第三話/giocoso
そもそも『女神の奏者』といえば、万人の目標と言っても良い存在だ。
それがふらりと街を訪れた場合は噂が瞬く間に広がり、小さな町にでも遠方から大慌ててやってくる者まで居る。
そういった噂話を広めていくのは多くが行商人や旅人といった街を巡る存在。
音楽都市であるブレーメンには行商人や旅人も多いため、そういった噂なら容易に入手できる。
アルトはリュートに案内をされながら、宿場外を歩いていた。
宿を取る行商人辺りに噂を知らないか尋ねてみよう、とリュートが提案したのである。
もうすぐ沈み切ってしまいそうな夕日に照らされた道では、店じまいの準備を始めている人々が忙しく動いていた。
対象的に酒場ではランプに火がともされ始め、客の数が少しずつ増えているようだった。
「……ここならいるかな」
リュートが立ち止まったのも、そんな酒場の一つ。
「心配すんな、飲まねえからよ」
ニッと笑ってリュートが言ったのは、アルトがあからさまに不審そうな表情をしたからだ。
結局、アルトは酒の臭いを避けて酒場の前で待っていることにした。
リュートが酒場に入ると、既に半分ほどの席には人が座っていた。
まだ夕方という事もあり大騒ぎをしているというほど酔っている人は居ないようだが、殆んどの人は機嫌が良さそうに酒と料理を注文していた。
その中で、リュートは椅子の下に大きな荷物を押し込んでいる男に近づいて行った。
「ん?」
男はリュートに気が付いたようだが、そこそこに酔いが回っているらしく、訝しむ様子もなかった。
「おっさん、その荷物を見たところ……行商人か?」
「ああ。今朝、北からやってきたところだ。収穫期にこの近くで取れた麦を買い取って、また北に持ち帰って売るんだよ」
口元を緩めながら喋る。
普段から饒舌なのかは分からないが、既にそこそこ酔っているのかもしれない。
「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「この近くで『女神の奏者』を見たって話、知らないかな?」
「ああ、そんな事か。知ってるよ」
意外なほど簡単に返事が返ってきた。
「北の……そう、レジェロって村だったかな。ここから馬車で二日ほどの街に不思議なリコーダーを持った奴が居たと、他の商人に聞いたな。そいつの話だと、このブレーメンを目指してたって話だ」
「それを聞いたのはいつごろ?」
「三日前になるか。足止めさえ食らってなけりゃ、そろそろついてても良いころだぜ」
リュートは商人に礼を言い、急いでアルトのところへ戻った。
「じゃあ、もうこの街に来てるかもしれないんだね?」
アルトはリュートの話を聞き、飛び跳ねるほど喜んでいた。
ただ、『ブレーメンにやってきた』という噂が流れていないのはまだ到着していないからだろう、とリュートが付け足す。
「でも、こっちに向かってるらしいし距離は遠くない。何日か待っていれば会えるんじゃねぇかな」
アルトは頷き、リュートに繰り返しお礼を言った。
が、ふと何か思い至ったように動きを止める。
「どうかしたのか?」
不思議に思ったリュートが尋ねると、アルトは苦笑いしながら呟く。
「宿……」
まだ、とっていなかった。
結局、腹を抱えて笑わせてもらった礼、ということでリュートが家の部屋を一つ貸してくれることになった。
「でも、何もかもしてもらって」
アルトが言いかけると、リュートはニッと笑って答えた。
「俺も楽しいから良いんだって。父さんも母さんも旅に出てるから、部屋が余ってても仕方ねぇしな」
そんなリュートの家は、古びた作りとはいえ立派な構えをしていた。
中に入ると大部屋には立派に暖炉があり、リュートの両親が金銭面では豊かな暮らしをしていたことが分かる。
アルトは荷物を降ろしながら、部屋の中を眺めていた。
家の中にはいくつものトロフィーやメダルが飾られてある。
そこに掘られている名前はリュートの物ではないため、恐らく彼の両親が勝ち取った物だろう。
「すげぇだろ?」
アルトが後ろから掛けられた声に振り返ると、リュートが両手にマグカップをもって立っていた。
「オレの両親は、ちょっとは有名な『リュート』奏者でね。オレの名前にまで『リュート』だぜ、参っちまうよな」
おどけて言いながらリュートはマグカップの片方をアルトに差し出した。
中にあるのは湯気の立つホットミルク。
アルトはお礼を言って受け取り、それをちびちびと啜り始めた。
「そういえば、オレもお前にいろいろ聞きたいことがあったんだよな」
「何だい?」
アルトが聞き返すとリュートは暫くためらうような素振りをし、ようやく意を決したように尋ねた。
「旅って、楽しいか?」