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ディメンション・ドライブ!  作者: 晴海翼
序章:15の春に
7/17

00-07:空が裂ける

 思わず吐き気を催してしまう程に充満しているのは、血の臭い。

 凛とあかりはえづいてしまいそうになるのを、必死に堪えた。

 

 適合者(ドライバー)といえど、彼女達はまだ幼い。

 ましてや、自分が現れた現場でこれだけの惨劇と出会した事はない。

 血の気が引くのは、むしろ当然の反応だった。


 横たわっている五人の男女は、指一本動きはしない。

 唯一の変化は、広がっていく地面の染み。

 路面が紅に染まっていく意味を凛とあかりは理解していた。

 

「こんな、こんな……」


 凛のわなわなと身体が震える。

 間に合わなかった、守れなかったという後悔が彼女の胸を締め付けた。


 主を失った高位次元力精製炉ディメンション・ドライブが転がっている。

 それは同時に、このO-dis(オーディス)が五人の適合者(ドライバー)を殺した事を意味している。

 

 瞬間。凛の全身に鳥肌が立った。

 この場に立っているのは自分達と、血で赤く染まったO-dis(オーディス)だけ。

 自分ならいざ知らず、あかりが狙われる訳にはいかない。

 

「……あかりちゃんっ!」


 直後、ちりん。と鈴の音が鳴る。

 《忘音(わすれね)》によって加速した凛はあかりを抱き抱え、O-dis(オーディス)と距離を置くを選択した。


「凛ちゃん!」


 しかし、O-dis(オーディス)の触手は真っ直ぐに凛を追う。

 あかりを抱える時間があったとはいえ、《忘音(わすれね)》を使った自分が捉えられた。

 その事実に、凛は衝撃を受ける。


「お願い、《天掏(あまずり)》」

『解っているわ』


 触手が自分へ伸びようとする瞬間。

 あかりのブレスレットから、黒い石が淡く輝く。


「――!?」


 突如現れた、全てを覆う闇にO-dis(オーディス)は混乱をする。

 《天掏(あまずり)》による視覚の奪取は、凛とあかりを闇の中へと消した。

 再度鳴る鈴の音から遅れて光を取り戻すが、二人の少女は煙のように消えていた。


「――ニィ」

 

 O-dis(オーディス)の中に浮かぶ、紅の『核』が歪む。

 それは怒りなどではなく、鬼ゴッコが再開されたという喜び。

 獲物が逃げたという事実は、この怪物を興奮させる材料にしかならなかった。


 ……*


「はあっ、はあっ……」


 木々の群れに姿を隠しながら、凛は呼吸を整える。

 今までに感じた事のない重圧を前に、彼女は恐怖を感じていた。


「あのO-dis(オーディス)は絶対、ここで倒さないと」


 でも。だからこそ。

 あんな危険な怪物を野放しにはしておけない。


 憧れた存在(ヒーロー)だって、どんな悪にも立ち向かってきたじゃないか。

 自分だって、高位次元力精製炉ディメンション・ドライブに適合した。やれる、やらなきゃ。


 凛は戦う理由を失わないように、己を鼓舞する。

 手が汗ばんでいる事を誤魔化す為に、シャツの胸元を強く握りしめた。

 

『凛、本気なの?』

「本気も本気。だって、あんなのが街で暴れたらメチャクチャになっちゃうよ」

 

 《忘音(わすれね)》の問いにも、凛は深く頷く。

 ひとつずつ逃げる理由を潰していく。自分は戦えるのだと、思い続けなくてはならない。

 

 恐怖よりも、正義感や使命感といった感情が彼女を突き動かしていく。

 そう言った意味では、彼女もまた憧れた存在(ヒーロー)の資質を持っていたのだろう。

 

「あかりちゃんは、ここに隠れていて」

 

 しかし、あかりは違う。

 彼女は自分が連れまわして、O-dis(オーディス)の退治を手伝ってもらっている。

 あんな危険な怪物の前に、おいそれと立たせる訳にはいかない。


「凛ちゃん! でも!」


 尤も、それはあくまで凛から見た話に過ぎない。

 彼女に誘われたからだといっても、あかりは自分の意思でこの場に立っている。

 独りで全てを抱えようとする親友を、放ってはおけなかった。


「大丈夫。ほら、いつもと同じだよ。

 あかりちゃんが《天掏(あまずり)》でサポートしてくれれば、あたしが戦いやすくなるでしょ。

 でも、あのO-dis(オーディス)は触手もたくさんあるし、二人いっぺんに狙われるかもしれないし……。

 上手く隠れながらサポートしてくれた方が、いいかなって」


 半分は本当で、半分は嘘だ。あかりを傷付けさせる訳にはいかない。

 でも、彼女は意外と頑固だから。素直に逃げてくれるとはとても思えない。

 譲歩してくれるであろうギリギリのラインを凛は攻める。心の奥底では、逃げて欲しいと思いながら。


「……うん、分かった」


 数秒間の沈黙の後、あかりは頷く。

 自分が前に出過ぎる結果、凛に危険が及ぶ事態だけは避けたい。

 彼女もまた、凛を大切に思っているが故の決断だった。


「よしっ。それじゃあ、頼りにしてるね」


 凛はあかりの返事を受け取り、徐に立ち上がる。

 あまり長い間、あのO-dis(オーディス)を放置出来ない。


「行ってきます」


 緊張を味わうかのように、固唾を呑み込む。

 ここから先は、一瞬の判断ミスが命取りとなる。

 意を決して、凛はO-dis(オーディス)の元へと向かった。


 ……*


 鬼ゴッコではなく、かくれんぼ。

 周囲に獲物が見当たらない状況に、O-dis(オーディス)は業を煮やしていた。


 あの適合者(ドライバー)は、段違いのスピードを持っていた。

 もしかすると、自分を撒いたのかもしれない。


 思い浮かんだ可能性がO-dis(オーディス)の機嫌を損ねる。

 この鬱憤を晴らすには、肉で遊ぶしかない。


 伸びた触手が、息絶えた適合者(ドライバー)へと叩きつけられる。

 ぐちゃぐちゃと気持ちの悪い音が、人気のない公園でこだまする。

 凛がO-dis(オーディス)の元へ飛び出したのは、まさにその瞬間だった。


「なんてことをするの!」

『アイツ、無茶苦茶だよ!』


 同じく人智を越えた存在である《忘音(わすれね)》ですら、O-dis(オーディス)の行動を気味悪がっている。

 激しい動揺と怒りを抱えながら、凛は真っ直ぐにO-dis(オーディス)を見据えた。


 血で染まった触手の動きが止まる。

 身体の中で浮かんでいる『核』が、心なしか嗤っているように見えた。

 槍の穂先が突き立てられるかのように、最短距離で凛へと伸びる。

 

『凛っ!』

「行くよ、《忘音(わすれね)》!!」


 ちりん。と、鈴の音が鳴り響く。

 凛が瞬時に触手を避け、お返しと言わんばかりに思い切り蹴り上げた。


「――!」

 

 触手はこの一本だけでなくとも、全てが本体に繋がっている。

 その元となるO-dis(オーディス)の身体も、僅かではあるがバランスを崩した。


「このままっ!」

 

 凛は初めから、長期戦は不利だと考えていた。

 無数の触手を躱し続けていては、こちらの体力と集中力が保たない。

 この攻防一度きりに、全ての力を注ぎ込む。


 O-dis(オーディス)もまた、活きの良い獲物を歓迎していた。

 体勢を崩しながらも、二本目、三本目の触手が残っている。

 今度は確実に仕留めるべく、狙いを定めたその瞬間。


「――――!!」


 またしても、O-dis(オーディス)の視界が全て闇で覆われた。

 一瞬の硬直を目撃した凛は、あかりが《天掏(あまずり)》を使用したのだと察する。

 ならば、この機に乗じない手はない。


「《忘音(わすれね)》っ!!」


 距離を一瞬で詰め切るべく、凛は《忘音(わすれね)》を発動させる。

 森林公園に響く鈴の音が、決着が近い事を報せていた。


 ……*


「凛ちゃん……」


 木々の間を縫うように前進しながら、あかりは前線で戦う凛の様子を覗っていた。

 いつものように攻めているようで、どこか違う。直線的な動きから焦りのようなものが、見て取れた。


 この攻撃が決まればいい。けれど、もし倒しきれなければ。

 完全に密着した状態であの触手全てを躱しきれるとは思えない。

 例え《天掏(あまずり)》を使ったとしても、出鱈目に触手を振るえば当たってしまう。

 

 触手を打ち付けられた亡骸が、視界の端へと映る。

 もしも、凛が同じ目に遭ってしまえば。嫌な想像が、頭の片隅から離れない。


 あかりにとって、凛は掛け替えのない親友だ。

 引っ込み思案だった自分を引っ張ってくれた。

 彼女の太陽のように眩しい笑顔を見ると、自分も釣られて笑ってしまう。


 万が一にでも、彼女の命を奪わせたりはしない。

 強い想いはやがて、あかりにひとつの決断をさせる。

 

「《天掏(あまずり)》。もしもの時は――」

『あかり……!』


 主の覚悟に、《天掏(あまずり)》はそれ以上何も言えなかった。

 ずっと傍にしたからこそ、知っているのだ。彼女がどれだけ、凛を大切にしているかを。

 

『……分かったわ』

「ありがとう、《天掏(あまずり)》」


 許し難いと思いつつも、《天掏(あまずり)》は彼女の決意を受け入れた。

 まるで姉へ我儘を言った妹のように、あかりは軽く微笑んで見せた。


 ……*


「ああああぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 一瞬の隙を突き、O-dis(オーディス)の懐へと潜り込む凛。

 《忘音(わすれね)》による渾身の蹴りを、体内に浮かぶ『核』へと放つ。


「――!!!!」


 これまでに感じた事のない強い衝撃が、O-dis(オーディス)に降り注ぐ。

 損傷までには至らなかったものの、ふらつく身体がダメージの大きさを現わしていた。

 

 行ける。

 確かな手応えを感じた凛が、更にもう一撃をお見舞いしようとする。


 しかし、その思考こそが誤りだった。

 凛の脳内から、触手に対する警戒が薄れていたのだ。


「――ッ!!!」


 凛に激痛が走る。

 O-dis(オーディス)の触手が、彼女の大腿を貫いていた。

 抜かれると同時に舞い散る血が、自身の顔を汚す。


『凛!』

「これ……ぐらいっ!」


 一度離れるべきだと促そうとする《忘音(わすれね)》だったが、凛が言葉を遮る。

 この脚では、再び懐へ潜れる保証はない。

 今。この瞬間だけが、この怪物を斃す好機なのだと痛みに堪える。


「っ!」


 だが、あくまでそれは彼女の精神だけの話だ。

 現実に傷を負った脚は、彼女の動きを鈍らせる。

 凛を嘲笑うかのように、鞭のようにしならせた触手が横薙ぎに振り払われる。

 この至近距離では、躱しようがない。


「こン……のぉっ!」


 鈴の音を鳴らし、凛が強引に脚を持ち上げる。

 足の裏で鞭を受け止めるも、衝撃までは殺しきれない。

 身体が宙に浮く。自慢の速度も、自分を奪われては形無しだ。


 一方のO-dis(オーディス)は、凛の存在を心底楽しんでいた。

 足首に触手を巻きつけ、力いっぱいに森の中へと投げ飛ばす。

 地面や樹によって強く打ち付けられた身体は、滲み出る血によって赤く染まっていた。


「あ、う……」


 頭を打った影響か、視界がぐらつく。

 はっきりとしない輪郭の中、『死』が迫っている事だけははっきりと判った。

 

『凛! 立って! 逃げて!!』


 《忘音(わすれね)》の声が頭の中で響き続ける。

 自分だってそうしたいのは山々だが、身体が動かない。


 O-dis(オーディス)の触手。その先端が、自分へと向けられる。

 視界が霞んでいてよかった。悍ましいものを、視なくて済む。


(あかりちゃん、ごめん。あかりちゃんだけでも、逃げて)


 自分はもう無理だ。そう悟った時、浮かんだのは親友の姿だった。

 どうかこの怪物に見つからないように、逃げて欲しい。

 神頼みをするかのように、単に親友の無事を願った。


 凛の事情など、全く意に介する様子もなく。

 O-dis(オーディス)は彼女を貫くべく、触手を真っ直ぐに放った。


「――っ!」


 『死』への恐怖からか、咄嗟に眼を閉じる凛。

 不思議と、痛みはない。もしかすると、これが『死』なのかもしれない。

 そんな事を考えている時だった。《忘音(わすれね)》の声が、頭に響き渡る。


『あかりっ!?』

「え……」


 意味が分からない。どうして、あかりの名を呼んだのか。

 困惑しつつも、凛は閉じた瞼を持ち上げる。すると、光が差し込んだ。

 

 自分はまだ生きているのだと実感する一方。

 朧げな視界へ映ったのは、信じられない。受け入れられない光景だった。


「あ、かり……ちゃん……?」


 輪郭ははっきりしない。でも、それがあかりだとはっきり分かる。

 腰まで伸びた髪に隠れて、大地へと伝っていく赤。

 はっきりとしたコントラストが、ぼやけた視界に正確な情報を伝えてくる。


 ふと、凛は手を動かしてみる。自分には何も起きていない。

 O-dis(オーディス)の触手は、彼女を貫いてはいなかったのだ。


 凛は全てを悟った。あかりが、自分を庇ったのだと。

 O-dis(オーディス)の触手に貫かれたのは、彼女なのだと。

 

「あかりちゃん、どうして……!?」

「心配しないで」


 戸惑いを見せる凛を安心させるかのように、あかりが振り向いた。

 彼女の優しい声が、凛の鼓膜を揺さぶる。


「大丈夫、凛ちゃんはわたしが守るから。

 だから、何も心配しなくていいんだよ」

「あ、あぁぁ……」


 凛は、涙が溢れるのを止められはしなかった。

 そうだ。いつだって、そうだ。

 自分がどれだけ無茶をしても、あかりが手を差し伸べてくれる。

 守ってくれていた。


 あかりを貫いた触手から、鮮血が滴り落ちる。

 手を伸ばしたくても、身体が言う事をきかない。

 凛は己の無力さを、心の底から恨んでいた。

 

「……《天掏(あまずり)》、ごめんね」

『いいわよ。凛は、貴女にとって大切だものね』

 

 対するあかりの表情は、非常に穏やかだった。

 自分の決断に巻き込んで申し訳ないと詫びる時でさえ、微笑みを崩さない。

 だからこそ、《天掏(あまずり)》も主であるあかりの意思を尊重した。


「――じゃあ、お願い《天掏(あまずり)》」


 あかりのブレスレットから、黒い石が強い光を放つ。

 刹那、O-dis(オーディス)だけではない。凛さえも、全ての景色が闇に囚われる。


「あかりちゃん!?」


 どうして、《天掏(あまずり)》を?

 どうして、自分の視界まで奪ったの?


 あかりがその疑問に答える事は、ついになかった。

 視界が奪われる中。凛の鼓膜に轟くのは、とある音。

 5年前から頻発する、誰もが知っている。誰もが慄く音だ。


「空が、裂けた……?」


 硝子に罅が入り、割れていくような不快な音。

 紛れもなくそれは、裂空現象の発する音だった。


 ……*


「また、裂空現象が!?」

「ええ! 注意してね、紗香ちゃん!」


 再び観測された裂空現象に、紗香は驚きを隠せない。

 インカム越しに聴こえる佐和の声も、いつになく真剣だ。


 日に二度も裂空現象が発生するという状況自体が稀だというのに。

 発生地点がO-dis(オーディス)の居る森林公園なのだから、否が応でも警戒してしまう。


 既に六人の適合者(ドライバー)から、通信が途絶えている。

 佐和に言われるまでもなく。警戒心を最大限にまで引き上げながら、紗香は森林公園の中へと飛び込んだ。


 しかし、そんな彼女を待ち受けていたのはまたしても異様な光景だった。


「どうしたの? 紗香ちゃん」

「これ、は……」

 

 息遣いから、紗香が困惑している様を感じ取ったのだろう。

 佐和が状況の報告を求めるが、はっきりとした返事はない。

 

 無理もない。

 紗香自身が、状況を飲み込めていないのだから。


「あかり、ちゃん……。あかり……ちゃん……」


 そこに、O-dis(オーディス)の姿は見当たらなかった。

 代わりに居るのは、ボロボロになった身体を引き摺りながら親友を探す一人の少女。

 紗香自身も、よく知っている少女の姿だった。

 

「音無、さん……?」

「凛ちゃんが居るの? あかりちゃんは?」

「天間さんは、見当たりません……」


 佐和の問いに、困惑した様子で答える紗香。

 彼女は自分の存在に気付いていない凛の姿を、ただ目で追い続けていた。


 いや、目が離せなかった。

 あんなに辛そうな顔をしている音無凛を見たのは、初めての事だったから。


 初根市にて、二度の裂空現象を確認。

 適合者(ドライバー)六名の死亡を確認。一名が行方不明。

 死亡者全ての高位次元力精製炉ディメンション・ドライブは消息不明。

 天間あかりが所持していた《天掏(あまずり)》は、破損を確認。


 生存者、一名。名は音無凛。

 尚、ショックにより事件当時の記憶が一部失われている模様。


 これが音無凛の、中学最後の春休みに起きた事件だった。

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