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2:悪役令嬢?は凱歌を上げる

 燦々と爽やかな春先の日差しが差し込む中、緑美しいその庭園には、本日二つの人影があった。


 二人が間に挟むのは、白いテーブルとティーセット。用意されているのは紅茶にケーキにサンドイッチと、如何にもこれから茶会を始めようと言わんばかりの一揃えだ。


「――ほーっほほほほほほほほ! ざまあ見なさい、あの女! このわたくしに抗うことなど不可能ということですわー!」


 そんな優雅なテーブルに堂々と座して、その少女――カトリーナ・メルイン伯爵令嬢は現在、誰憚ることなく盛大な高笑いを響かせていた。


 瀟洒なドレスにティーセットという舞台効果も手伝って、外見だけなら絵のように美しい少女である。

 癖のある金髪は艶々と波打ち、パロットグリーンの瞳が勝者の愉悦に輝いている。十五歳という年代の平均よりも大分大きな胸部を誇らしげに張る様は、うまいこと策を成功させて正義の味方を陥れることに成功した、悪の女幹部を想わせた。


 爽やかな青空に突き抜けるような甲高い笑い声は、両親や家庭教師が聞けば即座に眉をひそめ、場合によってはピシリと細鞭が飛んでくるに違いない。

 けれど、今ここにいるのは彼女にとって最も気心の知れた、同い年の幼馴染だけ。その幼馴染は非難の意を浮かべるでもなくテーブルの向かいに座り、くつくつと含み笑いを零しながら至って楽しそうにカトリーナの姿を眺めていた。


 給仕をするべき使用人を全て遠ざけ、自らの手でケーキを切り分けている彼の名を、アデル・ヴォルザーグ。

 黒い髪に精悍な面差し、鋭く輝く赤銅色の瞳を持つ、ここヴォルザーグ伯爵家の三男坊である。


「ご機嫌だな、カトリーナ」

「当たり前ですわ、アデル!」


 ケーキナイフを持ったまま、にこにこ笑顔で口を開いた青年に、カトリーナは全力で唇を笑わせ、大仰に腕を広げてみせた。


「何せ一番目障りだったドゥネル伯爵令嬢を、とうとう始末できたのですもの! これが浮かれずにいられるものですか!」

「ドゥネル嬢というと、あの銀縁眼鏡のご令嬢だったか。背の高い、頭が良くて綺麗な人だったな」

「そうよ、だからこそ殊更警戒していた相手だわ。家格はうちより少しだけ下だったけど、家族が野心家で、本人も生徒会の会計係に推薦されるほど優秀な女。フリードリヒ様の周りをうろついて有能アピールする様が、どれほど目障りだったことか……!」


 ぎりぎりと拳を握りしめて物騒な単語を口に出しつつも、アデルに向ける表情は混じり気のない歓喜に満ちている。

 しばしば目付きがきついと指摘される双眸をカッと見開き、美しい少女は頬を赤く染めて快哉を上げた。


「でも、それもここまで! 邪魔者はもういない! 嗚呼、長かった……フリードリヒ様に恋をして幾数年、これであの方とわたくしの障害になる者は全て処分できましたわ。最早彼女たちが舞台に戻ってくることはあり得ない。後はわたくしとフリードリヒ様の『婚約(仮)』を正式な『婚約』にするだけです!」

「処分、ねぇ……」


 苦笑しながらアデルは白いティーポットから紅茶を注ぎ、カトリーナへと渡してやる。それを一気飲みした彼女が幾分興奮を静めたのを確認し、繊細なデザインの皿を差し出した。

 綺麗に盛り付けられたのは、カトリーナの好む林檎のケーキ。甘さ控えめでアデルの口にも好ましいそれをカトラリーで切り分けながら、アデルは愉快そうに口の端を吊り上げて確認する。


「恋敵に他の男をあてがうことが――か?」

「何よ、何か言いたいことでもあるんですの?」

「別に。ただ、始末だ処分だと物騒な表現を使う割には、随分と迂遠で平和的な手段を使うものだな、と」


 ――常日頃、自らを悪役だと主張する癖に。


 そんな意味を含んで告げれば、カトリーナはフンと鼻を鳴らして胸を反らした。


 拍子に、弾けそうなほど豊満な胸部にうっかり意識を奪われかけるが、アデルはささっと目を逸らす。

 何せ、目の前の少女は筋金入りの潔癖だ。ただでさえきつい顔立ちのカトリーナが繰り出す冷たい視線は、彼女を憎からず思うアデルの心を容赦なくザクザク抉ってくる。


「おかしなことを言いますのね。このやり方はわたくしの考え得る限り、最大級に拙速であり合理的ですわ。

 恋敵は早急に舞台の外へと放り出すべし。その際、舞台に戻ろうという気さえなくなるように仕向けるのは当然の対処でしょう」

「だから、フリードリヒ殿に恋する女に他の男を紹介するって?」

「その通りです!」

「ああも優良物件ばかり取り揃えて?」

「フリードリヒ様を差し置いて目移りさせねばならないのですから、容姿才能共に厳しく選別するのは当然ですわ! 性格だって、勿論良くなければ恋心を維持させられません!」

「互いの実家との関係まで考慮して引き合わせたのは」

「恋仲になっても結婚できなければ意味がないでしょう。二度とフリードリヒ様に色目を使わせないためには、早々に伴侶を持たせ、生涯幸福な生活を送ってもらわねば!」

「……結果的に全てのライバルを蹴落としてみせたその手腕は、確かに尊敬に値すると思うよ」

「ほーっほほほほほほ! 悪役令嬢というものは、逆に言うなら主人公のライバルを張れるほどのスペックを保証されているということですもの! 公式主人公以外が楯突こうなど無謀の極み!」


 自分の行動に何の疑問もなく高笑うカトリーナは、なんだか何かがとてもずれているような気がしたが、確かにその手際ばかりは、思い出す限り見事の一言に尽きた。


 ――このウィンネル白王国において、貴族子女は皆、五年制の全寮制学舎――ツァンベルグ学園に通うことを義務付けられる。

 教育だけでなく子女たちの出会いの場としても活用されるその学園には、今、空前絶後の婚約ラッシュが吹き荒れていた。


 カトリーナの雌伏という名の準備期間は、彼女とアデルが学園に入学してからの約一年間。

 その間に学園中の人間関係を調べ尽くした彼女は、長期休暇を終えて二年生に上がるや否や、あらゆる手を尽くして独り身の令嬢令息同士を『引き合わせ』始めたのだ。


 あれから早一年。カトリーナとアデルは十五歳になり、あと一月もすれば三年生に進級する。

 恐らくこの婚約ラッシュは、少なくともあと二年――即ち、今年度から四年生に上がるフリードリヒが卒業するまでは続くに違いない。


 噂を操り、友人に協力を求め、時にはそれなりの『力業』を用いて。

 家格、性格、容姿、資産、成績に趣味に希望進路、様々なものを考慮して、彼女は複雑なパズルを当てはめていくが如く、次々とカップルを成立させていった。


 例を上げるなら、先程名前の挙がったドゥネル伯爵令嬢だろうか。

 その頭脳と才覚を武器に家格が上の婚約者を手に入れろと家族に言いつけられ、彼女自身もそのつもりで行動していたにも拘わらず、最終的に彼女が選んだのは、二歳年下で子爵家の後継ぎである少年だった。

 容姿も能力も極めて平凡なその少年に、才女と言われるドゥネル伯爵令嬢がどうして人生を懸けるほどの恋情を抱いたかなんて、結果しか知らない人間には絶対に分からないのだろうと思う。


(カトリーナは確か、『割れ鍋に付けるのは高価な鋳物の蓋ではなく、同じくらい年季の入った綴じ蓋であるべきなんですのよ』とか言っていたが)


 ただ『魅力的な人間』を引き合わせるだけではない。

 アデルが殊更脱帽したのは、『どんな人間が』『どんな人間にぴったり合うか』、それを極めて的確に見抜くカトリーナの目と判断力だった。


 一見合わないと思えるような二人が、日を追うごとに面白いようにカップルとなっていく。

 その誰もが幸せそうに互いに笑いかけ、それを確認したカトリーナはしてやったりと物陰でほくそ笑むのである。



 ――それもこれも全ては、彼女が恋焦がれる仮婚約者の周りから、悪い虫を排除するために。



(その頭脳と行動力が『悪役令嬢』故だってんなら、確かに『悪役令嬢』の称号はとんでもないハイスペックの証だなあ)


 アデルは、この世界で唯一、カトリーナの「前世の記憶」を教えられた人間である。

 何でもこの世界のことは、かつてカトリーナが生きた世界で「乙女ゲーム」と呼ばれる物語の中に綴られており、しかも舞台はまさにアデルとカトリーナが在学しているのと同じ時期。ひいてはアデル自身も、「攻略対象」として設定されているのだとか。


(とは言えカトリーナ自身、そのゲームの展開通りに持っていく気は微塵もないようだけど)


 もしも二人が七歳の頃、唐突に取り戻した記憶に無言で錯乱していた幼いカトリーナの姿を見て、好奇心を擽られたアデルが彼女の混乱に乗じて無理やり事情を聞き出したりしなければ、恐らくカトリーナはその「乙女ゲーム」とやらの記憶を生涯一人で抱えることを選んだだろう。

 彼女の秘密と記憶を知ったからこそ、アデルは今、彼女の共犯者の立場に立っていられる。

 そう思えば、やはりあの日、どれだけ逃げられても追い回して問いただした幼い自分は正しかったのだと確信できて、アデルの口角が持ち上げられた。


 紅茶を啜りながら巡らせるアデルの思考には気付かぬまま、一方カトリーナは既に己が勝利を確信し、婚約者との未来を夢見ているらしい。

 吃驚するほど優秀でおかしな女だと分かっていて彼女の策謀に協力したのはアデルなのだが、面白いのでついでにもう少し踏み込んでみる。


「――ちなみに、家の権力を使って恋敵の実家を追い落としたり、学園の生徒を使っていじめたりして、フリードリヒ殿に近付かないように脅迫する手段は考えなかったのか?」

「やだ、なに怖いこと言い出してるの……? そんなの、人としておかしいよ……」

「うん、やっぱりお前は悪役としておかしいよ」


 途端に慄いた様子で身を引くカトリーナに、アデルはけらけらと軽い態度で笑った。


 彼女とは幼馴染として八年ほどを共にしてきたが、間近で見ていてこうも飽きない相手など、彼女くらいのものである。何処の世界に、恋敵を全員リア充化することで排除しようとする悪党がいるものか。


(十歳の頃、家同士の取引で引き合わせられたフリードリヒ殿に一目惚れしたと相談された時には無理だろうと思ったが、予想外に手を打ち続けてるようで困ったなあ)


 見た目はのんびり紅茶を啜りながら、アデルはそう考える。


 アデルたちと同じ学園に通う、カトリーナの一つ年上の仮婚約者――その名を、フリードリヒ・イルデガルナという。


 イルデガルナ侯爵家子息である彼は、その才能こそ非常に優秀の誉を受けているが、同時に人に対する興味をあまり持たないことでも有名な青年だった。

 そのことがアデルにとっても安心要素になっていたのだが、困ったことに、カトリーナが次々恋敵を『処分』してしまったせいで、フリードリヒに歳と家格の近い令嬢たちは現状ほとんど売れてしまっている。


 このままでは、『仮婚約者』であるカトリーナから自動的に『仮』が抜けてしまうのではないか。そんなことを思えば、そろそろアデルとしても悠長にしてはいられない。


(フリードリヒ殿はまだカトリーナに興味を持っていないようだけど、疎んでいるわけでもなさそうだし)


 空になったカトリーナの皿に何食わぬ顔で追加のケーキを切り分けてやりながら、アデルはこっそり考える。


 基本的に、カトリーナは好いた相手には尽くすタイプである。

 好意を押し付けるでもなく相手の有り様を尊重する彼女は、フリードリヒに疎まれない絶妙なラインを心得ている。


 今正式に婚約を申し込まれれば、フリードリヒは断らないだろう。

 たとえそれが、共に生活するのならカトリーナが一番楽そうだから、という至極投げやりな理由からであったとしても。


 ――そうなる前に、さっさとこっちの王手をかけないとなあ。


「これでようやく、心置きなくフリードリヒ様にアプローチが出来ますわ! 傍で煩くしては嫌われてしまいますから、これまでは随分と自重していましたのよ!」

「ああ、寄ってくる人間が多いと鬱陶しがりそうだもんなぁ。カトリーナは邪険にされないのか?」

「家の都合とは言え仮にも婚約者という立場にある以上、一応の正当性はありますもの。無理に話をさせようとしなければ、あの方だって傍にいることくらいは許して下さいますのよ」

「ふうん……紅茶のお代わり要るか?」

「頂きますわ。砂糖は、」

「二つ、だろ」

「ええ」


 満足そうににこりと笑って紅茶を受け取るカトリーナを眺め、アデルもまた裏など何一つ無さそうな顔で笑う。


 紅茶の好みを熟知するくらいには傍にいて、学園で恋の女神として暗躍する彼女を爆笑しながら助けていた。


(意気込んでるところ悪いけど、早いところケリ付けちまいたいなぁ……叔父上にも協力要請するか。あの人やたらと顔が広いし)


 既にアデルの家(ヴォルザーグ)からカトリーナの家(メルイン)には、密かに婚約の打診が行われている。

 元よりカトリーナとフリードリヒの婚約は、あらかじめ破棄も視野に入れた上での仮契約だ。だからこそフリードリヒの周りにはあわよくばと希望を持つ令嬢たちが絶えず、カトリーナはじりじりと現状に歯噛みしていた。

 ヴォルザーグ家の申し出に対するメルイン家の反応もどうやら悪くはないようで、今しばらく時間をかけ、駄目押しで幾つか条件を付ければ、無事に婚約成立となる可能性は高い。


 ただし、それでカトリーナに恨まれては元も子もないので、先にフリードリヒの方を片付けねばならないだろう。

 こちらはカトリーナのやり方を参考にしよう。恋敵には速やかに、そして永久に、舞台から降りてもらうべきだ。


「――そう言えばアデル、あんなに沢山の令嬢の情報をかき集めたのに、あなたは良い人が見つからなかったのかしら? 散々こき使ったのだし、あなたのためならわたくし、多少無理がある相手でも押し通してみせますわよ」

「今はまだそういうこと考えてないから、俺にまで相手をあてがおうとするのはやめてくれないか……。それよりカトリーナ、フリードリヒ殿は確か、考古学に興味があったって言ってたよな?」

「ええ、そうよ。特に第五イニ期の文化変遷に心惹かれていらっしゃるみたいね。そのうち隣国を訪問して、直に現地を見てみたいと仰っていたわ」

「次男坊で、跡継ぎの兄上も充分有能だから、跡目争いを起こす気もないって話だったよな?」

「そうだけど……いきなりどうしたのよ。あなたもフリードリヒ様のファンになったの?」

「いいや。ちょっと確認したかっただけだ」


 もしもそうなら、実家が古代遺跡保護の役割を担ってて、本人も考古学に造詣が深くて、家の跡目を継がせるために現在進行形で婿養子を探してる隣国の伯爵家のご令嬢とか、すっげえ気が合うんじゃないかなあ、とか思っただけだから。


 そんな本音は綺麗に覆い隠して、アデルは明るく笑ってみせる。

 とは言えカトリーナの方も、幼馴染が腹に一物持っていることに気付かないほど鈍くはなく、「何よ、変なアデル」と不思議そうに眉を寄せた。


 一途で策略家でお人好しで、妙な所が抜けている可愛い可愛い幼馴染は、十歳の頃からずっと恋愛相談をしてきたアデルが、本気で彼女を応援してやる気になったことなど本当は一瞬たりとてなかったことに、そろそろ気付いた方が良いと思う。



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