生きるとは斯くも厳しきこと也。
「あいたたっ…。」
めっきりと冷え込んできた夜の帰り道。
日曜だろうと平日だろうと関係なく人通りの無い道を迷い無く進む。
一日中とり憑かれたように弓を引き続けた結果、早くも礼威の両腕には筋肉痛が到来していた。
――――若いってすばらしい!
筋肉がさらについて、無駄に太くなっていく二の腕を想像。嬉しさ半分、せつなさ半分で投げやりに思う。
もはや、スーパーで買ったキャベツ1玉と鶏肉2パックを持つことすら限界ギリギリだ。
いつもは機敏でテンポ良く歩くその姿も、ずいぶんと心もとない足取りとなっていた。
「なんだか最近、調子狂うなぁ……」
長い睫毛を伏せ、ため息をつく。
彼女の憂う表情も人を惑わせる魅力を持っている。
彼女はいつもの通り周囲を警戒し、人の目が無いのを確認した上で、表札の無い古い文化住宅に帰宅した。
「ただいまー。」
毎回付け替えようかと悩む引き戸をこじ開け、家族全員を一望する。
そこには、異様な光景が広がっていた。
「何、これ……?」
~生きるとは斯くも厳しきこと也。~
「ちょ、何があったの!?」
あわてて室内に入り、返答は無いと知りつつも犬のサンタに声をかける。
お世辞にも広いとはいえない畳敷きの部屋。
その中で対峙する、ドラゴン1匹と犬たちその他もろもろ。
部屋の中央付近には、ドラゴンの加藤が尻尾を振って動物たちを見つめる。
部屋の隅には動物たちが密集し、体の大きいものが前面に出てドラゴンと対峙できるようなディフェンス重視の態勢。
………小さな世界に食物連鎖のピラミッドが見えた。
「まさか…誰かいなくなったり…してないよね…??」
全身に冷や汗をかきつつ、加藤とサンタたちの間に割って入る。
震える指先で人数点呼。
よかった。とりあえずは誰もいなくなっていない…
安堵の息をつくが、ふとサンタの前足の毛がうっすら赤くなっているのに気付いた。
長い毛足で見えにくいが、白い毛並みをかき分けると、左前足の怪我が見える。
大きな怪我ではない。血も既に止まっており、消毒程度ですむだろう。
しかしその傷の原因が何か分かり、礼威は無性に泣きたくなった。
「ごめんね。痛かったね…。護ってくれたのよね…。有難う。」
サンタを強く抱きしめる。
彼は礼威を心配するように鼻面を彼女の髪に押しつけ、ペロペロと頬を舐めた。
サンタの脚の傷。
それはちょうど、加藤の口のサイズと合致していた。
加藤もサンタたちも誰も悪くはないだろう。
『家族』に騒乱の種を持ち込んだのは自分だ。
生態の分からないドラゴンを勝手に拾い、動物だけの部屋に放置したのは自分だ。
――――迂闊すぎた……。
歯噛みして、加藤に向き直る。
それまでクンクンと礼威のにおいを嗅いでいた加藤。礼威の視線に気付くと小首をかしげ、尻尾を振りつつこちらを見上げた。
キュイ、キューゥ?
『ご飯、まだ?』くらいの鳴き方だろうか。
「ごめんね。お腹、空いてたんだよね…。」
加藤の頭をなでる。目を細め、気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
「加藤。お願いがあるの…」
キュイ?
―――――やはりこの竜は賢い。十分にやり取りが成り立つ。
そっと、加藤を抱き上げた。
湯たんぽのように暖かく、すべすべと滑らかな触り心地である。
「あなたが満足出来るくらい、もっと鶏肉をあげるから。だから、一緒に暮らす『家族』は食べないで。」
『家族』は誰かを見せて、それから目線を合わせて訴える。
キュウッ、キュイ?
小首をかしげる加藤。伝わらないのだろうか。
しかし礼威は諦めずにくり返した。
「私の家族は皆、大切な子たちなの。もちろんあなたも。加藤も大切な家族よ。だから、大切な子同士が傷付けあって欲しくないの。わかって…。」
……キュゥ~?……キュイキュ!
しばらく考えるそぶりを見せ、やがて尻尾を振りながら礼威の鼻を舐める。
それは、都合が良いかもしれないが、加藤からの了承のサインのように思えた。
「わかってくれるの?……有難う!」
あまりの愛しさに強く抱きしめ、ゆっくりと床に降ろす。
「よし!じゃあ、サンタの怪我の治療をしてから、ご飯にしようか!」
華やかに笑いながら、彼女は『家族』全員に声をかけた。
それ以来、本当に加藤は『家族』の誰に手を出すことも無くなった。
サンタともじゃれ合うなど、仲良くやっているようだ。
まだハムスターのポットやハツカネズミのサウザンドたちは加藤を恐れているようだが、加藤は彼らをなんら気にしていない様子である。
鶏肉の出費は倍以上になり、苦しい限りではあるが…。
加藤は着実に礼威の家族として馴染んできていた。
今は室内で大人しくしてくれているが、これからさらに元気になっていく加藤をどのように人目から隠すか。急いで考える必要がありそうだ。
……そして、なぜドラゴンが実在するのか。
その問いは依然謎のまま、日常生活に埋もれていた。