第6章 純喫茶 陽だまり
「いや〜今日は面白かったね〜」
「これで一年生たちの実力はだいたいわかったな」
新学期が始まって1週間たった日曜日
あたしは練習帰りの道を、幼馴染であり大事な野球のパートナー・別当梓と歩いている。
今日はそのまま駅前にお茶をしに来ていた。
「あーいうのを粒揃いっていうのかな」
「そうだな、捕手がいないのが気になるが
なかなか個性的で良いプレーをしていた」
「これは来年は期待できそうだね」
「人数もまだ少ないがだいぶ増えたしな!」
「元々9人もいなかったからけどね」
「だからこそ嬉しいだろう
……
「それだけに…ね」
「ああ、悔しいし申し訳ないな」
少し暗い雰囲気になってしまった
「それにしても今日も練習したねぇ」
「君は少し……やり過ぎだと思うが」
「と言いつつも付き合ってくれる梓は優しいね」
「君は放っておくと、いろんな子に声をかけては投球練習に付き合わせるからな」
「あはは、そうだっけ?」
「この前なんて、新入部員の子に長時間付き合わせていただろう。後輩の立場で断れないことを良いことに」
「それはその……ごめんなさい」
「しかもだ。捕手経験無しの子にやらせるとは……」
「ホントに申し訳ない。でも、あの子捕るの上手だったけどなぁ。投げやすかったし」
「……千楓」
「ごめん!ごめんて! 反省してますっ」
頭を下げながら、両手を合わせて謝る。
梓はそんなあたしを見て、ため息をついた。
「君の身体も心配しているんだ。一度壊れてしまえば、二度と野球はできなくなるのだから」
少し哀しそうに、梓は横を向く。
「梓……なにかあったの?」
「なんでもない。少し言いすぎた。すまない」
「ううん、ありがとう。あたしもごめんね」
最近、梓が考え事をすることが多くなった気がする。
元々生徒会長として忙しい身なのに、野球部の部長も兼任しているから疲れてるのかもしれない。
あたしたちも色々と手伝ってはいるけれど、それでも梓の負担はあまりにも大きい。
顧問の夏海先生は野球未経験なので、うちのチームはほとんど梓が練習メニュー作りやスケジュール管理などを行っている。
夏海先生が言うには理事長が指導者を探してくれてはいるけれど、なかなか見つからないらしい。
それだけならまだしも、
他にもたくさん問題がある
――どうしたものか……。
「千楓……千楓!」
「えっ!? ごめん、なに?」
呼ばれたので隣を見たが誰もいない。
どこ行った?
「後ろだ。ここだろ? 君が言ってたお店は」
「あ、ごめんごめん! 通り過ぎてた?」
「そんなにぼーっとしてたのか。やはり練習しすぎじゃないのか?」
「ち、違うよ! ほら入ろ!」
店の色あせた看板には「喫茶 陽だまり」
昭和の面影をそのまま残したような、純喫茶だ。
扉を開けると――カラン、と鳴る真鍮のベルが出迎える。
店に入った瞬間、ふわりとコーヒーと木の香りが鼻をくすぐった。
昭和レトロな雰囲気が漂う店内には、色あせたポスターや古びたレコードジャケットが飾られ、低めのスピーカーからはジャズが流れている。
こういう雰囲気、あたしの好みだ。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中から声をかけてきたのは、一人の女性だった。
ロングヘアを高めのポニーテールにまとめたその姿は、清潔感にあふれている。
白いブラウスに深緑のエプロン、ナチュラルな笑顔にどこか品を感じた。
年齢はたぶん、二十代半ばくらいかな。若々しさと、大人の余裕が両立している。
「2名様ですね? カウンターとテーブル、どちらがよろしいですか?」
あたしも梓も特にこだわりはないけれど、カウンターには初老の男性が座っていた。
「それじゃ、奥のテーブルいいですか?」
「もちろんです。お冷やお持ちしますね」
梓と向かい合って座ると、イスの座り心地がちょうどよくて、思わず「おっ」と小さく声が出そうになった。
レトロな雰囲気に合わせた、でもどこか新しさも感じるメニュー表を手に取る。
「なかなか良い感じのお店だな」
「もしかしたら、当たりかもね」
店の空気に合わせて、小声で話す。
「あたしは、今日のおすすめコーヒーにしようかな」
「私は、カフェラテにしようかな」
「お冷や失礼しますね。ご注文はお決まりでしょうか?」
注文を呼ぶ前に、店主さんがタイミングよく来てくれた。
「おすすめコーヒーとカフェラテですね。かしこまりました。本日のおすすめコーヒーは深煎りですが、よろしいでしょうか?」
「あ、はい」
近くで見ると――驚くほど可愛らしい顔立ちだった。
……ちょっと、見惚れてしまった。
誰かに似てるな
「それでは、少々お待ちください」
彼女はカウンターに戻っていく。
「凛ちゃんごちそうさま。お会計いいかな?」
そのタイミングで、初老の男性が席を立つ。
「珍しいねぇ。女子高生がこういう雰囲気のお店に来るなんて」
「本当にそうですね。私より若いお客さんは初めてかもしれません」
「このお店も映え? を狙う時代かねぇ」
「ふふ、前のマスターに怒られちゃいます」
「ははっ、そうだな。じゃ、ごちそうさま」
「はい、ありがとうございました」
男性と店主の会話ははっきりとは聞こえなかったけれど、どうやら常連さんみたいだ。
二人のやりとりには、親しみと気安さがあった。
白いシャツに緑のエプロン。シンプルな装いなのに、逆にその女性の美しさを引き立てている。
ポニーテールにまとめた髪が、動くたびにさらりと揺れて――思わず目で追ってしまう。
「ありがとうございました。またどうぞ」
優しい声で男性客を送り出すと、彼女はすぐにレジを閉めて、あたしたちの注文を準備しはじめた。
その所作に、あたしは思わず見入ってしまう。
無駄のない動きと、穏やかな笑顔。
……なぜだろう。ある男の子を思い出す。
「千楓……見すぎだぞ。彼女に何かあるのか?」
「なんか……誰かに似てるような気がして……」
「知り合いなのか?」
「ううん。あんな美人だったら、覚えてると思うし」
そんな話をしていると、ふわりと良い香りが鼻をくすぐる。
お待ちかねのコーヒーを美人店主さんが運んできてくれた
「お待たせしました。おすすめブレンドとカフェラテでございます」
「わあ、いい香り!」
「お好みで、こちらの砂糖とミルクをお使いください。ごゆっくりどうぞ」
うっとりするような丁寧で上品な所作で
コーヒーカップを二つ置いてくれた
「ありがとうございます」
練習の疲れを忘れそうなくらい、良い香り。
梓も待ちきれないようだ
「いただきます」
2人で同時にカップを口に寄せる
口の中に深煎りの苦味と少しばかりの酸味が広がっていくカップから漂ってきた香りの何倍も強いコーヒーの風味が口から鼻をつき抜ける
「すごい美味しい……」
「これは、なかなか……」
二人して、ふっと息をついた。
ひさびさにこんな落ち着いた時間が取れたような気がする
ここ1週間は新学期ならではの忙しさがあった
「でも、私にはもう少し甘い方がいいな」
砂糖をティースプーンで3杯ほど入れる
「梓は意外と甘党だもんね」
「意外とはなんだ、普通の女子高生は甘いものが好きだろう」
ムッとしながら反論してきた
普段の生徒会長としての振る舞いや
実家が弓道やお茶の教室を開いている影響か
クールな完全超人と思われがちだけど
甘いもの好きという可愛い一面があるのが梓だ
「それに千楓が早過ぎるんだ、中学の頃にはブラックを飲んでただろう」
「そうだっけ?こっちの方がコーヒーの香りとか味わいが感じられるよ。一口どう?」
「やめておくよ。甘くてもコーヒーの香りはよくわかるから」
「だと思った」
梓とあたしは好みは正反対だ
それでも小学生の時から馴染んでいる
同じクラスであったりなかったり
同じチームであったりなかったり
それでもあたしたちはずっといっしょにいる
いや…居てくれたっていうのが正しいかな
梓はあたしがどれだけ1人になってもそばに居てくれた
少し…昔を思い出してきたかな
「そういえば、千楓のクラスにきた転校生の…
藤堂くんだったか?」
物思いに耽ってると梓が話しかけてきた
「藤堂雄平くんね」
「転校してきて1週間…彼はクラスに馴染めているのか?」
「梓はまだ会ってないんだっけ、気になるの?」
「少しだけな…」
そう言いながらコーヒーカップを傾ける
「彼はうちの学校にとってはかなり特殊な転校生だからな」
「特殊?」
「彼は運動部に入っていないだろう? 本来なら認められないはずなんだが……理事長が黙認しているらしい」
「理事長が?なんでだろうね」
「わからないがまた面倒なことなりそうだ。全く…!新入生のこともあるのにせめてこういう面倒ごとは避けてほしいものだ。新学期というだけでも色々忙しいのに厄介なものを理事長から持ってくるとは…」
そこまで言って、梓は少しだけ早口になっていた。
最近、本当に忙しいんだろう。
生徒会長になったのも、野球部のため。部長としての指導も、練習メニューも、ぜんぶ梓が考えてる。
それでいて、成績も落としてないなんて……。
少し疲れてる様子の梓を見てると、胸の奥が少しだけ痛む。
そんな気持ちを、もう一口のコーヒーで流し込もうとしたとき――。
「……グゥゥ~~」
「え?」
梓が、驚いたようにこちらを見る。
……また、お腹を鳴らしてしまった。
「くくっ……あはははは!」
さっきまで真面目な顔してた美人さんが、笑いをこらえきれずに大笑いしている。
……なんか悔しい。
「すまない……くくっ、あまりに大きくて綺麗な音だったから……ふふっ」
「笑いながら言い訳しないでよ」
顔が熱くなるのを感じながら、ちょっと怒ったフリで抗議する。
「本当に悪かった。ここのサンドイッチでも頼もうか」
……なんだろう、この既視感。
「お待たせしました。特製サンドイッチでございます」
どこかで、見たことがあるような……?
「美味しそうだな、千楓」
「たぶん……とっても美味しいと思う」
「ん?」
「いや、なんでもない。食べよう」
「んーっ、これもなかなか美味しい!」
梓が、心から幸せそうにほおばっている。
その顔を見るだけで、こっちまで嬉しくなる。
あたしも、サンドイッチをひとくち。
ザクッ、もぐもぐ…ん?
……思い出した。この味、あたし、前にも食べたことがある。
(姉貴が駅前で喫茶店をやってて――)
あっ!!
カランカランッ
扉につけられたベルが鳴る。
「姉ちゃん、買ってきたぞ〜」
「突然ごめんねー。ありがと、雄くん」
お店に入ってきて、店長さんに大量の買い物袋を渡す男の子を見て――
あたしは、思わず大きな声を出した。
「雄平くんっ!!」
「千楓? なんでここに?」
「雄くん、お知り合い?」
あたしの視線の先には、あの転校生――藤堂雄平くん。
まさか、ここが雄平くんのお姉さんのお店だったなんて……!
ここまでお付き合いいただきありがとうございます!
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