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3:幼馴染の誤算

『アデルはわたくしの言うことを聞いていれば良いの!』


 そんな台詞こそが、「正史」における『アデル』と『カトリーナ』の関係を如実に表すものだった。


 家の位階は同じ伯爵位であっても、資産や血筋や職やコネなどの様々な要因を理由として、家格の差というものは厳然として存在する。

 そこにおいてヴォルザーグ家はメルイン家よりほんの少し下位であったし、『アデル』たちが七歳の頃に両家が始めた事業の都合も手伝って、ヴォルザーグの三男である『アデル』はメルインの一人娘である『カトリーナ』に逆らえない立場だった。


 幼いながら敏感にそれを感じ取った『カトリーナ』は、遊び相手として引き合わされた七歳の時から、『アデル』を好き放題に振り回すことになる。


『カトリーナ』は「正史」においても仮婚約者であった『フリードリヒ』に恋い焦がれており、一方で彼女が『アデル』に向けていたのは、歪んだ独占欲と支配欲。


 気付いて止める大人が誰もいなかったせいで見る見るエスカレートした彼女の行動の中には、「幼い子供の我が儘」で済まされないような悪質なものも多々あり、長年の鬱屈を溜め込んだ『アデル』は着実に『カトリーナ』への嫌悪を募らせていった。


 時には人形遊びのように扱われ、パーティには無理やりパートナーとして連れ出され、従者の真似事や、『フリードリヒ』に恋する令嬢たちを排除する手伝いもさせられた。

 入学した学園でまで『カトリーナ』に振り回され、うんざりしていた『アデル』は、彼が三年生になった時、庶民枠で入学してきたとある少女に出会い、惹かれていくことになる。


 しかし、『アデル』が異性の、しかも貴族ですらない一般人と親しくすることなど到底許せなかった『カトリーナ』は、事を知るなり少女を排除するために動き出した。

 その行動を『アデル』が知ってしまったことこそが、『アデル』と『カトリーナ』が袂を分かつ引き金となり、『カトリーナ』が凋落する契機となっていく――――



 ――――のだが。



 幸か不幸かこの世界のカトリーナは、アデルに対して独占欲なんてもの、欠片も抱いてはいなかった。


 確かに「正史」における彼女の人格は、アデルが疎むに値する、まこと傲慢にして利己的なものであったのだろう。

 けれど、こうもさっぱりと「いつわたくしから離れて幸せになっても良いのよ!」と言わんばかりに後押しされると、ちょっとくらい袖を引いてくれてもバチは当たらないんじゃないかと抗議したくもなろうというもので。


 何せ現実のカトリーナと来たら、長年尽くしてきた幼馴染に独占欲を抱くどころか、隙あらば満面の笑顔で嫁をあてがおうとする勢いなのだ。

 親愛と友情と無邪気な好意を向けてくれているのは分かるのだが、正直アデルにとっては全く有り難くなかった。


 策略を遂行する時の計算高さに反して、自分の秘密を知る唯一の共犯者に対する信頼は歪みない。

 初恋を拗らせている自覚はアデル自身にもあるのだが、そんな長年の積み重ねがあるからこそ、今更諦めもつかないのだろう。


 甥っ子に釣書を持ってくる親戚のおばちゃんみたいな真似をするくらいなら、いっそ素直にお前が嫁に来いや、なんぞと叫ぼうものなら、一瞬の躊躇もなく振られることが分かり切っているので、アデルは本日もちまちまと裏工作に励むのだ。




※※※




「――イルデガルナ家が、婚約の申し込みを断った?」


 告げられた情報を復唱して、アデルは眉間に皺を寄せた。


 彼の前に立つ背の低い少年が、アーモンド型をした茶色い双眸をへにゃりと垂れさせて資料を差し出してくる。


 ハルト・エイセンズ。ふわふわしたシェルピンクの短髪と、平均よりも大分小柄な体格を持つ彼は、アデルの乳兄弟にして従者を務める十四歳の少年である。

 やや臆病でウサギじみた愛らしい容姿をしているが、諜報に関してはなかなか腕が良いので、時折ヴォルザーグ家の指示で動いたりもしているようだ。


「は、はい……。ええと、ワイトベリ家のご意向で一度はお見合いが行われたみたいなんですけど、三日もしないうちにイルデガルナ家からお断りの返事が届けられたとかで……」

「随分返事が早いな。最初から断ることを決めていたみたいだ」


 アデルが資料をぱらぱら捲って、顎に軽く手を当てる。


 どうやらイルデガルナ家は、ワイトベリ家との交流自体は続けていくつもりらしい。

 ワイトベリ家が接触を求めてくること、婚約の打診があって、尚且つ自分たちがそれを断ることまで織り込み済みのような素早さに、赤銅色の瞳が細くなった。


(カトリーナとの仮婚約が成ってから五年。一向に話が進まないから、イルデガルナもさしてこの話に積極的ではないのかと思っていたんだが)


 こっそり手を回して、隣国――イェムジード古王国の旧家であるワイトベリ伯爵家を唆し、そこの令嬢とフリードリヒ・イルデガルナを娶せようと目論んだまではアデルの策略。

 けれど、やはりこの件には別の人間も噛んでいたようだと、策を実行中に漠然と感じていた予感の正しさを、アデルはようやく理解する。


「謝絶すると決定したのは誰だ? まさかフリードリヒ殿ご本人か?」

「い、いえ、あの、お兄様の方です」

「ディートリヒ様か……!」


 舌打ちを堪えて頭をかきむしる。

 ディートリヒ・イルデガルナ。フリードリヒの、九歳年上の実兄。

 ヴォルザーグはイルデガルナの遠縁に当たり、その関係でアデルも幼い頃に何度か会ったことがあるが、かの人はフリードリヒ並みの美貌と、そしてフリードリヒ以上の才覚を有する傑物だった。


 柔和な笑顔で策謀を巡らせる、イルデガルナの次代。更に厄介なことに、カトリーナは彼に弟の婚約者として気に入られている節がある。


(困ったな。あの人が関わったとなると、これ以上隣国の話は利用出来そうにない。予定変更か)


 たとえ(仮)とは言え、一度結ばれた婚約への横槍はそこそこのスキャンダルである。

 現在ヴォルザーグ家がメルイン家に行っているのはあくまで「婚約の打診」であり、正式に婚約を申し入れるのは、やはりイルデガルナ家との婚約(仮)が解消されてからでなければならない。

 つまり、未だカトリーナがフリードリヒに振られていない以上、アデルがもう一歩踏み込むことは出来ないのだ。


「あの、アデル様は、カトリーナ様が振られたら嬉しいんですか?」


 耳を垂らしたウサギのようにびくびくしながら聞いてきたハルトに、アデルは当たり前だと頷いた。


「そりゃそうだろ。カトリーナが振られなきゃ、俺がカトリーナと結婚できないし」

「でもカトリーナ様って、別にアデル様のこと好きじゃないですよね?」

「…………」


 グサッと来るような事実を確認されて、アデルの動きが停止した。

 ややあって、彼は無言で立ち上がり、大きな目をきょときょとさせているハルトの頭をぐわしっと鷲掴む。


「そういう直接的に心を抉ることを言うんじゃねぇよ馬鹿ハルト! せめて『恋心を抱いていない』と表現しろ……!」

「きゃああああ、アデル様痛いですようー!」


 半泣きで悲鳴を上げるハルトの頭をミシミシと圧迫しながら、アデルは引きつった顔で怒鳴り声を上げた。


「好きじゃないとか言うなよ、なんか嫌われてるみたいだろうが! 俺は! カトリーナと! 仲が良いの!」

「恋人としてはまるで無関心なんですから大した違いは、いたたたたたたた!」

「ふざけんなよバカヤロー! 俺が何年あいつの傍にいたと思ってんだよ! フリードリヒ殿と婚約者になった後も、恋愛相談も人生相談もニコニコ笑顔で受け続けて、せめて一番頼りになる幼馴染のポジションから外堀埋めていこうと思ってたのに!」

「それ、カトリーナ様は完全に友人関係で満足しちゃって、その先を欲しがらないオチなんじゃ……耳を引っ張らないでくださいいいい!」

「ならその緩い口を閉じろおおおおお!」


 一々余計なことを言うハルトをしばらく苛め倒してから、ようやくアデルは従者を解放してやった。

 赤くなった耳を撫でながら、ハルトはぐすぐすとべそをかく。


「ひどいですアデル様……これ八つ当たりじゃないですか……」

「うるせぇ。男の子の繊細な心を容赦なく攻撃する方が悪いんだよ」

「カトリーナ様に隠れてあれこれ裏工作してる時点でエセ純情じゃないですかぁ……」

「そう言うお前も可愛いキャラの振りした天然毒舌野郎だろうが、このエセウサギ……!」


 ずびしっと手刀を落としてから、「振りなんてしてませんよぉ」と抗議するハルトに背を向けて、アデルはさっさとデスクに戻っていった。

 ばさりと資料を広げると、そこから読み取れる事実を改めて確認していく。


「フリードリヒ殿はワイトベリ嬢とお茶会(おみあい)を行うも、彼女に惹かれた様子は特に無し。研究目当てでの交流には興味があるようだが、相手はワイトベリ嬢自身というよりワイトベリ家そのものか……」


 元よりフリードリヒは、歴史資料に名前の載っていない人間には興味がないという、考古学愛で満ち過ぎた人物だ。

 彼自身が積極的に動かないのは想定内だが、ワイトベリ家がフリードリヒを取り込もうと動いた時、敢えて拒絶するとも思っていなかった。加えてイルデガルナ家がフリードリヒにワイトベリとの婚姻を命じたなら、生家の意向に従うという意味でも、考古学趣味を満たせるという意味でも、断る可能性は低いと考えていたのだ。


 ――そんな予測が出来てしまうほどに、アデルから見るフリードリヒはカトリーナに執着がなさそうだった。


 今回それが覆されたとなれば、考えられる理由は二つ。

 フリードリヒが、カトリーナを傍に置くことに存外積極的になり始めているか。

 或いは――


「――イルデガルナが、予想以上にカトリーナとの婚約を重視しているか」


 ぼそりと独りごちて、精悍な顔を引き締める。


 破棄も視野に入れた『仮』婚約。

 安心要素になっていたそれを、もう一度調べ直してみる必要があるかも知れない。


「ハルト、俺とカトリーナの婚約が打診された件について、カトリーナは何か聞いている様子があるか?」

「いえ、ご当主様が仰る限り、メルイン家はまだカトリーナ様に何も言っていない風だと……」

「そうか。チッ、イルデガルナはカトリーナの婚約話を何処に収めていく気なんだ? まさか今更俺かフリードリヒ殿以外と娶せようとするわけもないが……万一のために、もう少し念入りに周りを掃除しておくか……?」


 カトリーナの「邪魔者処分」――またの名をカップル成立作戦は、アデルも多分に貢献している。それにかこつけ、カトリーナの婚姻相手として少しでも当てはまりそうな人間は片っ端から他の令嬢に回してきたから、カトリーナの周囲もまた大分静かになっているはずだ。


 ちなみにその中でも、「世界に将来を保証された有望株」――即ち、アデル自身とフリードリヒ、公式主人公の幼馴染という計三人を除いた攻略対象は、全てカトリーナに倣って『適切に処分』済みである。

 カトリーナが公式主人公を殊更警戒していたように、アデルもまた、攻略対象たちをひどく警戒していた。


「学園の生徒には同じ生徒の立場から近付けるが、学園に所属してない人間には干渉しにくいのが難なんだよなぁ……。他にカトリーナに手を出しそうな男はいたか……?」

「アデル様、自分の代わりに投獄する生贄を選定中のマフィアみたいな顔になってます……。カトリーナ様は自称悪役令嬢ですけど、なんかこうして見るとアデル様の方が悪役っぽいですね……如何にも悪辣なこと考えてそう……」


 目付きも悪くブツブツ悪巧みをする主に、ハルトがまた余計なコメントをして、すこーんとインクの蓋を投げられる。

 あいた、と眉を下げるハルトをじろりと見て、アデルがぼそりと呟いた。


「……こいつも早めに処分しておくべきか……」

「ぴいっ!?」


 ぴゃっと飛び上がって怯えたハルトが、ぶんぶんと首を横に振り始めた。

 ウサギのような目に涙を浮かべ、彼は幼馴染と共に学園で恋と婚約の大旋風を巻き起こしている主からじりじりと距離をとっていく。


「い、嫌ですよ! オレはまだ結婚とか婚約とか興味ないんです! 大体、婚約者なんて出来ても会う時間が取れません! うちの子たちにはまだまだ手がかかるんですー!」

「それ、お前が飼ってる犬とか猫とかの話だろ。そう言えば先週もこそこそしてたけど、また拾ってきたんじゃないだろうな」

「……こ、子兎の兄弟を七匹ほど……」

「またか! しかも地味に多いぞ! 何処からそういうの見つけてくるんだよお前は!」

「怪我してたんですよぉー! ちゃんと執事さんの許可は取りました! アデル様の物置を一つ使って良いって!」

「なんで執事だよ!? 俺の部屋だろ俺に許可取れや!」


 半泣きで訴えるハルトは、容姿の差が大きいせいで詰め寄るアデルがいじめっ子に勘違いされることさえあるのだが、その実舐めくさられているのは自分の方なのではないかとアデルは頻繁に思っている。


 カトリーナに聞く限り、ハルトは攻略対象ではない人間だ。

 当人がまだ恋愛や結婚に乗り気でないこともあってその件では放置していたのだが、そろそろ嫌がらせを兼ねて本気で見合いを組んでやろうかと、割と真剣に考えた。


 ちなみに、ハルトはカトリーナの記憶に関しては何も知らない。

 彼女が自分を悪役令嬢と認識していることこそ知ってはいるが、そこそこ彼女とも交流のあるハルトに「ゲーム」の話を教えようと思ったことは一度もなかった――尤も、もしも勝手に喋れば最後、アデルはこれまで積み重ねてきたカトリーナからの全ての信頼を失うだろうが。


「あっ、そうだ。あの、アデル様、言い忘れてたんですが、明後日はオレ、お休みもらいますね」

「あ? 何だ、また動物関連か?」

「はい、前に拾った小鳥の羽が完治したので、最後の飛行訓練して、そのまま野生に返してやるんです」

「そうか、あんまり遅くなるなよ。お前、絡まれやすい容姿してるんだから」

「あ、大丈夫です。カトリーナ様も一緒に行く予定なので、メルイン家が馬車を出してくださるって」

「こんな話した直後にそれ言うとか、お前本当に図太いな!」


 デスクをぶん殴って全力でツッコミを入れたアデルに、ハルトはまたぴゃっと飛び上がって「大声出さないでくださいよぉ、ただでさえ声低くて怖いんですからー」とプルプル震え出した。

 首にリボン巻いて肉食系令嬢の前に放り出してやろうか、このエセウサギ。



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