第六話
時計がそろそろ6時を指す頃。
バタバタと屋敷内に足音が響き始め、レイの船を漕ぎ始めていた意識が浮上する。
次いで扉をノックする音が聞こえて視線をやれば、姿は見えないものの扉の向こう側からイルゼの声がした。
「レイ様、イルゼでございます。ギル様がお戻りになりましたので、表玄関の方へご案内させていただきます」
様付けは慣れないけれど、やめてと言ったところで多分やめてもらえないのだろう。
レイは部屋の扉を開け、扉の前で待っていたイルゼに着いていく形で表玄関へと向かった。
表玄関に着くと、すでにそこには大勢の使用人達が幅の広いカーペットの脇で列を成す姿あった。
隣のイルゼも含め、挨拶をした5人も揃い踏みだ。
玄関近くにはロウディの姿もあり、なんとも仰々しい様子に少しばかり気圧される。
中央には、長く離れて暮らした兄の姿。
表玄関に着いたと言っても、レイが立っているのは表玄関と2階を直接繋ぐ豪奢な階段の上。さっさと降りて迎えの言葉でも言ってやろうと一歩階段を降りようとする。
けれどレイの一歩を遮るように、レイの名を呼ぶ声がその場に落とされた。
「レイ」
真っ直ぐこちらを見据える瞳に、レイは酷い違和感を覚えた。
「ただいま。もう来てたのか」
「え、あ、うん…」
「ごめんな遅くなって。すぐ飯にしようぜ」
にこりと微笑む姿を見て言い知れぬ悪寒が走る。
知らない、と思った。
レイの記憶にある兄は、こんな笑い方なんてしない。
「お兄ちゃん…?」
「どうした?」
ああそれに、こんな離れた距離でこんなか細く呟かれた声に反応するのも、おかしいだろう。
ロウディ達から聞かされた話でさえ不愉快だったのに、兄の現状を目の当たりにしてレイは感情が荒波を立てるのを嫌にはっきりと自覚していた。
だめだ、これは。
ロウディ達が“隠し事”をしているのには気付いていたけれど、だめだ、何だこの兄の状態は。
ストレスもあるだろうけれど、確実にそれ以外のものも関与しているじゃないかクソッたれ。
「レイ様!?」
苛立つ感情のまま階段を飛び降りると、隣にいたイルゼが慌てて声をあげた。
けれど兄の状態を隠していた…いや、イルゼは本当に何も知らないのかもしれない。
知っていたのは──おそらく、ロウディ、ジル、マチルダ、エルドの4人。ああ本当に腹が立つ。
「お兄ちゃん、話があるんだけど」
ギルの元まで駆け寄り見上げれば、困ったような兄の顔がレイの目に写った。
これは少し懐かしい。
「俺お腹空いてんのに…後じゃだめ?」
「だめ、今すぐ」
「えぇ〜…」
肩を落として残念がったギルに対し、レイは絶対に譲れないとばかりに目つきを鋭くする。
「はぁ、わかったよ。ジル」
「かしこまりました」
控えていたジルに夕食の時間を後にすると目配せで知らせたのち、ギルが「はいこっちねー」と言いながらレイの背中を押す。向かう先はギルの執務室だ。
「……私、怒ってるからね」
「えっ…?」
物凄く怖い囁きを聞きつつも、ギルがその足を止める事はなかった。
───
レイの予想と反し書類の山が一つもない部屋の中、ギルとレイが向かい合わせで座っている。
まるでギルが「一緒に暮らそう」と提案してきた日のようだ。
その日と同様レイが怒っているのが恐ろしいけれど。
ちらり、ギルがレイの顔を伺うと、レイは眉間に皺を寄せつつ口を開いた。
「お兄ちゃん、今なんの薬飲んでるの?」
「っ…!」
いきなり確信をついてきたレイの言葉にギルの顔色があからさまに悪くなる。
まさかバレないと思っていたのかとレイの感情がまた荒波を立てた。
「血色は別に問題ないけど……魔術で改造されてるやつだね。変に魔力がこびりついてる」
「………なんも飲んでない」
「私と目が合った時、お兄ちゃん以外の魔力が微量だけど溢れ出てた。魔術式を組み込まれた薬だとたまにある反応だ。しかも目の焦点が合わないって相当だよ。効果的に精神安定剤か何か?たぶん異常な聴覚もその薬の副作用だよね」
本当はこんなふうに問い詰めたくはない。怒っているのは事実だけれど、これ以上兄に負担をかける行為はレイだってしたくないのだ。
──けれども、真実を兄の口から聞き出すまではやめられない。
「答えて」
すでに窓の外では日が沈み月が爛々と輝いている。
逃げる事は許さないと言いたげな妹の瞳に射抜かれ、ギルは震えながらも言葉を落とした。
「やっぱり、気付かれるよなぁ…」
いつだって強い意志を宿していた瞳から流れ落ちた涙を、レイは思わず、息を止めて見つめてしまった。
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