第2章 春の風に乗せて 浦河千楓の朝
今日は転校生が来る――
朝からクラスはそわそわしていた。
「どんな人かな?」
「かっこいいといいよね」
「千楓はどう思う?」
「え?あーうん、そうだね……美味しいと思うよ」
「転校生を食べるつもり?!」
――しまった。また聞いてなかった。
「あ、違う違う! 食べたいわけじゃなくて…
うん!いい感じの人だといいなって意味で」
「それも意味わかんないけど」
「どしたの? ずっとうわのそらだよ?」
「そ、そうかな?」
「そうだよー」
(だって、もう会っちゃったからなー)
――そう、実はあたしはすでにその転校生に会っていた。
* * *
その朝、あたしはいつもより早く目が覚めてしまった。
階段を静かに降りてリビングに向かう。
音を立てないように、そっとケトルでお湯を沸かす。
深煎りの豆をガリガリと挽いて、ドリップ。ふわっと立ち上る香ばしい香りに、目がようやく覚めていく。
猫の絵が描かれたお気に入りのマグカップに
コーヒーを注ぎ、両手で包む。
「ふー……やっぱ、これだなぁ」
テレビをつけると、プロ野球のハイライトと
甲子園の名場面が流れていた。
画面に映る投手のフォームを見た瞬間、胸がざわついた。
コーヒーの味がわからなくなってきた。
(……投げたい)
あたしは立ち上がり、一気飲みして
マグカップを流しに置いて走り出した。
ジャージに着替え、外に飛び出す。まだ少し肌寒い、けれど澄んだ朝の空気。
桜色の並木道を駆け抜ける。
うちは朝練がない。練習場もこの時間は閉まってる。
だけど――今日は開いていた。
門の前に、顧問・柊夏海先生の車が止まっていた。
毎朝ここでコーヒーを飲みながら授業の準備をしているのを、あたしは知っている。
監督室の扉をノックして開ける。
「先生、おはようございます!」
「おー、また千楓か! お前は本当に……朝から元気だな」
ちょっと男っぽい口調。でも、夏海先生は明るくて、美人で、あたしの大好きな先生だ。
「すみません。ちょっと、投げたくなっちゃって」
「まったく…今日もいいけど、朝から職員会議だから私はもう行くぞ。戸締りと片付けはちゃんとな」
「はいっ! ありがとうございます! 先生大好きです!」
* * *
ブルペンに入って、マットを捕手代わりにセットする。
息を吸って、吐いて――ひと球。
いい音。
もう一球。
フォームが、球が、手に馴染んでくる。
体が、気持ちが、走っていく。
(あー……やっぱ好きだ、これ)
セットしていたスマホのアラームが鳴る。
もうこんな時間。汗だくのままシャワーを浴びて、制服に着替え、道具を片付けて鍵をかけようとした時――
(あれ……門、閉まってる?)
黒くて重い鉄の門。見事に閉まっている。
やっちゃったな、夏海先生……
あの門、女子の力じゃ動かないんだよなー
怪力の夏海先生は除いてね。
「さて、どうしよっかなぁ」
しばらく悩んだ末、ふと横のフェンスに目がいった。
(……登っちゃうか)
周りを見て、誰もいないのを確認してからフェンスに手をかける。
意外といける。足をかけて、ぐい、と。
高い場所に立った瞬間、ふわりと風が吹いた。
見下ろす校庭。どこまでも広がる空。
「……ちょっと、いい景色」
思わず笑みがこぼれる。
ふと、学校のチャイムがここまで聴こえてくる
(時間ないんだった!)
慌てて飛び降りる。スタッと、我ながらいい着地。
「うおっ!」
目の前に、見上げるほど背の高い男の子が立っていた。
180センチはある、がっしりした体。スポーツマンって感じ。
驚いたような顔。こっちもびっくりだよ。
あたしが悪いんだけどね
「ごめんね、驚かせちゃったかな」
……どこかで見たことあるような
ただ、少し戸惑ったような表情で立っていた。
「ね、学校まで一緒に行かない?」
そう言って、あたしは笑った。
――何か忘れてる気がするけど、まぁいっか。
第2章まで読んでいただきありがとうございます!
今回は短めですが、ヒロイン・千楓の視点で描きました。
ここから彼女たちの物語が動き出していきます。
……と言いたいところですが、次回もまだ登校シーンです(笑)