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千年の時を超えて

作者: ミカン♬
掲載日:2026/05/16

 どんな時代にも、どんな国にも――“黒歴史”は存在する。


 栄光の裏に積み重なった屍。

 勝者に消された敗者たちの記録。


 光の陰で、必死に抗いながらも、運命に呑まれていった者たち。


 キプロス王朝最後の王子――フランシスもその一人。


 彼は後に、“悲劇の王子”と呼ばれた。


 ◇◆◇ラーナ視点◇◆◇


 ――フォーレスタ国の史実を読んだのは、私、ラーナが五歳の時だった。


 胸が痛くなる内容に涙が零れた。

 悲劇の王子様を、絶対に助けてあげたいって思った。


 史実によれば。


 今から千年以上前。

 キプロス王国で、大規模なクーデターが勃発した。


 中心となったのは、後に栄華を極めるフォーレスタ公爵家。


 彼らは旧王家を打ち倒し、新たな王を擁立した。

 そしてキプロス王朝は、歴史の闇へと消えていったのである。



 ──すべての始まりは、一人の王女だった。


 ポルタニア国から嫁いできた、美しき王女マリエッタ。

 彼女はキプロス王国の王太子妃として迎えられた。


 銀糸のように輝く髪。

 春の若葉を思わせる柔らかな瞳。


 その美貌は、人々を魅了した。


 だが――

 彼女は、この国を愛さなかった。


 豪奢な宴に明け暮れ、甘い言葉を囁く貴族たちに囲まれながら、民の苦しみから目を背け続けた。


 やがて王太子が国王として即位し、マリエッタは王妃となる。


 二人の間には、二人の子どもが生まれた。


 王女ジュリア。

 そして王子フランシス。


 姉弟は母に似て、美しかった。

 それだけではない。聡明で、心優しく、多くの者に愛された。


 けれど。

 国を治めるべき王と王妃は、政務より快楽を優先した。

 愛人たちを城へ囲い、贅沢を重ね、腐敗は広がっていく。


 重税に苦しむ民の怒りは、やがて限界を迎えた。


 そして――キプロス王朝は滅びた。


 王と王妃、その一派は処刑。

 王家の栄華は、血と共に断ち切られたのだ。


 しかしそのとき。

 ポルタニア国の王妃――マリエッタの母が、孫たちの命乞いのため駆けつけた。


 「せめて、ジュリアとフランシスだけは……」


 涙ながらの嘆願は、かろうじて聞き届けられた。


 姉弟は処刑を免れる。


 だが、救われたわけではなかった。


 二人は祖母のもとへ返されることもなく、“旧王家の生き残り”として厳しい監視下に置かれることとなる。


 ジュリアは十二歳。

 フランシスはまだ九歳だった。


 幼い姉弟には、あまりにも過酷な運命。


 やがてジュリアは、隣国の王の側妃として嫁がされる。


 ジュリアは泣いた。


 弟と離れたくないと。

 一緒に生きたいと。


 必死に訴えた。


 けれど、少女の願いが叶うことはなかった。


 ジュリアは嫁ぎ先で三人の子を産み、静かに生涯を終えた。


 そして――

 彼女が弟フランシスと再び会うことは、生涯一度もなかった。


 ◇


 弟フランシスが世を去ったのは、十四の年だった。

 死因は感染症。姉ジュリアにもそう伝えられたが、実際には自ら命を絶ったのだった。


 その生涯は、あまりに短く、そして耐えがたいほどに過酷だった。


 九歳で地下牢に落とされたフランシスは、日々、牢番たちからの嘲笑と暴力のなかにいた。掃除は月に二度ほど、排泄物は足元に溜まり、空気は澱み、悪臭が染みついていた。


 「クソ王妃から生まれたクソ王子」――彼らの口にのぼる言葉は罵倒ばかりで、差し出される食事は半ば食い散らかされ、残飯にも満たぬ代物だった。


 槍の柄で突かれた小さな体には、常に痣が絶えなかった。


 それでも、フランシスの心には希望があった。

 「必ず迎えに来るから。待っていてね」

 姉ジュリアのその言葉だけを胸に、彼は暗い地下の底で日々を耐え続けた。


 真冬には冷水を浴びせられ、真夏には水さえ与えられず、命が消えかけたことも一度や二度ではなかった。

 フォーレスタ王政の方針は残酷にも「生かさず、殺さず」。


 国の情勢が安定せず、民の不満が膨れ上がる中、その怒りの矛先をフランシスに向けさせるため、生きた贄として彼は利用され続けたのだ。


 過去のキプロス王家の栄華をあげつらい、民衆の怒りを焚きつける報道が続いた。


 「宝石を縫い付けた服を着せていた」

 「料理は山ほど出され、食べ残しは全て捨てられていた」

 「数十人の従者に傅かれていた」


 どれも事実ではあったが、それはかつての話である。牢獄のフランシスとは既に無縁だったにも拘わらず、民衆はフランシスへと怒りを向けた。


 ◇


 フランシス十二歳のある夜、牢番の不始末で火災が起こった。

 彼は焼け落ちる牢から辛うじて救い出されたものの、体には火傷を負い、顔にも火傷の痕が残った。


 それがきっかけで、一部の者たちから同情の声が上がり、彼の扱いはわずかに見直された。


 彼は治療を受けた病院で、回復後もそのまま働くことになった。だが、それは名ばかりの「仕事」であり、実態は奴隷と変わらなかった。

 患者の洗濯物を洗い、床を拭き、料理の下ごしらえなど、雑用に追われ、眠る暇さえ許されなかった。


 なかでも、彼が最も耐えがたかったのは、医療従事者たちからの虐待だった。


 夜になると彼らはやってきて、フランシスを押さえつけ、暴行を加えた。

 誇りも、尊厳も、ひとつひとつ削がれていく日々のなかで、彼の心はゆっくりと壊れていった。


 十四の年、感染症を患ったとき、彼は自らの終わりを悟った。


 春まだ浅い庭の大木に、病院のシーツを裂いて結びつけ、フランシスは静かに命を絶った。


 その大木の根元に穴が掘られ、そこに彼は埋められた。

 僅かに同情した者によって、やがて小さな十字架が建てられた。


 ◇


 姉ジュリアがこの世を去ったあと、フランシスの墓は掘り起こされ、姉の傍らに改めて墓が建てられた。

 生前には二度と交わることのなかった姉弟が、ようやく寄り添えたのは死後のことだった。



◇◆◇フランシス視点◇◆◇


 僕は、まだ生きている。


 冷え切った牢獄の中。

 汚れた薄い毛布を肩に掛け、石の床に身を丸めて眠る夜。

 もう何度繰り返したのか分からない。


 吐く息は白く、体は冷え切っている。


 それでも僕は、ずっと信じていた。


 ──いつかきっと、ジュリア姉様が迎えに来てくれる。


 それだけを支えにして。

 僕は今日まで、生き延びてきた。


 けれど。

 気づけば、もう三年だ。


 希望というものは、こんなふうに少しずつ壊れていくのかもしれない。


 時々夢を見る。


 暖炉の火が揺れる部屋。

 優しく笑うお姉様。


 あの頃は毎日が幸せだった。


 ……そして、あの最後の光景。


 父上と母上の首が落とされた瞬間。


 血飛沫。

 響き渡る歓声と悲鳴。


 あの日から、僕の世界は止まったままだ。


 僕の名前はフランシス。

 滅びたキプロス王家の生き残りだ。


 今年で十二歳になった。


 この牢に、あと何年閉じ込められるんだろう。


 ……お姉様に会いたい。


 その願いだけが、まだ僕を人間でいさせてくれる。


 時々、思うんだ。

 いっそ、あの日に処刑されていた方が幸せだったんじゃないかって。


 その方が、きっと楽だった。


 ここでは僕は、人として扱われない。


 牢番たちにとって、僕は奴隷ですらない。

 なんの価値もない、ただの虫けらだった。


 暗い牢獄の天井を見上げながら、僕は静かに目を閉じた。


 ──お姉様。

 もしまだ、生きているのなら。

 どうか、僕を忘れないで。



 ◇



 浅い眠りの中で、僕はふいに目を覚ました。


「ゴホッ……」


 周囲が、真っ白な煙に包まれていた。


「火事だ!」


 遠くから誰かの叫び声が聞こえる。


「ゴホッ……ゴホッ……!」


 喉が焼けるみたいに痛かった。

 慌てて毛布で口元を押さえる。


 僕の牢は地下の一番奥。

 誰か助けてくれるだろうか?


 ……いや。

 ここで死ぬんだ。


 不思議と、怖くはなかった。


 僕は牢の隅に小さく身を寄せ、その時を待った。


 こんな人生だったけど。

 死んだら、天国へ行けるのかな。


 静かに目を閉じる。

 せめて最後くらい、苦しくありませんようにと祈った。


 その時だった。


「フランシス王子!」


 煙の向こうから、声がした。


 優しくて、まるで天使のような声。


 薄く目を開けると。

 煙の中、銀の鎧の兵士……? がいた。


 全身を銀の鎧みたいなもので覆われ、顔には黒いガラス。

 

 呆然としていると、階段の方から牢番たちの怒鳴り声が聞こえてきた。


「早く助けろ!」


「死なせたら俺たちが処刑されるぞ!」


 すると銀の鎧の兵士は、楽しそうに笑った。


「来たわね!」


 次の瞬間。

 檻の前へ何かを投げつける。


 ──ボン!!


 爆発音。

 一気に炎が燃え上がり、地下牢の天井まで赤く染まった。


「無理だ!」


「王子は捨てろ!」


 牢番たちの叫び声が遠ざかっていく。


 煙の中。

 兵士は僕へ手を伸ばした。


「助けに来たよ!」


 ……助けに?

 僕を?


 信じられなかった。


 次に兵士は、僕によく似た人形を床へ転がした。


 それから。


 ぎゅっと、僕を抱きしめる。


「行くよ!」


 ──どこへ?


 そう聞く前に。

 体がバラバラになりそうな感覚に襲われた。


 視界が歪む。

 意識が遠のいていく。


 ああ。


 きっと、天国へ行くんだ。


 そう思いながら、僕は意識を失った。



 ◇



 次に目を覚ました時、僕は、真っ白な部屋にいた。


 清潔で温かな寝具。

 窓からは眩しい光。

 花瓶には花。


 牢獄とは何もかも違う。


 懐かしい緑の匂いもして、胸が締めつけられた。



 突然、ウィーン、と不思議な音がして扉が開く。


「目が覚めた?」


 入って来たのは、一人の女性だった。


 黒髪に黒縁眼鏡。

 知的で、綺麗な人。


 だけど笑顔は、子どもみたいに明るい。


「私はラーナ。王子様、気分はどう?」


 気分は驚くほど良かった。


 ……でも、それより。


「ラーナ……ここはどこ?」


「ここは病院。君の時代から千年後のフォーレスタ国よ」


 彼女はさらっと、とんでもないことを言った。


「私が発明したタイムマシーンで、君を助けに行ったの」


 僕は、完全に固まった。


 千年後?

 タイムマシーン?


 意味が分からなかった。



 でも。

 日が経つにつれて、僕は理解していった。


 ここは夢じゃない。

 本当に、千年後の世界なんだと。


 あの銀の鎧の兵士は、防火服を着たラーナだった。


 彼女は十八歳。

 世界的に有名な天才物理学者だ。


 そして、タイムマシーン完成の褒賞として、

 僕を救う許可を国から勝ち取ったのだという。


「君は史実では死亡扱いだからね。歴史が変わらないって判断されたの」


「……そうなんだ。ラーナ、ありがとう」


 本当に。

 心からそう思った。


「でも、どうして僕を助けようと思ったの?」


「君、悲劇の王子様として有名なのよ」


 彼女は一冊の史実書を開いて見せてくれた。


 そこには、幼い僕の肖像画があった。


 〈フランシス王子。十二歳の時、火災で焼死〉


 そう書かれていた。


 本当は、その後も二年間生きていたらしいけど。

 その事実は歴史から消えてしまっていた。


「君を助けたくて物理学者になったの。君の絵がね、幼い頃の私の初恋だったの」


 ラーナは少し恥ずかしそうに笑った。


 その笑顔にジュリア姉様を思い出し、

 ──僕は胸の奥が熱くなる。


「これからは私がお姉さんになるから、安心して長生きしてね」


 優しい声だった。


 あまりにも優しくて。


 僕は、泣きそうになった。


 ◇


 未来の世界は、僕の想像を遥かに超えていた。


 戦争もなく。

 誰も王家の血を理由に、僕を憎まない。


 だが、制約は沢山あった。

 中でもフォーレスタの子孫を恨まない事。

 ──これを守れないと、元の世界に戻すと言われた。


 フォーレスタ王国は千年も平和を維持しているのだ。恨んだりしなかった。

 救ってくれたラーナに迷惑はかけられない。


 そのラーナは後見人になって、ずっと僕の側にいてくれた。


 そして元気になった頃。

 僕たちは、ジュリア姉様と僕の墓へ花を供えに行った。


 千年を超えて。

 ──とても不思議な気持ちだった。

 

 僕は墓石を見つめながら、誓う。


「いつか必ず、ラーナに恩返しをするよ」


「うーん。じゃあ初恋を叶えてくれる? 六歳差は厳しいかな?」


 ラーナは冗談っぽく笑って僕を見た。


 僕は真剣に答えた。


「六歳差くらい、大丈夫だと思うよ?」


 一瞬ぽかんとしたあと。

 ラーナは吹き出して大笑いした。


「冗談よ! 私は純粋に悲劇の王子様を助けたかっただけ」


 ……でも。

 僕は本気だった。


 そっと、ラーナと手を繋ぐ。


 いつか絶対に、ラーナに相応しい騎士になる。

 今度は僕が、彼女を幸せにする。


 だから。


 僕が大人になるまで、待っていて。





最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました。



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