表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/37

第19章 それぞれの夜



「ただいまー」


玄関の引き戸を開けると、外の蒸した夜気とは違う、涼しい空気がふわりと迎えてくれた。

時計を見ると、もうとっくに夜の九時を回っている。少しのつもりだったのに、千楓と暗くなるまで練習場でキャッチボールをしていたら柊先生に見つかり、こっぴどく説教された。極めつけは千楓のお腹の音――あのときの気まずさを思い出して思わず苦笑いする。呆れた先生にラーメン屋に連れていかれ、気前よく奢ってもらったのだった。


「雄くん、お帰りなさい」


リビングと玄関をつなぐ廊下で、バスルームから出てきたばかりの凛姉と鉢合わせた。まだ髪先から湯気が立っている。


「遅くなって悪かったな」


「なんで謝るのよ。ちゃんと連絡してきたんだし、別にいいでしょ?」


「もっと早く帰る予定だったんだけどな。まさかこんなに遅くなるとは思わなかった」


「まあ、たまにはいいじゃない。お風呂、ちょうど沸いてるから入っちゃいなさい」


「ありがとう」


そのまま通り過ぎようとしたとき、姉貴が少し声を落とした。


「ねえ、雄平」


「ん?」


「……なんか、いいことあった?」


思わず足を止めた。

あの人は、こういう勘だけは妙に鋭い。


「ラーメン食ったからじゃないか」


「そうじゃなくて……ね」


視線を合わせられなくて、わざと軽く笑う。

「わかってる。あとで話すよ」

そう言ってバスルームに入り、扉を閉めた。


バタンッ。


服を脱ぎながら、姉貴の表情を思い出す。

あの人はずっと、俺のことを案じてくれていた。けれど、それにまともに答えられたことはほとんどなかった。

(一緒に住まない?)――あの言葉が頭をよぎり、慌ててシャワーをひねった。


ジャーッ!


「冷たっ!……お湯にすんの忘れた」


思わず声を漏らす。けれど、頭から浴びた冷水は妙に心地よかった。

まるで熱くなりかけた心を鎮めてくれるようで。

紫色に染まるような感覚を味わいながら、数分間そのまま立ち尽くした。


やがて湯船に浸かる。

ほっとするのと同時に、頭がやけに冴えてしまう。

天井を見上げ、拳を握る。指の隙間から見える掌のマメの跡。久しく触れていなかった感触が、今日のキャッチボールで蘇った。


「……やっぱり、拭いきれねぇな」


ざぶん、と湯の中へ身を沈め、目を開ける。

泡の向こうに広がるのは、歓声とブラスバンドの幻聴。

嫌な記憶も、悔しい記憶も、全部まとめて水に沈めたはずなのに。

結局、浮かんでくるのはあの白球の軌跡ばかりだ。


――まだ、俺の中に残ってる。


バシャァァッ!


勢いよく浴槽から顔を出すと、胸が苦しいほどに鼓動が速かった。

タオルで頭を拭きながら、俺はリビングへ戻る。


そこでは凛姉が、ひとり晩酌をしていた。氷の入ったグラスを揺らしながら、じっとこちらを見ている。

その姿はまるで、俺を待っていたかのようだった。


「姉貴……ちょっといいか?」


「うん、いいわよ」


その穏やかな声に、胸の奥が少し熱くなる。

何から話すべきか。俺は座布団に腰を下ろし、息を整えた。


―――その頃、千楓は


同じ頃。

シャワーを浴びて部屋に戻ったあたしは、麦茶を片手にベッドに寝転がっていた。

スマホが震え、梓の名前が表示される。


ブーブー。


「もしもし? 梓?」


「千楓、今大丈夫か?」


「うん、大丈夫だよー」


「夜分遅くにすまない。だが今日のことがどうにも気になってな」


「あたしも電話しようと思ってたとこ。ちょうどいいね」


そこで、放課後の出来事を全部話した。

廊下で待ち合わせたこと、スポーツ店でのやりとり、そして練習場でのキャッチボールまで。


「……」


「梓? あれ、聞こえてるー?」


「……い」


「え?」


「ずるいぞ、千楓!」


「ええ!? なにそれ!」


「私も……私も、彼の球を受けてみたかったのに!」


出た、梓のワガママモード!

普段は落ち着いているからこそ、こういう反動がやたら可笑しい。


「そんなこと言っても、ただのキャッチボールだよ。暗くなってすぐ夏海せんせーに見つかったし」


「でも受けたのだろう? 彼の球を」


スマホ越しでもわかるくらい、拗ねた声。

あたしは苦笑いをしながら布団に転がった。


「梓も今度頼めばいいじゃん」


「それが出来ないから、今回みたいな形になったんだろうが!」


「ごめん、ごめんってば」


謝りながらも、胸の奥では別の感覚が残っている。

――雄平くんの投げたボールの、あの重さ。

ただのキャッチボールなのに、手のひらがまだ少しジンジンしていた。


「……で? 頼んだのか? 彼に」


「そこまでは……言えなかったよ」


「千楓」


「たぶん、この先は、あたしたちじゃないと思う。彼が決めることだから。私たちが無理に引っ張るのは違うんじゃないかな」


「……そうか」


梓の声が少し静かになる。

でもすぐに現実的な言葉を返してきた。


「だが試合はどうする? 言わなきゃ彼は来ないどころか、試合のことすら知らないだろう?」


「あ、そうか……」


「千楓〜」


「ま、なんとかなるよ」


そう口では笑ってみせるけれど、胸の奥ではひとつの確信が芽生えていた。

――彼の心には、まだ野球が残っている。

それがあるなら、きっといつか。


麦茶の氷が、カラン、と静かに鳴った。


ーーーそしてまた同時刻


葛城市にあるとあるお屋敷の一室に女性が1人…仕事をしていた


カリカリカリ


明かりは机の上の間接照明が一つだけ


「ふぅ…なかなか手強いものね、凛の弟さんは」


葛城学園の若き理事長、天城レオーヌだった


彼女も野球部復活を求める人間の1人で様々な画策をしている


トントン


「はいどうぞ」


「姉様…失礼します」


入ってきたのは彼女の年の離れた妹の天城リオンだった


「何か御用かしら?リオン」


「いえ、まだ姉様が仕事中と聞いたのでハーブティーを淹れてまいりました」


ふと見るとリオンの手にポットとカップが乗っているお盆があるのに気づく


「あら、ありがとう」


机の上にカップが置かれポットに注いでいく


カップに注がれた瞬間、ふわりと立ちのぼる湯気に、やわらかな香りが部屋を満たす

摘みたての草花を思わせる清々しい青さと、ほんのり甘い余韻が混ざり合い、鼻腔をくすぐった


少し張り詰めていた気持ちがほぐれていくようだった


「あまり無理をなさらないでください、私たち女子野球部のことも…」


リオンも今年から葛城学園に入学した一年で野球部に所属して投手を務めている


「そんなに無理はしてないわ、あなたこそもう寝た方がよろしくてよ。成長期に寝不足は身体に毒よ」


「はい、失礼します。おやすみなさい姉様」


「ええ、おやすみ」


ガチャッ、バタン!


少し手を止めて椅子に寄りかかり昔のことを思い出す


(理事長の娘さん?応援ありがとう、キミの声がマウンドからよく聞こえたよ)


(ごめんな、せっかく応援してくれたのに…甲子園行けなくて…優勝したんだけどなぁ)


背番号1の背中が、小さく震えていた――あの光景はいまだに消えない。


「フッ…乙女チックになって…らしくないわね」


しばらく目を瞑ってからハーブティーを手に持つ


手にした瞬間にじんわりと温もりが伝わってくる。

ひと口含むと、舌の上で優しい苦みと爽やかな香りが広がり、心の奥まで静かにほどけていくようだった。




「……あの子も、淹れるの上手になったわね」


ふっと微笑んだ後、窓の外の闇を見つめる。

そこには、まだ何も知らない彼女の姿が、確かに浮かんでいた。


理事長の胸に眠る決意が、静かに形を取り始めていた。


ここまでお付き合いいただきありがとうございます!

初挑戦の作品で至らない点もあると思いますが、感想や☆評価をいただけると本当に励みになります。


毎日17更新です

引き続き読んでいただけると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ