第8話 自分に誇れるように
眠るのが怖かった。寝てしまうと明日が来てしまうから。
目を覚ましたくなかった。また地獄が始まるから。
毎日、生きるのが苦しかった。
「おい! なんでゴミ捨てててねぇんだ! 俺が起きる前に捨てとけっつってんだろ!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 捨ててくるのだ!」
家にぼくの居場所はなかった。
「あ~ごめんねぇ? もしかしたら赤ちゃん出来なくなっちゃったかも~。でもいいよね。だ~れもあんたとガキなんてこしらえたくないんだらっ……さ!」
「がッ……! げほッ、がはッ、がはッ……」
学校に行けばクラスメイトから虐められた。
周りの人たちは誰も助けてくれない。みんな、見て見ぬふりをして過ごしてる。
家にいても地獄、学校にいても地獄。この世界のどこにも休める場所はなかった。
友達なんて、頼れる大人なんて、誰もいなかった。
だからこれはぼくの人生じゃないって、ぼくと同じ姿をした誰かの人生なんだって思うようにした。
青空翼であって、青空翼ではない人間の人生。
文句を言えば殴られる。泣いて喚けば蹴り飛ばされる。だけど笑ってれば、少しだけマシになる。だから嫌なことや困ることがあると笑う癖がついた。
「ここから飛んだら遊ぶのやめてやるよ」
「で……でも、こんなところから落ちたら死んじゃう……」
「はぁ? なに? あたしらのこと馬鹿にしてんの? 言うこと聞けないわけ? 下、川なんだから大丈夫に決まってんでしょ」
「へへ……ごめんなのだ。ぼく……泳げないから……」
「え? じゃあなにやらないの?」
「ひっ! ごめんなのだ! やるのだ!」
「初めから言うこと聞きゃあいいんだよ」
「へへへ、ごめんなのだ」
目に映る景色が、吹いてる風が、高さを実感させる。
怖くて、全身が壊れたロボットみたいに震えてる。
体がおかしくなって、満足に息も吸えない。
飛ばないとなにをされるか分からない。でも足は固定されたみたいに動かなかった。
「早く行けよ!」
背中を蹴られて、ぼくは空を飛んだ。
初めて空を飛んだ感覚は覚えてない。痛みと恐怖しかなかったから。
でもその後のことはよく覚えてる。
まともに動けないくらい痛くて、息が出来なくて苦しくて。必死にもがいたけど、なにも掴めなくて。
助けてほしくて。でも誰にも助けてもらえなくて。笑い声だけが聞こえてた。
どうしてこんな酷いことが出来るんだろう。ぼくはなにをしたんだろう。
真っ暗な世界に沈んでいく中で、もしも生まれ変われるなら、本当のぼくとして生きてみたいと思った。
鳥籠の外で生きたいと思った。
――翼さん。
声が聞こえた気がした。真っ暗な世界の中に。
その声は柔らかくて、とっても温かくて、左右上下、行く先も分からない道の中で手を差し伸べてた。
誰なのだ?
聞いても返ってくる言葉はない。だけど、ただ差し伸べられてる手が、じっとぼくを待ってる気がした。
取ってもいいのかな。
――大丈夫。大丈夫ですわ。
なんでだろう。不思議とその手に、声に、引き寄せられた。触れても怒られないと思ってしまった。
この手はぼくを待ってる。この世界から出て来てほしいって思ってる。
そう感じ取れた。
それが嘘かどうかは分からない。けどぼくは手を伸ばしたんだ……。
※※※
「ごめんなのだ! 大丈夫なのだ!?」
「いたたたた。はい、大丈夫ですわ……」
砲撃されたように荒れた民家の中に転がる中、わたくしの顔を覗いて翼さんは聞いてきました。
正気に戻ってよかったですわ。
おかげでなんとか地面と衝突することを防げました。ギリギリで軌道を変えたこともあって、民家に激突してしまいましたが。
お互い怪我もなく、胸を撫で下ろします。
ですが安心するにはまだ早いですわ。
「翼さん、もっと遠くに逃げま――」
「ドッカーン♪」
機械を通した声が聞こえました。
次の瞬間、そのオノマトペを再現するかのように、わたくしのいる民家が爆発に呑まれます。
ですが間一髪。翼さんの飛行能力によって民家から飛び出し、回避に成功します。
「ありがとうございます。迅速な判断のおかげで助かりましたわ」
「おねえさんはぼくが守るのだ!」
頼もしい限りですわ。
そんな感心もそこそこに、攻撃の出どころを探さなければなりません。
と、思っていたのですが。
「あれー? 避けちゃったんだ♪ すごいねー♪」
攻撃の主が屋根の上に飛び上がってきました。
「いきなり痛くしちゃってごめんね? ドレミ、自分の力がどんな感じか見てみたかったの♪」
水色のアイドルらしいドレス。その隣に浮かぶ二つの羽が生えたスピーカー。そして手に持ったマイク。
「あの人は……」
「七色七音さんですわね」
わたくしは存じ上げませんが、アイドルに従事しているとおっしゃっていた方ですわね。
敵対意思はお有りのようですが、先の発言を聞くに、今ならばまだ説得出来るかもしれません。
「ドレミさん! わたくしの話を聞いてください! わたくしはこの【マーダー・パレード】での全員生還を目指しています! わたくしたちはあのマスターによって植え付けられた悪意で殺し合いをするよう唆されているのです! 悪意に呑まれず、わたくしたちと来てくださいませんか!?」
「んー♪ ごめんね、無理かも♪」
即答ですわ。
「あの鳥さんは一人だけは生き返らせてくれるって言ってたじゃん? 本当かどうか分からないけど、自分から可能性を潰すことはしたくないかな♪」
「それは殺人を許容するにあたる理由あってのことですか!? よく考えてみてください! 自分が生き返る為に他人を殺害していい理由なんてありますか!?」
「あるよ♪」
また即答。
「だってドレミ、アイドルだもん♪ みんなが待ってるから戻らないと♪ 悪いけど、ドレミはキミたちとは違うからさ♪ いつかトップアイドルになって、世界中を虜にするっていう夢を叶えないといけないし♪」
ずいぶんと大層な夢ですわ。
顔を見るに子どもの非現実的な夢……ではなくて、本気で思っているのでしょう。
「つまり覚悟は決まっていると」
「そゆこと♪ でもー、ドレミのファンになってくれるって言うのなら、考えちゃうかもー♪ だから――っとわあ!」
突然、屋根を突き破って、ではなく溶かして現れた南雲さんがドレミさんを襲いました。
ですがドレミさんも間一髪のところで回避します。
「いきなり危ないなーもー♪ その爪でドレミの顔に傷がついたらどうするの? アイドルは顔が命なんだぞ♪」
「知ったこっちゃないっての。どうせ死ぬんだし、顔なんてどうでもいいでしょ」
南雲さんはやはり全員生還への協力をしてくれる気配はなさそうです。
長いネイルを使って、ドレミさんに斬りつけにかかります。
「へぇ、そういうこと言っちゃうんだ♪」
そんな猛攻ですが、ドレミさんは一定の距離を保ちつつ避け続けています。
その表情は余裕そのもので、アイドルらしい笑顔を絶やしません。
「悪い子にはお仕置きだよー♪」
ドレミさんがマイクを使って「ザッパーン♪」と声を響かせました。ドレミさんの隣に浮遊するスピーカーから、激流を思わせる大量の水が出現し、南雲さんを呑み込んでまいます。
やはり、ドレミさんはオノマトペを再現出来る。電撃、爆発、津波。汎用性の高い能力ですわね。おそらくまだ種類は増えると考えていいでしょう。
未知数の力を前に、二人して背を向けて逃げることは危険極まりない。それこそ、先の電撃を浴びた状況の再現になるでしょう。
「なにしてるのだ!?」
掴まっていた手を放し、道路に降り立つと、翼さんが慌てた様子で聞いてきます。
「翼さんは逃げください。残念ですが、お二人の説得は困難。いえ、不可能でしょう。そしてドレミさんの能力。あれに目をつけられた今、逃げるのは至難の業かと思います。わたくしが気を引いている間に遠くへ」
「駄目なのだ! ぼくの飛ぶ力なら、一瞬で遠くに逃げられるのだ! 二人で逃げるのだ!」
優しい心遣いですわ。
ですが翼さんを想うならば、心を鬼にしなければなりません。
「役立たずは邪魔だと言っているのです! 守りながらだと戦えません!」
背を向け突きつけた言葉故に、翼さんの表情は分かりません。翼さんの性格を考えるに、悲壮感、なんて言葉では言い表せないくらいの悲しい表情をしていることでしょう。
柄にもないことをするものではありませんね。胸の奥がズキズキと痛みます。
ですが、これで翼さんが助かるのなら、安い代償ですわ。
「早く行ってください! 行けって言っているんです!」
間を置いて、飛行音が遠ざかっていきました。
「シェリフ。これでよかったんですわよね」
「そうだね。翼を悪意に曝す危険性を回避出来た。だから泣く必要はないよ。キミは素晴らしいことをしたんだ。後で謝ればいいさ」
「そうですわね」
翼さんに背負わされた業はわたくしが引き受けます。
これはお母さまが誇れる娘である為、ではありません。これはわたくしがわたくしを誇れるように。大切なお友達を守る為です。




