短編 『王様の話』
ある時、突然世界に平和が訪れた。
あらゆる人が幸せになった。
ただ一人を除くすべての者が、その喜びに酔いしれた。
男は恐怖を感じていた。
取り残されたこの世界で罪を問われ、どんな残酷な罰が彼を待ち受けているのかと……。
もう、男の命令を受け、守ろうとする者は誰一人いない。
平和な世界で、男は孤独だった。
そして男はすべてを壊すべく、そのスイッチを押した。
……しかし、何も起こらなかった。
人を苦しめるものはすでに壊されて、この世から消えていた。
男を守る者はいなくなったが、迫害する者もまたいなくなっていた。
この平和な世界では、罪を咎める者など、もう存在しないのだ。
何もかも思い通りにならず、男はこの平和になった世界に、憎しみを抱いた。
男はところかまわず人を殺し始めた。
武器はこの世から消えていたが、首を絞め、包丁で刺し、石で殴り。
罪のない人々をその手にかけていった。
男はそれでも気が収まらず、周囲の人間が嘆き悲しむ様を見るために、その場に残って物陰からその後の様子を眺めた。
男が思い描く通り、人々は哀しみに暮れた。
しかし、死者の生前の行為に感謝して、尊敬の念を込めて弔い、皆心の底から涙を流すが、同時に、穏やかに微笑んでもいた。
その顔に悲しみはあるが、苦しみは見当たらない。
だから、残されたものは思い出を胸に、新たな日々を笑顔で迎えることができるのだ。
どんなにひどい殺し方をしても同じだった。
犯人を探して吊し上げることなどみじんも考えず、男を野放しにして、その結果罪は繰り返される。
愚かである。
そしてどこまでも平和なのだ。
男は初め、涙を流す人々を笑いながら見ていたが、だんだん虚しさを感じるようになった。
怒り。
憎しみ。
恐れ。
男が残された者に望んでいたものだったが、その実男の心の中を満たしていた感情だった。
虚しさと孤独は、前とは違う恐怖心を男のもとにつれてきた。
今まで味わったことのないような恐怖が、内側からどんどんあふれて、その恐ろしさに男は叫び声をあげた。
恐怖心にとりつかれた男は逃げ出した。
叫び声をあげて去っていく男の正体に、気付いている者は少なくなかった。
でも人々は誰も男を追わなかった。
憎しみもまたこの世から消え失せ、皆がこのどうしようもない男を
許した。
男は逃げ疲れ小さな街で暮らしはじめた。
優しい人に囲まれ老いながらも、男は一つの考えにしばられ怯えていた。
『きっといつか繰り返す
世界は狂気から逃れられないのだ』
と・・・。
男は穏やかな世界で生きるだけ生きた。
時が経ち、安らかな眠りが男に訪れた時
町中の人間が悲しみに暮れた。
無口な男が最期に流した涙の意味は誰もしらない。