第3章 その手が語るもの
「さっきまでもブルペンで投げてたんだ」
「ブルペン? どこの?」
「どこって、ほらここだよ」
そう言って彼女は俺からボールを取り上げると、ボールを持った手の人差し指をスッと空に向けた。
――大きな看板が目に入る。
《葛城学園野球部専用球場》
……俺の、転校先だ。
まじかよ。
「葛城学園の野球部って、廃部になったんじゃなかったか?」
「うん、そうだね」
あっさりと、千楓は答える。
「じゃあ、なんで野球部があるんだ?」
「実は去年、作ったんだ」
「作ったのか?!野球部を?」
「うん。正確に言うと――女子野球部だけど」
「女子野球部?」
千楓が少し照れくさそうに笑った。
「そうだよ? こんなスタイルの良い美少女が、男の子に見える?」
冗談っぽく目を細めてくる彼女に、俺は返す言葉を見失う。
「いや……そういうわけじゃねえけど……」
顔がすごく熱い。真っ赤になってるかもしれない。
「珍しくはないよ。最近は女子選抜と元メジャーリーガーとの試合とかあるし、女子の大会もかなり増えてきたんだよ」
「まったく知らなかったな」
「ふふっ! 不勉強だよ、キミぃ」
どや顔をキメる千楓――可愛いな。
「ということは、千楓さんは――」
「“さん”はいらないよ」
ムッとしながら、千楓は訂正してくる。
「ち、千楓は野球部なんだ」
「うん、ポジションは唯一無二の“大エース”!」
ブイッと2本の指を見せてくる
「ふっ!大エースって……」
思わず笑ってしまった。
「馬鹿にしてる?」
ふたたびムッとした表情で顔を近づけてくる
「そんなことはねえよ。だって、その手でふざけてるとは思えないし」
「手?」
千楓は自分の手を見て、首をかしげる。
その手は、練習してるヤツの手だった。
投げ込みを重ねた、投手としての手。
「さっき握手した時にな。いろんなやつと握手してきたけど、そんなに努力した手は初めてだったよ」
「まさか、握手して褒められるとは思わなかったな……」
千楓は、ちょっと照れていた。
「部を作ったってことは、今まではなかったんだよな?」
「女子はね。昔は男子の方は超有名だったみたいだけど」
「じゃあ女子のほうは、本当にイチから作ったのか。……めちゃくちゃ大変だったんじゃねえの?」
「大変なんてもんじゃなかったよ!」
千楓は心底うんざりした顔で言う。
「メンバー集めに、顧問探し。練習場は昔の遺産が残ってたけど、草ボーボーで、最初は草むしりからだったし」
そんなに大変だったのか――。
「さっき見た限りだと、きれいに見えてたけど、使えるようにはなったんだな」
「そうでしょ! 頑張ったんだから!」
えっへん、と胸を張る千楓。
……あんまし張ると、目立つよ。
慌てて目線を顔の方に引き上げる。
「部活を作ってまで……
そんなに野球が好きなんだな」
「好きだよ。あんなに面白いもの、他にないよ」
千楓の目が、少しだけ遠くを見ていた。
「知ってる? 今は女の子でも甲子園を目指せること」
「そうなのか?」
「うん。誓ったんだ。甲子園で試合しようって。だから、今はそこを目指すんだ」
「……羨ましいな」
千楓に聞こえないよう、そっとつぶやく。
ここまで野球に捧げられる彼女が羨ましかった。
そして、そんな夢を一緒に誓い合えるチームメイトがいることも、心底――羨ましい。
「何か言った?」
「いやなんでもない。それよりもさっきの野球場の隣は何を作ってるんだ?」
「隣?」
「何か大規模な工事してたみたいだけど、あれも学園の敷地なんだろ?」
「あれは私たちもわからないんだよね。去年まではなんかの古い施設があったけど、今年になって取り壊されちゃったんだよね。」
「ふーん」
「そ・れ・で?」
「え?」
「雄平くんは、なんのスポーツをやってたの?」
……うまくごまかせたと思ったのに。
千楓がじーっと、顔を近づけてくる。
「あ、いや、ちょっと……ね」
やばい、どうしよう。
「なーんか、さっきから誤魔化そうとしてくるよねぇ?」
「そ、そうか?」
「制服でわかりづらいけど、かなり鍛えてるみたいだし」
「すげえな、よくわかるな」
「そりゃあ、手を握ったのはキミだけじゃないし、あたしだってわかるよ?」
千楓は、自分の手をにぎにぎしながら見せてきた。
やぶ蛇だったか。
「握手を重ねてきたって言ってたし」
――彼女に問い詰められるたび、
怪我をした左腕が、うずく。
嫌な思い出が、頭の中を支配してくる。
……答えてしまったほうが、楽かもしれない。
頭の中がモヤモヤでいっぱいになりかけた、そのとき。
「おーい! そこのお二人さん! 遅刻するぞー!」
車から聞こえた大きな声が、思考をかき消した。
――助かった……かな。
「夏海先生!」
千楓が反応する。
「千楓……と、転校生の藤堂くんだな?」
「あ、はい」
「藤堂くんのクラス担任の柊夏海だ! よろしく!」
「よろしくお願いします」
ずいぶん元気そうな先生だな
「そうだ千楓、練習場の門を閉めてきちゃったけど、大丈夫だったか?」
「え? あー、はい、だ、大丈夫でした」
どこか動揺した声で答える千楓
「本当にすまん! 千楓がいるのを忘れて閉めてしまってな。職員会議が早く終わったから、まだいるかなと思って迎えに来たんだ」
先生は頭を下げ、手を合わせて千楓に謝った。
「い、いえ、本当に大丈夫でしたから。気にしないでください……」
また気まずそうに答える千楓。
「こ、こちらのユーへ……藤堂くんに手伝ってもらいましたから!」
……へ? なにを?
「門の前で困ってたら、彼が声をかけてくれて、一緒に開けてくれたんです!」
「え? いや、俺なにもしてな……」
ギュウ!
「痛っ!?」
つねられた!
「ハナシ合わせて!」
千楓が、耳元でささやく。
少しドキドキする
「そうか、助かったよ。あの門は閉めるのはなんとかなるけど、開けるのは、あたしじゃないと2人でもキツいからな」
(そんな門をそのままにしておくなよ……)
「そしたら2人とも乗ってくれ! 時間も迫ってるし、学校まで送ろう」
そのまま2人で車に乗り込み、学校へと向かう道中――
俺は考えていた。
千楓に言うべきだろうか。
……俺も野球をやっていたこと。
甲子園に出たこと。
そして――
もう、野球には戻れないこと。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます!
初挑戦の作品で至らない点もあると思いますが、感想や☆評価をいただけると本当に励みになります。
次回はヒロインの梓の視点で転校してきた雄平を描いていきます。
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