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第五話

 アルマフレア城から西に三~四日ほどの距離に、この国で一番高い山がある。四〇〇〇メートル弱あるその山は、魔王コスミックの象徴とも言われている。

 山麓は広大な森林となっていて、その奥地に通称西の遺跡──正式名称、魔王宮殿がある。

 遺跡と呼ばれるとおり、現在は廃墟となっている。半壊した宮殿は森林と渾然一体となって、ますます神秘的な雰囲気を醸し出している。

 天井が抜け落ち、その部屋は木漏れ日がかすかに差し込むだけの薄暗い場所だった。だがその木漏れ日は、部屋の中央に立てられた彫像に差し込み、今なお彼女の存在を知らしめようとしているようにも見える。右手に剣をかざしたスーツ姿の女性の像──魔王コスミックの彫像を。

「お母様」

 石像の元に、女性が一人ひざまずいていた。

 きらめく薄紫色の髪が印象的な女性。二〇代後半くらいの印象だが、彫像を見上げるその瞳はうら若き少女のようにも見えた。

 アルマフレアの民族衣装に身を包み、彼女は彫像に祈りを捧げている。

「この日がくるのをどれほど待ち望んだでしょう。

 あなたのいないこの世界に私だけが存在することに、どれほどのむなしさを覚えたことでしょう。

 あなたもきっと帰ってきたかったはずです。

 あなたのいるべきは、あなたのふるさとでもあるこの世界なのですから。

 まもなく、扉が開きます。その鍵となる娘が、この地へ来ることによって。

 まもなく、あなたは復活されます。

 魔王コスミック。我らが母君……」


         *


 普段ならそろそろ就寝につく時間だが、ヘレネの部屋には明かりがともされていた。壁際に置かれたランタンが、部屋にうっすらとした、しかし雑談や読書には十分な光を与えている。

 女の子らしく、ぬいぐるみがいくつかあるが、今は部屋の隅に片づけられている。ヘレネは部屋の真ん中で、地図を大きく広げていた。

 北は賢者クーマが居を構えるレジカス山、西はギルディア大森林までを記した、東アルマフレアの地図。魔王宮殿はギルディア大森林よりも手前、アルマフレアで一番高い山、ジュランダ山の麓にある。

 魔王宮殿までの道のりは、約三日。ヘレネは地図を凝視しながら、綿密にその行程を練っていた。

 西の遺跡こと、魔王宮殿。もっとも近くの宿場から半日ほどの距離にある。

 前回は、この宿場でハイフンに見つかって撤退を余儀なくされた。

 この最後の宿場までは、街道沿いに行けばよい。要所要所に宿場があるし今は夏なので、万一の野宿の時のために毛布の一枚でもあればいい。

 水や食料も宿場で補給できるので、多くは必要ないだろう。

 そのため前回はわりと軽装で行ったわけだが、誤算がひとつあった。

 各宿場には、浴場が用意されていないのだ。

 身体を拭くという程度では、例の『変なヤツ引き寄せ体質』を完全に押さえることはできない。修道院の公衆浴場並の施設でしっかりと身体を洗わないといけない。

 地図をもう一度よく見て考えてみる。街道沿い、その途中に小さな湖がひとつ近くにあるのを見つけた。ここなら水浴びができるかもしれない。

 ──と、

「ふーん、また行くつもりなんだ」

 紙巻きたばこをくわえ、姉のレアが部屋へ入ってきた。

 黒髪をポニーテール状に結い上げているが、長さが足りないのか縛り方が甘いのか、ところどころほつれていて、生活に疲れた主婦のような髪型になっている。

 ノースリーブのシャツに短パンと、家の中とはいえかなり無防備な格好である。

 そしていつもの眠たそうな顔。時間が時間だが、これが標準の表情なので、眠たいわけではないだろう。

 髪型にも服装にもルーズな姉だが、これで結構美人なのだから不思議だ。

「うん。今度は一週間くらいかかると思う。留守の間お願いね」

「まあいいけど、なにをそんなに躍起になってるの?」

「前にも話したでしょ? ほら、あの」

「変なヤツ引き寄せ体質、だっけ?」

「うん、それ」

 レアは妹をまじまじと見、小さく嘆息した。

「あたしには、あんたが特別変わったようには見えないんだけどね。ドジでマヌケなのは今に始まったわけじゃないし、おしゃまで生意気で素直じゃなくて……」

 なにか言い返そうとするヘレネの口元を指さして制し、

「けど、純朴で思いやりのあるいい子じゃないの」

 にこりと、姉はそう付け加えた。ヘレネは思わず鼻白んでしまう。

「と、とにかく、この体質のせいであたしの日常はめちゃくちゃなのよ。それを取り戻すために……」

「日常ねえ。なにを基準に日常というのかしら。こうは考えられない? これもまた日常だって」

 言われてヘレネは押し黙った。

 そもそもあたしはなにをしたかったんだっけ?

 綺麗になりたい!という動機で魔法を習い始めたんだったっけ。

 それまでの自分、それまでの日常に不満があるから、それから脱却したかった。

 けど、綺麗になって普通にもてるようになった自分も、やっぱり自分だ。

 もちろんこのハチャメチャな日々の中にいる自分も自分だ。

 自分を基準、自分の視点からすれば、この周りにあるものはすべてが日常だということなのだろうか?

「ああ、あたしは別にあんたを止めようと思って言ってるわけじゃないから。それで気がすむなら、あんたの好きなようにしなさい。ただ、あんまり根をつめて悩んだって仕方ないぞと言いたいわけよ」

「うん、ありがと」

 かぶりを振り、そしてヘレネはうなずいた。

 そうだ。なんにせよ今は目の前の目標をクリアしなければならない。神秘の薬、エリクサーは魔王宮殿にあるのだ。


「それにしても、君ほどの男がその腕をほったらかしにしておくとはもったいない」

 シュラインの町の大通りにあるいつもの酒場には、レインと一緒に軽食をつっつく青年がいた。鋼鉄製の胸当て(ブレスト・プレート)はカウンターに預けられ、万が一の時のためか、ロングソードはテーブルに立てかけてある。

 レインとあまり変わらない年頃、少年と言ってもいいのだろうが、実年齢よりも大人びて見える。レインが子供っぽい顔立ちなために、それと比べてしまうせいもあるかもしれない。

 デューク・ラインハートという名のこの青年は、ティアラ王女親衛隊の隊長である。

「私に言ってくれれば、いつでも親衛隊に迎え入れるというのに」

 公開教室は教会によって開かれ、その様子は官僚や王室にも伝えられる。特に優秀な者は武官や王宮魔導師に抜擢されることもある。レインが親衛隊にスカウトされていたということだが、レインはきっぱりと断った。

「僕が守りたいのは王女様じゃないですから」

 デュークは眉をひそめ、少し不満そうにうなる。

「むう。そのぶしつけなセリフ、聞かなかったことにしよう。しかしその誰よりも守りたいというのは、フィルリア様も気にかけられていた、あの少女なのか?」

 レインは少し困ったようにほほえんだ。

 七年前の戦争。両親を失って泣きじゃくる幼なじみの、あのときの行動を思い出しながら、レインは言った。

「あのころ、僕はなにもできない子供でした。彼女は、動機はなんであれ目的があれば後先考えずに突っ走るヤツなんです。だから僕は少しでも彼女の力になりたいんです」

「うむ。その意気やよし! その気持ちが彼女に伝わることを祈ろう。かくいう私も、この思いがティアラ様にいっこうに伝わらないのが実に歯がゆく……」

 なにやら身分を超えたのろけ話に発展していくデュークの話を適当に受け流しながら、レインは目の前のベーコンとポテトのフライをついばみ始めた。

「ふふふふふ。におうぞにおうぞ悪のにおいがぷんぷんするぞ!」

「そう? お酒やいろんな料理の、良いにおいしか感じないけど」

 脈絡もなく現れたアスタリスクにも、レインは無頓着に受け答えた。

 向かいの席のデュークは、何事かと演説を止めた。

「ふっ。これは正義を宿命づけられた私にしか感じ取れないかすかなにおい。今は小さいが、放っておけば確実に世界を闇で覆い尽くすであろう邪悪なにおい!」

「今、ぷんぷんにおうって言ってたように思うんだけど」

 ヘレネのいない場では、レインが微妙にツッコミ役になるのかもしれない。

 しかしアスタリスクはウチワのように大きく手を横へなぎ、レインのツッコミを遠くへ吹き飛ばした。

「ともかく! まもなく奴らが来るぞ。みんな、今のうちに避難するのだ」

「お客さーん。テーブルの上には乗らないでくださいよ」

 ヘレネのいない場では、名もない店主も微妙にツッコミ役になるのかもしれない。

 しかしアスタリスクは硬そうなブーツを、テーブルをみしみしいわせながらずり動かし、ファイティングポーズを取る。

「んぐんぐ、まったく正義の味方が、がつがつ、聞いてあきれるね」

 声は後ろから聞こえてきた。振り向くと、見覚えのある三人──言わずもがな、コロン・チルダ・ハイフンの三悪人が酒場の隅っこで料理を食いまくっていた。カラになった皿が山積みにされている。

 チルダは光るまで皿をなめ回しているし、コロンは左手のフォークでパスタ・右手で骨付きチキンをむさぼり、意地汚いことこの上ない。

「ぐっはあ、まさかこんな近くにおったとはアスタリスク、痛恨の不覚!」

「わっはっは。俺様たちほどの悪人になれば、気配を消すことなど造作もないのだ!」

「そういうわけでご主人。我々は悪人ゆえ、これにてダッシュで失礼する!」

「こ、こらあ! また食い逃げかあ!?」

「ふはははは! 人の目を欺き店主の目をごまかそうと、愛と正義の使者、このアスタリスクの目から逃れることなどできん!」

「そこのあんたもお勘定!」

「うむ! あの悪人どもをとっちめた賞金にて払うゆえ、しばしまたれい!」

「またぬまたぬのこんこんちきよ!」

 店主と正義の使者と三悪人がてんやわんやの騒ぎを起こし、周囲の客もそれをはやし立てている。そんな中、レインはまったくもっていつも通りに落ち着いていた。

「店長も気づいてたんなら入れなきゃいいのにねえ」

「まったくだ」

「デュークはあの悪人さんを捕まえなくていいの?」

「ご町内のトラブルは私の管轄外だからなあ」

 レインの影響か、デュークも知らんそぶりで見物を決め込んでいる。

「それじゃ僕はそろそろヘレネと約束があるから」

 言って腰を上げるレインに、アスタリスクと三悪人がぴたりと動きを止めた。つられて店内が一瞬にして静まりかえる。

「そこのお前! ヘレネちゃんがなんだって?」

「あっ、こいつ知ってるぞ。この前俺たちのじゃまをしたヤツの一人だ!」

「ふーん、あんた、あの小娘の恋人かい?」

「おお、少年よ。あの美しき乙女がどうしたというのだ?」

 ハイフン・チルダ・コロン・アスタリスクと、次々とまくし立ててくるが、もちろんレインは動じない。

「知り合いか?」

「うん、まあ、いろいろあって」

 じと目を向けるデュークは受け流し、にこにことレインは言った。

「そうだ。良かったらあなた達も一緒に行かないかい? これから魔王宮殿へ向かうんだ」


 シュラインの町の教会区、礼拝堂の片隅にある懺悔室。ヘレネはこの部屋の丸椅子に座って、これまでのいきさつを打ち明けていた。

 告白の相手は、この教会の神官にしてアルマフレア第二王女、フィルリア・アルマフレア。

「なるほど……そういうことがあったのですか」

 民族衣装では袖口・裾口共に広くデザインされているのに対し、神官服は身体全体を一枚のローブで覆ったような感じで、民族衣装とはまた違ったゆったりとしたデザインである。

 その神官服を身にまとったフィルリアが、神妙な面持ちでつぶやいた。かつかつと足音を鳴らし、二つに束ねた深緑色の髪が揺れた。

「ところで、あたし悪いことしたわけじゃないのに、なんで懺悔室で告白しなくちゃいけないんでしょう?」

「そこはそれ、雰囲気というものが大事ですから」

 きりっとした瞳を笑みの形へ変え、フィルリアは言い切った。

 雰囲気で懺悔室へ押し込みますかとツッコミたいが、相手は王女様なのでひとまず我慢。

 懺悔室は四角く狭い部屋で、机と椅子がひとつずつ。ランタンは二つ設置されているので、そこそこの明るさはある。

 壁には、王族の祖神とされる界王シフォンの絵画が立てかけられてある。界王シフォンの両脇には、その妹神とされる魔王コスミックと覇王カルミアが描かれている。

「変なヤツ引き寄せ体質、ですか。その話が本当なら……」フィルリアは腕を組んで狭い室内を歩き回る。

 もちろん彼女に事情を打ち明けたのにはわけがある。

 ヘレネは以前から『聖水』に注目していた。水神祭のときの打ち水はただの水だったが、水神ニーナが起こした洪水が焼けた森を再生させたことを、ヘレネは忘れていない。

 そして公開教室で、教会で『超聖水』を取り扱っていることを聞いた。ヘレネの体質に効くのかどうか、旅立つ前にどうしても確認しておきたかった。

 現在、大神官であるワイオニー氏は所用で出かけているというので、フィルリアが代わりに対応した次第である。

「その話が本当なら、超聖水で発作を抑えることは可能だと思います」

 身を乗り出すヘレネを、フィルリアは「ただし」と付け加えて制した。

「ご存じかと思いますが、超聖水は他物質との親和性がきわめて低い液体です。これを香水のように身体へ振りかければ、一種のフィルターとなって身体を覆い、フェロモンの放出を抑えることができるでしょう。しかしあくまでも押さえつけるだけで、フェロモンの分泌が止まるわけではありません。あまり多用すると、風船が破裂するように、あるとき一気に吹き出す可能性があります」

「それでも」

 それでも、今回の道中では役に立つかもしれないから。と言いかけて、ヘレネは口ごもった。

 魔王宮殿へ向かうことを告げたら、心配させてしまうだろうか?

 見ると、フィルリアもなにかをつぶやいていた。

「あなたの持つ不思議な魅力は、そういう妖しげな理屈に基づく物ではないように思うのですが……」

「はい?」

 はっとして、フィルリアはヘレネに笑顔を投げかけた。

「い、いえ。その体質、治ると良いですね。超聖水、必要分だけお譲りいたしますよ。頑張ってください」

「はい、ありがとうございます!」

 小さな霧吹きに詰められた聖水をリュックに詰め、ヘレネは教会をあとにした。あとはレインと落ち合って西の遺跡へ向かうのみだ。


「ふ、ふふふふふふふ」

 酒場では、アスタリスクが小刻みにふるえながら不気味な笑い声を上げていた。

「おやおや、正義の味方かぶれがついに壊れちまったようだねえ」

「いやいや姉ちゃん、こいつはもとから壊れてたと思うぞ」

「はーーっはっはっは! 魔王! 魔王ときたか!」

 哄笑とも怒号ともつかぬ大声を上げ、アスタリスクは天を仰いだ。

「魔王! これぞ究極の悪! 私が倒さずして誰が倒す!」

「えーと、魔王宮殿へ行くといっても、魔王を倒しに行くわけではないんだけど」

 レインのツッコミはヘレネにははるかにかなわない。もちろん小声のこの台詞は台風の前の木の葉のように吹き流された。

「魔王が実在するかは疑わしいんだけれども、ねえ?」

「おう! 悪として! 伝説の魔王、その宮殿を拝まずしてどうする!」

「ヘレネちゃんが行くなら俺だって行くぞ! 魔王なんか怖くない~!」

 なんかおのおの好き勝手ほざいてはいるが、目的は合致したようだ。レインは小さく嘆息した。

「レイン! そろそろ行くわよ。連中に見つからないよう、今晩のうちに……!」

 その『連中』とよろしくやっている酒場にヘレネが飛び込んできたのは、ちょうどこのときである。


 ヘレネは考えずにいられない。

 あたしのこの不幸、本当に治るのかしら?


         *


 シュラインの町の領主、カール公爵の館には、ちょっとしたカジノ並の娯楽室がある。

 ルーレットやカードゲーム用の台座、ラットレース用のレーンなどの他に、小さめの緑色のテーブルがひとつ、部屋の片隅にある。

 このテーブルを四人が囲み、がちゃがちゃとなにか四角い石のような物をかき混ぜていた。

「はっはっは。しかしこのケインに教わった麻雀マージャンというゲームはおもしろい」

「まったくですな。英雄ケイン。強いだけでなく、我々の知らぬ様々な知識も持っていました」

 雀卓を囲むのは、カール公爵・ワイオニー大神官・賢者クーマ・教師コネラートの四人。七年前の大戦で活躍した面々がここに勢揃いしていた。

 やっていることは麻雀だが。

 かんらかんらと軽快に笑うカールに対し、ワイオニーは落ち着いた調子で受け答えている。

「さて、麻雀には金銭の他にも脱衣を賭けて行う方式もあってのう。ここにちょうどコネラートめの奥方もおることじゃし……」

「ほほほう。なかなかおもしろい提案をしますねクーマさん」

「あなた!」

 なめらかに攻撃魔法を唱え始めたコネラートだが、脇に控えていたアリシアに一喝されて呪文を止めた。クーマの助平スケベ・コネラートの喧嘩っ早さは相変わらずのようだ。

 こほんと咳払いをひとつ、コネラートは言った。

「そういえばケインは今頃どうしているんでしょうね。せっかくこうしてみんながそろったのですから、ケインにも是非来てほしかった」

 クーマが、ふぉっふぉっふぉ、と笑った。

「麻雀を教えた張本人だけに、あやつはべらぼうに強いぞ? 戦闘的な強さもべらぼうじゃったがの。まあさておき、ワシもケインとは2年前の儀式以来、うてはおらんな」

「ああ、時空ねじれの再強化の儀式ですか」

 これにはワイオニーが補足した。

「コネラート様とクーマ様と、ケイン様。それに私と数十名の神官、王宮魔導師達もが補佐につき、禁断の魔導書に封印を施したのが先の終戦直後。時空ねじれは時と共にゆるんでしまうので、5年に一度再強化を施す必要があります。ケイン様は自分の世界とやらに戻られてしまい、この儀式の時にしかアルマフレアにはこれないそうです。なんでも手続きが大変だとか」

「この世界の住人ではない、か。この世界から去っていった神族でもない、確かに我らと同じ人間のはずが……。変わったヤツじゃったのう」

 感慨深げに、四人はじゃらじゃらとパイをかき回した。

 ふと何かを思い出したように、コネラートが手を止めた。

「変わっているといえば、私の受け持ちの生徒にヘレネという子がいるんですが、彼女も変わった子でしてね」

 鋭くクーマが反応した。

「あの娘、何者なんじゃ? 神族と妙な関わり合いを持っておるようじゃが」

 先日の風神の一件を話すと、ワイオニー・カールも話に乗ってきた。

「水神祭のときの火災には水神が、大学へ招かれたときは地神・火神が現れたと、レイコお嬢様から聞いてます」

「そういえば私が賭けた賞金首を捕まえたときも、雷神が見え隠れしたという噂を聞いたな」

五神精ごしんしょう……彼女たちが現れたとき、必ずそのそばにヘレネさんがいる……」

 地神・水神・火神・風神・雷神は、合わせて五神精と呼ばれている。神族の中でも、五王神ごおうしんに次ぐ地位の高位神だ。

「神族が現れるとはなんとも嫌な予感がするな。先の戦争も、裏で神族が手を引いていたとケインから聞いている」

「なんでも今度、魔王宮殿まで行くとか言ってましたが……」

「なんですってえ!?」

 がしゃんと陶器の割れる音。お茶を差し出しに部屋へやってきたレイコが、故意か事故かお盆ごと雀卓に投げ込んだ。

「うああ、なんてことを!」

「そんなことよりお父様! ヘレネさんがいったいどこへ行くですって?」

 レイコの高飛車は父親でも四大英雄の前でも衰えない。思わずひるんだカールが目線をコネラートへ向ける。

 やれやれと、コネラートはここまでの会話をかいつまんで説明した。

 わなわなと、レイコはこぶしを震わせてうなった。

「なんということでしょう。あのドジでマヌケなレベルゼロ魔法使いがそんな危険な遠出を!」

 口は悪いが彼女のことを心配しているのかとカールは感心したが、それは一時の気の迷いだった。

「そんなことになればあのお優しい薄幸の美少年、レイン様を引きずり回してゆくに決まってますわ! こうしてはいられません。アルツ!」

「ここに!」

 音もなく、代わりに屋敷を揺るがす爆声とともに、タカマガハラ家のお抱え忍者・アルツが現れた。

「ゆきますわよ。レイン様を魔手からお救いに!」

 疾風はやてのように現れて、疾風のようにレイコは去っていった。

「………………」

 なんとなく、背後で空っ風が吹いたような気がした。

「どうする? 我々も行くべきか?」

 レイコの言い分はともかく、ヘレネとその周辺で良からぬ動きがあるのは間違いなさそうだ、とカールは思った。

 しかしコネラートは苦笑と共に手を振る。

「いえ、彼女たちは悪神ではないと思いますよ。伝説でも悪い話は聞きませんし、実際に見た感想としても、彼女たちが悪神だとは思えません」

「ワシらが動くとすれば、彼女から助けを求められたとき、というわけか。七年前、ワシらがケインに助けを請うたように」

 かつての英雄達はため息をつき、麻雀を再開した。


         *


 それから二日。

 旅路はまあ、順調だったといって良いだろう。

 まあ、


・ときおりハイフンが「ヘレネちゃん好っきじゃあああぁぁぁ!」と叫びながら飛びかかってきてはアスタリスクとどつきあいに

・行く先々で三悪人がスリやら万引きやら子供からカツアゲやらを繰り返しては役人に捕まりかかってヘレネが事情説明に

・ああ、暑くてわたくしもう駄目ですわ~、とレイコがレインにもたれかかってはヘレネと口喧嘩に

・アルツの爆声に、アスタリスクが哄笑で対抗、さらにハイフンが対抗して真っ赤に燃える夕日に向かって「ヘレネちゃん好っきじゃあああぁぁぁ!」


 といった出来事が順調のうちに含まれるのならば、だが。

 連中の奇行と周囲のまなざしに、いい加減胃がきりきりし始めるヘレネだが、この日の夕方、最後の宿場が見えてきたことで、ほっと胸をなで下ろした。

 間近まで来たジュランダ山は、赤い西の空を覆うように厳然とそびえ立っている。夕日は山の向こうに隠れ、このあたりはすでに薄暗くなってきている。

 標高にしてすでに数百メートルはあろう。東はゆったりと遠くまでよく見える。北は少し入り組んだ地形になっていて見えにくいが、山間に隠れるように湖があるはずだ。

 そして宿場から南へ半日。雄大な樹海に隠れるように魔王宮殿があるはずだ。

 最終目的地はその魔王宮殿だが、今日の目的地は北の湖である。

 ここまでの宿場では、身体を拭くこしかできなかった。超聖水も、思ったほど効果を実感できない。やはりしっかりと水浴びをしなくては。

「ヘレネ? そっちは谷だよ。宿場は向こうだけど、もしかしておしっこかい?」

「まったくこの子は方向音痴なことですわね。わたくしとレイン様の先導がなければ満足に旅もこなせないのかしら?」

「そんなんじゃないわよ!」

 レインのボケにレイコのイヤミとダブルパンチを食らい、ヘレネは金切り声を上げた。

 問題は、この野郎どもをどうやって出し抜いて水浴びをするか、である。

「とにかく、早く宿を取って早めに寝るわよ。明日は夜明けと共に魔王宮殿へ向かいたいんだから」


 さて、とっぷりと夜も更け──るにはまだ早いといった時間。

 前二日間と同じく、今晩も男部屋と女部屋と分かれて部屋を取ったわけで、こちら男部屋にはレインの他に、アスタリスク・ハイフン・チルダ・アルツという濃い面々がそろっている。

 男だけの特権、猥談に花を咲かせるのにも飽きて、そろそろ眠くなってきたレインが寝支度を始めたときのことである。

『皆様、お約束の時間でございます』

 暑苦しいほど厳かに、忍者装束のアルツが言った──ら騒音公害なので、セリフの書かれた羊皮紙を掲げて見せた。ピンと背筋を伸ばした正座姿勢である。

「ぬう、いったいどうしたことか?」

 つられて厳かに、アスタリスクが聞いた。

 ちなみにいつでもどこでもマイペースのレインは、すやすやと寝息を立て始めていた。部屋の広さの割に人数が多いので、ベッドはなく雑魚寝である。

「なにか約束をした覚えはないのだが?」

 アルツは、ちっちっち、と指を振った。

『そのお約束ではござらん。世の中には「お約束ごと」というモノがあるのでございまする』

「お約束ごと?」

『左様。洗濯物を干し終わったところで雨が降るとか、買い物しようと町まで出かけたら財布を忘れてこりゃ愉快、といったたぐいのアレですな』

『拙者、今し方気づいたのだが、隣の女子部屋から気配がはたと消えているのでござる』

『レイコお嬢様・ヘレネ殿・コロン殿。かわや《トイレ》ならば、この三人がいっぺんにいなくなるということはまずありますまい』

『何かの事件に巻き込まれたか? いやいや、そんなことになってはタカマガハラ家専属忍者としての面目がたたぬ』

 アルツは次々と羊皮紙をめくる。会話が成り立つということはその場で書いては見せているということのはずなのだが、書いてる場面が全く見えないというのはかなりの謎である。

 この間、アスタリスク・ハイフン・チルダの三人は壁際に耳を押し当てて隣の部屋に集中していた。

「姉ちゃんのいびきも歯ぎしりも聞こえないな。こんな薄壁なら寝不足になるほどのボリュームで聞こえてきそうなものだけど」

「うん。ヘレネちゃんの寝息も聞こえないな」

「うむ、確かに誰もおらぬようだな」

「そうなると、三人はいったいどこへ行ってしまったのだろう?」

『こちらをご覧あれ』

 アルツは一枚の地図を、狭い男子部屋に広げて見せた。少しくたびれたその紙は、東アルマフレアの地図だった。

『こちら、先ほどヘレネ殿から預かり申した地図でござるが、これ、このあたりをご覧くだされ』

 アルツが差した指の先には、丸印がつけられていた。

『ここがこの宿場。ここから少し北へ行ったところに……湖がござる』

 つつつ、と指をなぞり、丸印のところでぴたりと止める。彼の言いたいことが自ずと見えてき、一同、息をのんだ。

「なるほど。まだまだ暑い季節だからなあ」

「二日も歩き通しでは疲れもたまろうというもの」

 ここまで推理すれば(推理になってるのかは微妙だが)、答えは自ずと見えてくる。彼女たちは水浴びに行ったのだ。

 顔を見合わせる男どもに、アルツが割って入る。

『さあさあさあ、いかがいたしますか!?』

 書き殴りの羊皮紙を突きつけ、ほっかぶり越しに凄む。

 彼らに与えられた選択肢は以下の三種類である。


・こっそり覗く

・うっかり覗く

・じっくり覗く


 覗くしかないんかい!? と突っ込むヘレネはここにはいない。

 この中では唯一の良識人であるレインも、今は睡眠中だし。

「ま、まあ、お約束じゃあ仕方ないよな」

「そうそう。ここはうっかり覗いてしまったという展開にしておけば、お客様方も納得してくれるに違いない」

 お客様って誰やねん!?と突っ込むヘレネはここにはいない。残念ながら。


「わあ、冷たくて気持ちいい」

 膝までつかり肩に水をかけ、ほうっとヘレネはため息をついた。

 実に三日ぶりの水浴びである。

 夜鳥と蛙の鳴き声が、静かにあたりに響いている。風はほとんど吹いていないが、冷たい湖水が疲れた身体を癒してくれる。

 星明かりのみという暗い夜空の元、ヘレネ・レイコ・コロンの三人は、宿場から少し歩いたところにある湖で水浴びをしていた。

 ほとんど真っ暗だが、目が慣れてくれば周囲が全く把握できないわけでもない。星明かりというのも意外に馬鹿にできないものだな、とヘレネは思った。

 見上げると、吸い込まれそうな星空が広がっている。南西から北東に向かって、ぼんやりとした光の帯が走って見える。あれは天の川だ。

 そういえば伝説では、遙か昔に神族があの天空からこの世界へ降りてきたという。神族が住んでいたというあの空は、どういう世界なのだろう?

「それにしても真っ暗でわかりづらいったらありゃしない。明かりのひとつくらいないのかね?」

 なんとなく雄大な感動に包まれていたヘレネだが、コロンの不満そうなだみ声に、現実に引き戻された。

「ん? じゃあ、明かりの魔法でも」

「おやめなさい! また暴走させたいんですの?」

 うろ覚えの魔法を唱えようとしたヘレネを、レイコが叩いて止めさせた。

「そもそも、明かりなど無い方がヘレネさんの貧相な身体が露呈されることもなくてよろしいんじゃなくて。おほほほほ」

 ムッとなってヘレネはレイコをにらみつけた。もちろんこの暗さではわかるはずもなかろうが。

「レイコさんのほうこそ、人のことを言えるようなスタイルなのかしら?」

「ほほほほほ。なにかほざいてる小娘がいますわ。少なくとも、いつも貧相な服装の小娘が貧相なスタイルだというのは見ればわかろうというもの」

 言い返そうとするヘレネに、レイコはくるりと背を向ける。

「ああ、レイン様となら裸のおつきあいをしてもよろしかったのに」

 星空を照り返したかのような瞳で、レイコが両手を握ってさも清純そうにとんでもないことを口走る。

「レインにだって、好みっつーもんがあるわよ」

 ぼそりとしたヘレネのツッコミに、レイコは過敏に反応した。

「んまあ! ならヘレネさん、あなたのような貧弱貧相な貧女が好みだとでも?」

「誰が貧女よ!?」

「やーれやれ、子供が二人くだらないことでいがみ合ってるねえ」

 あほらしいとばかりに、コロンがため息をついた。

「それよりもあんた達、まだ気づかないのかい?」

「?」

 口論を止めて不思議そうに見つめる二人に、なにもないはずの闇に向かってコロンは不敵に言った。

「不埒な馬鹿どもが、のぞきに来てるんだよ」


(うおおっ、いきなりばれちまったぞチルダの兄貴!)

(馬鹿、声を出すな! 暗いんだから、あそこからじゃわかるはずがない)

(うむ。あれは悪人特有のハッタリと、我が正義の予感が告げている!)

 茂みに隠れてひそひそささやきあう男ども。アルツはささやき声でも人並み以上のボリュームがあるので、うんうんうなずいているだけだが。

「な、な~ご」

 声色を変えて、チルダが鳴いた。

 しかし、この暗さと距離からでもわかるほどに、コロンは激しく肩をすくめた。

 なにかをヘレネへ告げる。

「え、いいの?」

「いいからやっちまいな」

「ちょ、ちょっとそれはあまりにも……」

 レイコが止めようとするが、ヘレネはかまわず呪文を唱え始めた。

蛍舞踊淡光フェアリー・ライト!」

 かっ!

 魔法名とは似ても似つかぬ激しい発光が一瞬、ヘレネ達を含む全員の目をくらませた。

 本来ならこの魔法は、手のひらサイズの光の固まりが数個、妖精のようにたゆたいながらあたりに優しいあかりをもたらすというものである。

 しかしヘレネが起こしたこの魔法は、緑やらオレンジやら紫やらけばけばしくどぎつい光をそこら中にまき散らしていた。なんか夜空にはオーロラも発生したようだ。

「あー、まー、なんていうか……」

「やっぱり失敗しましたわね。さすがはヘレネさんというかなんというか」

「ううう、少なくとも破滅的展開にはならなかったんだから大目に見てよう」

 泣きそうというか悔しそうというか、ヘレネはなんとも惨めそうに言い返すのがやっとだった。

 麻痺した視神経がようやく回復してきたか、男どもは目をしばたたかせながらこちらに目を向けた。

 そして愕然とした。

「おや、どうしたんだい? 年頃の娘が三人水浴びにいそしむ場面なんて滅多に見られるもんじゃないよ? もっと喜んだらどうだい?」

 冷ややかに、コロンは笑った。

「み、水着……?」

 かろうじて聞こえたこの声は、男どもの中の誰のものなのか。

 ヘレネ達三人は、水着を着用していたのだ。

 当然といえば当然である。誰が覗かれるとわかってて、素っ裸で水浴びをするものか。三日前、旅路を検討していたヘレネはこの湖の存在を知り、急いで水着を用意したのである。

 ヘレネのは背中側が大きく開かれているが、オーソドックスなデザインの白い水着。レイコのはセパレートスカートのついた、上下の青いビキニ。コロンのは、黒い見事なハイレグ水着である。

「レイコさんとコロンさんも用意していたのは意外だったけど」

「あーら、水着を常備しておくことくらい、乙女の常識ですわ」

「まあそういうことさね」

 そ、そういうものなの? ツッコミかけたその言葉をヘレネは飲み込んだ。

 声も出せない男どもを一瞥し、レインがいないことに少し安心した。

「ああ、レイン様になら覗かれてもわたくし本望というもの」

 レイコのいつものたわごとはともかくとして。

「そのレイン様がいないばかりか、こんなゲスどもに覗かれていたなど、わたくしとてもとても耐えられませんわ」

 レイコはキッとした視線を野郎どもへ送った。

 握り拳をぱきぱき鳴らしながら、コロンがすごむ。恐怖ですくんだか、男どもは身動きできない様子だった。

「わかってるだろう? これは『お約束』なんだから、みっちりと懲らしめてやらないとねえ」

「違う! 俺が求めた『お約束』はこんなんじゃないいいぃぃぃ!」

 汗と涙と鼻汁をまき散らしながら、チルダがぶんぶんと首を振る。

「問答無用!」

 浮き足だって今にも逃げ出そうとする連中に、アスタリスクが剛胆に言い放った。

「落ち着け皆の者! こういうときこそ前向きに物事をとらえるのだ」

「というと?」

「我々は罪ゆえに逃げるのではない。これは追いかけっこなのだ!」

「なるほど! 『あはは、待て待て~』『はっはっは、つかまえてごらん』のアレだな!」

「うむ! 海辺かお花畑ならベストなのだが、この際水辺でもかまわぬだろう。それではゆくぞ!」

「おう! はっはっは、つかまえてごら……」

 突如、湖をたゆたっていた光の玉が、意志を持ったかのように男どもに突進してきた。

「な、なんだこれは!?」

 実体のない光っているだけのはずのその玉は、彼らを一カ所に押し戻してしまった。

「でかしましたわヘレネさん。ごくごくまれには役に立つ魔法も使うのですね」

「いや、今のはあたしじゃ……」

 言いかけて、ヘレネは言葉をつぐんだ。もともと暴走魔法である。こういう暴走の仕方もありなのかな、と。

 ヘレネ達は折り重なった男どもの前に立ちはだかった。光の玉はその周囲を取り巻き、そのけばけばしい光源がなかなかの迫力を醸し出している。

「姉の裸を覗こうなんていう不埒な弟には鉄拳制裁が必要だね!」

 野獣の笑みでコロンがこぶしを握るが、チルダは最後の気力を振り絞った。

「姉貴! はっきり言うが、俺は姉貴の裸なんぞアウト・オブ・眼中! 俺が見たかったのはもっと若くてもっとぴちぴちとした……」

「あーはっはっは! それはそれで腹が立つねえ!」

「うぎゃああぁぁ! おーたーすーけー!」

 もちろんその最後の気力は何の意味もなかったが。合掌。

 ぼかすかぼかすかと原型を崩していくチルダを横目に、アルツも負けてはいられなかった。

「お嬢様。無礼を承知で、お嬢様には進言しなければならぬことがございます」

 落ち着きを取り戻し、アルツは言った。

「栄養バランスを常に心がけた食事をしないと、すぐにスタイルに影響が出ます。それともっとエクササイズを。ジョギングやダンスなどで引き締まるべきところをしっかりと引き締め……」

「減給三ヶ月」

 冷ややかなレイコの言葉に、夜の静寂が取り戻された。

「よくもまあそんな宿場まで届きそうな大声で、べらべらべらべらと言えたものですわね。減給といわずいっそ解雇すべきかもしれませんわね」

「ひいい! おーゆーるーしーをー!」

 すっとんきょうな叫び声がこだまする中、残る二人はなんとか起きあがってさらなる逃亡を試みていた。しかしこれにはヘレネが立ちはだかった。

 息をのんで立ち止まるアスタリスク&ハイフン。

 この毒々しい光源の元でも、ヘレネは美しく見えた。白い水着だから、光に合わせて虹色に輝いて見える。そして彼女のしっとりと濡れた空色の髪から照り返される光は、後光が差しているようにも思えた。

 だが……。きわめてまじめに、むしろ悲しみすら携えてアスタリスクは首を振った。

「美しき乙女よ。あなたはたったひとつだけ過ち(ミス)を犯した」

 力一杯こぶしを握り、彼は言った。

「白い水着なのに、透けないのは反則というもの!」

「知ったことかあああぁぁぁ!」

 ツッコミモード時のヘレネは、一流の戦士にも匹敵する戦闘能力を発揮する。二メートル近いアスタリスクの顔面に見事な空中双脚蹴り(ドロップ・キック)がたたき込まれた。

「乙女よ、あなたはチラリズムというモノをわかっていない!」

「わかってたまるかあああぁぁぁ」

 もんどり打って倒れたアスタリスクに、どかばきどかばきと連続コンボがたたき込まれた。

「ヘレネちゃんは俺を見くびっているんだな」

 ノックアウトされたライバルを一笑に付し、ハイフンもヘレネに対抗する。

「どういうこと?」

「俺の想像力を持ってすればそんな水着、透かして見ることなど造作も無し!」

「一生夢の世界で生きてちょうだい!」

 背後から見事にハイフンの首を極める。並の人間なら首の骨が折れたろうが、そこはハイフンなので持ちこたえた。

「けどヘレネちゃんのその水着は、それはそれでそそる……」

 どこまでもな変態に、ヘレネは容赦なく腕に力を込める。

 ごきりと嫌な音を立て、そしてハイフンは失神した。


 …………。


「おーたーすーけー!」

「満潮になったら沈んでしまいますがなああぁぁ!」

 こんな小さな湖に満潮も干潮もないってば。

 水辺に頭だけ残して埋められた男どもの叫びを耳に、ヘレネ達は宿場へ引き返した。

 湖に残されたのは、四人の変態どもとそのすすり泣く声。そのほかに、二つの人影があった。

 この夜闇の中では、彼らにはその姿は見えないし、見えたところで救世主と期待することはかなわなかった。

 彼らには届かない程度の小声で、小さな人影のひとつは言った。

「ヘレネちゃんの力を持ってしても、お母様を直接召喚することはかなわなかったみたいなの」

「なー」

「けどそれは、おっきいお姉様も予測していたみたいなの。重要なのは、明王エルミタージュお母様の力の一端だけでも、ヘレネちゃんが召喚したことなの。これでお母様達が無事なことは証明されたの」

「なー」

「わたしはヘレネちゃんの観察を続けるから、ヴィーナちゃんにはおっきいお姉様に報告をしてきてほしいの」

「なー……」

「そ、そんな嫌そうな顔をしないでほしいの。仕方ないからわたしが報告に行くの」

「なー!」

 人影──風神ジーナと雷神ヴィーナ──のうちのひとつ、舌っ足らずな口調の少女は、髪の色以外はうり二つの少女を残し、夜闇に消える。去り際に、いたずらっぽい笑いと言葉をひとつ残して。

「けど、光の玉を操るのはちょっぴりおもしろかったの~」


         *


 夏も盛りを過ぎつつあるが、朝はまだまだ早い。黄色い太陽が、宿場をくまなく照りつける。

 翌朝。

 微妙に寝不足の目をこすり、ヘレネは旅路の再開間際からぼやいた。

「あーもう、昨日はひどい目にあったわ」

「あの、それはこっちの台詞……」

 男どもの消え入りそうな声も、ヘレネの刺すような視線で完全に沈黙した。

 彼らは明け方、たまたま釣りに来た地元の人に助けられたらしい。あのまま見捨てたかったのだが、救助されては仕方がない。

 ヘレネは顔をはたき、眠気覚ましと共に気合いを入れる。

 そうだ。この憂鬱な気分も、今日でお別れとなるのだ。(たぶん)

 魔王宮殿でエリクサーさえ手に入れれば、このうっとうしい連中につきまとわれることもなくなるのだから。(たぶん)

 宿場から街道に出ると、今度は下り坂になっている。ジュランダ山の中腹を回り込むように、街道は走っている。

 ここを少し歩き南へはずれれば、目的地の魔王宮殿となる。

 ちなみにここからは、下方に広大な樹海が広がっているのがわかる。人の進入を拒むような密林。あの奥に魔王宮殿があるはずだ。

「さああと少し。気合い入れていくわよ!」

「お~……」

 テンションを高めるヘレネに対し、男どもは昨夜のお仕置きもあってかすこぶるテンションが低い。レイコとコロンは「はいはい」といった調子、レインはいつも通りのマイペースではあるが。

 と、レインがヘレネに声をかけた。

「ヘレネ、こんなところに馬がいるよ」

「見りゃわかるわよ」

「レイン様の素晴らしいご指摘になんてぞんざいな!」

 いつもの口論はさておき、一行の行く手を阻むように、確かに白い馬がたたずんでいた。

 いや、阻むというよりは、彼女たちが来るのを待ちかまえていたかのようだ。

 なめらかなラインが見事な、真っ白な馬。たてがみは輝くような金色きんいろで、優しげにヘレネを見つめる瞳も金色だ。

 どこかで見たような気がする。ヘレネは奇妙な既視感デジャブを覚えていた。

「これは……馬ではなくて一角獣ユニコーンのようですわね」

 優雅な馬体をまじまじと見つめ、レイコが言った。

 言われて見ると、確かに馬の額に角がある。長さは三〇センチほどもあるだろうか。螺旋状に伸びている。

 ぶるる、と鼻を鳴らし、ユニコーンはヘレネの頬をぺろんとなめた。人なつこい馬である。

 ヘレネは特別動物好きなわけではないが、なつかれる分にはもちろんうれしい。そういえば前にも、ネコのような兎のような動物になつかれたっけ。と、そこまで考え、

 まさか、この子も──?

 考えを遮るように、ユニコーンはこうべを垂れた。

 背に乗れと言ってるようだ。

 乗ろうかどうしようか考えあぐねていると、ユニコーンはその長い角をヘレネの股ぐらに差し入れ、

「うきゃあ!?」

 そのまま無理矢理背に乗せる! そして一直線に走り出した。

「ヘレネ!」

「ヘレネさんお達者で~。さあ、わたくしたちは愛の逃避行へ!」

「ちょっと待てえええぇぇぇ!」

「乙女をかどわかす悪しき獣め! 成敗してくれる!」

「なあ姉ちゃん。こういうとき悪人たる俺たちはどうすればいいのかな?」

「おもしろそうだから追いかける!」

「合点承知!」

「ヘレネちゃん好っきじゃあああぁぁぁ!」

 なんかみんな好き勝手なことを叫びながら、その声がだんだんと遠ざかっていくのをヘレネは感じていた。


 …………。

 少し気が遠くなっていたらしい。気がつくと、薄暗い森の中にヘレネはいた。木の幹によりかかるような格好で、頭を振って意識をはっきりさせる。

 どのくらい気を失っていたのだろう? 見上げると、枝葉の間からかすかに日が差し込んできているのがわかる。太陽の高さからして、正午近いだろうか。

「ヘレネ、よかった。そこにいたんだ」

「ちっ。せっかくレイン様とラブラブでしたのに」

「ヘレネちゃん好っきじゃぼぶえっ!」

 ひょいとかわし、突進してきて木に体当たりして沈黙したハイフンはさておき、レインたち旅の一行も遅れてやってきた。どうやら行方不明者は出ずにすんだようだ。

「あんた達はどうやってここへ?」

「うん。あのあと、この前のペガサスが現れて、僕たちをここまで運んでくれたんだ」

 言われてヘレネは思い出した。

 さっきのユニコーンは、先日のペガサスとそっくりだったのだ。

「どうやらみんなそろったようね」

 その声に、ヘレネは硬直した。

 あまりにもなじみのある、しかしここにいるのは不自然なはずの声。ハスキーだが、若さも秘めた綺麗な声。

 振り返ると、まずは森林と一体になったかのような大きな建物が目に入った。大理石で作られているようだが、あちこち崩れている。

 ここは、魔王宮殿の入り口だ。あちこち壊れていてどこからでも進入できそうなのであまり意味はないが、五つの人影が入り口に立ちはだかっていた。

 そのうちの三つに見覚えがあった。一〇歳くらいの可愛らしい少女と、ヘレネと同い年くらいの小柄な銀髪の少女。クーマの館でも見せたいたずらっぽいほほえみを、その少女はもう一度ヘレネへ向ける。

「ご紹介いたしますの。まずはわたしが、魔王コスミックが娘、風神ジーナなの」

 ジーナは軽く会釈をし、今度は両隣に控える少女を紹介する。

「こちらが、界王シフォンが娘、水神ニーナなの」

「にー!」

 名を呼ばれたニーナは、元気よく鳴いた。女の子の姿をしているが、動物の鳴き声だ。

 ジーナは反対側に立つ少女の肩を軽く抱き、

「こちらが、覇王カルミアが娘、雷神ヴィーナなの」

「なー」

 恥ずかしげに、ヴィーナが鳴いた。

 ヴィーナは、ジーナと双子のようによく似ていた。違いといえば、ジーナの銀髪に対し、ヴィーナは金髪。瞳も髪と同じ金色だ。

 この特徴を見て気がついた。さっきのユニコーンは、この子だ。

 事態がよく飲み込めないまま、紹介は続く。端に控えた、長身の女性が一歩前へ出た。

「あたいが、明王エルミタージュが娘、火神ターナ」

 ふん、と鼻を鳴らし、すぐに元の位置へ下がる。

 この名前とぶっきらぼうな声にも覚えがあった。大学図書館へ行ったとき、コロンに乗り移って襲ってきた女だ。禁呪で撃退したとき、フェニックスになって逃げていったっけ。

 そして、最後の一人がヘレネの前へ立った。

 きらめく薄紫色の髪。ややきつい面差しの美女だが、その瞳はむしろうら若き少女を思わせる。

 治療院で何度も見た、忘れようのない整った顔立ち。一度ヘレネの体質に引っかかって、襲われそうになったこともあったっけ。

 しかし彼女の着ている服は、神族がまとうべき衣装。ゆったりとした暖かそうな服。アルマフレア国民の正装ではあるが、藪も混じるこの密林には合わないいでたち。

「そして、あたしが冥王レニングラードが娘、地神カーナ。この姿では初めましてね、ヘレネちゃん」

 カーナはヘレネに、にこりと挨拶をした。


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