第四話/moviendo
「旅、かぁ」
アルトは少しだけ考え込んだ。
「そうだね、楽しいよ。新しい街で、新しい音楽に出会えてさ」
「羨ましいぜ、正直」
アルトとリュートはココアを啜りながら床に座った。
「オレも旅に出たいんだよ」
リュートは、ポツリと呟いた。
「どうしてだい?」
「……オレの夢はギターで『女神の奏者』になることなんだ。だから、いつか旅をしてギターの腕を上げてえ。見聞のない『大音楽家』なんて意味無いだろ?」
アルトは飲み干したコップを床に置き、リュートを見た。
できるさ、とアルトは呟く。
「できるさ、いつでも。君が本当に望むなら」
―――翌朝。
アルトが布団から這い出すと、リュートはすでにキッチンの中にいた。
何やら香ばしいにおいが鼻をくすぐる。
「おはよう」
「ああ、もう起きたのか。おはよう」
首だけ振り返って返事をしたリュートは、フライパンで器用にスクランブルエッグを作っているところだった。
「料理もするんだ」
「当たり前だろ? 普段は一人暮らしだぜ」
リュートはフライパンを振るってスクランブルエッグをまとめると、皿に適当に分けていく。
「ほらよ」
「ありがと」
アルトはそれを受け取るとテーブルに座り、リュートを待った。
遅れてリュートが席に着く。
「で、だ。今日の計画を立てないとだな」
リュートはスクランブルエッグをスプーンでかき混ぜながら切り出した。
「『女神の奏者』探しならやっぱり噂話を追って行った方が良いな」
『女神の奏者』ほどの演奏者が街に現れれば、その噂は普通、すぐに広まってくるだろう。
ならばその噂を追っていけば『女神の奏者』に会うこと自体はそれほど難しいことでは無い。
「この近くの街にも来てたらしいからな、それを起点にしていこう」
リュートは地図を取り出すとテーブルに広げ、スプーンで一点を示した。
「ここがブレーメン。んで……」
そのままスプーンを平行にずらす。
「ここが目撃情報のあったレジェロだな。馬車で二日だから歩きだとかなりかかるけど、ここを目指してたって言うし馬車を使ってるのは間違いな……」
と言いかけたところで、リュートはアルトの表情を見て口をつぐんだ。
なにやら明後日の方角を向きながら、だらだらと汗を流しはじめている。
「どうしたんだよ?」
「…………」
顔を引きつらせるアルトにリュートが尋ねると、アルトは小刻みに指を震わせながらレジェロの町を指差した。
「僕、二日前にここからこっちへ来たんだ」
気づかなかったんかい! とリュートは椅子から転げ落ちそうになったが、どうにか体勢を立て直して言った。
「そ、そうなのか。だったら村で妙な事はなかったか? 『女神の奏者』は魔法が使えるんだしさ」
「うーん、変な事かい? 別になかったと思うなぁ」
「……そうか。やっぱりホイホイ魔法を使っちゃくれねぇよなー。それだけで人だかりができるのも嫌だろうし」
リュートはやや残念そうにうなずくと、スクランブルエッグを一気にかきこんだ。
アルトが『女神の奏者』を追い越してブレーメンにやってきてしまったのは仕方ないとして、『女神の奏者』がいることに気付けなかったという事は、その『女神の奏者』があまり魔法を使っていなかったということだろう。商人の一人が見たと言う話も、ひょっとしたら勘違いかもしれないし、その商人にだけ何かの理由で見せたという可能性もある。
その『女神の奏者』があまり魔法を見せたがらない性格なのであれば、もしかしたらこのブレーメンも何事もないうちに去ってしまうかもしれない。
手掛かりは、件の『奏者』がリコーダー使いだということだけだ。
「地道に聞きこみ続けるしかない、か」
リュートはそう結論づけて、立てかけてあったギター『ラインハルト』に手を伸ばした。
***
リュートの家から歩くこと数分、アルトたちは先日出会った広場までやってきていた。
まだそれほど日が高くない時間だが、すでに十数人ほど、距離を置いて演奏を披露している。
「おぉ、さすがブレーメンだねぇ」
「パレードの日なんてもっとスゲーんだけどな?」
広場へ彼がやってきたのは、もちろんアルトのための情報収集を手伝うためでもあるが、いつも通り演奏をしてお金を稼ぐのが目的だ。
もちろん、金欠だというアルトもここでいくらかお金を得てもらおうという計らいもあった。
のだが。
「……妙に客の集まりが悪いな」
パタン、とギターのケースを閉じて、リュートが呟いた。
小一時間ほど演奏していた彼だったが、普段と比べてあまりにもギャラリーが少ない。
リュートの周囲だけでなく、広場で演奏しているどの演奏家を見ても、周囲にほとんど客が集まっていないのだ。
とりあえず場所だけでも変えようとギターのケースを背負ったところで、アルトが駆け寄ってくるのが視界の端にちらと見えた。
「どうした?」
「うん、えっとね。あっちにすごい人だかりができているんだよ」
「なんだって?!」
アルトが指差した方に、リュートは勢いよく振り返った。
この音楽都市『ハーメルン』の広場で、衆目を一手に集めてしまうほどの存在。
そんなものがあるとすれば、ほんの一部に限られる。
「『女神の奏者』……きっとそうだ!」
リュートはアルトの方を見た。
二人で頷き合い、人だかりのある方へと駆け出す。
「ま、魔法だっ!!」
そんなどよめき声が、風をつたって聞こえてきた。