不本意な試合
茶畑 汰助。大学部2年生。
見覚えのないこの部員の名前と容姿を覚えるまで、それほど時間はかからなかった。
~不本意な試合~
今日の朝、大学部と高等部の部員たちの挨拶の場面。
何度か交流もある部同士だ。お互い大体の部員の顔は見覚えがある。
その中で唯一、見覚えのない男がいた。
秋も深まるこの季節。新入部員が入るにしては、いささか時期はずれだ。
しかし全く前例がないわけでもない。
ぱっとしない新入部員。それが礼威にとっての汰助の第一印象だった。
その印象は、すぐに鮮烈に書き換えられることになる。
試合前の練習。
茶畑 汰助が涼しい顔で放つ矢は、バシバシと的に吸い込まれていく。
どの大学部の部員よりも圧倒的な実力。しかしどこか淡々と、作業のように弓を引いているように見えた。
『さすが、王子だな』
様々な場面で、大学部の部員からこの言葉が聞かれた。
その『王子』が目の前で締まりのない顔で笑っている。
「ハナちゃんの射を見てるとさ、あぁ中るなぁーってよく分かるよね。」
試合前、ささくれ立った心で弓を引いていた彼女に馴れ馴れしく話しかけてくる汰助。
何となくもさっとした雰囲気だが、近くで見ると意外なほど顔立ちは整っていた。
「………その、ハナちゃんって…まさか私のことですか?」
気の抜けるような呼び名に、冷めた目で返事をする。
「そ。なんか響きが可愛くない?」
にっこり他意のなさそうな笑顔。
あれか。女たらし的な意味での『王子』か。
彼女の中で冷たく決定付ける。
そうとわかればメンドクサイ。この手の部類は無視するに限る。
礼威は慣れた風で口角だけを上げて微笑んだ。
「すみません。そろそろ試合が始まるので失礼します。」
言った瞬間に表情を消し、背中を向けてスタスタ歩いていく。
その背中にめげた様子もなく、汰助は続けた。
「ハナちゃんってさ、ホントに楽しそうに弓を引くよね。」
ふと、その言葉に引っかかり、足を止める。
彼に聞いてみたいことを思い出した。
「そちらこそ、機械のように本当によくペチペチ中てますね。」
振り返ってみると、キョトンとした表情。彼女から返答があると思っていなかったのだろう。
幼く見えるその表情は、徐々に苦い笑みの形になった。
「機械、か…。なるほど、言いえて妙だね?」
まるで他人事のようにくすりと笑う。
表情は笑っているのに、その目には暗い色が宿っている気がして、礼威の背筋には悪寒が走った。
「……怒らないんですね。」
「あぁ。まぁ、ある意味その通りだからね?」
彼は変わらず笑顔のまま、小さく続ける。
―――――動かない的を狙っても、意味がない。
正直、ぞくりとした。
この男、なんだかやばい。
さらっと流して、関わらないほうがいい。
しかし自分の口は、考えとは違う言葉を吐き出していた。
「的が動く時点で、弓道じゃなくなってるわ。そんな気持ちで弓を持つのはやめて。」
やばい。言ってしまった。
自分の声を聞いて、初めて自分が言った言葉だと気づく。
こんな男に意見するなど、危険すぎるのではないか?
彼女は自分の発言を無かったことにするため、努めて何事も無かったかのように振舞いつつ、自然に道場へと足を向けた。
しかし内心は、汰助への不快感と嫌悪感で一杯だった。
試合が始まってからは、その気持ちが静かな闘志へと変わっていた。
――――弓道を意味が無いという、あんなヤツに負けたくない。
当初抱いていた、奨学金のために好成績を出す、という目的は彼方に消えていた。
今まで以上に試合に集中し、結果を重ねていく。
そんな礼威の気持ちを知ってか知らずか、汰助も淡々と的に当て続けていた。
恒例行事のようなこの試合で、二人の様子は異質なものだった。
必死に2人についてきていた部員たちの成績も、徐々に矢を的から外す割合が増えてくる。
試合は、2人の一騎打ちの様相を呈してきていた。
****************
「礼威さん、次が最後だね!頑張ってね!」
今回は試合メンバーから外れていた早百合が、無邪気に礼威に声をかける。
異様な張り詰めた空気。高等部の部員の誰もが礼威に声をかけるのをやめた中、彼女だけは変わらず声援を続けた。
「ありがとう。頑張ってくるね。」
道場の入り口をくぐる直前、かすかに微笑んで早百合に応える。
最後の勝負の時がきた。全ては仲間の成績と、自分の4本の矢に託されている。
射位に立った彼女は、静まり返った道場の中でキリキリと弦を引き絞った。
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ガギッ!!!
道場の全員が息をのむ。
外で結果を見守る人間は、全員が身を乗り出して遠い的を凝視した。
「うそ……」
礼威の的には中心に矢が3本。
そのうちの1本は、羽根の付いている側から無残に破損していた。
先ほど放った最後の1本が、鉛筆ほどの太さの矢に後ろから当たって跳ね返されたのだ。
地面に転がる礼威の1本の矢。
『追い矢』
それは弓道の試合では大変珍しい事態だった。
本来なら中るはずだった矢。しかし、最終的に的に刺さっていない時点で成績にはカウントされない。
彼女は、20射目の最後の1本、たった1本だけ外してしまった。
最初は放心状態だった礼威だが、徐々に悔しさがこみ上げてくる。
集中が裏目に出た。まさか同じ場所に中るなんて…
唇をかみ締め、最後の相手の試合を見学する。
あとは相手の結果次第だった。
相手が矢を外す度、密かに一喜一憂する。それでも1本、また1本と差は縮まってきていた。
高等部のメンバーは、固唾をのんで見守る。
最後の2本。
大学部の主将が1本を決める。
――――――これで、高等部の勝ちはなくなった…。
高等部がこぶしを握り締め、大学部が安堵の息をつく。
良くて引き分け、悪くて負け。
茶畑 汰助の1本ですべてが決まる。
全員が、1人の射を見守る。
遠くで鳥のさえずりだけが聞こえる道場。
正座しながら見守る全員の体が無意識に前のめりになっていた。
パンッ!
軽やかな弦の音。
全員が、的を凝視する。
汰助の的。そこには、3本の矢が刺さっている。
最後の1本は、的のギリギリ外、角度によっては的に刺さっているようにすら見える場所に刺さっていた。
的のそばから確認係の声が聞こえる。
紛れも無い成績。
対抗試合の引き分けが、決定した―――――。
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