新興宗教と女子高生
「はーなーちゃん♪」
道場の外。的とは反対側、開け放たれた窓の方から聞こえる。
ここは高等部の道場である。
いくら高等部と大学部が隣同士で建てられていると言っても、どちらも広大な敷地をもっているのだが……
何でいるのよ!?危険人物!!
ぎちり、とその場で動きを止める。
~ 新興宗教と女子高生 ~
――――駄目だ…本当についていない。
普段ほとんど崩れることの無い表情が、あちこちにしわが寄り切った渋面を作る。
無視しよう。冷静な判断を下す。
「はーなぁーちゃん♪遊びましょ!」
無視だ。
ムシムシ。
これは幻聴。
「ハナちゃーん。いるのは鋭い弦音でわかってるよ~。」
怖っ!!!
ただの弦を放す音だけで!?
背中にゾゾっと悪寒が走る。
「入ってもいいですか~?失礼しまー―――――」
「っ警察呼びますよ!?…って、何その格好…?」
慌てて窓から身を乗り出して外を見る。
外には、上下白い胴着を身に着けた青年。
うららかな陽気に似合う、ゆるい笑顔を浮かべている。
相変わらず何となくもさっとしているが、不思議とこういった服が似合う男だ。
生地の分厚い胴着の上から、白い帯を腰に巻いた姿。
少なくとも、弓道でこの服を着ることは無い。
「あはは、気付いた?今日は柔道部員でーす。」
にこやかに手をひらひら振る。
「はぁ?今日、は…?」
要領の得ない会話になんだか疲れてくる。
そんな礼威を見て、ニヤリと笑う汰助。
「昨日は弓道部員、今日は柔道部員。果してその正体は!?謎多き男、ちゃすけ!その男、危険につき!…続きはウェブ――――――」
「興味ないんで。別に。」
馬鹿らしいと、背中をむける。
「は…!待って待って!」
「何よ。忙しいんですけど。」
もう、敬語を使うのすら馬鹿らしい。
あ、扱いがぞんざいだね…と笑顔を引きつらせながらぶつぶつぼやく汰助。
「いや、ちょっと、はなちゃんに謝りたいことがあったからさ?」
謝りたいこと。
それはつまり、昨日のあのことだろうか?
身構えつつ、話を聞く姿勢を見せる。
もちろん、道場になど入れてやらない。絶対に。
「何のこと?私に謝るようなことって?」
「ばれてるよね?最後の1本。」
あまりにも邪気の無い笑顔で微笑まれた。
悪気がなさそうな顔…
何故だか無性に腹が立った。
「………何のコトデショウカ?」
「…怒ってるねぇ…相当。」
笑顔で冷気を発する礼威。構わず人懐っこい表情で苦笑する汰助。
「…別に怒ってません。それより、私忙しいのでこれで失礼しますね『王子様』。」
『王子様』のあたりに最大限の嫌味を込めて、綺麗な笑顔を取り繕って窓ガラスに手をかける。
締め切ってやる。こんな窓。
「ちょ、ストップ!」
汰助は意外な素早さで駆け寄り、閉められそうな窓を手で押さえて制した。
「『王子』って…聞かれてたんだ?なら、話がはやい。」
言うや否や、懐から1枚の名刺を取り出し、こちらに渡す。
名刺には簡素な字体で所属と名前が書いてあった。
『勝利の方程式研究会 代表 茶畑 汰助』
うさんくさいことこの上ない。
名刺を指先でつまんで持ち、胡乱な眼差しで名刺と汰助を見比べた。
「…私への謝罪と、この新興宗教の団体と何の関係あるって…?」
「分かりやすい嫌がり方だねー。いや、新興宗教じゃないのさ。それはね…」
以降10分ほど、話の本筋と無駄話が複雑に入り組んだ回りくどい説明が続く。
…どうしよう。興味が無いから聞き流したい。
ともかく、この男の話を要約すると、どうやらこの胡散臭い団体は大学のサークルらしい。
たった3名の構成部員の。
そしてその活動内容が問題だった。
この『勝利の方程式研究会(略して勝研)』は、体育会系の部活に助っ人を派遣し、勝利の結果と引き換えに金品を得る目的のサークルだった。
汰助は、武道系全般の助っ人らしい。
困っている部を助ける行為。これがおとぎ話でお姫様を助ける王子様になぞらえて、自然に『王子』
と呼ばれるようになったそうだ。
本人たちはこのあだ名は嫌がっているとのことだが。
…つまり。
つまりは、だ。
高等部の弓道部は、こんなヤツに負けたのか…。
「……昨日は何で雇われたの?いくらもらったのかしら?」
「んー、それはお兄さん話したくないなぁ~」
業務上の守秘義務が…と続ける汰助に、無意識に手に持っていた矢を振りかざす。
偶然、そばに矢立てがあったのだ。
もちろん鈍く光る鏃はちゃすけを狙っている。
「よろこんでお話します!」
もう…疲れる。
またもや要約すると、毎年高等部と大学部の顧問同士が、試合の勝敗で賭けをしていたらしい。
去年の大敗から学んだ大学部顧問は、今年も勝敗が明らかなのをうけて『勝研』を雇ったのだそうだ。
「…それじゃあ、ますます最後の一本をあなたが外した意味がわからないんだけど。」
勝って報酬をもらう人間が、あえてそれを逃すなど。
もしかすると、助っ人の信頼度にも影響する問題なのではないか?
なんとなく振り上げたままの矢はそのままに、疑問を口にする。
汰助はへらりと笑いながら、真相を語りだした。目線は自分を狙う鏃に向け向けられたままだ。
「ん~。まあ、中てても面白くないかなぁ、と思ってね。」
「はぁ!?」
「あの場面で俺が中てちゃったら、みんな納得しちゃうでしょ?あいつなら勝っても仕方ないって。そしたら面白く無いじゃん。」
誰も俺に敵うヤツがいなくなるなんてサ。
しれっと笑顔で話す。
「だから、手を抜いちゃってごめんね?」
耳を疑った。
つまり、自分に匹敵する選手を作るために、あえて1本を外して周囲を煽った、と?
あらゆる武道をつまみ食いしている何でも屋が?
ぷっつん。
礼威は生まれて初めて、自分の中でなんとかの緒がぶち切れる音を聞いた。
――――こ・ん・な・ヤツに、負けたのか……!!!
「……事情はよぉく、分かりました…。とっても細やかな心遣い、ありがとうございました。」
怒りすぎると、どうやら冷静になるタイプらしい。礼威は頭の隅で思った。
笑顔で矢を矢立てにもどし、失礼しますと声をかけて窓を閉める。
汰助は満面の笑顔で手を振っていた。
あふれ出る殺気に周囲から鳥がいっせいに飛び立った気がするのは気のせいだ。
――――そう、私は冷静なのだから。
静かになった道場で、しばらく深呼吸をくり返す。
気持ちを無理矢理平らにしたところで、矢と弓を持って猛然と射位に向かった。
もうこの時点で感情が乱れていることは彼女は気づいていない。
絶っっ対に、見返してやる…!!!!!
それから日がとっぷりと暮れるまで、的が悲鳴を上げる音が鳴り続けた。