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Sleeping Beauty Doll  作者:
第一章
2/14

 昼の色に夜の色が混じる。光が落ちて闇に包まれ始める。

 夕方、黄昏、言い方は多々あるけれど、俺は逢魔時こそ相応しい言葉だと思っている。あるいは、大禍時か。

 大きな禍が起こる時刻、本当にそうだと思う。

 だって、俺は魔に逢ったことがあるから。

 そう、あれを魔とするならば、俺は魔をなくすためだけに生きている。

 俺達の言葉では魔ではないのだけど。


汚穢(けがれ)――最近ではシンと呼ぶ方が多い」

 魔はこの世の汚濁だ。ケガレとシン、どちらも同じものを示している。少なくとも俺達の間では。

「シン……罪、ですか?」

 戸惑いがちな声が聞き返してくる。

 振り向けば、大きな目が不安たっぷりに俺を見てた。

 少年と言うには可愛いらしい。同じ男を妙な気分にさせるような、女装させたら女よりも女っぽくなるんじゃないかって言うような顔つきだ。

 俺よりも背は低い。学年は一つ下だって言ってたか。

 日向陽大(ひむかいようた)、十五歳。

 今日から君の後輩だ、と差し出されたのはつい数分前。自己紹介もせずにここに連れて来た。

 まもなく闇に包まれる街を見下ろせる丘にある公園は俺にとっては伝統の場所だった。

 思い出なんて言うほどいいものじゃない。第二の人生の始まりの場所なんて言ったら格好付けすぎかもしれない。

 十七年しか生きてないくせに、と言われるかもしれないけど、実際、今の俺の人生はここから始まった。

「罪は何から生まれる?」

 何を言ってるのかよくわからないと顔に書いてあるのが見て取れるようだった。

 陽大は狼に捧げられた羊の気分なのかもしれない。緊張を優しく解してやることなんて俺にはできない。

 多分、陽大は俺を怖がってる。隣に立たないで一歩下がったところに止まってるから。俺の隣が恐ろしいのかもしれない。

 もしかしたら、俺も昔はこう見えていたのかもしれない。あの時の俺はもっと小さかったけど。でも、同じだった。

「悪意……ですか?」

 少し考える素振りを見せた後で陽大は言った。

「悪意のない罪もある」

「人、ですか?」

「ああ、この世の汚濁は人から作り出されたものだ」

 俺の言葉は受け売りにすぎない。こうして俺に教えてくれた人がいた。

 だけど、自分の目で真実を見てきたからこそ、初めて語れる。

 こうして、ずっと受け継がれてきたのかもしれない。

 これは儀式だ。俺にとっても陽大にとっても。

 俺の実感を陽大が理解するのは何年後のことになるんだろうか。見届けることがあるかなんてわからないけど。

 でも、きっと、ずっと受け継がれていくんだ。

「人は欲にまみれ、生きてる限り罪を犯す。大きかろうと小さかろうと、悪意があろうとなかろうと罪を犯さない人間なんていやしない」

 いかにこの世に罪が満ち溢れているか。罪こそが人だと思わずにはいられないくらいに。

「傲り、妬み、怒り、怠け、欲深い、人の穢れた念は強ければ強いほど浄化されきれず淀む。罪は罪を呼ぶ。人から生まれて、人に憑き、悪意を助け、罪を起こさせ、やがては死に至らしめる。死して消えることなく、また他人に憑こうとする。その繰り返し。しかも、強い悪意を持つ者は化け物となり果てる」

「化け物……」

 呆然と陽大が繰り返した。

「ビースト――黒い魔物を見たんだろ?」

 俺は何も聞かされてないけど、様子を見ればわかる。パターンなんて限られてる。

「……両親を、殺されました」

 陽大の唇がわなわなと震え、ぎゅっと拳を握りしめたのがわかる。

 俺だって今でも思い出す。この世にこれほど汚いものがいるのかっていう真っ黒な怪物、醜悪な獣。口を開けて、貪欲に俺を喰らおうとしてた。

 今だって、あれに対する恐怖は完全に消えていない。簡単に克服できるものじゃない。

「あれは人だった」

 俺が言えば、特に驚くわけでもない。陽大はわかってたんだと思う。

 今だって落ち着いているように見える。辛いことを思い出しているだろうに、取り乱しもしない。

 俺は続ける。

「シンに憑かれた悪人は自らの罪に食われる。そして、人を食らう」

 陽大は目の前で両親が食われるのを見てしまったんだろう。陽大自身もそうなるところで、でも、生き残った。そして、保護されたんだろう。

「シンは黒い薔薇のトゲとして見える」

 陽大がそっと右手で自分の体を抱くようにした。絡み付くあの感触を思い出したのかもしれない。

 俺だって何年経っても忘れられやしない。忘れられるはずがない。

 何も聞かされてなくても、言わなくても同じだって感じる。俺に教えてくれた人もそうだったはず。

 だって、結局、同じ傷を持った人間しかこないのだから。

「シンに憑かれれば、人は罪を犯す。でも――」

 俺は一度、言葉を切る。真っ直ぐに陽大を見据える。

「――シンを征服した者はどうなると思う?」

「征服……?」

 陽大の困惑が手に取るようにわかる。

 わからない、とその目が揺れてる。心のどこかでは理解していながら。

「強い心はシンをはね除けることもある。でも、逆に自らが取り込んで支配することだってある」

 罪に心を許さない聖人のような人間だってこの世にはいるわけだ。でも、圧倒的に少ない。支配する人間だって多くはない。

「それがシナー」

「……罪人、ですか」

「昔はシナーも汚穢と呼ばれてたらしいよ。汚穢を汚穢によって拭う者、って。今でも、そう呼ぶ古い人もいるけれど」

 汚穢もグローバルになったのか、英語を使いたい人間がいるのか、そんなのどうでもいいいけど。

「生まれつきシンと戦う宿命を背負った者だと言う人もいる。でも、心の闇の深さ故にシンさえ取り込む罪深き者だと言う人もいる」

「どっちが正解なんですか?」

「正解に意味はない。議論は無駄だ。俺は俺がどっちだって構わないし、お前がどっちでも同じだ。シンによって死にたくなければ、とにかく罪を滅ぼせ――それだけが答えだ」

 偉そうなことを言ってると思う。でも、陽大は多分、理解してくれてる。

 正解はない。でも、俺が間違いなく後者であるように、陽大は前者に違いない。

 あれだけ心許なげだったのに今や一人の戦士の顔をしてると思う。宿るのは闇ではない。

「今日から俺や他のシナーがお前を教育することになる。けど、もし、俺が間違ったと思う時にはちゃんと言ってくれ」

 俺は間違わないわけじゃない。俺はシナーの中でも大罪を犯してる。俺の存在自体がタブーだと言われることもある。

「俺は天羽聖斗(あまはきよと)、適当に呼んでくれ」

「日向陽大です」

 聞かされている。でも、初めてここで俺が名前を明かして、互いに名前を知って始まった気がする。

「陽大、シナーとして、戦う覚悟はあるか?」

「はい」

 陽大は力強く頷く。意思の宿る目で俺を射抜こうとするようにして。

 ビーストに襲われていたところをシナーによって助けられ、わけもわからないままついてきたんだろう。

 それで、俺みたいにわけのわからない奴に連れてこられてここにいる。

 けれど、わかってるんだ。神の声を聞いたんだから。

「シナーのルール。復讐の鬼にはなるな。毎日神に祈りを捧げ、許しを請い続けろ。じゃなきゃ、シンによって死ぬことになる」

 黙って頷く陽大はこれが難しいことだって知らない。

 どれほど辛いかはシナーになって初めて気付く。

 でも、後戻りできる道なんて存在しない。

「陽大、恋をしたことは?」

「……恋と呼べるかわからないようなものなら」

 なんでそんなことを聞くのか、って少し困ったように陽大は答えた。

「あんまり興味がなくて」

 肩を竦めるけど、多分、それなりにモテたんだろう。

「だったら、もう誰も愛するな。これに関しては、かなりしつこく言う。うんざりするぐらいに。絶対に誰も好きになるな」

 俺も耳にタコができるほど言われた。それこそ、毎日誰かから聞かされていたかもしれない。

 みんな、そうやって自分に言い聞かせてたのかもしれない。

「そんなのは悲しいって思うかもしれない。『うるせぇよ、バカ』って心ん中じゃあ思ってるかもしれない。逆に反発心で誰かを好きになりたくなるかもしれない」

「そんなこと……」

 思ってないと言うのか。でも、そんな言葉なんて必要なくて、俺は遮って続ける。

「いや、相手がシナーなら、まだいいんだ。でも、何も知らない人間だけは好きになるな。シナーは愛によって救われない。愛ほど辛い罰はない」

 何であってもシナーは救われない。

 愛を求めても、それこそシナーを地獄へと突き落とすものだ。

「何で俺がこんなこと言うかっていうと――」

 俺は左手の手袋を外す。ギチと革が音を立てた。

 冬が近付き、めっきり冷たくなった風が容赦なく肌を掠める。

「――これが代償だ」

 手を顔の前に陽大によく見えるように翳す。薄暗闇でも街灯がある。わかるはずだ。

 陽大の大きな目が更に見開かれた。これ以上ないってくらいに。目玉がポロッと零れ落ちるんじゃないかってくらいに。

「そ、その指……」

 驚くのも無理はない。目を背けるやつだっている。

 俺には左の薬指がない。

 普段は精巧な義指を付けてるし、事故によって失ったということにしている。

 でも、シナーとして動く時、俺は義指を外す。俺の中のルールだ。義指なんていらないって思ってる。必要ないから失ったんだ。失ったことに後悔はない。

「清花」

 呼びかければ彼女は俺に寄り添う。

 純白のワンピースを纏った少女は、ずっと俺の隣にいた。

 俺はなんの説明もしなかったから、だから、陽大は何も聞かなかったし、俺と少し距離を置いてるんだろう。

 生身の人間じゃないことはわかってるはずだ。でも、幽霊かと言えば違う。

 肉体はここにはない。けれど、魂は俺と共にある。

「清花。俺が愛して、死なせた人だ」

 神はシナーの愛を許しはしない。清花はシンに殺された。神によって殺されたとも言えるかもしれない。

 陽大は視線を彷徨わせてる。

「この話は後でじっくりしようか」

 話をするだけなら、ここじゃなくたっていい。今、一気に詰め込んだって理解しきれるかもわからない。

 何のために連れてきたか。それを今から見せるしかない。

 俺は手袋をはめ直す。

「さあ、罪滅ぼしを始めよう」

 文字通り罪滅ぼしなのかもしれない。この行為は。


 太陽は落ち、夜の幕が降りた。そうなれば完全に奴らの時間だ。闇が濃くなるほどに猛威を振るう。

 ぐるる、と獣の声が聞こえた。厄介な奴のお出ましらしい。

 俺の罪を喰らいたいのか。どれほど溶け込もうとその存在は感じ取れる。

 街灯の光に照らされ、一瞬姿が見えた。

「ビースト……」

 陽大が呆然と呟く。憎悪よりも、恐怖が勝っているのか。あるいは、それが人であるということに心を痛めているのか。

「下がって見てろ。いいな?」

 前に出て陽大を制する。余計なことさえしなければ守れる。

「清花」

 呼んで引き寄せる。清花の目は色を失っている。そっと口付ければ、バサリと音を立てそうなほど長い睫毛に縁取られた瞼が閉じる。

 実体はない。けれど、触れられる。それは裏切りのキスだ。

 再び開かれた眼球に流れ込む真紅、血色の眼が爛々と輝く。

 俺を突き飛ばすようにして離れ、猛然とビーストへと向かっていく。

 純白を纏う清花と漆黒のビースト、奇妙な対峙だ。元々小柄な清花が前に立つとビーストがより大きく思える。清花が天使みたいだから、余計に醜悪さが際立つ。

 清花を喰らおうとビーストが飛びかかる。清花は白い手を振るう。

「あ……」

 声を上げる陽大にも見えているはずだ。清花の手が薙払った部分が薄くなったことに。

 何度も何度も白い手は刃のようにビーストを切り裂く。

 振り下ろされる爪を踊るようにかわして、振り上げる足で牙を折って。

「シナーの戦い方は二種類、ロザリオ片手に祈りの力で戦う奴」

 清花が負けることはない。戦いを見守りながら俺は後ろの陽大に説明してやる。

「俺みたいにドールにやらせて、美味しいところだけ自分で持って行く奴」

 両手を開いて見せる。手ぶら、ロザリオは握ってない。祈りもしてないから、こうして語ってるわけだ。

「ドール……人形ですか?」

「清花は特別だ。普通はシンによって死んだ魂を使役する。目的はその汚穢を払って天国に送ってやること」

 それもまた罪滅ぼしだ。穢れた魂はこの世に留まる。自然に浄化されることもないわけじゃないけど、いつまでも漂ってられると取り込まれて他のシンを強めることになりかねない。

「ドールにシンを捜させ、戦わせ、自分を守らせる。こっちの戦い方の方が主流だ。ドールの強さはシナーに依存するし、どれだけコントロールできるか資質も問われるけど」

 祈りの力で戦える奴なんてそうそういない。

 俺は取り分け楽をしていると言ってもいいのかもしれない。清花は特別だから強いだけだ。

 尤も、清花を戦わせるのに俺は代償を払わなきゃいけないわけだけど。

「まあ、ドールの方は労働によって天国行きのチケットを手に入れる。そのままこの世にいたって地獄行きだからな。他のシンに喰われたりもする。シンから解放されるためにはシナーに使われるしかない。魂を解放すればシナーだって少しは救われる」

 俺は別に労働の素晴らしさを説きたいわけじゃない。シナーになってしまったからには罪滅ぼしをしなきゃいけない、ただそれだけだ。

「あ、やった……?」

 陽大が呆然と呟く。ビーストは汚穢を毛皮のように纏っている。よく見れば、それもまた黒い薔薇のトゲの集まりでできてる。

 清花は切り裂き、引きちぎって、ビーストの毛皮を引き剥がした。獣から人の姿に、

 茨が絡まる黒い体、叫び苦しむ男、穢れきっている。

「まだだ」

 これで終わりじゃない。

「ここでドールにすることだってできる。試してみるか?」

「いえ……」

「賢明だ。悪人の魂は厄介だ。この世で汚穢を落としきることはできない」

 ビーストからの魂は制御が難しい。またいつビーストに堕ちるとも限らない。絡み付くトゲは常に悪意を求め続ける。汚穢を落とそうと罪はそれほど軽くならない。俺はさっさと送り出す。

 尤も、ビーストをまともに相手にするようになったのは清花を得てからだけど。

 清花の手が男の胸を貫く。汚穢が霧散する。

 ここで、ようやく俺の出番というわけだ。ロザリオを取り出し、近付く。美味しいとこどりとも言う。

 清花がそっと離れた瞬間、俺はロザリオを押し当てる。黒い煙が上がる。深い闇に溶けていくように。

 そうして、魂が一瞬弱く煌めいた気がした。これから、魂は門へと行く。そこまではもう俺達が関与するところじゃない。審判は俺達の役目じゃない。

「まあ、こんなところだ」

 一段落、俺は振り返る。

 陽大は頭を押さえて、呆然と立ってた。

「陽大?」

「……僕を助けてくれた人はどちらでもなかったんだと思います」

 困惑したように陽大が口を開く。

 シナーに助けられて保護されたんだと俺は思った。みんな、そうやって来るから。

 でも、ビーストに対抗するのはシナーだけじゃない。こちら側の神官(プリースト)だっているけど、そうじゃない場合もある。

「強烈な光でした。全てを焼き切るような。それで、僕も気絶しちゃって、気付いたら教会に……」

「パニッシャー……」

 正直、ほっとした。パニッシャーは中立の存在、こちらの味方ではないけど、敵ではない。

「パニッシャー……?」

「生まれつきの聖人様だよ。こちら側とは絶対に関わらない完全独立の存在。穢れた者を罰することができる」

 数少ないパニッシャーの一人が近くにいるとか、巡礼してるとか噂は聞いてる。

 神の光とか、神の炎とか、焼き焦がす者とかいう言い方をすることもあるし、天使だって信じてる人もいるくらいだ。聖人の生まれ変わり説も有力だ。

 俺達にはよくわからない。シナーを罰することもできるはずなのに、そうしないってことぐらいしか。

 理由なんてもちろん不明。彼らパニッシャーにだってルールがあるのかもしれない。完全に未知の領域、踏み入ることのできない世界だ。

「とりあえず、帰ろっか?」

「は、はい!」

 これ以上寒いところで話してたって仕方がない。

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