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童霊跋扈



 それからぼくの現実逃避の日課に、旧校舎の教室で眠る以外に新しく、旧校舎のトイレに座って暇を潰すという項目が追加された。


 これがなかなか飽きないもので、ぼくは週に3~4回のペースでトイレにこもっている。

こういう風に言うとまるでぼくがお腹の弱い子みたいになっちゃううな。誤解しないで欲しい。

  

 たいていは、教室で過ごそうとしたら猫に先手を打たれていた場合が、ぼくのトイレ行きを決めるきっかけとなる。

 あの猫といったら、同じ空間にいるぼくからずっと目を反らさずに見つめてくるのだ。


 視線は時にナイフになることをぼくはよく知っている。

 決してぼくは猫がこわいとかそういうんじゃない。


 そのトイレは、本館のトイレと比べてぼくに多大な安心感をもたらした。

きっと、静かで誰の目にもさらされる心配のない閉鎖された個室が、ぼくの好みにビビッときてしまったんだろう。


 ここなら猫も来ないし。

 特に入口から三番目の個室がぼくの牙城となりつつあった。



 黄金週間でふわふわしていた気分が抜けきった時期には、ぼくはもうすっかり旧校舎の主のような気分になっていた。

 そろそろあのふてぶてしい猫を従者として迎えてやってもいいかもしれないな、なんてひとりでほくそ笑みながらぼくは今日もトイレにこもる。

 

 ここ最近のぼくは読書もたしなむのだ。

隣のクラスの町田くんほどの本狂いではないが、図書室から暇を潰せそうな本を借りては読んでいる。

小魚が集まれば大魚になることも知っているし、紅白ボーダーのおにいさんだって何度も見つけてきた。そろそろ絵の描かれていない本を読んでみるのもいいかもしれない。


 本日の暇つぶしに使われる本は恐竜がたくさん載っている本だ。

恐竜の絵だけやたらとリアルに描かれている。


 しかも、どういう構造かは知らないが、角度によって飛び出したり引っ込んだりするのだ。

恐竜の色はその効果のせいか銀色がかった七色の、鉛のシャボン玉みたいな模様だったけど、ぼくは恐竜が本来何色だったかなんてわからないしあまり興味がないので気にならない。

 ぼくにはトリケラトプスなんていうカッコイイ生き物が昔いたかもしれない、という事実だけでじゅうぶんだった。




 目線を草食恐竜のページから肉食恐竜のページに移そうとした、瞬間。



 「へえ、最近の絵本は進化してるんだねえ。色が付いてるだけでは満足できないのかな、現代の子は」



 ぼくは自分の心臓が思い切り跳ね上がるのを感じると同時に、手に持っていた本も跳ね上げてしまった。




…………………………………………




 声をあげるどころか息の仕方も忘れてしまったぼくは、ただその音のしたほうに顔を向けることしかできなかった。


 便器に座ったぼくの真上、見上げた先の個室の壁のてっぺんに、甚兵衛少年が座っていた。

あぜん、としたぼくは、それが足元に転がってしまった飛び出す恐竜絵本についての発言だなんて咄嗟に理解できなかった。

 ついでに目の前の存在についても理解できなかった。

なぜなら少年は、しょうねんは、濁ったシャボン玉のように半透明だったからである。

 ぼくはいままで半透明の生き物なんて見たことがなかった。


 なんだこれは。

 夢かな。マボロシ?

 はははマジかよ。


 とうとうぼくもここまできたか、と自分に失望していると、その半透明の生き物は僕に向かって心底不愉快そうな顔をしてみせた。



 「僕が話しかけてるっていうのに無視して一人百面相だなんて失礼にも程があるよね…。せめてその本を拾ったらどうだ?」


 「っうぇ?…えっ、あ、う、うん、ごめん」



 そうだ、この本は図書室から借りたものだった。

借りたものは返さなければならないから、汚しちゃダメだ落ち着け。


 ぼくは言う事を聞かない体を無理やり動かして本を拾い上げた。

良かった、ちょっとほこりが付いただけだ。

軽く叩くと元通りにきれいになった。


 半透明少年は相変わらずの不機嫌さでぼくを見下ろしている。

ぼくはこんなふうに同年代の子供に上から見下ろされる経験はいままでなかったからどうしていいかわからない。

とても、こわい。

この生き物は、いまもぼくを見ている。


 しかしぼくは、今しがたざわざわ、と浮かんできた可能性を消し去りたくてたまらなかった。

そんなまさか、いやでももしかして。

 好奇心は猫をも殺すそうだから、あの教室の猫にすら勝てないぼくがここで殺されないわけがなかった。



 「えっと、きみはその、すごく聞きづらいんだけど、その…」


 「なに?」



 深呼吸。



 「きみは、おばけ、…かな?」



 瞬間。


 半透明甚兵衛は個室の壁に座ったままの体勢で、こてん、と首をかしげてみせた。



 「違うよ。僕は花子くんさ」



 声を出すことも、呼吸の仕方も、考える力もなくしたぼくは、ただひとつ機能している耳で"花子くん"がケラケラ笑うのを聞いていた。

 

その時のぼくは、まさしく猫だった。




…………………………………………




 ぼくの好奇心殺人事件から三日が経った。

 

 あの日は金曜日だったから、土日をはさんで今日は楽しい楽しい月曜日なのであった。


 果たしてぼくは、いまもちゃんと人間として機能しているのだろうか?

なにせ、あの日どうやって旧校舎から逃げ出せたのかまったく覚えていないのだ。

 もしかしてぼくは、あの時あの生き物に殺されてしまって半透明の仲間入り、なんてことになってはしないだろうか?

 

 自分の腕を見る。

ちゃんと日本人の色をした腕がある。

よかった。


 朝ごはんの食器を流しに置いたあとに自分の腕をじっと睨みだしたぼくを見て、おとうさんが心配そうな顔になった。



 「どうした?怪我でもしたのか?見せてみろ、」


 「え?…ああ違うよだいじょうぶだから!」



 おとうさんはテーブルから立ち上がると僕のもとへ駆け寄ってきた。

あああ、だいじょうぶですおかまいなくきにしないでください。

 ぼくはいたたまれなさから逃げるために急いで学校に行くことにした。


 靴を履いていると後ろでおとうさんがなにか言いたそうに立っていたけど、結局、なにかあったらおとうさんに言うんだぞ、と真剣な声でぼくに一声かけただけだった。


 いや、だけというのはちょっとちがう。

なぜなら、靴を履くために玄関先に座っているぼくのランドセルに、ばんそこえーどやら包帯やら傷スプレー(あの白くてヒヤッとするやつだ)をしこたま詰め込んでいたのだから。

教科書とランドセルの隙間の有効活用ですね、なんてうっかり口が滑りそうになった。


それでも、大真面目な顔でいってらっしゃい、なんて言われたらぼくにできることなどなにがあるのだろう。

ぼくはただ困りながら笑って、いってきます、するしかなかったのだった。



どうやらおとうさんは、おかあさんのかわりになろうとしているみたいだった。



…………………………………



 今日も今日とてつまらない。

 

 算数も国語も苦手ではないけどすきでもないし、理科も社会も得意ではないけどきらいでもない。

学校の中でぼくの興味があるものといったら、給食と図書室の本とそれから旧校舎だ。


 旧校舎。

 いつもならお昼休みになると真っ先に逃げ込むはずのぼくのとうげんきょう。


 日当たりのいい教卓の上で丸くなって寝たい、けど。

 

 記憶が一週間毎にリセットされたらいいのに。

思わずため息が出てしまった。

これ以上幸せに逃げられるわけにはいかないぞ、ぼく。

 

 おばけが怖いから旧校舎にいけないなんてかっこわるい、とかそういうもんじゃないのだ。

あれは当人曰く、おばけではないそうなのだから。

 おばけではないならどうして半透明なんだとか、どうして浮いてるんだとか、そういう小さいことが気になってこの土日のぼくはとてもまともじゃなかった。

 そもそもおばけってなんだ?などと疑問に思ってからはもうダメだった。

世の中には知らなくてもいいこともあるよね、という魔法の言葉ですべてを忘れようとした。


 それでも月曜日はやってくるわけで。

 学校には旧校舎があるわけで。

 あの生き物の存在をそう簡単に忘れられそうにないことは、わかりきっている。



 そうして頭を抱えて過ごしていたら昼休みが終わってしまったみたいだ。

なんだ、この、日曜日を丸々寝て過ごしてしまったような気分は。

もったいない、とてももったいない。



 さて、五時間目の授業は道徳だったかな。

ぼくは机の中から人間かなにかわからない生き物の描かれた表紙の教科書を取り出した。


 ああ、そうだ、あの恐竜の本を返さなくちゃ。


 どうにももやもやとしてとてもじゃないけど道徳的な気分になどなれそうにもない。

ぼくは図書室に本を返すついでに放課後に旧校舎に行くことにした。

しょあくのこんげん、とやらをどうにかすればだいじょうぶだと、ぼくは自分に言い聞かせる。

 

 このままでは毎日が金曜日だもの。

 休日の来ない一週間なんてぼくは認めない。




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