遺志
河本清太郎と遠坂正樹の共同会見から五年が経とうとしていた。
「ああ……。うん、そうか。――わかった。連絡ご苦労さま」
その言葉とともに、河本は耳に当てていたスマートフォンを外し机においたあと、一息をついた。
「どちら様からですか?」
彼が電話を切ってからすぐにこのようになるのは珍しかったので、思わず正樹は彼に質問した。
「東京拘置所からだよ。――里中航平の死刑が執行された。もうすぐテレビのニュースにも出るだろう」
その言葉を聞き、正樹は一瞬茫然となったがすぐに河本の机においてあったテレビのリモコンを操作し、電源をつける。
数分後、速報として『里中航平の死刑が執行』の文字が画面の上部に現れた。
「ようやく終わったんですね……いや、これからか」
「そうだね。これからまた忙しくなる。マスコミ対応もだが、ネットもまだ私のことを疑っているからね」
河本の言葉にうなずき、正樹はスマートフォンを操作し、SNSのアプリを立ち上げる。
河本清太郎の名前で検索すれば、すでに多数の書き込みが行われていた。
そのなかには、里中航平の死刑を河本清太郎が指示したという内容が含まれていた。
それは自分が公開した『僕は何人殺しましたか?』が。
里中航平による最後の計画がまだ終わっていないことを示していた。
里中航平が死刑に処せられ、その命が失われたとしても、彼が残した犯行の傷跡や遺志は未だにこの世に残り続けていた。
時計に表示される時間を見て、今日も随分遅くまで仕事しているなと若干ワーカーホリック気味になっている自分にため息を付きながら正樹はパソコンを操作しつづけていた。
パソコンの画面には多くのSNSや匿名掲示板の画面が表示されておりリアルタイムに更新されていく。
無数に投稿される内容の確認だった。
「先生。少し荒れ気味ではありますけれど、概ね変わらないですね。過激な発言も見受けられますけれど……いつもの人らです」
過激な投稿があればアカウントの確認をするのだが、その手の発言をする人たちは大体その手の団体や思想に偏ってる人が大半で、ネットでは話題にはなるものの、そのような発言は「はいはい、いつもの人ら」で補正がかかる。
「そうか。ご苦労さま」
先生と呼ばれた河本清太郎は、部屋の中の冷蔵庫の中を漁っていた。何かを探している様子だった。
今現在、遠坂正樹は、河本清太郎の私設秘書の一人として彼のサポートについている。
彼の主な仕事は、河本清太郎に関する投稿の監視が1つ目。
と言っても、あくまで監視しているだけで、過激な発言する人たちのアカウントや投稿内容に対して処置をすることはない。
いわゆるエゴサというぐらいのものだった。
一応アカウント名や内容はリスト化されて保管することになっている。
それと、河本清太郎名義のSNSアカウントの投稿内容の確認とアカウント管理が2つ目ということになる。
就職活動に失敗し今までアフィリエイトブロガーとして活動し、里中航平によって描かされた『僕は何人殺しましたか?』の作者となったあと、河本清太郎とともに会見に臨み、最後に遠坂正樹が得た新たな居場所であった。
「先生か……。君とも長い付き合いになったものだ」
「5年になりますね……。ところでまだお帰りになられないので?」
「実は君に話したいことがあるんだ。――呑まないかね」
河本は自分の机に2つの氷の入ったグラスと琥珀色に輝く液体が入った透明な瓶を用意し待っていた。
「話したいことがあるってなんですか?」
「まぁ、まずは一杯だよ」
河本は手慣れたように自分で瓶を開け、液体を注いでいく。
秘書にやらせず、自分で飲み物を入れるのは彼のスタイルだった。
私は要介護者じゃないんだからと言いながら、麦茶をよく飲んでいた。
そう、河本が飲むのは麦茶がメインで、酒を飲むことは正樹もこの5年間見ることがなかった。
二人で乾杯し、注がれた酒をゆっくり飲み干す。
中身はウイスキーのようだった。
普段であればハイボールでしか呑まないものであったため、思わず正樹は顔をしかめた。
「うん、うまいな……」
「珍しいですね。先生が呑まれるなんて」
勝利の美酒とでも言うつもりなのだろうかと思いながら、正樹は彼の言葉を待つ。
「君に謝らないといけないことがある」
「よくあるじゃないですか」
「君も言うようになったなぁ……私の人の見る目はやはり間違っていなかったようだ」
正樹の皮肉に河本も苦笑する。
「里中の死刑執行に私は関わっていないという件だが、嘘だ」
さらっと告げる河本の嘘。
「えっ」
「死刑執行を命令するのは法務大臣だ。彼女には恩ってやつがあってね。頼み事をしていた。――里中航平の死刑執行日の指定だよ」
「なんでそんなことを……」
里中航平の死刑は決まっていた。彼は再審請求を行うこともなかった。ならばいずれ彼の死刑は執行される。それにも関わらず河本清太郎は自身の権力を使って日時の指定を行った。
これがバレればスキャンダルになるのは間違いない。
すぐに執行するように頼むならばまだしも、死刑判決から5年経つのだ。
日時の指定を行うメリットがないし、デメリットしか思いつかなかった。
「罪滅ぼしかな……」
と正樹には理解できない回答を返し、少し遠い目をしながら、河本は机の引き出しをあさり、一冊のノートを正樹の目の前に置く。
「これはなんですか?」
「娘。――凜花のノートだ」
「凛花さんの?」
繰り返す正樹の言葉に頷く。
「読んでほしい、それで私の言いたいことがわかるはずだ」
ノートを読んだ正樹の顔から表情が消えていく。
信じられないことがそこには記載されていた。
「こいつが本当の真実だ。里中航平に関わるすべての事件は凜花が企んだ計画だ」
「ありえない……。こんなことありえないですよ!」
「ありえない。私だってそう思うさ。だが、ここに書いてあるんだよ。内容はまるで預言書だ。里中航平の心理分析から始まり、自分がやるべきこと。そして彼が起こすであろう犯行内容の推測へと進んでいく」
最初こそ日誌のような内容であった山名凜花のノートは、次第に内容が変わっていく。
無数の心理学の本からの引用などがそこら中に書かれ、里中航平を心理的に誘導し、彼を連続殺人鬼へと変貌させ、その原因を告発させることによって自分をいじめていた者たちを社会的に抹殺するという狂った計画を実現させるための文章がノートの端から端までびっしりと書き込まれていた。
「私は『僕は何人殺しましたか?』の調査途中で、このノートを見つけた。私だって信じられなかった。だが実際に娘が書いた内容の通りに物事は進んでいた。ならば信じるしかないだろう?
だが、この内容を当時の君に話したとしても、とても信じてはもらえなかっただろう。だからこそ、私は里中航平の計画とすることで、君の説得を行うことにしたんだ」
確かに当時にこのノートを見せられていたり、山名凜花こそが真なる計画者と告げられても信じられなかっただろう。
それこそ、死者である山名凜花に恐怖し、河本清太郎の話を断っていた可能性すらある。
更に考えれば、死んだ娘を使ってでも自分の無実を証明しようとする最低な男として彼を見るようになっていたかもしれない。
「愚かだよ……凜花は。だがもっと愚かだったのは私なのだろうな。愛しき娘がこんな計画を考えるほどに追い込んでいることを知らなかったんだ」
再び、河本は酒を注ぐ。
「これは凜花の生まれた日に仕込んだものだ。あの子が成人を迎えたとき、わたしはこれをあの子と一緒に飲もうと思っていた。だがその日は訪れることはなかった……」
「河本さん……」
正樹は思わず普段意識して使っていた先生ではなく河本さんと呼んでしまう。
「最後のページを見てほしい。そこに凜花の思いが書かれている」
――これは私からの復讐です。
クラスメイトへの。先生への。学校への。母さんへの。父さんへの。こんな世界への復讐です。
でも復讐で人を殺めることは罪であり、罰が与えられます。
ではどうやれば復讐しても罪に問われず罰も与えられなくなるでしょうか?
いろいろ考えた結果になりますが、死んでみることにしました。
死んだ人間を裁くことは出来ません。
死んだ人間の名誉を奪うことや死体を損壊させることぐらいはできるでしょうけれど、そんなのは死んだ人間には関係ないことです。
そこには罪も罰も感じるものはいないのですから。
もちろん、ゾンビ映画のように死んだ人間が動いて人を殺すことは出来ません。
でも、死んだ人の思いや気持ちは不特定多数の相手に傷跡を残します。
その傷につられて人は心を勝手に動かしていきます。
その行動原理はその人への悲しみであったり、その一件に対する正義感などになります。
そして、その傷はどんどん広がっていって耐えられなくなって、我慢できなくなって人は相手を殺したり、一人で死のうとするんです。
もしくは意図せずに、間接的に相手を追い込んでいくんです。相手が社会的に死ぬまで。
それはあくまで間接的かもしれません。
実際に殺すのも死ぬのも死んだ人間ではなく生きた人間です。
でも、死者の遺志などというものによって釣られてその行動を起こすのであれば。
それは死者が生きた人間を殺したと言えるのではないでしょうか。
私は実証したいと思います。
『死者は生者を殺せるのか?』を。
この計画で何人の人を殺せるのでしょうか。
何人の人を不幸にしてあげられるのでしょうか。
この世界にどれほどの傷跡を残せるのでしょうか。
楽しみで仕方ありません。
この計画の結果が自分で確かめられないのは少し心残りです。
最後に。
里中くん。君には一番つらい思いをさせてしまうけれど、ごめんなさい。
でも君も悪いんだよ。私がこうなっていくのを知っていたはずだから。
知っててそうしていたんだから。
お返しに君に最高でとっておきのプレゼントをあげる。
本来は私がプレゼントをもらう日なんだけれど、教えてないから仕方ないよね。
でもプレゼントはきっと気に入ってくれると信じてる。
君がそれを君の本性を晒すためのプレゼントだって気づくのはずっとずっと未来の話にはなると思うけれど。
喜んだ彼の顔と未来の彼の行動が私へのプレゼントになる。
少し変わった君が私はとても大好きだったよ。
「今日はあの子の誕生日だ。娘を殺したうえに13名もの生命を奪った里中航平を許したわけじゃない。だが、あいつも娘の計画の被害者だ。ならばせめて、あいつの死んだ日ぐらいは娘の誕生日にしてやろうと思った。
あいつを責めるのも罵るのも実に簡単だ。だがそれを自分たちが繰り返してしまえば、それこそ娘の思うつぼになってしまう。我ながら娘が考えたこの計画の恐ろしさを今でも痛感してるよ」
「これを公表する気は……?」
「ないよ。できるはずがない。むしろ誰が信じる? というレベルだ。だから君に話した。今の君に話したかった。今の君ならば信じられるのではないかなと思ったんだ。」
「今なら……信じられる気がします」
「そうか……。君に話してよかったよ」
河本は残っていた酒を飲みきり、立ち上がる。
「人の遺志ってのはここまで人を動かすものなのだなと改めて思っているよ。もちろんそれだけではないのだろうがね。
――今でも山名凜花の遺志は残っている。遺志を影響を受けたものが残っている。里中航平の遺志を受けたものもきっと残っているんだろうな。死んだ人間の遺志が人を殺すなどというふざけた話はもう終わらせるべきだ。それが私の――凜花の父親として。この国を担う政治家としての役目だ」
立派だ……。正樹は心の中からそう思う。
目の前にいるこの人に敬意すら感じる。
自分の娘が考えたこの狂気の計画を必死に止めようとしている。
怒りや悲しみ、そして正義感などという感情に負けることなく、自分で終わらせようとしている。この悲しい物語を。
この人を助けたい。そこには自分を助けてもらった恩義も感謝もある。
自分の娘による計画を一人で止めようとしている。殺した相手すらも憎むことを諦めてでもやろうとしている。
かつての自分では絶対にできないことを彼はやろうとしている。
自分にもこの人のようになれるのだろうか。
そう思っているうちに、正樹の口から自然と言葉が出ていた。
「――私に何かできるでしょうか?」
「昔の君なら自分には無理だと叫んでいただろうに。立派になったね。遠坂くん。ならばともに考えようじゃないか。『死者に生者を殺させない方法』を。これが二人への遺志に対しての私達の意志として」
「はい!」
正樹と河本は手を握っていた。
かつては震えるのを優しく抑えるかのように握ってくれていた彼の手を今回はしっかりと握り返す。
山名凜花も里中航平もすでにこの世にはいない。
だが、その遺志は今なおネットの世界において悪意と言う形で人を刺し殺せる凶器として漂っている。
その狂気を含んだ凶器を持った人はいとも容易く他人の心をえぐりとり、傷つけ、命を奪い去っていく。
自分がその相手を殺したなどという自覚もないままに。
だが、それをなんとかして終わらせよう。
それがどれほど大変であろうとも。
それがあの二人が遺した遺志に対する正樹と河本二人の明確なる意志である。
気づけば日付が変わっていた。
山名凜花の誕生日、彼女が死んだ日。
そして里中航平の死刑執行日であった一日は終わりを告げ、新たなる日が始まっていた。
2021年3月5日に大幅に改稿させていただきました。
ここまでお読みいただいた方に改めて感謝を。
皆様のおかげで完結までたどり着くことができました。
本当にありがとうございました。




