稿ボタンを押した。
もう誰にも止めることはできない。インターネットという世界に放たれたこの真実は多くの人の目に入り、それを消すことは不可能だ。
これが正樹が思いついた方法であった。
そのまま、正樹は力尽きたように後ろに倒れた。
すぐに倒れた彼からは静かに寝息がたち始めていた。
自分が書いたそれが何をもたらしたのかを知ることもないままに。
正樹の記事が公開された一週間後、高裁より里中航平は控訴棄却の判決を受けた。
誰もが上告すると思っていたが、その予想を裏切るかのように彼は上告を行わず、そのまま彼の死刑が確定した。