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学徒レメイの日常的非日常

 レメイ・アンティアは可愛らしい風貌の利発な少女であり、とりたてて他者の悪意に晒されることも無く育ち、そして何より、大陸でもっとも特別な学院の生徒である。これらのことから自然に推測される性格上の欠点による災難は将来降りかかることになるかもしれないが、たとえそうだとしても、今日という些細な非日常を含む学院での日常が幸福と呼べるものであることは変わらないだろう。


 レメイは今朝も夜明けとともに目を覚まし、その後も二つ目の授業の途中までは極めて日常的に穏やかに過ごした。その授業の終わりに教師から次回までに読む書籍を指示されたことも、それなりに日常的なことではあった。ところが、彼女が図書館――普通の“図書館”とはやや異なる施設であるが、ここでは割愛させて頂く――から出てきたとき、その表情は明らかに普段とは異なるものであった。そして、それに気付く者が一人、さらに二人。


「おーい、レメイ。もう昼ごはん食べた?」


 思案に暮れながら歩いていたレメイに声をかけたのは、快活な表情をした柔らかなポニーテールの少女だった。この学院では個々人によって、さらに月によって授業編成が異なるため、今日彼女とレメイが会うのは、というより今日レメイが友人と会うのは、これが最初である。


「モニカ、ううん、まだだよ」


 やや驚いたレメイは、親しい友人ゆえに簡潔に答えた。


「そっか、それなら二人で“猫の園”に行かない?」


 先に話していたようで、モニカと連れ立っていた二人も不満そうには見えない。 一人で思案したい気分でもあったレメイは答えに迷ったが、モニカはいつも通りやや強引に友人を連れてゆくことに成功し、道中、つい先ほど友人に起こった事件を聞き出した。


 猫の園は、小国に等しいこの学院の食文化を彩る非営利飲食店の一つである。端的に言うまでもなく猫を愛でるためのこの空間は、新たに訪れた二人の少女、とりわけその一方の表情を劇的に変容させた。


「……んふふぅ」

 

 膝に乗せた毛の長い三毛猫を片手で撫でつつサンドイッチをほおばるレメイの表情は穏やかそのものであったので、パスタをぱくついていたモニカは友人を悩ませた自由人について喋り始めた。


「まぁあれだよ、彼は、綿菓子よりふわふわしてナマズより掴みどころがないから、あんまり頑張らなくてもいいと思うよ?」


 軽やかな調子で言うモニカに、レメイはサンドイッチの最後のひとかけらを飲みこんでから、表情を変えないで、というより変えられないまま、声だけ悩まし気に答えた。


「だけど、やるって言っちゃったから……」


「うーん、彼がその気になったら、誰にだってやるって言わせられそうな気はするけどね」


「でも、やっぱりやるからにはちゃんと頑張りたいし」


 友人の力が抜けるようにと連れて来たはずがむしろ元気を出させる結果になってしまったと見て取ったモニカは、楽しむ方向に意識を切り替えることにした。


「そっか。ちなみに、いまのところアイディアとかあったりするの?」


 モニカの言葉は相手によっては皮肉に取られかねないものであったが、レメイの脳内にその選択肢が浮かぶことは無かった。思うところを端的に連ねるような会話は年頃の少女二人のおしゃべりとしては随分とそっけなくはあるものの、ものぐさなモニカと真面目なレメイは話の要点に関わらないことを持ち出さないという点で良くかみ合っていたのだ。


「……タイトルの頭文字で文章を作る、とか、出てくる食べ物で分ける、とか、外装の色でグラデーション、とか、空中を巡らせる、とか、あと、内壁の見た目を広げたり歪めたり」


 レメイは今も思考の大半をふとももの上の至高存在に向けているので、普段の彼女からは考えられないような適当な言い方は直らない。


「動きを付けるのは面白そうだね。あ、音楽を合わせるとか?」


 モニカはなんとなく店内を見渡しながら応えた。調度品の端々に猫のモチーフがあしらわれている、わけではない。それは結婚式に白のドレスを着て行かないようなものであり、彼女たちを取り囲んでいるのはむしろ彼女たちの部屋よりも地味な、つまり地域特有の軽やかな性格の男性たちから贈られたインテリアだけがそこかしこに飾られたそれなりに女の子らしい一室よりも質素な、すなわち常に後景たらんとする空間である。


「いいかも。なら、香りとかどうかな?あと、本の動きに合わせて光とか立体幻影とか」


 一方のレメイの視線は変わらずくぎ付けであり、不安定なリズムで揺れている。しかしながら思考の方向性はむしろ今まさに固定化された。要するに五感それぞれについて考えようと思ったわけで、モニカも分かってくれるだろうという期待から、あるいは分かってくれなくても支障ないだろうという推測から、あえて口にすることは無かった。


「良さそう。こう、本が開いて、その場面に合わせて他の本が動いたり映像と音楽が流れたり香りがしたり、風が吹いてきたり気温が変わったり。本に出てくる食べ物の味か風味のパン、とかは難しそうかな」


 なんとなくレメイの考えをくみ取ったモニカはパスタのソースが絡まったベーコンを気持ち深く味わいながら、処理能力を手のひらとふとももと瞳に集約しているレメイに代わって思考の端から言葉にしてゆく。自他共に認めるものぐさであるモニカではあるが、レメイの代わりに何かをするときにはそれが薄らぐということにはまだ気づいていない。


「んぐ、視覚要素は何冊か同時にあちこちでそうしてもいいかも。ああ、身体を揺らすようなのも面白いかな」


 温度を変えることまでは考えが至っていなかったレメイだが、わざわざそれを言うことをモニカが望んでいないことくらいは分かる程度に親友である。とはいえ若く聡明なレメイにとって自分の考えがやや狭い枠の中に収まっていたことを自覚するのはまた別の話であり、少しのあいだ処理能力を割いて他の枠を探すことにした。結果、観測者自身に変化をもたらさないという制約を自分で付けていたと気づき、とはいえ危なくないようにと、揺らすことを思いつく。


「そうだね。あとは、レメイらしさもあったらいいんじゃないかなぁ」


 一般的な議論は煮詰まったかな、と見立てたモニカは、わずかに視界を絞るようにレメイの両の瞳を見つめつつ語りかけた。


「私らしさかぁ。好きなものとか?」


 モニカの視線に気づいたレメイはなんとなく目を合わせて、先ほどまでとは種類が変わった会話に波長を合わせるために一拍おき、そのあと視線を戻した。


「そうだね、他にも考えてみる?」

 

 レメイの視線の動きでそのことばが第一に指す対象を察したモニカは、とりあえず選択肢を広げるように問いかけたけれど、その無意識な動機にはやはり気づかない。



 さて、これ以後の出来事にはさしたる転調もなく、かといって端的に述べるのも味気なく、また詳しく説明するにはせっかく割愛した事情を書き連ねて冗長にせざるをえないため、彼女たちの成果は省略とさせていただくことを、読者諸賢にはご容赦頂きたい。

 

 というのも、真に語られるべきはこの一月後に訪れた本当に些細な方の非日常だと愚昧なる筆者は信じているからである。


 

 その日、レメイ・アンティアは二人の友人と共に“透明食堂”にて昼食をとっていた。もちろん、モニカもその一人として宙に浮いたフライをさくさくとかじっている。会話の装飾と同様の理由で衣服の装飾に無頓着なレメイとモニカは食堂の中で浮いているが、ここでは全員が浮いているから気にならない、というわけではなく常に気にしていないので、他の一人もすでに諦めている。


 その一人からすれば他の面でもとりたてて外面に気を付けないにもかかわらず部屋には無秩序にインテリアが並んでいる二人にはその無秩序さも相まって年頃相応の悪感情を抱いても仕方ないところではあるが、とはいえ、二人の様子をよく見ればそのような感情は馬鹿らしいと気づける程度にこの一人には女の勘と呼ばれるものが備わっていた。

 もちろん、あえてそれを口に出さない理由がそっとしているというよりは面白がっている方なほどには彼女もティーンエージャーである。


 さて、ティーンエージャーの女子が三人集まればおしゃべりに花が咲かないわけもなく、とはいえやはり諸国に名だたる学院の学徒の会話でもあるようで、少なくとも今日の昼食を彩るのはそれなりにそれらしい話題である。


「あはは、モニカっぽい。めっちゃ()()」短めな黒髪の少女は、モニカが選んだページを見てからからと笑った。「あれだね、飼い犬が飼われる前から飼い主に似てるって感じ」


「めんどくさいのは嫌だから。ずっと精神が繋がってるなら、あんまり忙しないのよりはのんびりしてそうなのの方が良いかなぁ」モニカは苦笑しながらも、我ながら意外性の無い回答だな、と思った。少しの間その分厚い本、彼の国で人々と繋がっている魔獣たちの図鑑を見つめながら、レメイと共に考えた演出と話していた時間を思い出す。この友人にも、中々好評だった。「レメイはどれが良い?」


「モニカと同じのが良いかな」レメイは少し考えた風にしつつそう答えた。微笑んだ彼女はそのままその理由を語るが、しかしレメイにとって重要なのは自らの口唇が発する音ではなく、それによってリズムを変えるポニーテールであり、あるいはいじわるという真面目なレメイにとっては珍しくそれ故に鮮烈な、とはいえ最近は日常的ではある愉しみだった。


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