00-06:惨劇の花吹雪
太陽が沈もうとしている。これでもう、春休みはおしまい。
名残惜しさを感じる凛達が、異変を知ったのはショッピングモールに流れる緊急避難の放送だった。
――現在、初根市内にO-disが出現しています。
――係員の指示に従って、慌てず避難をしてください。
「O-dis……!?」
凛とあかりは、互いの顔を見合わせる。
自分達は裂空現象を目視していない。一体いつ、空が裂けたというのだろうか。
「《忘音》!」
『わ、分からないよ! ずっと凛と一緒なんだから!』
自分に振られても困ると、《忘音》が狼狽える。
当たり前だ。気付いていれば、凛に伝えないはずがない。
「凛ちゃん、これ!」
先に情報の糸口を掴んだのはあかりだった。
ニュースサイトやSNSを辿り、スマートフォンの画面を凛の眼前へと差し出す。
「なに、これ……」
凛が自らの眼に映し出されたモノを前にして、言葉を失う。
ネットニュースでは、山奥で発生した小規模な裂空現象について触れられている。
裂けた空から出現したと思われるO-disが、人里へ向かっているとも。
それだけならまだいい。
問題はSNSから見る事の出来る動画や画像の方だ。
斧の高位次元力精製炉を持つ男が、O-disから逃げ回っている。
怯え切った顔で、ただ自分の身の安全だけを考えて。人里へと逃げ込む、腰抜けの姿。
「これじゃあ、O-disを街に案内してるだけじゃない!」
あり得ない行動だった。
O-disに唯一対抗できる力。高位次元力精製炉を持ちながら、戦おうとしない。
いや、戦おうとしないだけならまだいい。
能力を持たない人達を巻き込みかねない行動を起こしている事が、凛には信じられなかった。
「凛ちゃん……」
あかりも、凛と同じように心を痛める。
無意識のうちに、彼女は自らのブレスレット越しに《天掏》を握り締めていた。
「あかりちゃん。あたし、行くよ」
凛がその決断を下すまでに、時間は必要としなかった。
ニュースを見る限り、斧を持った男とO-disの進路はこのショッピングモールだ。
このままでは、大勢の人が巻き込まれてしまう。
《忘音》を使えば、早い段階で迎撃が出来ると考えていた。
「凛ちゃん。わたしも、連れて行って!」
あかりもまた、凛の言葉に驚きはしなかった。
彼女がこの状況を放っておける性格ではない事を、自分が一番知っている。
何より、画面越しに映し出されるO-disはこれまでと違う。
言葉にしがたい異様さが醸し出されている。
凛に万が一があってはいけない。《天掏》のサポートが、必要となるだろう。
「……うん。行こう!」
自分を連れて行って欲しいというあかりの言葉は、凛にとって非常に心強いものだった。
《天掏》のサポートがあれば、自分は負けない。
これまでの自信から、凛はそう信じていた。
あかりを抱き抱え、凛は大きく息を吐く。
見据える先は、O-disの元。
「行くよ、《忘音》」
ちりん。と、鈴の音が鳴る。
刹那、凛はあかりを抱えたままショッピングモールから姿を消していた。
……*
「O-disから逃げているって……。どういうことですか!?」
苛立ちをぶつけるように、紗香の怒号がインカムへとぶつけられる。
通信相手である佐和は予想外の出来事に、三半規管を揺らしていた。
「紗香ちゃん。それはもう、飽きるぐらいに皆が言ってると思う。
とにかく今は、被害が出る前にO-disを退治しないと」
「解ってます! 解ってますけど……!」
紗香は奥歯が割れそうな程に強く噛みしめる。
O-disの現在地と自分の位置が、あまりにもかけ離れている。
これでは到着をした頃にはどうなっているのか、想像もつかない。
腸が煮えくる程の怒りを覚えながらも、我武者羅に進む事しか出来ない自分に苛立っていた。
……*
全力疾走で山を下り、移動に使ったバイクで逃走を図るも破壊されてしまう。
みっともない姿を晒しつつも、男はふもとの森林公園へと逃げ込んだ。
しかし、油断が出来る状況ではない。
すぐ傍にはO-disが居る。自分の指導係の命を一瞬で奪った、あの化物が。
「なんで、なんで誰もいないんだよ……」
周囲を見渡しても、人気はまるでない。
ガタガタと歯の根を鳴らしながら、男は情けなく身体を引き摺る。
「や、やめろぉ。来るなよぉ……!」
二の腕から垂れる血が点々と地面に零れていく。
足を引きずりながら進む男の身体は、意思とは裏腹に前へと進まない。
それでも、彼は必死に逃げ続けた。
もう少し逃げられれば、住宅街が。更に進めば、ショッピングモールがある。
きっと誰かが救けてくれる。O-disを討伐するという意思は、既に折れていた。
「ひっ!」
牙の抜けた男を、O-disが追撃をする。
傷がひとつ増える度に、迫りくる『死』を実感する。
止まった瞬間に、命の炎は尽きるだろう。彼を動かしているのは、恐怖心だけだった。
だからこそ、彼は気付いていなかった。考えようともしなかった。
自分がどうして、ここまで生き永らえているかを。
「ここか」
男が自分の置かれている立場に気付くよりも早く、事態は動き始める。
通信士からの要請を受け、現れたのは高位次元力精製炉の適合者。
現場近くに居合わせた四人の男女が、O-disの四方を取り囲むように陣取る。
「これは、また見慣れない形ですね」
女の適合者。この中で最年長の女性が、まじまじとO-disを観察する。
「つーか、アイツはどんだけ情けねぇツラ見せてんだよ」
その女性と相棒の男が、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている男を見て呆れていた。
「ま、使えない方の新人ってこった。適合者が少ないからって、全員に期待できるわけじゃねえよ」
O-disの正面を陣取る男も、辟易したような表情を見せている。
彼らは皆、組織の中でも手練れだ。
言葉を交わしながらも、油断や慢心はひとつもない。
隙さえあれば、O-disを狩る。その機会だけを、虎視眈々と狙っていた。
(妙だ……)
そんな中。
ただ一人だけがこの状況を訝しむ。
(どうして、彼は生き残っている?)
疑問の焦点となったのは、O-disに追いかけられていた新人の男。
彼が生きている事は喜ばしいが、腑に落ちないといった表情を見せている。
O-disが放つ触手は、不意打ちとはいえ手練れの適合者仕留めたという。
ならば、こんな牛歩のような歩みを行って逃げ切れるはずがないのだ。
彼の持つ高位次元力精製炉は、斧の形を模している。
面の広さを活かして、攻撃を防ぎ切ったのだろうか。
いや、違うだろう。
あの怯え切った様子では、まともに構えられるとは思えない。
だとすれば、彼が生きているのはO-disの意思によるものなのだろうか。
そう仮定した時。この異様な状況が、すとんと腹に落ちた。
恐らく、彼は撒き餌だ。他の人間、あるいは適合者を呼び寄せる為の。
このO-disには、その知能がある。
O-disがどれほどの知能を備えているかは、出現から5年が経過した今でも明らかになっていない。
裂けた空から現れては、本能のままに破壊を齎していく。
ただそれだけの存在だと思われていたのだ。
こんな個体は、今まで見た事がない。
「皆、気をつけてくださ――」
油断や慢心をしないだけではまだ足りない。最大限の警戒をしなくては。
男が仲間へ、注意を促そうとしたその瞬間。
「え……」
赤く濁った触手が、逃げていた新人の男の首を裂いた。
惨劇の紅が、噴水のように空へと舞う。
「――ッ!」
四方を囲んでいた適合者は、言葉を失った。
あまりの速さに、身体が反応できなかったのだ。
何より、反応が間に合わないという事実は残酷な結末の予兆に過ぎなかった。
ひとつ、またひとつとO-disの触手によって、瞬く間に命が奪われていく。
まるで桜の花びらが舞い散るかのように、易々と命が奪われていく。
最後に取り残されたのは、O-disの背後に立っていた男だった。
だが、その命も風前の灯火だ。槍のように尖った触手は、彼の身体を貫いているのだから。
「こんな、ことが……」
圧倒的な強さだった。自分も間も無く死んでしまうだろう。
しかし、この化物をこのまま野放しにはしておけない。
「せめて、足止めぐらいは……」
最後の力を振り絞り、男は己の高位次元力精製炉から精製された刃を触手へと突き立てる。
一分でも、一秒でもいい。O-disの動きが止まれば、仲間が到着する時間を稼ぐ事が出来る。
自分が死んでしまえば、高位次元力精製炉は形を維持できない。
このO-disは、人間を撒き餌にする知能を持ち合わせている。すぐには殺さないだろうと、踏んでの考えだった。
後は何が起きようとも、この手を離さない。一秒でも長く生きる事が、男にとっての全力だった。
しかし、O-disはそんな男を嘲笑うかのような行動を選択する。
持ち上げられた一本の触手が、槍のような形を形成していく。
「そんな、まさか……」
大量の血を見て、O-disが満足したというのだろうか。
それとも、自分の考えが間違っていたのだろうか。
きっと自分が答えを導き出す時間は、残されていないだろう。
何より、悔しかった。
大した時間稼ぎも出来ないまま、この脅威を野に解き放つという事実が。
男の無念など意に介する様子もなく。
O-disの触手が、彼の脳天へと真っ直ぐに突き立てられた瞬間。
ちりん。と、鈴の音が鳴る。
「――!?!?!?」
刹那。子供のように小さなO-dis身体が、地面へと叩きつけられる。
触手を伝って震える男の身体。
「き、みは……」
最後の力を振り絞って見上げた先に映るのは、二人の少女。
抱きかかえられる者と、抱きかかえる者が立ち尽くしていた。
彼女達の事は知っている。
どこの組織にも属していない、高位次元力精製炉の適合者だ。
(頼む、その……。O-disを……)
男は意識が薄れゆく中、二人の適合者に後を託した。
無法者だと唾棄していた事を心の内で詫びながら、男は永遠の眠りへとつく。
一方で、現れた二人の少女。
凛とあかりは、眼前に映る惨劇を目の当たりにして震える。
「どうして、どうしてこんな……!」
「凛ちゃん……」
公園の桜吹雪が舞う中。
あかりを抱き抱えたまま、凛は下唇を噛みしめていた。
怒りに満ちた視線は、O-disへと向けられていた。