第4章 あわてんぼうのエース
学校に着いて車から降りると、
夏海先生が「千楓はまた教室でなっ!」と言いながら、雄平くんを連れて職員室へ向かった。
雄平くんも
「じゃあ…また」
「うん!教室で」
あたしは少しだけ手を振って、その背中を見送る。
……結局、車の中ではほとんど話せなかったな。
何を話せばいいのか分からなくて、無言の時間ばかりが流れてた。
だけど、どうしてだろう。
彼のことが、妙に気になる。
どこかで見た気がするんだけど……思い出せない。
彼と握手した手を見る。
少し、ニヤけてしまった。
見た目は――普通の体育会系の男子高校生。
別に、特別変わったところなんてないのに……。
男の子と話すの、苦手じゃないはずなのに。
雄平くんと話すと、胸がドキドキして、どこかワクワクする。
――たぶん。恋とか、そういうのじゃない。……と思う。
でも――
彼の“何か”に期待している自分がいる。
初対面でいろいろ聞きすぎたのも、そのせいかもしれない。
話を引き出そうとして、彼を困らせたのを思い出すと……自分の図々しさが、ちょっと恥ずかしくなる。
「はあ……」
深呼吸して気持ちを切り替える。
そして、校舎に向かって歩き出したところで――大事なことを思い出した。
「……朝ごはん、食べてないや」
*
教室では、先生と転校生の到着を待っていた。
みんながザワザワしてる中、私は机に突っ伏して、自分の間抜けさに落ち込んでいた。
大きな音を立てそうなお腹を押さえながら、ただただ、静かに耐える。
やがて、夏海先生がやってきて――
軽く挨拶をして、転校生の紹介が始まった。
雄平くんは、緊張した面持ちで教室の前に立つ。
その様子を見て、「やっぱり普通の男の子なんだな」って、ちょっと安心した。
「転校生の藤堂雄平くんだ!みんな仲良くするように。席は……千楓の隣の空いてる所な!」
――あたしの隣なんだ。
雄平くんはそれを聞いて、少しホッとしたような顔をして、あたしの隣に座った。
「よろしく」
「こちらこそよろしくね」
顔を赤らめながら小さく呟いた彼を見て、なんだか微笑ましくなった。
*
授業が終わると、雄平くんは男子たちと一部の女子に囲まれていた。
転校生が珍しいこのクラスでは、彼は完全に注目の的だった。
特に男子たちは、新しい仲間が増えたのが嬉しいのか――やたら盛り上がっている。
「藤堂くん、すごい人気だね」
「この学科じゃ転校生って珍しいからね。でも男子たちはそれだけじゃないでしょ?」
みんなが口々に話しかける中、彼が少し困ったような顔をしているのが分かった。
助け舟を出そうか――そう迷っていた、ちょうどそのとき。
「あ、藤堂! まだいるか? ちょっと来てくれ!」
夏海先生の声が、教室に響いた。
「帰る前に伝えることがあったからきてくれ!」
その一言で、彼はほっとしたように周囲に軽く頭を下げ、教室を出ていった。
……あたしも、話したかったな。
みんなが散り散りに帰りはじめる中、
小さく呟いた自分の声が、やけに教室に響いた気がした。
*
その後、朝ごはんを食べ損ねてお腹が限界を迎えた私は、急いで食堂に向かった。
だけど、入り口に貼られた張り紙を見て、絶望に襲われる。
【本日短縮授業のため休止】
そうだ……
今日は短縮授業。購買も休みだ。
梓が言ってたような気がする
何やってるんだろう、あたし……。
ため息をつきながら、次の練習に備えて練習場へ向かおうと、靴を履き替えて校門へ歩き出した――そのとき。
背後から、声が聞こえた。
振り向くと、そこに雄平くんが立っていた。
ーーー
「というわけで、明日からよろしくな! 気をつけて帰れよー」
俺は先生の言葉で職員室を出て、廊下を歩きながらひとつため息をつく。
──はあ……。
教室では男たちに質問攻め。女子かよって感じだ。
女子のほうがそういうのって得意じゃん?
自分がイケメンだとは思わないけど、
もう少し空気読め男子たち…
…正直、めちゃくちゃ疲れた。
昇降口で靴を履いていると、前から見覚えのある女の子がうつむいて歩いてきた。
「おーい、そんなに下向いてどしたよ?」
朝、一緒に登校した
浦河千楓だった。
「……雄平くん?」
顔を上げた千明の表情は、少し泣きそうだった。まずいタイミングで声をかけたか、と思ったその瞬間。
ぱっと笑顔に変わる。
その表情に、ちょっとだけドキッとした。
「何か、あったのか?」
「い、いや、なんでもないよ」
──ぐうぅ~~!
突然の大音量。千楓が、真っ赤になった。
「き、今日はちょっといろいろあって朝ごはん食べてなくて……って、ちょっと笑わないでよ!」
「いやだって、すごい音だったから……」
笑いをこらえる俺に、千楓はさらに赤くなりながら俯いた。
「もしかして、お腹空いてて俯いてた?」
「……うん」
耳まで真っ赤だ。あんなマンガみたいな音、リアルで初めて聞いた。
そういえば――俺のカバンに、アレがあったな。
*
「ん~! おいしいね! 雄平くんのサンドイッチ!」
練習場のベンチで、サンドイッチをほおばる千明は、とても幸せそうだ。
「お口に合ったようでよかった」
あまりにも美味しそうに食べるので、
つい、こっちまで笑顔になってしまう。
「なんでこんなに美味しく作れるの?」
「それは……姉貴に聞かないとな」
「お姉さんがいるんだ。一緒に住んでるの?」
「ああ、駅前で喫茶店やってる。今朝はそこで朝食を食べてから来たんだ」
「へぇ、いいなあ。……って、あたしがこんなに食べちゃってよかったの? 遠慮なくもらっちゃったけど」
「弁当は明日からってのを姉貴が勘違いして作ったやつだから。気にしないでくれ」
千楓の話やこの練習場を見る限り、ラクな部活じゃなさそうだ。朝食抜きで練習とか、倒れてもおかしくない。
そう思うと、俺のサンドイッチでも役に立てたなら、渡してよかった。
「いつもは忘れないんだけどね」
サンドイッチを持つ手を止めて、千楓がぽつりとつぶやく。
「でも今日は、なんだか朝から落ち着かなくってさ。ブルペンでボール投げたくなっちゃって、慌てて家出たら、いろいろ忘れちゃった」
千楓は照れくさそうに笑った。
──そんなに、投げたかったんだ。
もしかして、投球中毒?
「雄平くんも、そういう時……ない?」
千明の言葉に、俺は一瞬、言葉を失った。
……ある。たしかに、あった。
あのときの熱が、脳裏によみがえる。
俺は無意識に、拳を握っていた。
俺は、これから――どうすればいいんだろう。
*
「ごちそうさまでした! これで練習、頑張れそうだよ!」
千楓は自販機で買ったお茶を飲み干し、ベンチから立ち上がった。
「お弁当箱、洗って返すね」
「いいよ、大して汚れてないし」
「いやいや、洗わせてください! あなたは命の恩人なのですから!」
ぺこりと頭を下げて、両手を合わせる千楓。
「……なんだそりゃ」
俺はくすっと笑って、弁当箱を渡した。
「はいっ、お願いされました!」
千楓は満面の笑みでそれを受け取る。
その笑顔に、少しだけ照れながら口を開いた。
「そろそろ練習の時間だよな? 俺、帰るよ」
「うん! 今日はほんとにありがとう。また明日!」
「おー、頑張れよー」
手をひらひら振って、俺はそそくさとその場を離れた。
……他の部員に見られたら、面倒だしな。
*
練習場を出てしばらく歩いてから立ち止まる
――あそこにいると、思い出してしまう。
胸の奥が熱くなる。
俺は左腕を強く掴み、奥歯を噛み締めた。
……人生を懸けてたものを、俺は失った。
これからどうやって生きていく?
何を目指していけばいい?
正直、わからない。
まだ若い?人生はこれから?野球以外もある?
周りは無責任にほざきやがる
それが今の俺にはただ傷をつけるだけなのに
受け止めない俺がまるで聞かん坊みたいな言い方をしてくる
……鬱陶しい
そんなどん底にいる俺には
千楓があまりにも眩しい。
あまりにも真っ直ぐで、自由で――狂おしいほど、羨ましかった。
彼女のことは、嫌いじゃない。
むしろ、話していてすごく楽しかった。
だから、さっきも、自然に声をかけたんだ。
……それでも、この胸の奥にある悔しさは、どうしても抑えられなかった。
俺は、その悔しさを吐き出すように――走り出した。
やっと主人公たちが登校できました(笑)
ここまでお付き合いいただきありがとうございます!
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