凜花
「ひっ!!」
正樹は思わず声を上げ、椅子からずり落ちた。
刑務官はその正樹の対応を見て「里中」と声をあげた。
だがそこまでだった。
横にいる刑務官からすれば何が起きたのかはわからなかったのだろう、一応の警告というものだったのかもしれない
里中は何もしていない。声を上げたわけでもない。体を動かしたわけでもない。ただ見ていただけだった。
ただその彼が見せたことのない表情に正樹は心臓を直接握られるかのような恐怖を感じていた。
もしここにアクリルの壁がなく二人の間を妨げるものがなければ、里中は正樹をあの顔のまま殺しに来ていたのではないかと思うほどに。
饒舌だった里中がついに沈黙する。
正樹を怖がらせた表情はすでに彼の顔に浮かんではいなかった。
いつもの笑みを彼は浮かべていた。
実は錯覚だったのかもしれないと正樹は思い始めた。
実は間違っていたのかもしれない。不正解かもしれないという恐怖が正樹に幻覚を見せたんじゃないかと。
椅子に座り直し彼の言葉を待つ。
今度はずり落ちないようにしっかりと奥まで座り込んだ。
「――ええ、そうです。僕が殺しました。凜花さんを」
静かに、ゆっくりと。今までにない口調で彼はその言葉を紡いだ。
「遠坂さん、凜花さんについて他にわかったことはありますか」
「……か、彼女がいじめにあっていたことと思われることでしょうか。クラスメイトの方が教えてくれました。後悔していると」
「後悔か。それだと守谷さん辺りかな。彼女らしいな」
里中は正樹に山名凜花のいじめの件を教えた相手を予想したのだろう、一人の人物の名をあげる。
正樹は表情に出さないように心がけたが、それが当たっていることに驚いていた。
「凜花さんはとても頭の良い人でした。ただ人から見れば少し変わり者だった。人って自分が理解出来ないものには恐怖するんですよ。片親で変わり者。実にいじめやすいですよね? そんな彼女はクラスのストレスを発散するための最下層に据え置くに実に都合の良い存在だったんですよ」
山名凜花が母子家庭だったのは、正樹も調査して分かっていることだ。
正樹に凜花のいじめの話をしてくれた守谷という人物は、クラスのほぼ全員が凜花さんを気味悪がっていたこと、そこからいじめにつながったことを証言した上で、その結果彼女の転落死、つまりは自殺が起きたのだと思っていた。
自殺となればいろいろ調査が行われるだろう。そして隠されていた彼女へのいじめがばれて自分たちが非難されると怖れていた。だが結果として彼女の死は事故として処理されいじめの件は闇に消えた。
そのことを後悔していると正樹に教えたのであった。
「遠坂さんはひょっとすると僕が彼女を襲って殺したと思ってるかもしれませんが、それは違います。彼女が僕に頼んだんですよ。『私を殺して』って。それが僕の最初でした」
里中は今まで向いていた正樹の方から上に目をそらした。
まるでなにかを思い出すかのように。
「凜花さんは僕の初恋で、僕の最初の殺人で、僕の初めてでした。彼女は聡明でみんなとも僕とも違う世界が見えていた。彼女の世界を知りたかった。でもみんなはその世界を怖がったんですよ。怖がっただけじゃない、踏み潰して消し去ろうとしたんですよ」
里中はもはや正樹の方を見ていなかった。遠い別の世界を見ているようだった。彼の言葉は止まらない。どこまでも溢れていく。
「繊細な彼女はそれに耐えられなかった。だから頼んできたんです。僕も戸惑いましたよ。人を殺したことなんてないし。僕だってそんなことをしたらどうなるかわかってましたし。でも彼女が僕に言ったんです。
『私が言う通りに殺してくれたら、私を好きにしていいよ』って。
そんな事言う人がいますか? あれは悪魔の言葉だったのかもしれない。ああ、今でも彼女のその言葉は僕の頭に残っているんです」
少し息を整えるかのように息を吐き、里中は続ける。
「そして僕は彼女を殺しました。彼女の頭にゴミ袋をかぶせたうえから彼女が脱いだブレザー越しに首を絞めてね。それも彼女のアイデアでした。そして温もりを失っていく彼女の体を使ったんです。初めてでしたからね……とても長い時間がかかった記憶があります。でも初めてでしたしね、それは僕がそう思っていただけでほんのごく僅かな時間だったのかもしれません。全てが終わった後、彼女の願い通りに凜花さんだったものを教室の窓から投げ捨てたんです」
正樹はただ彼の告白を聞き続けていた。刑務官はをただ書き続けていた。
「そして家に慌てて帰りました。家ではずっと震えてましたよ。自分がやったことに対して。結局ずっと寝れなくて学校を休もうか悩みましたよ。でもそんなことをしたら疑われるかもしれない。そもそも僕の行為を誰かが見てたかもしれない。捕まることも覚悟してました」
こう言うと彼はため息を付いた。
「でも、そんな事は起きなかった。朝僕が学校へ着いたとき、大騒ぎではありましたけれどね。凜花さんを落としたところには大きくブルーシートがかけられていましたし、教室の彼女の机には誰がおいたのか花がおいてありました。まぁ前に使ったのをそのまま持ってきたんでしょうけれど。あとは全校集会で話があっただけだったんですよ。それだけです」
そこでようやく正樹にも具体的な違和感が湧いてきた。
もともと若干ではあるが違和感があった話ではあった。正樹が話を聞いた当時のクラスメイトたちも何人かが思っていたことでもある。
もし山名凜花が里中航平によって殺害されていたならばどうしてそれが殺人事件として扱われず、自殺でもなく事故として処理されてしまったのか。
「おかしいでしょう? 当時の僕にそこまで隠蔽する力も知恵も余裕もなかった。精々汚れをふき取って服を着せ直したぐらいです。警察がちゃんと調べればいくらでも証拠は見つかったはずなんですよ。僕の体液とかいろいろとね」
里中は再び正樹を見つめる。今までどおりの笑みを浮かべたまま。
「何故だと思います?」
「……すみません。わかりません」
正樹も山名凜花のことを調べている間に少しは考えた。だが正樹は名探偵でも警察でもないのだ。どれだけ考えてもその答えは出てこなかった。
「誰かが隠蔽を頼んだんですよ」
里中はとんでもないことをいい出した。殺人事件を警察が誰かの依頼によって隠蔽したというのだ。
いくらなんでもありえないと正樹は正直に思った。隠蔽する人間からしても警察からしてもそんなことをする利点がないと。
それならまだ警察があまりにも間抜けな話だが事故と誤って認定してしまったという方があり得るように思えた。
「里中さん、あなたは山名凜花さん殺害の隠蔽を誰がやったと言うんですか? そんな馬鹿な話、いくらなんでも……」
ありえないと言おうとした正樹の声を里中が遮った。
「河本清太郎ですよ」
明日から仕事再開なので
更新がまた伸びると思います……
申し訳ありません