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ベツレヘムの星

 このきれいな花は、なんていったっけ。


 ぼくは図書室で植物図鑑を熱心に読みふけるような小学生ではないので、朝日に照らされてきらきらと光るその花の名前を知らなかった。

 ぼくにわかることは、この花が学校の帰り道によく見かける野草だということ、摘んで帰って水に浸すと花びらが裂けてそれはきれいなことと、この花が置かれている場所が学校での主なぼくの居場所だということだ。


朝日が教室中のほこりを妖精の鱗粉に変えている様はとてもぼく好みの幻想的な風景だったけれど、それとは逆にぼくの心は渇いたものだった。



母親が死んでいるからといって、息子のぼくに花を供えるのはおかどちがい、というやつなのではないだろうか?



 ぼくは机の上にきれいに生けられた花を横目にランドセルから筆記用具を取り出した。

今日のぼくは宿題を忘れなかったのだ。えらいえらい。

 窓際の僕の席とは反対に位置する、掃除用具入れが置いてあるあたりからの視線には気づかないふりをする。

 野生のケモノと同じで、目を合わせたらそこで終わりなのだ。

ぼくは人間なので、ケモノの視線に込められた純粋な嗜虐心だとか、根拠のない優越感だとか、そういったものは理解できない。


担任の先生がだるそうに教室に入ってきたところで、クラスのみんなが席に着きだした。

先生は目がわるいから、きっとぼく宛のきらきらしたプレゼントも教室のケモノもよく見えていないのだろう。



 ぼくは、窓の外をながめた。

 今日が始まったばかりだという事実から目を反らしたかった。



……………………………………………



 おかあさんが、死んでしまったらしい。


ぼくはその時のことをよく思い出せないので、らしい、なのである。


正直に言うと、ぼくはまだおかあさんが生きているんじゃないかと疑っているのだ。

いつものようにぼくが学校から帰ってくると、晩ごはんを作りながら肩ごしにおかえり、と言って今日はポークピカタよ、なんて笑ってくれるはずなのだ。

土曜日のお昼にはいっしょに河川敷でザリガニを探したりするのだ。

日曜日にはおとうさんとぼくといっしょにテレビを見ながら、お昼ごはんのチャーハンを食べたりするのだ。

 おかあさんのチャーハンはたいてい前の日の晩ごはんの名残の味がしたけど、それでもチャーハンは野菜炒めとは違ったのだ。

もしかしたらぼくのおかあさんは魔法使いだったのかもしれない。

だって、おとうさんの作るチャーハンはどうがんばって前向きに味わっても”野菜炒め~冷ご飯を添えて~”にしか思えなかった。

 ちなみに、昨日もそうだった。



 おとうさんは、おかあさんが死んでしまった(らしい)日からすごく静かになった。



ぼくが学校に行かなければならないのと同じようにおとうさんも会社に行かなければならなかったので、おとうさんとぼくはあまりお話したことがない。

だからもしかすると、おとうさんは元々このくらい静かなのかもしれない。

 おとうさんはしばらくの間テーブルの上に腕をクロスさせてうなだれていたり、庭の花壇をずっと見つめていたりとぼくにはよくわからない事をしていたけど、ある日の日曜日に突然ぼくを外に連れ出した。



ぼくはおかあさんとよく遊びに行った河川敷にいた。

でも今日は、おかあさんじゃなくておとうさんがいっしょだ。



 おとうさんはぼくに先に歩くように言うと、ぼくの斜め左後ろを歩き始めた。

ぼくはいつものようにおかあさんと行く道を歩いた。

堤防の緑の中にところどころ、白い色が混ざる。

この辺りには、近くの家から飛んできた花の種が植わっているのだ。

たんぽぽを見つけるほうがむずかしいくらいに。

ぼくはこの花をよく見るけど、名前を知らなかった。


 柴犬を連れたおばさんや、釣り道具を持ったおじさん、なわとびをもって走る子とそれを追いかける女の人とすれ違って歩くうちに、いつもの散歩の最終地点にたどり着いた。

ここから先も川は続いているけど、どこまでも続いているからどこまでも行けてしまうので、ここでUターンしなければならないのだ。

 振り返るとおとうさんは歩き始めた時よりもぼくから離れた場所にいた。

ここ最近のいつもの姿勢、うなだれてぼんやりしているすがた。

 ぼくはどうせUターンして帰らなければならないので、おとうさんのほうに歩いて行った。

おとうさんはぼくが近づくにつれてゆっくり顔を上げた。



 「…おとうさん、なんで泣いてるの?」



ぼくはびっくりした。


だいのおとなが、日曜日の太陽がぴかぴか降り注ぐ中でぽろぽろ泣いているというのだ。

突然抱きかかえられて驚いている猫みたいに目を丸くしているぼくを見て、信じられないことにおとうさんは、笑った。


おとうさんが笑うたびに、ぽろぽろした水滴がきらきらに変わっていった。

ぼくはそれをきれいだな、と思った。


 泣きながら笑うなんてぼくにはできそうもないや。

おかあさんが魔法使いなら、おとうさんは手品師なのかもしれないな、とぼくが考えていると手品師はぼくの頭を一度、二度、ぽんぽんとした。



 「…帰ろっか。」



 そう言っておとうさんはまだぽろぽろきらきらしながら、僕の右手を持ち上げた。

そうやって今度は、おとうさんが先に歩き始めた。

ぼくは、斜め後ろでなくおとうさんの左側に並んだ。

 

 ぼくは、おとうさんがちがう生き物になってしまったような感覚を覚えた。




…………………………………………



 今日がまだ終わらないことにがくぜん、とする。


 楽しい時は一瞬だけど、言い換えれば苦しい時は永遠に続くんじゃないか。

おお、神よ。ぼくがいったいなにをしたのです。

 びみょうに他の子より量が少ない気がする給食を食べたあと、ぼくはどうにかして教室から出る理由をひねり出すことに専念する。

 まあ、誰にいうわけでもないのだけれど。ぼくは不言実行タイプなので。


 たいていの小学生はお昼休みともなると我先にと弾丸のごとく運動場に発射していくものだ。

その統率の取れた動きはぼくにまだ見ぬ軍事国家としての日本を思い描かせる。

なんというか、毎日よく飽きないものだ。


 だが、毎日同じことを繰り返しているという点では、ぼくだって他人のことをとやかく言えた筋ではない。むしろ彼ら特攻隊に比べたら、ぼくなんてものはさしずめ戦地にすら赴かない非国民である。

なぜならぼくは、お昼休みになると必ず旧校舎に引きこもっているからだ。



 今日も今日とてぼくは旧校舎に隠れることにする。


 うちの学校はどこもかしこもオンボロで、地震が来たらまず助からないようなそれはご立派な木造建築様であるから、本館も旧館もさしたる違いはないように思える。

 この旧校舎が現在使われていない理由なんてものは、お察しの通りみんな大好き少子高齢化というワードでおわかりいただけるだろう。つまりそういうことです。

まあ、そのおかげでぼくの貴重な避難場所が確保されているわけだから、世の中に感謝しなければならない。少子高齢化万歳!

 

 などと考えながら校舎内を散策する。


 この古ぼけた校舎の良いところは静かなところももちろんだけど、旧校舎と聞いて想像する汚さがないところだ。

たしかに人が出入りしないせいでほこりっぽかったりカビ臭かったりするわけだが、耐えられないほどではない。

窓ガラスが割れているわけでもないし、なにより水道から水が出る。

たまに野良猫が我が物顔で教卓の上で日向ぼっこしてたりもする。ぼくはこの閉じた空間がお気に入りだった。

 

 そういえば二階に上がったことはなかったな、とぼくは思い出した。

 一階の居心地の良さでじゅうぶんに満足していたのだ。


 職員室の横の階段を上がる。

角のない手すりは薄くほこりの膜が張っていた。

一階はぼくが探索と称して歩き回ったのでほこりはそれほど目立たなくなっていたが、二階は未踏の地だ。

 ぼくは階段の踊り場からなにか飛び出してくるんじゃないかと嫌な想像を巡らせながらゆっくりと二階に足を進めていった。




 階段から手が生えてくるわけでもなく、ぼくは無事に二階にたどり着いた。


 二階は想像通りの有様だった。

汚れてはいないが、ところどころに蜘蛛の巣がかかっている。窓の冊子に積もったほこりが古臭い。

一階に比べると二階は教室がメインのようだった。

文字がかすれてよく見えないが多分、4の…1、かな?

教室は鍵がかかっていなかった。

まあ盗むような物もないしね。

ぼくは今日の安定所を探すべく、教室を見て周ることにした。

 

 教室の札が4から5に変わるまでの間から、突然壁が消えた。

ぼくはずっと教室側の壁沿いに歩いていたからちょっとびっくりした。


 どうやらここはトイレらしい。


 水道場が少し開けた造りになっていて、ここだけ壁と床の材質が違うみたいだ。

当然、男子トイレと女子トイレに分かれている。

 女子側の水道の蛇口から水が滴っていたので、止めておいた。

蛇口の取っ手からは思いのほか大きな音がしたので、ぼくは思わず周りを気にした。


 誰もいない。

 ですよね。


 ここは夜に来たら怖そうだなあ、なんて月並みなことを考えながら水場の鏡を覗き込んでみる。

いつもどおりのぼくがそこにいた。

 鏡になにかぼく以外のものが映るか期待したが、映っているのはぼくと男子側の鏡とぼくと、男子側の鏡とぼくと…ぼくは鏡から目を反らした。


 …なんだか変な気分になってしまった。



 ここまで来たんだから、もう個室のほうまで見に行ってしまおう。

部分的に知らない場所があるなんてなんだか落ち着かない。

 ぼくは男子小学生なので、女子トイレに入るわけにはいかない。

そこまでへんたい、ではない。健全な僕は健全に男子トイレに入った。

 個室が閉まってたらどうしよう、なんて考えて涙目になってしまったぼくはホッと一息ついた。

よかった、全部開いてる。


 トイレはがらん、としていた。

悪臭を予想していたが、また予想が外れた。

カビとほこりの匂いがかすかに漂っているだけだった。


 そして、二階の入口からなんとなく気になっていたことがいま、再度その質度を増した。

二階の内装は、なんだかちぐはぐなのだ。

例えば、教室のなかの掃除用具入れと黒板だけは妙に新しいものだったりした。

教卓や棚は木造のままなのに。


 トイレも同様だった。

水場の鏡は最近新調したかのようにきれいだった。


そしてなにより、違和感の根源ともいえるのはこの。



 「なんで…ここだけ洋式?」



 扉も扉の閂も古めかしい造りなのに対して、トイレの主役たる便器だけは、何故かきれいな洋式便器だった。




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