01-10:適合者狩り(ハンター)
広いはずの空間が重苦しい空気に包まれているのは、息苦しさによるものだろう。
その一員は、次元境界線防衛機構総司令である金成康隆の存在が無関係とはいえない。
総司令が現れる程の事態が発生している。
その危険性を肝に銘じる者。逆に好機と捉える者。
各々の思惑が渦巻く中。映し出されたのは戸成市周辺の地図だった。
その中に一ヶ所。赤い点を打たれた地点が存在している。
紗香がはっと謙吾の様子を覗うと、彼は静かに頷いた。
間違いない。
昨夜、戸成市で発生した事件の現場。
二名の適合者が亡くなった地点だった。
「諸君らも知っての通り。昨晩、二名の適合者が殉職した」
金成は今一度、現実を噛みしめるようにして口にした。
モニターが放つ光は、怒りを噛み殺すようした沈痛な面持ちを照らし出している。
当然ながら、今までにも適合者が命を落とす例はいくつもあった。
それこそ、一年前の事件以外にも。
その度に、各地で悲劇を繰り返さないように対策を練ってきた。
しかし、今回のように総司令自らが現れるというのは異例だ。
更にはこの表情だ。余程の事態が発生しているに違いないと、緊張感が走る。
「……これは、殉職した隊員の通信内容です」
金成の秘書がそう告げると、会議に出席している全隊員が耳を澄ませる。
間も無く流れた音声は、室内に殉職した隊員の恐怖に怯える様子だった。
『だ、だめだ! 助けてくれ!』
「……っ」
音が割れる程の大声で助けを求める男は、もうこの世には居ない。
紗香は現場の惨状を直接見てはいない。けれど、この様相だけで惨たらしいと感じていた。
録音された音声はまだ続く。浅い呼吸が繰り返され、語気が弱まっていく中。
男が最期に遺した言葉の内容に、全員が息を呑む事となる。
『コイツは……! アイツだ! 一年前、初根市に現れた紅い――』
その言葉を最期に、鈍い音が響き渡る。
重い肉塊が崩れ落ちる音。命がひとつ、失われた音だった。
それからも、マイクは音声を拾い続ける。
通信が途絶えたのは、もうひとつの悲鳴が聞こえてから数十秒後の事だった。
「以上が、昨晩戸成市で起きた一件となります」
秘書の女が、ノイズだけとなった音声を止める。
参加した隊員がざわめく姿を尻目に、彼女は自らを落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐いていた。
「あんまり、気持ちいいものじゃないわね……」
「佐和さん、大丈夫ですか?」
生々しい音声のせいか、情景を想像してしまったのだろう。
口元に手を当てる佐和を、紗香が気付かう。
「ありがと、大丈夫だよ」
口元を湿らす程度に水を含ませ、佐和が小さく頷く。
彼女は通信士であって、戦闘には参加しない。
だからきっと佐和の方こそが、普通の反応なのだろう。
しかし、適合者である紗香はそういう訳にもいかなかった。
何より、「紅い」という単語が紗香の脳裏にこびり付いて離れない。
男の言葉に引っ張られた訳ではない。紗香自身も、一年前の事件と重ねて考えてしまう。
尤も。一年前の事件と重ねていたのは紗香だけではない。
次元境界線防衛機構の総司令である金成が訪れた理由は、まさしくそれだったのだから。
「殉職した適合者は二名。そのいずれも、現場からは高位次元力精製炉が消えていた。
一年前。初根市で起きた事件と同様の出来事が、再び起きている」
高位次元力精製炉が消えている。
金成の発言を皮切に、会議室はどよめきに包まれる。
「どういうことだ?」
「一体、誰が!?」
「決まっている、O-disの仕業だ!」
「しかし、何故?」
思い浮かぶ可能性が羅列されていくと同時に、議論は過熱の一途をたどる。
理由も目的も判らない。真相は闇の中だというのが、薄気味悪かった。
最も有力な説として挙げられたのが、O-disが持ち帰ったというものだ。
ただ、紗香はその可能性に対しては疑問符を抱く。
「O-disが高位次元力精製炉を……?」
意味が解らない。
O-disにとって、高位次元力精製炉は言わば天敵だ。
持ち帰ったところで、意味はあるのだろうか。そもそも、扱えるかどうかさえも未知数だ。
「高位次元力精製炉が怖いからこそ、持ち帰ってるんじゃないの?
ほら、他の人に使われないようにとか」
「それも妙な話じゃないですか?」
佐和が自分の考えを述べるものの、紗香にはしっくりとこない回答だった。
高位次元力精製炉を恐れているのであれば、破壊すればいい。
事実、一年前の事件で《天掏》は半分に破壊されている。
わざわざ持ち帰る理由が、見当たらないのだ。
何故、O-disは高位次元力精製炉を持ち帰ったのか。
議論が白熱していく中、一人の男が声を上げる。
それはこの場に於いて、最も存在を軽んじられている男。
初根市第三支部の支部長である、安達謙吾が。
「待ってくれ。そもそも、裂空現象はどうした?」
彼の発言に、周囲が静まり返る。
尤も。張り詰めた緊張感とは真逆の、呆気にとられた様子で。
その空気も長くは保たず、誰かの笑みが零れると同時に会議室が笑い声で包まれる。
「何言ってるんスか、第三支部の支部長サンは?
裂空現象が起きたから、O-disが現れたんじゃないですか!」
適合者の一人が嘲笑混じりの声を上げると、更に笑い声は大きくなる。
嘲笑を含んだ視線が集まる中。周囲とは真逆の理由で、紗香が肩を震わせる。
「お父様……」
怒りを噛み殺しながら、紗香は父の顔を見上げる。
しかし、嘲笑の対象となっている謙吾自身に動揺は見られない。
それどころか、毅然とした態度で彼は続けた。
「違う。一年前と同じ事件ならば、最後に裂空現象が起きているはずだ。
O-disが、その身を隠すために」
次の瞬間。嘲笑の声が一瞬にして消え去る。
謙吾が発した言葉の意味を、その場にいる全員が理解した証だった。
「安達の言う通りだ。今回のO-disが一年前と同じ個体だと仮定した場合、以下の可能性が示唆される」
今回の事件から想像されるO-disの特性。
金成が述べたそれは、謙吾が伝えようとしたものと同じものだった。
まず、O-disが侵略に使う裂空現象は決して一方通行ではない。
次元を自由に往来できるのであれば、逃げられる可能性もあるという事。
問題なのは、逃げられてしまう点ではない。
人類は手出しできないという事実が、厄介極まりなかった。
もうひとつ。
今回は適合者が命を落とした後に裂空現象が観測されていない。
つまり、O-disはまだこの次元に潜伏している。
今まで破壊の限りを尽くしていたはずの怪物が、姿を隠す事を覚えた。
前述の裂空現象で次元を移動できる点を踏まえると、尚更性質が悪い。
討伐できていないO-disの位置が判らないまま、人類は怯え続けなくてはならないのだから。
「消えた高位次元力精製炉については、O-disが奪ったものだと仮定する。
本日より件の個体を『適合者狩り』と仮称し、初根市と戸成市はこれの捜索と討伐を優先する」
「『適合者狩り』……」
オウムのように、紗香はその名を呟いた。
まだ、一年前の事件との関連性は明らかにされていない。
それでも。このO-disは何としても討伐しなくてはならないと、紗香は本能で強く感じ取っていた。
「具体的には、どう対策を取るつもりなんだ?
相手は何人もの適合者の命を奪っている。迂闊な捜索は命取りだ」
とはいえ、O-disの出現は裂空現象を頼りにしている。
潜伏しているO-disを発見するのは困難だと訴える謙吾に、金成は答えた。
「理由は解らないが、『適合者狩り』は高位次元力精製炉を持ち去っている。
つまり、狙いは適合者だ。裂空現象の現場に引き寄せられていくと考え、そこに戦力を集中させる」
「なるほど……」
金成の指摘は的を射ている。
『適合者狩り』が高位次元力精製炉を狙っているのであれば、自ずと裂空現象の現場へと現れる事となる。
つまりは、次元境界線防衛機構としても対策が取りやすい。
「よって適合者は今後、複数人での行動を心掛けるように。
相手は得体の知れない存在だ。決して独りで戦うような真似は、避けてくれ」
最後に金成がそう告げ、会議は幕を閉じた。
……*
「一年前のO-disか……」
ベンチにもたれ掛かりながら、佐和が大きなため息を吐いた。
動揺に紗香の表情も浮かない。恐らくは二人とも、同じ人物を思い浮かべているからだろう。
「凛ちゃんが知ったら、飛び出ていきそうだよね」
ぽつりと呟く佐和だったが、笑いごとではない。
もしも同一の個体であるなら、凛にとっては宿敵に等しい。
きっと裂空現象が起きた次の瞬間には、《忘音》で飛び出していくだろう。
「……そうならないように、私がきちんと話します」
もしかすると、情報を伏せておくべきなのかもしれない。
一度はそう考えた紗香だったが、彼女は違う選択をした。
『大丈夫? 凛が素直に聞くとは思えないけど』
「それでも、心構えが出来るだけで大分違ってくると思います」
不安げな様子を見せる《像断》を、紗香は諭す。
勿論、彼女だって思うところはある。
けれど。伝えようが伝えまいが、裂空現象が起きれば凛は飛び出してしまうに違いない。
ならば、正直に話した方がいいだろう。何より、自分は彼女に信頼をして欲しい。
友人として、仲間として。相棒を裏切るような真似をしたくはなかった。
丁寧に真摯に訴えれば、必ず凛も理解してくれる。
紗香がそう己に言い聞かせた瞬間。
――空が、裂けた。
『初根市に裂空現象を確認! 総員、戦闘準備に移ってください!』
初根市第一支部の敷地一体に、スピーカーによって拡大された声が響き渡る。
慌ただしく走る第一支部の隊員同様に紗香達もまた、空を見上げる。
「またっ……!?」
佐和は跳ぶようにして身体を起こすと、いくら何でも頻度が高すぎると毒づく。
一方で紗香は、この裂空現象を前に血の気が引いていた。
「っ!」
凛は『適合者狩り』の情報を、なにひとつ持っていない。
慌てて電話を掛けるも、コール音だけが鳴り響く。
裂空現象が起きた時はいつもそうだ。彼女は足早に現場へと向かう事しか考えていない。
第三支部に適合者は、自分と凛しか在籍していない。
複数人での行動も、止める事も叶わない。
「凛……!」
胸騒ぎがする。
襟元を強く握りしめながら、紗香はどうにもならない事態に胸を痛めていた。




