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縁側の人

作者: 雉白書屋

 引っ越してすぐのことでした。僕が縁側の人の存在に気づいたのは……。


「どうだ、いい家だろう? 昔ながらの大きくて広い日本家屋って感じでさぁ!」


「もぉー、お父さんったら、思いついたらすぐ行動するんだから。お掃除が大変そうよ」

「あたしも前の家のほうがよかったー」


「おいおい、でも前のマンションとは違って、庭もあるんだぞ。賃借でもないから気を使わなくていいし、ほら、犬とかも飼えるしな」


「えっ! 飼ってくれるの!? あたし、ポメラニアンがいい!」


「いやぁ、ははは……。またお金貯めないといけないからなぁ。ほら、お兄ちゃんがいるからいいだろ。なあ」


「え、あ、うん……って僕、犬扱い?」

「もーう、お父さんはさーあ」

「うふふふ」


 正直、僕も前に住んでいたマンションのほうがよかったなと思っていました。

 この家は転校先の小学校から結構離れているし、坂の上にあるから毎日の行き帰りが大変そうだったからです。

 でも、僕はそのとき、その想いを口にできませんでした。だって、縁側の人が気になっていたから。


 ――あの人、誰?


 新しい家の縁側には、座布団に座り、ぼんやりと庭を眺めている着物を着たお爺さんがいたのです。でも、家族の誰もそのことに触れないので、僕も言い出すことができませんでした。

 夜になり、母が晩御飯後の洗い物をし、父と僕と妹がテレビを見ているときも、縁側の人は縁側にずっといました。

 すごく不気味だけど、その姿が妙にしっくりくるというか、違和感がないのです。だからでしょうか、この家に来てから何日経っても、みんなが他の人の存在に気づかないのは。ただ、母は部屋の掃除をするとき、縁側の人が座っている場所を無意識に避けているようでした。

 つまり、いるけれどいない存在。僕は縁側の人をぬらりひょんや、座敷わらしのような妖怪の類のものだと考えました。

 縁側の人は朝、僕が起きてくるとすでに縁側にいて、夜、雨戸を閉めるときには姿を消していました。また、雨の日は縁側にいることが似合わないのか姿を消し、晴れの日だけに現れて、日向ぼっこをしているようでした。

 引っ越してから時間が経ち、新しい家での生活に慣れ始めた頃のある日、僕は縁側の人の隣に座ってみました。


「あの……」


 ただ黙って座っているのが気まずかったので、思い切って話しかけてみました。


「…………」 


「お名前は……?」


「…………」


「あの、聞きたいことがあるんですけど……」


「…………」


 会話はしてくれませんでした。でも、縁側の人からは敵意のようなものを感じなかったので、僕は彼とよく一緒に過ごすようになりました。

 春はのんびりと日向ぼっこをし、夏は父が取り付けた風鈴を眺め、秋は拾った紅葉の葉を見せてあげて、冬は澄み渡った夜空を見上げ、星を眺めました。

 一緒に日向ぼっこをしながら、僕は学校で起きたことや悩みなど、家族や友達には話せないことを縁側の人に聞いてもらっていました。年齢を重ねるにつれ、彼の隣に座る回数は減っていきましたが、高校を卒業し、家を出て大学の寮に入るまで、その奇妙な関係は続きました。


「あの、僕、今日この家を出るんです。それでその、今までありがとうございました……」


 お別れの日、僕は縁側の人にお礼を言いました。少し期待していましたが、縁側の人は何も言いませんでした。でも、十分です。あるとき一度だけ、彼は僕に話しかけてくれました。そして、彼がくれたその言葉のおかげで恐怖心が少し和らぎ、何事もなくこの家を離れることができたのです。


『目を合わせなければ平気だよ』


 お風呂の中の人。

 縁の下の人。

 洗面台の前の人。

 押し入れの中の人。

 そして、縁側の人。


 僕はもう二度と彼らがいる家には戻らないと心に決めました。

 その後、あの家に帰ったのは一度だけ。それは僕が就職し、妹が結婚して家を出たあとのことです。母と離婚し、あの家にひとりで住む父の様子をちょっと見てきてほしいと妹に言われて、家に行きました。


「父さん、帰ったよ。あっ、あの、お久しぶりです……」


 居間から縁側の人の存在に気づいた僕は、彼に近づいてそっと声をかけました。彼は相変わらず縁側に座り、僕をちらとも見ずに、ただ前だけを見つめていました。僕はどこかがっかりしたような、またほっとしたような気持ちになりました。


「立派になったねぇ、とか言ってくれないですよね。ははは……。あ、父さん。前から聞きたかったんだけどさ、この縁側の人って知ってる?」


 僕は父のほうに振り返って、訊ねました。

 しかし、父は何も答えず、ただテレビを眺めていました。


「父さん……? ねえ……」


 僕は父の隣に座って、声をかけ続けました。でも、父は『ちゃぶ台に肘をつき、テレビを眺めている人』になっていました。

 悪寒が走り、僕は逃げるように家を飛び出しました。そして、今度こそ、ここには二度と戻らないだろう。そう思ったのです。


 そして現在、僕は会社の休憩室の隅にいる人になりつつあります。


 なりつつあります。

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