00-03:天間 あかり
幼稚園の頃。
わたしはあまり周りに馴染むことが出来ていなかった。
他のみんなが元気に走り回っている中、隅っこで絵本を読んでいたのだから先生も困っていたと思う。
そんな時だった。一人の少女が、覗き込む様に顔を出したのは。
「ごほん、ひとりでよめるの?」
目をぱちくりとさせながら、わたしの顔をじっと見ている幼い少女。
確か、最近になって入園してきた女の子だ。
なにやら彼女は大事そうに、両手で本を抱えているのが見えた。
「う、うん」
突然のことに驚きながらも、わたしは頷く。
すると彼女は、弾けるような笑顔を見せてくれた。
「じゃあ、じゃあ! このごほんもよめる!?」
そう言って彼女は、大切に抱えていた本を突き出した。
表紙には、毎週日曜日にテレビでやっているヒーローが描かれている。
読んだことのない本だったから内心は不安だったけど、目を輝かせる彼女の期待に応えたい。
そんな気持ちから、わたしはページをめくる。
「ええっと……。『うちゅう から きた わるものから ちきゅう を まもるため……』」
たくさんの色があって目がチカチカしたけれど、幸い文字にはふりがなが振られているので読むことは出来る。
辿々しく読んでいくと、本を持っていた女の子が前のめりにわたしの顔を覗き込んだ。
「すごい! もっとよんで!」
「う、うん」
勢いに押されつつも、わたしは頼られたことに対して不思議と嬉しくなっていた。
きっと上手に読めていなかったけれど、彼女はうんうんと頷いてくれていた。
「ありがとう! えーっと……」
本を読み終えた時、彼女は今日一番の笑顔を見せてくれた。
お礼を言ってくれようとした時に、二人してお互いの名前を覚えていないことに気がついた。
「あかりだよ。てんま あかりっていうの」
「りんはね、りんだよ! おとなし りん!」
自己紹介をして、また笑い合う。
これがわたし、天間あかりと凛ちゃんの出会い。
この日から、わたしたちはよく遊ぶようになった。
わたしが絵本を読めば、ニコニコした顔で凛ちゃんは聞いてくれる。
おかげで、家に帰って妹に読み聞かせる機会も増えた。
反対に、凛ちゃんに手を引かれて外で走り回ったりすることも増えた。
転んだ拍子に膝を擦りむいたりもしたけれど、絵本を読むだけでは得られないものをたくさん貰った。
わたしと凛ちゃんでは少しタイプが違うかもしれない。
だけど、ずっと仲良しなのは変わらない。
これまでも、これからも。
わたしの一番の親友は、間違いなく凛ちゃんだ。
……*
「あ、あの……。ありがとうございます!」
消えていくO-disを見送る様に眺める中。
深々と頭を下げる少女の姿が視界へと入る。
さっきの裂空現象で運悪くO-disと遭遇してしまった女の子だ。
見た感じわたしたちより年上だと思うけど、こうやって敬語でお礼を言ってくれるのが嬉しかった。
「怪我はしてませんか?」
「はい、おかげさまで」
見たところ、公園もあまり壊されてないみたい。
塾帰りで近くに居たのは運が良かったと、わたしは胸を撫で下ろした。
「あかりちゃん!」
軽快な足音を響かせながら、戦いを終えた凛ちゃんが駆け付ける。
怪我人が居なくて安心する姿も、《天掏》と《忘音》が喧嘩をする光景もいつも通りでわたしはホッコリとした。
「凛ちゃん、後はこの人のなんだけど……」
唯一、問題が残っているとすれば。
O-disに襲われたこの女性のことぐらい。
流石にあんな怪物に襲われた直後だから、独りで帰るのは心細いと思う。
「うん、あたしもその方がいいと思う」
わたしが意見を言い終わるより先に、凛ちゃんが同意をする。
ヒーローに憧れているだけあって、凛ちゃんは分かってくれている。
敵を倒して、「ハイ、サヨナラ」なんて無責任なことを言うはずが無かった。
同じ場所で一夜に二度も裂空現象が起きることは、早々ない。
だけど。家に帰るまでの間、なんてことない雑談をするだけでも彼女の不安を取り除けるはずだ。
「お姉さん。もし良ければ、あたしたちが家の近くまで――」
「また貴女たちですか!」
凛ちゃんが送ることを提案しようとした時だった。
夜の公園に、若干の怒気を含んだ声が響き渡る。
きっと全力で走ってきたんだと思う。
長くて綺麗な黒髪は乱れているし、何より肩で息をしている。
「えっ……!?」
「あ、安達さん」
「こんばんは、安達さん」
驚きのあまり身構える女性とは対照的に、わたしと凛ちゃんの反応は軽いものだった。
だって彼女のことは、よく知っているのだから。
彼女の名前は、安達 紗香ちゃん。
同い年だけれど、わたしたちとは違う中学校に通っている。
裂空現象が起きた場所へ訪れたことから分かるように、安達さんも高位次元力精製炉の適合者だ。
そして、もうひとつ。
わたしや凛ちゃんとは決定的に違うところがある。
「いつもいつも、勝手に現場へ現れないでください!
被害が拡大したら、どうするつもりなんですか!?」
安達さんは前髪から覗く切長の目が、同い年とは思えないぐらい綺麗だ。
これが怒って睨まれているものじゃなければ、もっと良かったんだけど仕方がない。
安達さんは、O-disを討伐するための組織に在籍をしている。
勿論、組織には複数の適合者が所属していて、安達さんは初根市の一部を任されているのだ。
実は以前にわたしや凛ちゃんも勧誘されたけれど、凛ちゃんが断っている。
わたしの知っている限りでは、組織に属しているヒーローもいるけれど……。
凛ちゃんは、あくまで他人を救けるのに堅苦しくしたくないみたい。
正直に言うと、わたしも凛ちゃんの決断には安堵した。
わたしも、凛ちゃん以外と一緒に戦うつもりはない。
こうして裂空現象を目撃しては、現れたO-disを二人で討伐している。
《忘音》の能力があれば、凛ちゃんは誰よりも先にO-disの元へ辿り着いてしまう。
そんな経緯もあって、安達さんはわたしたちに対してあまり良い気がしていなかったと思う。
「むっ! でも、あたしたちが先に到着したじゃん!
安達さんが来るのを待つ方が、よっぽどケガ人が増えると思うよ!」
「なっ……! それは結果論です!
私たちはO-dis討伐のために結成された……。言わば、プロなのですよ!
貴女たちのように、フラッと現れて戦うわけにはいかないのです!」
これに関しては、凛ちゃんの言い分も安達さんの言い分も分かる気がする。
凛ちゃんは一刻も早く、目の前のO-disを倒さなくちゃいけないという気持ちが強い。
安達さんはきっと、それ以外のことにも気を配っているのだ。
「フラッと現れてるわけじゃないし、安達さんもプロならもっとキビキビ動いたらいいじゃん!」
「貴女という人は……」
あ、まずい。
遊びでO-disと戦っている風に言われたことで凛ちゃんが怒ってる。
安達さんも先を越されているからか必死に堪えているけど、いつ爆発してもおかしくない。
なんなら、さっき少しだけ爆発していたし……。
「そ、それより凛ちゃん! O-disに襲われたあの人を送っていかないと!」
このまま言い争いになるのは、色々と良くない。
そう感じたわたしは、O-disに襲われそうになった女の子がおなざりにならない様にと挙げる。
「そうだ! すみません、熱くなっちゃって……」
「い、いえ」
わたしの言葉に、凛ちゃんはハッと我に返る。
平謝りで何度も頭を下げると、女の人は苦笑いをしながら頭を上げる様に促していた。
ふう。これで、この女性を送れば無事に終わる。
そう思っていたのだけど……。
「待ってください」
「……なに?」
安達さんが、待ったをかける。
ああ、凛ちゃんの眉間に皺が……。
「その方は、私が保護します。伺いたいこともありますので」
言い争いの時よりも遥かに真剣な眼差しで、安達さんはそう宣言した。
これはきっと、安達さん個人というよりも組織の方針によるものだと思う。
初めて観測されたのはもう5年も前だけど、まだまだO-disには謎が多い。
保護をする他にも、現れた時にはどんな状況だったかとか、法則性を見つけたいというのは自然なことだ。
「凛ちゃん。安達さんは悪いひとじゃないし、それぐらいなら任せてもいいんじゃ……」
こそっと耳打ちをするように、わたしも安達さんに同意をする。
何より、彼女は強い。間違いなく、無事にあの女性を送り届けてくれるだろう。
「うーん……」
でも。凛ちゃんは言い争いをしていた手前、素直に頷きづらいようだった。
変に意地っ張りなところも、可愛くはあるのだけれど。
「まあ、無事に送ってくれるなら……」
何度も唸った結果。
凛ちゃんが、安達さんの提案を受け入れようとした時だった。
「何を言っているんですか。貴女たちにも、訊きたいことはたくさんありますよ」
考えてみれば当然だ。実際にO-disと戦ったのは、凛ちゃんなのだから。
戦闘の様子を訊きたいに違いない。
当の凛ちゃんはというと、やっぱりというべきか。
あからさまに嫌そうな顔をしている。
声には出してないけれど、絶対について行きたくはないのはよく伝わってきた。
少しの間、夜の公園に沈黙が流れる。
静寂を破ったのはやっぱり、凛ちゃんだった。
「……あかりちゃん!」
わたしが差し出された手を取ると同時に、鈴の音がちりんと鳴る。
《忘音》を使った合図だった。
「っ! 待ちなさい!」
状況を察した安達さんだけれど、もう遅い。
こうなった凛ちゃんを捕まえられる人なんて、居ないのだから。
「安達さん! ちゃんと、その人を送ってよね!」
凛ちゃんはそれだけ言い残すと、わたしを抱えたまま公園を後にする。
わたしはそんな凛ちゃんの顔を見上げながら、苦笑いをしていた。
……*
「凛ちゃん。安達さん、絶対怒ってるよ?」
夜の街を駆けながら、わたしは少し困った様に眉を下げる。
安達さんの性格だ。次も出会い頭に注意されるのは目に見えている。
「いいのいいの。向こうが遅いのが悪いんだもん」
それでも凛ちゃんは、気にしていない。
お日さまみたいな明るい笑顔で、わたしの懸念を一蹴する。
「あたしだって、安達さんが立派なのはわかるよ。
でも、上の人から言われて……みたいなのは苦手だもん。
よそはよそ、うちはうち。あたしは、あかりちゃんと二人でやっていきたいな」
「……そうだね」
こういうことをサラッと言うから、凛ちゃんは人たらしだと思う。
でも、わたしをいちばんの親友だと思ってくれているのはとても嬉しい。
ちりん。と、もう一度鈴の音が鳴る。
《忘音》が付けられているブレスレットは、二人で買いに行ったもの。
わたしのブレスレットには、黒曜石のように輝く石が取り付けられている。
二人の友情の証。
これがあるから、わたしは凛ちゃんと一緒に戦うことが出来る。
きっとどんなに強い敵が相手でも、《天掏》で凛ちゃんを守ってみせる。
これは凛ちゃんにも言っていない、わたしの誓い。