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4:人生懸けた恋をする

 ここウィンネル白王国が誇る王立教育機関、その名もツァンベルグ学園は、十三歳以降の子供らが通う五年制の学府である。


 生徒の大半は貴族子女であり、彼らはある種権力構造の縮図とも言えるこの場所で、一般教養やマナー、剣術武術などの他、貴婦人としての生活態度や嫁入りした後の家政の仕切り方、サロンの開き方なども学習することになる。

 また学科は充実しており、幅広い職種への門戸が開かれているようだ。

 職業訓練所も兼ねており、成績優秀者には希望進路先への推薦も行われるので、自力で身を立てねばならない下級貴族の次男以降などには有り難い。


 一方、利用人数こそ少ないが、庶民枠というものもある。

 学費は貴族のそれより大分割引されているが、やはり平均的な一般家庭には荷が重い程度。

 ただし試験の成績を加味して奨学金が出るし、やはり卒業後の進路が保証されていることも手伝って、ここ最近はほぼ毎年、庶民枠の新入生が入ってきているようだった。


 この学園において、在学中は基本的に生徒全員が寮生活を義務付けられている。

 それでも、長期休暇の期間ともなれば大半の生徒は実家に帰省し、広大な寮は火が消えたように人けがなくなる。

 ごく一部に帰省を行わない者もおり、五学年合わせて五十人にも届かない人数の居残り組が、毎年ひっそりと寮を占拠していた。


 居残りの理由は様々だ。

 領地の都合。家の都合。補習で致し方なくという者もいれば、やりかけの研究を心置きなく進めるためという熱心な学徒もいる。


 長期休暇中は食堂が閉鎖されている代わり、寮に備え付けられたキッチンは変わらず利用することが出来るし、外出制限の類も一気に緩和されるため、殊更不便を感じる者は少ない。

 むしろ、王都の何処より閑散とするこの時期の学園を居心地良しとし、研究に打ち込もうという人間は、毎年欠けることなく存在していた。


 ――そんな熱心な研究オタクの一人。


 入学以来毎年居残り組の名簿に名を連ね、口うるさい教師や学友の目がないのを良いことに、寝食すら疎かにしながら趣味に没頭する青年――その彼に与えられた個人研究室の中で、カトリーナ・メルインは今、目一杯の緊張に手を震わせながら着席していた。


 顔こそ優雅に微笑んではいるが、その実内心はガッチガチに固まっている。

 それも無理はないだろう。

 何せ現在彼女の前にいるのは、一月振りに顔を合わせる相手。彼女が熱烈に恋い焦がれてやまない、美貌の婚約者(仮)に他ならぬのだから。


「――カトリーナ、そこの青い壷を取ってくれるかい」

「は、はいっ!」


 淡々と冷静な声で言われて、カトリーナは机に無造作に置かれていた小壷を素早く差し出した。

 詰まっていたシナモンスティックが、細い指によってティーポットに放り込まれる。研究中に煙草かコーヒーを嗜むような感覚でシナモンスティックを齧る習慣は、今も続いているようだと思考した。


 自ら茶を淹れる機会など決して多くはなかろうに、所作の美しさ故だろうか、ティーポットに蓋をする手付きすら恐ろしいほど優雅である。

 物憂げに細められた瞳は、冷ややかな輝きを閉じ込めた藍方石(アウイナイト)。癖のない長い銀髪が冷涼とした時雨のように流れ、極上の彫刻の如き美貌に陰影を作っていた。


 イルデガルナ侯爵家次男、フリードリヒ・イルデガルナ。

 近く四年生に進級するその人は、作り物じみた無感動な顔をゆるりと自らの婚約者に向け、ティーカップを差し出した。


「はい」

「ありがとうございます、フリードリヒ様。あの、ティーセットを新調されたのですね」

「この間来た兄上が、きみといる時に使うようにと持ってきてくれたんだ」


 金で縁取りをされた上品な青地のティーポットと、二つで一組らしきカップは、フリードリヒの持ち物の中では見たことがないものだ。

 突き抜けた考古学オタクであり、出不精でもある彼がわざわざ茶器など購入しに出かけて行く姿が想像できずに問いかければ、何やら予想外の返答が返ってきて、カトリーナは一拍置いてぽっと頬を赤くした。


「……あ、ありがとうございます。嬉しいですわ」

「そう?」


 たとえ購入者がフリードリヒ当人ではなくその兄だとしても、使用人すら常駐させるのを嫌がるフリードリヒのテリトリーにカトリーナのための物が置かれたことは破格の待遇と言って良い。

 揃いのそれを素直に使ってくれたのが嬉しくて唇を綻ばせるカトリーナに、フリードリヒは無表情で相槌を打った。


「フリードリヒ様は、わたくしが来る前にこのセットをお使いになられたことはありますか?」

「わたしは使っていないよ。君と一緒に、と兄上が言っていたから」

「そうですか。……ふふ、そのことも、とても嬉しいですわ」

「気に入ったなら持って帰るかい? その方が、きみの好きな時に使えると思うけれど」

「いいえ! その、出来ればこのまま、フリードリヒ様のお部屋に置いて頂きたいんですの」

「別に良いよ。これくらいなら大した邪魔にはならない」


 青い貴石のようなフリードリヒの双眸は、その性質すら温度のない貴石に似て、真っ向映すカトリーナの姿にも溶ける気配など微塵も見せない。

 愛想も素っ気もない淡々とした語調だが、久し振りに現れた婚約者の姿を見て研究の手を止め、茶を淹れてくれただけでも僥倖だと、カトリーナは知っていた。


 場合によっては入室にすら気付いてもらえず、フリードリヒの横顔をじっくりとガン見した後、差し入れを置いて黙って出て行くことすらあるのだ。

 それを思えば、今回は目を見て会話が出来ただけでも嬉しい。逆にカトリーナがそう考えられるような人間でなければ、これほど長く傍に張り付き、またそれをフリードリヒ自身にも許容される立場になどなれなかっただろう。


 ――ストイックと言えば聞こえは良いが、要するにフリードリヒ・イルデガルナとは、己自身を含む人間の感情に関して非常に疎いたちの青年だった。


 無数の書籍と資料に埋め尽くされ、一般人には使い方も分からない道具で満ち溢れた研究室に、たった一人引きこもって研究を続ける、変わり者の才人。

 時に複数の研究室と共同研究をすることもあるが、基本的に彼は一人で黙々と研究に打ち込むことを好む。


 考古学分野で確かな実績を残し、学術的価値のある発表を幾つもしている彼に与えられる研究費は潤沢のようで、既に彼は実家の援助がなくても困らない程度の資金を手に入れているようだった。

 それが巡って更に彼が引きこもる原因となり、変わり者の噂に拍車をかける。


(そう言えば、初めて会った時も、この人は今と同じようなシナモンの香りを漂わせていましたわ)


 人を呼ぶのを面倒がって自分でやる方を好むからか、こくりと飲み下した紅茶はそこそこに美味しかった。


 金色の睫を瞬かせ、カトリーナは何となく、初めて彼と引き合わせられた日のことを思い出していた。




※※※




 カトリーナ・メルインという名の少女が前世の記憶を思い出したのは、彼女が七歳の時、遊び相手としてアデル・ヴォルザーグを紹介された瞬間のことだった。


 記憶と言っても、前世の自分の顔も名前も、死んだ年齢も分からない。

 逆にある程度はっきりしているのは、前世で密接に触れていた文化や文明、娯楽の類いだ。

 この世界を舞台にした乙女ゲーム――『君と紡ぐ白の歌』と呼ばれる物語の内容も、そんな記憶の中に存在していた。


 とは言え、そのゲームの内容を全て明確に覚えているかと言われれば、答えは否である。

 要所要所の場面が写真のように切り取られ、漠然としたストーリーは細かい所がぶち切れていて、記憶の海から掬い上げようにも触れることすらままならない。


 混乱して棒立ちになるカトリーナを余所に大人たちが部屋を出て行ってしまって、カトリーナはようやく、目の前に残された黒髪に赤銅色の瞳の少年が、「物語」の中にいる攻略対象の一人であることに気付いた。


 次いで悟るもう一人の登場人物――悪役令嬢カトリーナ・メルイン。

 人並み外れた美貌の婚約者に熱を上げ、公式主人公を含む恋敵たち相手に悪辣な嫌がらせを働いた挙げ句に、学園から退学処分を受け社交界からは締め出され、実家の領地にひっそり引きこもって余生を送ることを余儀なくされる、考え足らずの我が儘令嬢。


 そんな当て馬こそが現在の己の立場なのだと思い至った瞬間、目一杯デッサンの崩れた顔で愕然とした奇声を上げてしまい、じぃっとカトリーナの様子を観察していたアデルの興味を本格的に引いてしまったのは、あまり思い出したくない黒歴史だ。


 なし崩しに「物語」の情報を聞き出され、「なんか面白そうな令嬢」と判断されてしまった末、彼とは今もこうして幼馴染付き合いをしている。


 その一方で、「物語」の知識を手に入れたカトリーナが最も警戒した相手こそが、他ならぬ公式主人公とフリードリヒ・イルデガルナだった。


 前者は言わずもがな、世界によって幸福と繁栄を約束された、生ける敗北フラグとして。

 そして後者は、カトリーナの破滅を告げる開幕ブザーとして。


 幸い「物語」の記憶を取り戻すと同時に、カトリーナは前世の価値観や倫理観も一部取り戻していた。

「正史」のカトリーナは、庶民でありながら高位の貴族子息と次々関わりを持っていく主人公が大嫌いであったようだが、今のカトリーナは別段そんなことに目くじらを立てるような性格ではない。

 世界の修正力、なんて反則的な超常パワーでも干渉してこない限りは、カトリーナが「物語」のようにアデルを虐げることもなければ、主人公に対して悪辣な排斥行為をすることもないだろう。

 敵を作らず、人当たり良く、平穏に学生生活をやり過ごせば、ぼっち人生エンドは避けられる。


 次にフリードリヒ・イルデガルナについて。これは単純に、カトリーナが彼に恋をしなければ済む話だった。


 フリードリヒは、イルデガルナ侯爵家次男という攻略対象中トップの地位と、同じくトップの攻略難易度を誇るキャラクターだ。

 何せこの青年、徹頭徹尾他人に興味がないのである。

 あらゆる分野の試験において事も無げに最高点数を叩き出しながら、その実私生活では実家にも娯楽にも女にも男にも寝食にすら興味がなく、愛するものはただひたすら考古学。

 割合鷹揚な実家の許しと図抜けた才覚とを良いことに、暇さえあれば研究室に引きこもり、一歩間違えば社会不適合者の烙印を押されかねない生活を嬉々として行う、無表情無感動のド変人なのだ。


 言うなれば、難攻不落のハイスペック駄目人間。

 攻略方法を思い出せないカトリーナにとっては、ゲームに登場した主人公が本当に彼を落とせたのかすら疑問に思うレベルである。て言うか、一体どんな展開があればあんなキャラの好感度が上がるんだ。密林の古代遺跡で冒険活劇でもやらかすのか?


 ――けれど、逆に言えば。

 そんなフリードリヒであるからこそ、こと婚約者の件に関してだけは、カトリーナは特に不安を抱いてはいなかった。


 だってそうだろう。嫉妬に狂って他者を攻撃するなんて、少なくともカトリーナがフリードリヒに対して恋や愛に属する感情を持っていないと起こり得ないのである。

 ゲームとしてならともかく、フリードリヒの人格は全くカトリーナの好みではない。


 故に、望むものは堅実な人生と自負する、全ネタバレ済みの新生カトリーナが、この期に及んでフリードリヒ相手に恋に落ちるなんて、まさかあるわけがないのである――――


 ――――なんて思ったこと自体がどでかいフラグだったなんて、さて、一体誰に聞けば忠告してくれたというのだろうか。


 アデルと出会い記憶を取り戻してから三年の時が経ち、いよいよその日はやって来た。


 メルイン・イルデガルナ両家の意向で行われる、カトリーナとフリードリヒの見合い。

 目的は、メルインの一人娘であるカトリーナの婿として、将来フリードリヒを迎え入れるためのもの――と銘打ってはいるが、何やら複雑な御家の問題が多分に絡んでいるようだ。


 どうあれ、一応正式な婚約ではなく(仮)が付くことは父に明言されているので、カトリーナとしては取り敢えず会って婚約の契約を結び、後は「御家の問題」が片付いて契約破棄が行われる日まで、相手に近付いていかなければそれで済む話だろう。


 大丈夫だとは思うけど一応気を付けろよ、と案じるアデルに「なあに、すぐ戻りますわ」と分かりやすいフラグを立てておいて、父に連れられて向かったイルデガルナの館にて、さあ来いやと言わんばかりに見合い相手の顔を一目見たその瞬間――カトリーナの頭から全てが吹き飛んだ。


 メルイン父子を迎えるために立ち上がったイルデガルナ当主の向こう、ひっそりと椅子に座していたのは、光の粒でも飛んでいないのがおかしいとすら思えるほどの、とんでもない美少年だった。


 雪の精霊のように白い肌、顎の長さで綺麗に切り揃えた輝く銀髪。

 藍方石(アウイナイト)のように澄んだ双眸は儚げな愁いを湛え、幼少期の少年特有の中性的で危うい美貌に、長く艶やかな睫毛がひっそりと影を落としている。


 人形のように大人しくしている彼は、ほんのりと淡いシナモンの香りを纏っていた。

 甘さと辛さが入り混じったような、少しだけ刺激的な独特の香り。まるで彼の周りだけ世界が違うように、彼の姿だけがくっきりと浮き上がって見える。


 色褪せた写真のようなカットの形でしか記憶に存在しなかったフリードリヒの姿が、光り輝かんばかりに色鮮やかな現実のフリードリヒに片っ端から置き換えられていった。

 その声が聞きたい。宝石のような目に映して欲しい。その表情を沈ませる愁いの正体が知りたい。

 そんな感情が一瞬にしてカトリーナを支配して、滝壺に流れ落ちる水のように彼女の全てを叩き落とした。


 ――見事な運命の一目惚れ(フォーリン・ラブ)であった。


 のちに、当時十一歳のフリードリヒが湛えていた愁いの正体が、別に崇高な哲学の命題とかきたる婚約への不安とかではなく、単にこれから見合いがあるからと父に取り上げられた考古学の本に栞を挟めなかったことにしょんぼりしていただけだと判明するのだが、そんなことでカトリーナの恋は色褪せなかった。


 その後両家揃ってしばらく茶会をし、カトリーナはほんのりと漂っていたシナモンの香りが、フリードリヒが好む紅茶に起因するらしいことを知った。

 カトリーナとフリードリヒも大人たちのリードのもとそこそこの会話をして、暫定的な婚約が恙無く成立。

 そうして父と共に帰宅し、翌日ノコノコとやって来たアデルの顔を見るや否や、カトリーナは最も親しき仲たる幼馴染に向かって、己が恋に落ちたことを高らかに宣言した。


 あの時のアデルの度肝を抜かれた顔を、カトリーナは今でも忘れていない。多分、あと十年くらい経っても忘れないと思う。


 唖然と目をかっ開いた間抜け顔で、反射的に「いや無理だろ」と抜かしたアデルを取り敢えず一発ひっぱたいてから、カトリーナは早速己の初恋を成就させるための行動に移った。


 メルイン家を継いだ後に必要な実務の勉強に始まり、たとえ王宮に上がっても恥ずかしくないほどの礼儀作法、最低限フリードリヒとの会話に付いていけるレベルの考古学知識。また、将来はハイレベルな金髪美女に成長できることが分かっていたので、フリードリヒの隣に並んでも見劣りしないよう、持ち前の容姿を磨く努力も惜しまない。


 更にカトリーナが腐心したのは、いずれ確実に湧いてくるだろう恋敵たちを排除する方法だった。

「正史」のように悪辣な手段を取るのは、手っ取り早いが明らかに悪手だ。発覚したが最後身の破滅だし、何より前世の倫理観や、頭を過るフリードリヒの眼差しがそれを許さない。

 ならば一体どうすれば良いか――考えた末に彼女が出した答えは、まさに五年後の今が示しているだろう。


 ――そういうわけで、現在十五歳となったカトリーナの周りは、今や手の届かない高嶺の花などそっちのけで、愛する連れ合いと未来を囁き合う桃色カップル共で満ち溢れていた。


 真面目穏和ツンデレ堅物子犬系、ふんわりお花ちゃんに派手め美人に眼鏡委員長に不良にオトメンに男前女子、インテリ気弱平凡アンニュイ健気野生派幼馴染女王様エトセトラエトセトラ。

 通う人数と家格の種類が多いだけあって各種タイプ取り揃った学園生徒たちを片っ端からピックアップし、カトリーナは前世で接していた小説漫画ドラマやゲームなどを参考に、相性の良さそうな相手を次々出会わせていった。


 時には少々強引に「運命の出会い」を演出し、お約束の嫉妬イベントや好感度アップイベントもこなしながら、着実に若者たちの恋心を育て上げていく。

 勿論『処理』しなければならない人数はひたすら多かったが、ある程度想いが育てば後は彼らが勝手に話を進めてくれるし、時には恋の弓矢を連射しているカトリーナの存在を知って、「何でもするから気になるあの子との仲を取り持ってください」なんぞと祈り(と、貢物)を捧げてくる生徒までいた。

 アデルを筆頭に面白がって暗躍する側に回ってくれる者たちも存在したお陰で、数多の令嬢令息たちは無事に恋人を手に入れて、今やこの一年間は「恋の女神が微笑んだ年」とまで言われているのだ。


 あっちでイチャイチャ、こっちで婚約発表。

 周りがバカップルだらけになれば、とうに婚約済みだったり恋人や婚約者と疎遠になっていた者たちまでもがだんだん人恋しくなってきて、自分の連れ合いの姿をそわそわ視線で追い始め、最終的には彼らも桃色空気の一員と化す。


 微笑ましいような甘酸っぱい恋愛から大人向けのタグを付けた方が良いようなカップルもいて、正直前世のカトリーナが見たならリア充は滅べと激しく舌打ちしたくなるような光景がそこかしこで繰り広げられているが、成立したカップルの数だけ恋敵が減ると考えれば、カトリーナとて聖女の微笑みで見守ってやろうというものである。


 全ては自分の恋のため、輝かしい未来のため。

 かくして今、カトリーナは、周囲が静かになったことにさえ気付いているのか不明なフリードリヒのもとに、堂々と会いに来ることが出来ている。


「――ところでフリードリヒ様、今日はお土産を持って参りましたの」


 目の前で紅茶を飲んでいる婚約者に微笑みかけ、カトリーナは荷物から幾つもの小包を取り出し始めた。


 包みの大半は、瓶詰のピクルス、砂糖漬けにした大粒の果物、干し肉、堅く焼き上げたビスケットなどの食料品だ。

 それらをずらりと机に並べた後、最後に取り出した布包みを、フリードリヒに丁寧に渡す。


「カトリーナ、これは?」

「先日たまたま手に入った品物ですの。きっとフリードリヒ様なら興味がおありでしょうと思って」


 笑顔で開くよう促され、フリードリヒの手がゆっくりと包みを解いていく。

 間もなく姿を現したそれの正体に、無感動な青の瞳がカッと極限まで見開かれた。


「この独特のデザインは――メルル期の大古墳を守っていた円筒埴輪! 色と質感、罅割れから見える断面を判断するなら、四方を川に囲まれていたアゴマ地域特有の、しかも粘土質の土とワザレ石を多用し焼きと日干しを繰り返すようになったロマ・クロマ時代、その最初期に作られた一品か!」


 手のひらに乗る大きさの土人形を食い入るように見つめ、小刻みに震える手で包み込むフリードリヒの姿は、日頃の淡々とした様子など完全に遠くへ放り投げている。

 白い頬には血が昇り、切れ長の眦が柔らかに緩む。

 感情を窺わせなかった唇が心底嬉しそうな笑みを作って、熱の籠もった吐息を吐き出した。


「ふふふ、お気に召して頂けましたか?」


 満足そうに問いかけたカトリーナに、フリードリヒは少年のように瞳を煌めかせて大きく頷いた。


「勿論だ、ありがとうカトリーナ! 嗚呼、なんて美しい……丸く黒く、無垢でありながらどこか蠱惑的な上目遣いの両目、今にも失われた古代言語を紡ぎ出しそうに愛らしく開かれた口、細くもしっかりとした黄金比に構成され、完璧なバランスの取れた四肢! きみは悠久の時の流れの中、静寂に包まれた古墳の中から一体どれほどの年月を見つめてきたのだろう。この小さな体の中に閉ざされた言葉を一つ残らず拾い上げ、わたしのこの胸に閉ざしてしまいたい。

 語り合おう、美しいきみ。長い長い時間を超えて、きみをこんなにも魅力に溢れた姿のままでわたしの前に連れてきてくれた運命と、その折れざる魂の強靭さに――ただ、心からの感謝を」

「嗚呼、そんなに喜んで頂けるなんて……フリードリヒ様が嬉しいと、わたくしもとても嬉しいですわ」


 実にご満悦の様子でうっとりと蕩けた顔をして埴輪を愛でるフリードリヒを、カトリーナもうっとりと紅潮した顔で観賞した。


 浮き世離れした空気を纏うフリードリヒの姿も好きだが、可愛いなあ、と思うのは、こうして考古学に夢中になっている時の姿だ。

 世俗には何の興味もありませんと言いたげな無表情がガラガラと崩れ、代わりに見せるのは欲しくて仕方なかった玩具を贈られた子供のような笑顔。


 埴輪に魂とかあるのかなんて、そんなことは全く分からないし、正直カトリーナの目には、愛嬌はあるがぽかんと間抜けな顔をした愉快な土人形にしか見えない。

 まあ、フリードリヒの目にはそれ以上に深く壮大な歴史とか物語とか、なんか色々なものが見えているのだろう。

 まるで掌中にあるのがそこそこ固い土人形ではなく可憐な花や繊細な硝子細工でもあるかのように丁寧な仕草で埴輪を撫でくり回すフリードリヒの姿には若干嫉妬を覚えないでもなかったが、流石に無機物に対して本気の憎悪を覚えるのは人間としてのプライドが許さなかったし、フリードリヒの貴重なうっとり顔が見られるのだから、カトリーナとて妥協しよう。


 いくらフリードリヒでも、埴輪相手に本気の恋に落ちるほど人間やめてはいないはずなので、カトリーナは周囲に誰かが潜んでいて、だだ漏れの色気の流れ弾を食らわないかだけ注意していれば良い。

 うっかりいらん敵を増やす危険さえ排除すれば、あとは心置きなく彼の貴重な姿を独り占めできるのだ。

 一方フリードリヒの方は愛する古物を存分に愛でることが出来るのだから、双方大満足で終了するという、まことよく出来た話であった。


 人間の美醜には興味がないが、美しい埴輪には愛を囁く男、フリードリヒ。

 彼は美貌と才能と生まれた家に、果てしなく人生を救われていると思う。


 ――そのまましばらく、フリードリヒの表情を心行くまで観賞した後、カトリーナは名残惜し気に立ち上がった。


 婚約者の邪魔をしないよう、瓶詰の群れを静かに食品棚へと移していく。

 うち幾つかを机の周りに設置しながら、次の訪問はいつにしようかと思考した。


 最後にティーセットの片付けを終えて、彼の姿をよくよく記憶に焼き付けておこうと、そっと婚約者を振り返る。

 相変わらず熱心に埴輪とエア会話をしている様子に、ほっこりと唇を緩ませた。


 顔に惹かれたと、言わば言え。たとえ始まりが顔の皮一枚、究極的にはたかが血肉の集合体にしか過ぎなかろうと、第一印象は須らく顔から始まるものであり、ならば一目惚れの一体何が悪いというのか。


 カトリーナは、フリードリヒを慕っている。


 熱病のようだと、自分でも思う。理想しか知らぬ小娘の、甘やかな夢だと鼻で笑う者もいるだろう。


 けれどそんな人間たちを、自分が優雅に笑って流せることをカトリーナは知っていた。

 如何に美しい顔貌であろうと、それ以外の全てから目を逸らし、人生を注ぎ込めるほど、彼女は非合理的ではない。


 カトリーナは、『処分』してきた令嬢たちの誰よりもしっかりとフリードリヒを観察し、正しく評価している自信がある。

 ハイスペック駄目人間。そんな風にフリードリヒを評して賛同してくれるような令嬢に、彼女はついぞ出会ったことがなかった。


 たとえ始まりが顔一つだろうと、名前を知り、人格を知り、時を重ね経験を重ね、それでもなお相手を美しいと、共に生きていきたいと思うのなら。


 ――それは全く、愛に相違ないのである。



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