初日の出会いは夜空の下で。
いよいよ本編スタートです。ぜひ美影のお話を見届けてください。
重たいスーツケースを引きずりながら、きょろきょろと辺りを見回す。
今日初めて来た見知らぬ場所、闇夜市。そのいかにも暗そうな名前から人が寄り付かず、都会の割に人口は少なめ。だからこそ、ここに住むことにしたのだが。
…それにしても、今日からここで暮らすんだ、という実感がまるで湧かない。…周りが暗いせいだろうか。もうとっくに日も落ちていた。
耀美影、15歳。
この春、高校生になった。
と、同時に、実家を飛び出し、今日からこの街で1人暮らしを開始する。
闇夜市の真ん中辺りに位置する、この『幕露荘』で。
二階建てのアパートで、住人の平均年齢が異様に低い。
もちろん私が最年少なのだが、他の住人も同年代ばかりで、一番上でも25歳いかないぐらいらしい。
なぜそうなったのか。なんせ、ここの管理人さん…今ちょうど私の前を歩いているこの人…が、一定以上の年齢の方はお断りしているらしい。不思議な人だ。年齢制限なんかしなければ、もっと収入増えるだろうに。
その不思議な管理人さんは見た目もミステリアスである。一言でいえばそう…眼鏡の似合う大人な男性、的な感じの。身長高め、体格はスラっとしていて女性と勘違いしてしまいそうだが男性だ。あとイケメン。心もイケメンらしく、駅まで迎えに来てくれた上タクシーまで呼んでくれた。よくできた人だ。幕露荘は小さな丘の上にあるのでタクシーから降りて少し歩かねばならず…今まさにその道のりの途中なわけだが、今もなお私の荷物を半分以上持ってくれている。まさにジェントルマン。スーツケース1つでヒーヒー言ってる自分が情けない。まぁ男女差はあるから仕方ないか…って、この言い方は現代社会において良くないな。あと言っておくが私の性別は女だ。
喋りたいことがひと段落して、ハッとした。
お互い沈黙のままひたすら足を動かしている作業が続いている。
喋り慣れてそうなのに…あ、私が疲れているのを察してか。
確かに久々の遠出…遠出というかは微妙だが…で本当に疲れていた。
そこまで察してとは…本当によくできた人だ。
しかし、そこまで気を遣ってもらうわけにもいかないと思い、こちらから声をかけることにした。
「あの…すみません、到着が遅れてしまって…事故で電車が遅れてたんです。」
急なことで驚いたのか、こちらを振り向いた管理人さんの目は少し見開いていた。
しかし、彼はすぐ頬に笑みを浮かべ、
「それは大変でしたね。全然大丈夫ですよ。お気になさらないでください。」
と返してくれた。おお…改めてみると本当に美形だな…こりゃたくさんの女子が泣きそうだ。
「そう言っていただけると…あ、それと、わざわざ駅まで来てくださってありがとうございました。それにタクシーまで…あ、お金…」
慌てて財布を取り出そうとする私を見て、管理人さんはフッと笑った。
「構いませんよ。私がしたくてしたことですから。それに、新しい方がご入居されるときはいつもこうなので。」
「そうなんですね…本当にありがとうございます。あ、改めてになりますが…耀美影と申します。この春からここの近くの高校に進学しました。お世話になります。」
と、頭を下げてから気がつく。ここ、まだ道端だった。
「そんなにかしこまらなくて大丈夫ですよ。私は魔川周と言います。この幕露荘の管理人で、私自身も101号室に住んでます。何か困ったことがあればいつでも声をかけてくださいね。」
「あ、ありがとうございます。」
周さん、っていうのか…名前まで中性的だ。
そんなことを思っていると、彼と目が合った。ニコッと微笑んできたお顔が眩しくて、思わずもう一度頭を下げた。
「あ、そうでしたそうでした。忘れないうちに、先に渡しておきますね。」
そう言って彼はポケットの中を漁り、鍵を取り出した。掘られた数字は202。
「こちらが部屋のカギになります。耀さんには202号室に入っていただく予定なんですが…大丈夫そうですか?」
「あ、大丈夫です。ありがとうございます。」
「それはよかった。では、先を急ぎましょう。あと少しで到着ですよ。」
「はい。」
鍵を受け取り、再び歩き始める。
…ふと思ったが、大丈夫、とは何だろうか?ここって事故物件だったか?
などと失礼なことを考えているうちに、目的地に到着した。
ここが『幕露荘』。私の…新しい家。
想像していたよりもずっときれいなアパートだった。色は白、二階建て、部屋は各階三部屋ずつの合計六部屋。階段もそんじょそこらのアパートなんかよりずっとしっかりしている。いやーびっくりした、あまりにきれいだから感動した。初見だし。
なぜこんなことになっているかと言えば、何を隠そうこの私、一度もこのアパートを見学することなく入居を決めたのだ。あり得ないよね、普通。うん知ってる。でも、一刻も早く家を出たかった私にとっては、高校生が安全に1人暮らしできるところであれば正直どこでも良かった。人の少ない静かな土地なら尚良し。
だからこの幕露荘の存在を知ってすぐに入居を決めた。志望校だって、ここから一番近いところにした。
私は今日から、このアパートで暮らすんだ。
もうあの家のことなんて気にせず、自由に暮らすんだ。
…どれくらい経っただろう。頃合いを測ってか、管理人さん…周さんが声をかけてきた。
「気に入りましたか?」
「あ、はい。す、すみません、じろじろ見てしまって…」
「構いませんよ。好ましく思っていただけたのなら、何よりです。」
急に恥ずかしくなって視線を逸らすと、幕露荘の隣にもう一軒建物があることに気が付いた。この見た目は…一軒家…?
「ああ、そちらの建物は『ひととせ』という名前の賃貸住宅です。」
私の視線に気づいた周さん、説明をしてくれるようだ。
「一軒家の賃貸住宅っていうのもあるんですね。」
「ええ。二世帯用ですが。」
「え?」
「よく見てください。正面にドアが二つあるでしょう?」
本当だ。きれいな茶色のドアが二つ、鏡写しのように並んでいる。
「真ん中を挟んで右側と左側、それぞれに別の方が住んでいるんです。ここまで来る道のりは同じですから、明日あたりにお会いできると思います。」
「そうですね。ありがとうございます。」
「では、私はこれで。どうぞ。」
そう言って荷物を差し出してくる周さん。正直すごく助かりました。
「あ、はい、ありがとうございます。」
解散かと思われたその時、急に後ろに気配を感じた。」
「周さん?」
振り返るとそこには女性が二人。いや、正確に言えば女性が一人と少女が一人?
「黒上さんに碇さん。どうかしましたか?」
「いえ、別にそういう訳ではないんですが…」
少女の方がチラッと私を見る。どうやらお知り合いらしい。というか、この丘を上ってくるということは、この方たち、もしかして…
「ああ、そういうことでしたか。前から気にされてましたもんね。こちらが噂の新入りさんですよ。」
やっぱり。ここの住人さんか。慌てて頭を下げる。
「あ、えっと、耀美影と申します。よろしくお願いします。」
「はじめまして。黒上日奈瀬です。」
そう挨拶した少女…黒上日奈瀬は、美少女と言うに他ならない少女だった。
私とそう変わらない低めの身長、華奢な体、澄んだ瞳にきれいなセミロングの髪。ふわふわした花柄のワンピースがよく似合う。
そんな美少女の隣に佇むお姉さんも、めちゃ美人だった。
「どーも。あたし、碇夕映だよ。お隣さんだね、よろしく!」
バリバリ仕事してそうな、いかにもキャリアウーマンっていう雰囲気の女性。
引き締まった体、女性にしては高めの身長、ひとつに束ねた髪。ピシッとしたスーツがカッコイイ。
なんだここ。美男美女が多すぎだろ。
私完全に雰囲気ぶち壊してるじゃん。
って、ちょっと待てよ…
「お隣…?」
「ああ、碇さんは201号室、日奈瀬さんは203号室の住人さんなんです。」
「あ、なるほど…」
周さん、解説ありがとう。
なんてことを思ってると、不意に右肩に手を置かれた。振り返ると、すぐ傍に美人の顔があった。
「にしても、新しい人が来ると聞いてはいたけど、まさかこんなかわいい女の子とはね~。キミ、彼氏とかいるの?」
…?
「え…っと…?」
反応に困っていると、急にその顔が遠ざかった。
よく見てみると、首根っこをつかまれているらしい。誰かと思えば美少女だった。
「夕映さん、来て早々の新人ちゃんをナンパしない。」
「もしかして、今日も酔ってます?」
「『も』ってなによ『も』って。それじゃ私が見境なしの女好きみたいじゃない。」
「「…」」
明るかった空気に突如沈黙が走る。
いつもこんな感じなのだろうか。
美女がボケで美少女とイケメンがツッコミ。
とんでもない視聴率を叩き出せそうな漫才トリオである。
「…ちょっと?否定しなさいよ。」
「ああ、すみません、つい…」
逆もいけるらしい。
ふと振り向くと、今度は美少女の顔が傍にあった。
「あの人が女好きになるのは酔った時だけだから大丈夫。」
耳元の割に大きめの声で言う。
「日奈瀬ー?聞こえてるけど?」
「ふふっ。あら、なんのことでしょう?」
わざとか。どうやらこれが日常らしい。
なんというか…温かみを感じる雰囲気だ。
そんな思考回路を、イケボの咳払いがさえぎった。
「みなさん、気分が上がってしまっているのはわかりますが。時間も時間なので、そろそろ解散にしましょうか。」
周さんはやはり仕切り役らしい。こういう人材がいてくれるのは非常に助かる。
「そうですね。では皆さん、また明日。」
「はぁ…そだね、じゃあ新人ちゃん、疲れてるだろうしゆっくり休んでね。」
「は、はい…ありがとうございます…」
美少女は軽やかに、美人は手を振りながら階段を上っていく。
その姿をぼんやりと見送った。
「面白い方たちでしょう?」
「…そうですね。」
本当に面白い人たちだと思った。…誰かに興味が湧くなんて…久しぶりのことだ。
「耀さんの部屋は2階ですから、あの階段を上って行けば到着できますよ。」
「あ、わかりました。ありがとうございます。…じゃあ、私もこれで…」
「おやすみなさい。」
突然の言葉に驚いて、固まってしまった。
不思議に思った管理人さんが私の瞳を覗き込んでくる。
「どうかしましたか?」
「い、いえ…なんでも。じゃあ、お、おやすみなさい…です。」
荷物を抱えて、足早にその場を去った。
…いつぶりかも覚えてないのだ。誰かに、おやすみ、と言われるなんて。
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急激に静かになった辺りを見回す。
また一段と賑やかになりそうだなと思うと嬉しくなった。
冷え込んできたので自分も部屋に戻ろうとした時、聞きなじみのある音楽が鳴った。どうやらスマホの通知音を切り忘れていたらしい。普段は小さく聞こえる通知音も、こうも静かだとよく響く。
ポケットからスマホを取り出し、画面を開いた瞬間、思考が停止した。
…まただ。
「あ、周さん!こんばんはー!」
ただでさえ静かな世界に響き渡る大声。
その声にハッとしてスマホをしまう。
声の主は、103号室の住人だ。
「帆高さん。おかえりなさい。遅かったですね。」
「サークルの活動ですっかり遅くなっちまって…あれ、でもこんな時間に外にいるなんて珍しいですね、何かあったんですか?」
鍛えられた体にそぐわぬ、子犬のような顔でこちらを見る。以前話したはずなのだが、忘れてしまっているようだ。
「ついさっき、新しく入る子が到着したんです。それでそのお出迎えを…」
「ああ、そういえば今日でしたっけ?」
「そうですよ。」
「もう少し早く帰れたら挨拶できたのにな…明日とかに会えますかね?」
「できると思いますよ。帆高さんが寝坊しなければ。」
「む、相変わらず意地悪ですね…わかりましたよ。今日はもう寝ます。」
「そうですね。ゆっくりお休みになってください。」
「ありがとうございます。それじゃ、周さんもおやすみなさい!」
「ええ。おやすみなさい。」
一刻も早く部屋に入りたかったのだろう。
青年は手を振りながら走って行った。
またも静かになった世界に、もう一度スマホの明かりを灯す。
画面に映った自分の目は、輝きを失っていた。
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いつもの空間に、その人はいた。
辺りは暗いはずなのに、その人の周りだけは明るく見える。
輝いていたり、後光がさしているわけではない。
不思議なことに、その人の周りだけがぼんやりと明るく見えるのだ。
「あら?思ったより早かったわね。」
自分から呼び寄せておいて何を言うのだろう。
「それもそうね。ごめんなさい。」
謝ってほしいわけではない。拒否することが可能なのにも関わらず、自分の意志で来ることを決めたのだから。
それよりも、今日は一体何の用だろうか。
「大したことじゃないわ。いつもの戯れよ…。」
そう言ってその人は両手を広げる。
またいつものように、その中へ吸い込まれていった。
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