第二話/Liuto
少年がギターを弾くたびに、その重く、くぐもった音が『落ちる』。
お世辞にも音楽とは言えないが、雑音であると断じることもできない、そんな奇妙な音の中心にいた少年は暫くしてから諦めたように肩を落とした。
「やっぱ……まだ、ダメ、かよ」
ギターを専用のケースにしまい、広場から立ち去ろうとした少年に、アルトは駆け足で近づいた。
アルトに気づいた少年は怪訝そうな顔をして振り返り、立ち止まってアルトに尋ねた。
「何かオレに用か?」
ギターが下手だってんなら言われるまでもねーぜ、とため息交じりに言う少年に対し、アルトは首を横に振った。
「今の演奏のことなら、あれって単にお兄さんが下手だからとか、そういうことが理由じゃないよね」
単純な印象の問題だった。彼の演奏には綺麗な音色も整った諧調も存在していなかった。にもかかわらず、雑音とも感じられない。
それ以前に。普通の楽器からあのような音は出ない。
「そのギターは『名器』だね。お兄さん、『女神の奏者』に会った事があるの?」
アルトが少年に話しかけようとした理由は、単純に彼の目的の手がかりに一歩近づけるかもしれないと思ったからだ。
「お前、一体……?」
驚いた表情をする少年に、アルトは笑顔で答える。
「ボクはアルト。『女神』を探しているんだよ」
少年もアルトに興味を持ったらしく、立ち話もあれだという事でアルトを宿場街にある喫茶店へと誘った。
外観こそレトロな雰囲気だったが内装は小奇麗にしてあって、街全体の喧騒からは切り離された落ち着きのある店だった。
少年はカウンターの向こう側で椅子に座って読書をしていた店員らしき男にコーヒーを二杯注文すると、そばに会った丸テーブルを選んで腰かけた。
「さっきアルトって言ってたな。オレはリュートっていうんだ。よろしくな」
リュートと名乗った少年が差し出してきた手を握り返しながら、アルトも座る。
「オレもお前にいろいろ聞きたいんだけどさ、先に質問に答えておくよ」
リュートは席に立てかけていたケースからギターを取り出すと、丸テーブルの上に置いた。
わずかに光沢のある黒塗りのボディー、そしてその側面にはやや掠れているものの金の文字で『Reinhardt』の銘が刻まれている。
「お前が言った通り、このギターは『名器』の一つだ。もともとの使い手の名前を取って、『ラインハルト』っていう」
「ラインハルトって、あの『三本指』かい?」
アルトは少し驚いた表情をした。
リュートの口にした名前が、あまりに高名な存在だったからだ。
「そう。火事で左手の薬指と小指が使えなくなった後にオリジナルの運指法を作り上げて、『女神の奏者』にまで上り詰めた、名実共に伝説のギタリストだよ」
リュートは、まるで自分の事のように誇らしげに、はにかみながら語った。
「そもそも『女神』は本当に選ばれた音楽家の前にしか現れてくれない。認められれば魔法みたいな力が貰える。あらゆる音楽家の目標にして頂点だけど、実際に『女神の奏者』になれる奴なんてほんの一握りしかいない。それに三本の指だけで辿り着いたってんだから、すげえよな」
リュートがそこまで言った所で、コトッとテーブルにコーヒーカップが置かれた。
コーヒーを持ってきた給仕服の少女は軽くお辞儀をして、また店の奥へと戻っていった。
「でも『名器』って、『女神の奏者』が愛用していた楽器なんかに、その力の一部が自然と宿った物だよね。どうしてお兄さんが持っているんだい?」
アルトはちびちびとコーヒーを啜りながら尋ねた。
アルトの言うように、『名器』と呼ばれる楽器は持ち主の『女神の奏者』の持つ力の一部が宿った物を指す。
が、あくまで副産物的な存在であるため自在に魔法を行使できるような便利な代物ではない。
その上、宿った力の影響のためにかなりの玄人でなければ音を鳴らすことが出来ない。
リュートの場合も不完全な音を発するにとどまっていたが、それでもかなりの訓練が必要だったことだろう。
「もらったんだ」
リュートは答えた。
「七歳くらいのときだったっけな。この町に『三本指』がやってきたんだ。その頃のオレは音楽がぜんぜん楽しくなくてさ、でもあのギターは本物だった。すっげー感動してさ、毎日聴きに行ってたんだ」
湯気の立ったコーヒーを一口で飲み干しながら、リュートは懐かしそうに笑った。
「一週間くらいたつころには顔を覚えてくれた。一月たつころからオレにギターを教えてくれた。あのときはもう五十歳くらいのはずだけど、オレにとって最高に格好いい大人だったんだぜ」
リュートは一度言葉を区切り、『ラインハルト』を持ち上げた。
「半年たって『三本指』は突然この街を離れた。やらなければならないことがある、って言ってたっけな。その時、これをオレにくれたんだ」
そういうわけだ、と言いながらリュートは再び『ラインハルト』をテーブルに置いた。
店のぼんやりしたライトに照らされ鈍く光りを放つそのギターは、さながら一つの芸術作品のようだった。
「そういえばお前、さっき『女神』を探してるって言ってたけど、『女神の奏者』に会って手がかりでも聞こうってことか? だとしたらラインハルトはもう十年、この街に戻ってないぜ」
「そうかい……。それは、残念だよ」
アルトは目に見えてがっかりした様子で肩を落とした。
が、それを見たリュートはアルトの方をポンポンと叩いて笑う。
「でも、まあ、ここは音楽の中心だぜ?」
ポカンとするアルトにニッと笑いかけながら、リュートは付け加えた。
「噂じゃ最近もこの近くの街に『女神の奏者』が来てたらしい。ひょっとするとこの街に来てるのかもな」
と。
読了ありがとうございました。
……若干、説明よりな回になってしまった気がします。反省ものですね。
ここまで準備回が続いていた気がしますし。
そろそろ物語の本筋に突入……?
次回もおつきあいくださると幸いです。
ではまたお会いしましょう。