第1章 燃え尽きたマウンドのあとで
雲ひとつない青空、そしてここはサウナかと錯覚してしまうほど暑く燃えたぎっているマウンド
汗が頬を撫でて今の俺をあざ笑うかのようだった
鼓膜どころか頭の中にまで響いてくる
相手チームの応援団の声、ブラスバンドの音
リズミカルに俺の脳みそを叩いてきやがる
それに加えて両方のベンチから聞こえくる
耳をつんざくような叫び声にも似た声援
……ああ、うぜぇ
俺は帽子のツバを掴んで左右に振る
真ん中に直してからキャッチャーのサインを覗き込む…サインが決まった
(あとひとり、あとひとり)
頭の中で何度もそう唱える。
身体中がとんでもなくしんどい。
左の肩や腕に至っては、もはや感覚がない。
このバッターで終わる……。
大きく振りかぶって右足を上げて、ホームベースに向かって思いっきり腕を振る!!
その瞬間、嫌な音が鳴る。
バチン!
左腕が壊れていく。崩れていく。
嘘だろ……もう投げられないのか。
そんな最悪の気持ちの中、目が覚める。
***
左腕が壊れる感覚が鮮明に残ったまま、俺は目を覚ました。
汗が額を伝い、枕に染み込んでいく。
夢だとわかっているはずなのに、左腕の疼きがじわじわと現実に引き戻す。
左腕を見たあとに時計を確認する。
悪夢のせいで予定の時間より早めに起きてしまったらしい。
ちょっと早いが、準備を始める。
起こしてくれる人もいないから二度寝はできない。
ある出来事がきっかけで、俺は前の学校を離れざるを得なかった。
今日から新しい高校に転校することになった。
今の学校に転校が決まったのは、姉が近くに住んでいることと、姉から「ここなら大丈夫だから」と言われたからだった。
詳しい理由を聞く余裕もなく、ただ流されるままだった。
県外の学校になるので
実家の両親からは猛反対されたが、地元にはいたくなかったので姉の提案に乗ることにした。
以前の学校でのことは、もう思い出したくなかった。
新しい環境で何かが変わるのだろうか……。
そんな思いを抱えながら、登校の準備をした。
転校先の高校は、かつて男子スポーツの名門校として名を馳せていた。
特に野球部は全国的にも知られ、甲子園での優勝を何度も経験していたが時代の波に乗れず
不祥事が相次ぎ、廃部となり栄光は過去のものとなり、ただの進学校となっていた。
今の俺にはお似合いの学校だな。
少し複雑な思いを胸に通学路を歩く。
しばらく歩くと、桜並木の道に出た。
足元には、無数の花びらが絨毯のように広がっている。
風に運ばれて、淡いピンクがゆっくりと流れていく様は、まるで時間がほどけていくようだった。
「……こんなに散った桜、久しぶりに見たな」
ぽつりと呟いたそのときだった。
びゅうっと風が吹き抜ける。
「うおっ──!」
桜の花びらが空へと巻き上げられ、一瞬にして視界が霞んだ。
花びらが目に入りそうになるので慌てて目を閉じて
左の手のひらで顔を守る
少し収まったところでゆっくり目を開ける
まだ
桜吹雪の向こう側──
逆光のなかから、ゆっくりと人影が降りてきた。
茶色がかった長い髪が春の風にたなびき、制服のリボンがひらひらと舞う。
その瞳が、ほんの一瞬、俺をとらえた。
息を呑む。
まるで、春そのものが人のかたちをして舞い降りてきたかのようだった。
軽やかに地面へ着地したその少女は、何も気にすることなく自然な足取りでこちらを向いた。
「ごめんね、驚かせちゃったかな」
その声でようやく我に帰る
彼女の持っているカバンに
KATSURAGI GAKUEN
と書かれているのに気づく。俺の転校先だ。
「いや、大丈夫だ」
「それなら良かった。慌てて降りちゃったからさ」
惚けている俺とは違って彼女はまったく気にしてない様子だった
自由なやつだな
「そのバッジは…キミも今日から二年生かな。
あまり見ない顔だね、進学科の人?」
「いや、体育科みたいだな」
「みたい?」
「転校生なんだ。今日初日で」
「へー!クラスは?」
「2の…Fだったかな?」
「お!同じクラスだ。あたしは浦河千楓」
「藤堂雄平だ。よろしく」
向こうが名乗ってきたので俺も名乗ると
彼女がニッと笑う…思わずドキッとしてしまった
「キミさ、どこかで会ったことないかな?」
唐突な質問に目を丸くする
「へ?どこかってどこで?」
「んー、それがわからないんだよね。」
「なんだそりゃ」
「ごめんね、変なこときいて」
エヘヘと笑いながら謝る彼女に
またドキッとしてしまった
「同じクラスだから、これからよろしく」
「お、おう」
手を出されて握手を交わす。
この手は……この子すげえな
「おっと、このままだと2人とも遅刻しちゃうね。歩こうか。近道知ってるから一緒に行こ」
「お、おう。ありがとう」
一度だけのそれも車でしか学校に行ってないので、非常にありがたい申し出だ。
それに転校初日に可愛い女子と一緒に登校することに、ちょっとだけ心が舞い上がる。
「雄平くんはどんなスポーツをやってるの?」
「え? なんで?」
突然の女子からの名前呼びにまたドキッとする。
女子から名前を呼ばれるのは中学の頃からほとんどなかった。
だからなのか、妙に心がざわつく。
「なんで?って、うちの体育科はスポーツ推薦じゃないと入れないよ」
「そうなのか?」
「知らなかったんだね」
全て姉貴に任せてしまっていたツケがまわったな。
そもそもどういうつもりで姉貴はこの学校を薦めてきたのか……。
それよりともかく、いまは話をずらさねばならないな。知られたくないことがある。
「浦河さんも体育科だよな? 何かやってるのか?」
「千楓でいいよ。みんなそう呼ぶし。
あたしはね、これだよ」
にこりと笑って、彼女はカバンをゴソゴソと探ると、
何かを取り出して——俺に向かって、そっと放った。
とっさに右手を出す。
落ちてきたのは、小さな感触。丸い、硬い感触——
「……野球?」
手のひらに収まったそれは、使い古された軟式ボールだった。
ひび割れた表面に、黒いマジックで描かれたニッコリマークが浮かんでいる。
「そ、さっきまでブルペンで投げてたんだ」
「ブルペン? どこの?」
「どこって、ほら——ここだよ」
彼女は俺からボールを取り上げて、ボールを持った手の人差し指を上にあげる。
大きな白い看板が掲げられていた。
「葛城学園野球部専用球場」
一瞬、目を疑った。
そんなはずはない——
俺の転校先だ……。
「……まじかよ」
ここまで読んでくださりありがとうございます!
第1章は雄平が新しい高校で千楓と出会う場面でした。
初挑戦の作品なので、感想をいただけると励みになります!
次回はヒロイン・浦河千楓の視点で物語が進みます。