00-02:音無 凛
日曜日の朝は、いつもテレビに齧り付いていた。
時間にして小一時間。わんぱくで辛抱強くないあたしがじっと座っているのだから、お母さんが笑うのも無理はない。
画面の向こう側では、正義の味方が敵をやっつけている。
人によっては「そんな単純な物語ではない」と言うけれど、子供にとっては関係がない。
どんなに強大な悪を目の前にしても、決して諦めない。
傷ついても立ち上がり、最後は勝利を掴む。
カッコいい。それでいて、困った人に手を差し伸べる優しさ。
そんなヒーローの姿を見るだで、十分なのだ。
あたし。音無凛も例に漏れず、そのクチだった。
悪いヤツをやっつけるヒーローは、あたしの憧れだった。
自分もいつか、そんな風になれたら。
創作物を前に毎週漠然と抱いていた想いを、もしかすると神サマは見ていたのかもしれない。
……なんて、漠然と考えることもある。
もう、日曜日の朝にテレビへ齧り付くことはない。
けれど。あの時に生まれた熱は、確かにあたしの中で火を灯している。
……*
「――凛ちゃん!」
「うんっ!」
空が裂けた瞬間。親友のあかりちゃんが、あたしの顔をじっと見る。
あかりちゃんはいつも先に、裂空現象を見つけてくれる。
そして、あたしにどうするかを委ねてくれる。
今日もどこかで誰かがO-disの脅威に晒されている。
それがあたしの手の届く範囲なら、考える必要はなかった。
「行こう」
「うん、そうだね」
憧れたヒーロー達の足跡をなぞるかの如く、あたしは前を向いた。
隣であかりちゃんが、ニコニコと微笑みかけてくれていた。
朗らかな笑みは、いつもあたしに勇気をくれる。「正しいんだ」と思えると、力が湧いてくる。
裂空現象が起きた場所はここからそう遠くない。
逸るあたしの気持ちを汲んでか、あかりちゃんは静かに頷いた。
「凛ちゃん、先に行って。わたしは後で追いかけるから」
「うん、わかった」
あたしはあかりちゃんの厚意を素直に受け取り、裂けた空へ視線を送る。
今ならまだ、被害を最小限に抑えられるはず。そう思うと、いてもたってもいられない。
「行くよ、《忘音》」
『りょーかい。こっちはいつでもいいよ』
いつものように、相棒へ声を掛ける。
ブレスレットに取り付けられた鈴。《忘音》の声が、頭へと響いた。
あかりちゃんが「行ってらっしゃい」と言い終わる頃には、あたし達の姿はそこにはない。
敵を倒すべく。困っている人を守るべく。
全速力で、裂けた空の元へと向かっていた。
……*
今回の現場は、夜の公園だった。
人気もあまりなく、もしかすると被害者はいないかもしれない。
そう胸を撫で下ろしそうになったけど、世の中はそんなに甘くないようだ。
尻餅をついた女の子が独り。怯えた顔を見せている。
高校生……。ううん、もしかすると大学生かもしれない。
兎に角、まだ中学三年生のあたしからすれば大人っぽく見えた。
視線の先にはあたし……ではなく、周囲の景色を歪めるような透き通った身体。
間違いない。O-disだ。
『凛! あれ!!』
「うん、急ごう!」
四足歩行のO-disは身体の中で浮かぶ球体……自身の『核』をギョロギョロと動かしては、彼女に狙いを定めていた。
見過ごすわけにはいかないとあたしが強く思うと同時に、鈴の音がちりんと鳴る。
大地を蹴ると、あたしはO-disの居るあの場所まで、一直線に跳んだ。
次の瞬間。
あたしの身体は、O-disの真上に到達する。
開かれた大口を塞ぐかのように、渾身の蹴りをO-disの顔へとお見舞いした。
「お待たせしました! もう大丈夫ですよ!」
彼女はびっくりして何度も瞬きをしているけれど、怪我をしている雰囲気ではなかった。
よかった、間に合ったんだと思うと自然と声も弾む。
「でも、危ないから離れていてください」
「はっ、はいっ!」
けれど、問題が解決したわけじゃない。
これから先。彼女が怪我をしないようにと、あたしは距離を置くように薦める。
彼女は素直にあたしの言葉を聞き入れ、距離を置いていった。
きっともう少し待てば、あかりちゃんが来てくれる。
あたしがやるべきことは、彼女に指一本触れさせないことだ。
勿論、倒すつもりでいるけど。
『凛!』
不意に、《忘音》の声が頭に響いた。
あたしが入れた一撃から、O-disが復活しようとしていることを伝えるためだ。
「わかってる!」
足蹴にしている頭が勢いよく上げられると同時に、あたしは跳んだ。
直後、ギョロギョロと動く『核』と目が合う。どうやら標的は、あたしに切り替わったようだ。
大きく広げられた口から上げられた咆哮が、空気を震わせる。
前足の鋭い爪があたしをズタズタに斬り裂こうと、横薙ぎに払われる。
でも、そんなモノは無意味だ。
どれだけ斬れ味を持っていようと、当たらなければ意味がない。
「――!?!?!!?」
「遅いよ!」
ちりん。と鈴の音が鳴ると同時に、O-disの爪が空を切る。
確かに捉えたはずだと困惑するO-disに間髪入れることなく、あたしの蹴りがヤツの顎を打ち抜いていた。
これがあたしの高位次元力精製炉、《忘音》の能力。
目にも止まらない高速での移動と、強化された脚力による蹴りをO-disにお見舞いをする。
どんな兵器も通用しない怪物だと言われているO-disでも、高位次元力精製炉を使っての攻撃となれば話は変わってくる。
顎がかち上げられ、四肢をふらつかせる様は間違いなく効果的な一撃を視覚的に表していた。
それでも、O-disは決して怯まない。
大きな口から覗かせる牙と、前脚の鋭い爪があたしへと向けられる。
後脚が大地を蹴ると、景色を歪ませながら巨大な身体があたしへと飛び込んでくる。
「もう! しつこいってば!」
物凄いスピードで突進をするO-disだけれど、《忘音》を使ったあたしの方が速い。
繰り広げられる攻撃を次々と躱しては、隙を見て蹴りをお見舞いする。
確実にダメージを蓄積していくO-dis。
だけど。相手もあたしの蹴りで身体を痛めつけながら、学習していたのだ。
あたしが接触する瞬間に、鋭い牙を持って喰らいつけば逃げられはしないと。
『凛っ!』
「っ!!」
そして、完璧なタイミングでO-disの牙があたしを捉えようとした瞬間。
親友の声が鼓膜を揺らす。
「――お願い、《天掏》」
『全く、凛は世話がやけるわね』
あかりちゃんと声が夜の公園に響くと同時に、大きく開かれたO-disの口が虚空を噛み締める。
何が起きたか理解出来ないと、『核』をキョロキョロ動かしている。
「こンの……っ!」
だけど、もう遅い。
再び頭上へと跳んだあたしの蹴りが、O-disの『核』を破壊していた。
透き通った巨大な身体が横たわり、ぐったりと倒れ込む。
ボロボロと崩れていくO-disの様子を見ながら、あたしは胸を撫で下ろしていた。
「凛ちゃん!」
戦いが終わったことを確認したあかりちゃんが、駆け寄ってくる。
あたしも彼女を感謝を示すように、両腕を広げて待ち構えていた。
「あかりちゃん! 《天掏》も、ありがとう!!」
勿論、あかりちゃんの高位次元力精製炉である《天掏》にも感謝の気持ちを伝える。
《天掏》の能力は、相手の視界を一瞬奪うというもの。
あたしを見失ったO-disの牙は空を切り、更にはトドメの一撃に備えることも出来なかったという寸法だ。
『全く、油断はしちゃ駄目じゃない。《忘音》だって、解ってるでしょうに』
『そうは言っても、戦うのは凛なんだから仕方ないでしょ!』
呆れる《天掏》と、それに言い返す《忘音》。
頭の中に響く高位次元力精製炉同士のやり取りに、あたしとあかりちゃんは苦笑いをしていた。
「ゴメンってば。次からちゃんと気をつけるから」
『ならいいけど。あまり、あかりに心配をかけないでよね』
手を合わせ、謝罪の形を見せると《天掏》は納得してくれたみたいだった。
ただ、あかりちゃんが「それだとわたしたちの出番が無くなっちゃうよ」と言うと黙ります込んじゃったけど。
「それより、襲われたヒトは――」
こうやってあかりちゃんや《天掏》と話をするのは楽しい。
だけど、今はそれよりも優先することがある。
O-disに襲われた女の人は、大丈夫だろうか。
標的があたしに変わったから怪我はしていないと思うけど、これが精神的外傷になる可能性は十分にある。
「うん、怪我もしていないし大丈夫みたいだよ」
尤も、あたしの心配は取り越し苦労だったみたいだ。
あかりちゃんに促されて彼女へ視線をやると、ぺこりと会釈をする姿が見えた。
「そっか、よかったぁ」
あたしは改めて、胸を撫で下ろす。
怪我人は居ない。O-disは倒せた。
あたしたちの、完全勝利だ。
目にも止まらぬ速さと、強烈な蹴りをお見舞いするあたし。
もしもの時に、《天掏》であたしをサポートしてくれるあかりちゃん。
あたしたちは最強のコンビで、これからも初根市を守っていく。守っていける。
憧れたヒーローと、同じなんだ。
この時のあたしは、そう信じて疑っていなかった。
あたしはまだ、きちんと理解していなかったのだ。
テレビの向こうで戦うヒーローが悲しみや困難を乗り越えていることを。