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Sleeping Beauty Doll  作者:
第二章
9/14

 部屋に戻っても特に何かするわけでもない。

「ああ、そうそうラウンジとか行くのは自由だから」

 食堂だけじゃなくて、みんなが集まって話をできるところはある。本当は大浴場とかもあるけど、俺が行かないからその内と思ってた。

「ありがとうございます、キヨ先輩」

「ん?」

「先輩って凄く気を使ってくれてる気がして」

 優しいんですね、と微笑まれると相手が同じ男だとわかってても妙な気分になる。くすぐったいんだ、やっぱり。

「俺がそうだったから。最初の数日は先輩にベッタリで、やっぱり愛紗先輩は寄ってきたけど、他は少しずつ。神父様にさえ心を開けてたかわからない」

 俺が小さかったのもある。とにかく心細かった。

「いきなり環境が変わってパンクしそうだった。自分の身に何が起きたかさえよくわかってないのにさ」

 俺だって、ちゃんと後輩のことを観察してるつもりだ。

 少しずつ慣れていったから、陽大にもそうしてやりたいと勝手に思ってた。

「キヨ先輩には凄く感謝してます。でも、頼り切っちゃいそうで」

 照れ臭そうに笑って、陽大は俯いた。

「いいよ、別に。寄りかかったって。お前がもう一人で立てると思った時にはちゃんと突き放すから。先輩として役に立てるなら俺も嬉しいよ」

 俺を踏み台にしてくれればいいと思う。いつか断罪されるとしても、きっと悔いはないって思えるから。

「ほ、本当ですか?」

 パッと陽大は顔を上げて俺を見つめてくる。別に面倒臭いとか思ってるわけじゃない。

 素質溢れる後輩に脅威を感じてるわけでもない。

 赤ん坊だって老人だってシナーになる。俺は早い方だけど、陽大だって遅いわけじゃない。いや、早いとか遅いとかそういうことじゃない。ならない方が幸せなんだから。

「俺のことは兄でも友達でも好きに思ってくれていいから。シナーは単独行動が基本だから相棒はちょっと難しいけど。敬語とかも使わなくたっていい。俺に対して無理することはないよ。何も気にしなくていい」

 陽大がなりたい関係でいいと思う。敬うに値しないと思ったら……いや、それは体面的にアウトか。

「き、キヨ兄って呼んでも……?」

 期待に満ちたキラキラした目で陽大が俺を見てくる。

 あれ、前もこんな目で俺を見てこなかったか?

「俺は全然嬉しいけど」

 俺だって弟をほしいと思ったことはある。可愛い弟ができて、悪い気はしない。

「あのさ、陽大」

「はい?」

「俺のことを聞くの、遠慮しなくていいよ」

「え……?」

「タブーだって感じるのは当然だけど、俺は構わないよ。吹っ切れたって言うと嘘になるけど、もう十年近く前のことだし」

 十年近くシナーやってる、って言った時、陽大が知りたそうにしてたのは気付いてた。

 あの時は話せなかったけど、今なら俺は話していいと思ってる。

「話したからって、陽大のことは話したくないなら聞かない」

 自分のことを話せるには時間がかかると思う。俺も十年経ったから誰かに話してもいいと思える。

 最初に話せたのなんて事情を知ってる神父様くらいだ。

「でも、差し支えなければ思い出を聞きたいかな」

「思い出、ですか?」

 陽大は不思議そうだけど、でも、俺にとっては意味がある。

「初等部からここにいるから、普通の学校ってほとんど知らなくてさ、興味があるんだ」

 普通の学校に通ってたのはほんの短い期間のこと。いい思い出もほとんどない。

 シナーになって、ミッションスクールに入って、普通とは少し違うから、時折普通の学校が羨ましくなる。

 あのままシナーにならなければ、俺はどうなっていたんだろうって。

「もし、話すことで楽になるなら、俺はいつでも、いくらでも聞く。大したアドバイスはできないかもしれないけど、聞くよ」

 俺にできることなんて限られてる。でも、やれることは何でもしたいと思うから。

 必要とされなかった俺でも誰かの役に立てると思いたい。禁じられた愛を求めて、愛する人を死なせた俺でも何かしたいんだ。

「グループセラピーもあるから、そっちに行くのもいいかもしれない」

 俺じゃなくてもいいんだ。シナーを抱える以上、支援する体勢は整ってる。

「グループセラピー?」

「シナーが十人くらい集まって話をするんだよ。悩みを共有してさ」

「キヨ兄は……?」

「最初の頃は通ったよ。神父様に勧められて。まあ、何かあれば神父様に相談するのが一番なのかもしれないな。導いてくれるから」

 語ることで楽になれるなら幸せなことだ。でも、もう俺の思いは許されない。

「なんて、俺が聞いてほしいのかもしれないな」

 今更、俺が救われてどうなるって言うんだ。俺が話して何になるって言うんだ。

「僕だって聞きます。キヨ兄の弟になりたいから」

 単なる好奇心じゃないって思った。本心だと。それは俺がそう信じたいからか。

 でも、どっちだっていい。だから、俺は左の袖をめくって、テーブルの上に載せて手首を見せる。掌側、かなり古いが、十字の傷痕は消えない。

「その傷……」

 陽大が目を見開く。こんな位置に傷痕があるなんて、結び付くところは一つしかない。リストカットだ。

「俺に自傷癖はないよ。これは母親にやられた」

 更に大きく陽大の目が開かれた。

 二つの傷痕はどっちも俺がやったものじゃない。清花を失った時でさえ切ってない。だから、手首に他の傷はない。

 尤も、薬指を清花にあげたことは立派な自傷行為なのかもしれない。自ら命を絶つことよりも生きて、清花の罪を拭うことを選んだけれど。

「母親は女手一つで俺を育ててくれた。でも、生活は苦しくて、シンに憑かれたんだと思う。横の傷が最初、心中しようとして先に俺の手首を切った」

 今だからあの時のことを振り返ってシナーとしての分析ができる。

 でも、当時六歳だった俺は本当にお幸せな奴で、よくわかってなかった。

「自分は死ぬ勇気もなくて、俺も死ななかった。もう二度とこんなことしないって、ちゃんと育てるって誓った」

 何度も何度も謝られて、抱き締められた。

 痛かった、本当に死ぬって思った。けど、一人きりで自分を育ててくれた大好きな母親だったから許したんだ。

「でも、やっぱり、駄目だった。二度目は縦に……」

 一度目の失敗があって俺の十字傷はできあがった。これもまた俺の背負う十字架なんだ。今でも時々あるはずのない痛みに苦しむ。こっちの罪も忘れるなって母親が言っていたのかもしれない。自分の犠牲があるのだと。

「まあ、また一緒だ。いざとなると自分は死ねない。俺のことも殺しきれなかった」

 手首を切って流れる血に恐れおののいて、それ以上何もできなくなる。

 病院に運ばれて、いじめを苦にして俺が自分で切ったことになってた。実際、俺は凄くいじめられてた。それこそ、いなくなりたいと思うくらいには。

 でも、周りも少しは不審に思ってたんだろう。

「二度あることは三度あるって言うだろ? 正にその通りだった」

 二度も失敗して、それでも、あの人はやっぱり取り憑かれてた。

「三度目は様子が違った。母親がおかしくなってることに気付かないわけじゃなかった。でも、俺がしっかりしなきゃ、迷惑かけないように、いつか立派な男になって支えてやるんだって、その一心だった」

 いじめが辛くても、どこにも居場所がないって子供ながらに悟っても。

「けど、本当に普通じゃなかった。夜、目を覚ましたら母親が馬乗りになってた。首を絞められて、暴れて、逃げ回って、電気をつけて、母親が化け物になっていくのを見た」

 ビーストになるパターンは二つ。死した悪人の魂が変化する場合と激情にシンが呼応して生きたままビーストになり果てる場合。後者は物凄く苦しいらしい。

 変死体として見つかることがその凄絶さを示しているのかもしれない。

「真っ黒なトゲが巻き付いて、肌を裂いて侵入して、のたうち回って、やがて、それが母親の体から離れたんだ。もう母親の形はしてなかったよ」

 肉体が死んで、解き放たれた魂はビーストとして猛威を振るう。この世に存在するとは思えないような、化け物。この世の全ての悪意を纏ったような醜い姿、咆哮はひどく耳障りで、吐き気を催した。

 そこで、ちらりと陽大を盗み見た。陽大の顔からは表情が消えて、大きな目が揺れて、唇が震えてた。

 怖がらせるつもりじゃなかったんだ。やっぱり俺の話なんて聞かせるべきじゃなかったのかもしれない。

「ごめん……その聞きたくなくなったらいつでも打ち切ってくれていいから」

 やめろと言われれば、いつでも俺は口を閉ざす。それですぐに何事もなかったみたいに接することができたと思う。

 なのに、陽大はそんなこと言わないで、テーブルの上の俺の手に触れた。

 暖かい、血の通った人間の手だって思った。

「いえ、聞かせてください。全部。僕、ちゃんと受け止めますから」

 俺より小さいけど、確かに男の手だ。

 包み込む手の優しさに泣きそうになる。本当に受け止めてくれるんだって思う。

「だから、続けて? キヨ兄」

 陽大の方も泣きそうな顔で俺を見上げて笑った。俺のために泣けるって言うのか?

 これじゃあ、どっちが先輩かわからないじゃないか。ただ少し先に生まれただけの情けないお兄ちゃんじゃないか。

「ビーストになるほど病んでたんだって、シナーになってからわかった」

 わかってたこともある。本当は心中するよりも俺を殺したかったんだって。あの時、二度殺し損ねたのは、手首を切る力が入りきらなかったのはやっぱり母親としての情があったのか。

 だって、薬やら練炭やらの方が痛くないのに。

「でも、それだけ母親は長くシンを宿していて、側にいた俺も当然感染してた」

 あの時、キャリアだった自覚はあんまりない。自分が悪いんだって、消えてしまいたいとは思ってた。でも、母親を消せばいいとは思わなかった。あの時までは。

 単なる保菌者にすぎなかった。まだ発病してなかったんだ。

「この化け物をやらなきゃやられるって思った。絶望の中で心が真っ黒に染まるのがわかった気がした」

 黒いトゲトゲが入り込んで、埋めていく感じがした。あの時、俺は単に心を宿して運ぶだけの存在から完全な感染者になった。

「ひどく気持ちが悪くて、ムカついてしょうがなかった。自分を殺そうとする母親もそうだけど、とにかく不快感でいっぱいだった」

 あの時、母親を殺すことで心が埋め尽くされていたら今はなかったと思う。俺もビーストになっていたかもしれない。

 はたから見れば、生活を苦にして三度も息子を殺そうとしたひどい母親だろうけど。

 それでも俺には唯一の家族だ。だから、俺にだって母親への情があったんだと思う。生活は苦しかったけど、やっぱり好きだったんだ。

 その思いまではシンでも奪えなかった。母親は化け物になって死んだのに、俺は守ろうとした。母親の魂の存在を感じてた。肉体が死んでも化け物の黒いトゲの鎧の奥で苦しんでるのがわかってた。

「それで征服したの……?」

「ガキだったからさ、単純なものだ。まあ、幼い内にシナーになったやつなんて、そんなもんだと思うぜ?」

 現実と虚構の区別が付かなかったっていう奴だっている。全部、夢だと思ってたっていうのも聞く。

「赤ん坊の時からシナーだった人だっていると思うと、何も不思議じゃないだろ?」

「そ、そう、だね」

 シナーにおける不思議は色々ある。でも、愛紗先輩なんか生きた不思議だ。

「僕は、まだ幸運だったのかな」

「お前には神のご加護があるのかもしれない。俺にはお前が希望に思えるんだ」

 陽大が天使に見えるって言っても大袈裟じゃない。清花を失ってから、神父様以外の誰かに心の内を晒したことがない。愛紗先輩にさえも。

「ねぇ、キヨ兄。キヨ兄は気にしなくていいって言うけど、キヨ兄こそ僕のこと気にしないで。無理して義指を付けなくたっていいんだよ」

「気付いてたのか」

 陽大が頷く。陽大が気味悪がると思って、俺はいつでも自室では付けない義指を付けてる。そうしている自分に違和感を覚えていたのも事実だ。

 俺はやっぱり、左の薬指を失った自分がありのままなんだって考えに取り憑かれてるから。

「なぁ、陽大」

「一緒に風呂入るか? 大浴場の」

「えっ……」

 部屋にあるのはシャワーだけ、人が少ない時間になら大浴場に行くのもいいかもしれないって思った。

 でも、陽大があんまりに驚いた顔をしたから俺は笑う。

「冗談だ」

 陽大が俺を『キヨ兄』って呼んで、敬語もやめたから、浮かれてるのかもしれない。どうかしてると思った。

 でも、ガシッと手を捕まれた。

「入る!」

「えっ……」

 今度は俺が驚く番だった。

「僕、キヨ兄とお風呂入る! 背中流してあげるよ!」

 あのキラキラした目で陽大が俺を見る。愛紗先輩が手当たり次第に家族を欲しがっているとしたら、陽大は兄貴を欲しがっていたのかもしれない。


 そうして、俺達の関係はすっきりしたわけだ。一緒に風呂に入っただけに。

 その話が後日愛紗先輩にバレて羨ましがられたけど。いや、愛紗先輩こそ、女子連中と毎日お風呂パーティーだって噂で聞いた。羨ましくないけど。

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