第二話
ガタッ、ガタッと箱が揺れ、それに連動して体も揺れる。端的に言えば馬車に乗っている。
空が青い、きっと洗濯物を干したらすぐ乾くんだろうな、なんて思考に陥る程度にはレイは現実逃避をしていた。
事の起こりは数日前、兄のギルが家に帰った時のこと。
──騎士団長、とか、やってたり、します──
こちらの事情などお構いなしに一緒に住もうと言ってきたり、剰え無事を確認する意味も含めた文通で嘘をついていたギルのあまりの告白に、一瞬レイは頭が真っ白になった。
森に住む以上生活的な意味でも戦闘的な意味でも全て1人でこなせるようにならなければ危ないと、両親は熱心に子供に家事から剣の扱いまで全てを教えた。
特にギルは剣や弓の技術においてはレイよりもはるかに優れていて、齢7歳にして1人で猪と熊を狩っていた。
だから別に、定住して何かしらの地位に収まっていても、不思議ではなかったのだ。
けれどいくら強いと知っていたって、王都で騎士団長をしているなんぞという話をすぐ信じられるわけがなかった。
百歩、いや千…一万歩譲ったとしてだ。
魔術ド下手くそのギルが何かの団体なりに入り、誰かしらのサポートを受けてドラゴンを倒したとしよう。
だがしかしギルは馬鹿である。
レイとて兄を馬鹿呼ばわりはしたくないが、良く言えば一直線、悪く言えば極度の馬鹿である。本を読めば2秒で寝落ちし、勉強と聞けば裸足で逃げ出し、とうとう温厚な母にまで怒鳴られるほどの兄だった。
そんな人間が騎士団長をやっていると?王都の人間は馬鹿なのか?兄を団長に任命するとか馬鹿なのか?一介の騎士ならともかく団長って!団長って!!
騎士団長とはあれだろう、最高責任者的な、偉い人。
滅多に街に降りない自分でも新聞で目にした事がある。確かこの国の騎士団長が旗を持って凱旋している写真だった。
戦争に勝利したという旨が書かれており、幼いながらに父が悲しげにしていた記憶がある。
騎士団長になったという嘘か真かいまだに判断のつけようのない衝撃的な告白をしたギルは、居た堪れなくなったのか一枚の手紙を差し出してきた。
そこには自筆でギルの名前と、見知らぬファミリーネーム、それから「レイは妹である」という一文が書かれていた。手紙から顔を上げてギルの顔を見れば、「迎えは三日後に寄越すから」と告げられた。
「レイ様」
御者がトントンと馬車の扉を叩く。いつの間にか揺れは止まっており、ああ着いたのか、とレイは勝手に開かれていく扉を見つめていた。
「どうぞお手を」
スッと差し出された手に、少し戸惑いつつも自分の手を重ねた。
このくらいの高さなら1人で降りられるし、ご丁寧に小さな階段のようなものも用意されているのに、わざわざ人の手を借りる必要があるのだろうか。
けれどもこういう時は郷に入っては郷に従え。
暗い茶髪と切長の紫の瞳の御者─ロウディに案内されるまま馬車を降り、門を潜る。
「…大きい、ですね」
「そうですか?小さい方だと思いますが」
首を傾げるロウディに対し、レイは頭が痛くなる思いだった。
見慣れた森から段々と活気付いた王都へ移るまでの変化を見ているだけでも良い気分ではなかったのに。
高く聳え立つ門は威圧感の塊で、その奥に鎮座する屋敷はレイが今まで見た中で一番大きかった。森と近い位置にあった街の領主の家より大きかった。これで小さいとはどういう事だ。
「それに王都から少し離れていますしね」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ、妹は自然が近くにあった方が落ち着くだろうからここにすると言って聞かなくて…。なので、今夜は絶対に会いに来るでしょうから、あまり邪険にはしないであげてくださいね」
ロウディがどこまでレイとギルについて把握しているのかは定かではないけれど、この会話だけでギルの事を好ましく思っている事は伝わってきた。
兄が好かれているのは嬉しいが、邪険にするかどうかは兄の態度次第であるため返事に困る。
というか王都から離れているとはこれいかに。
確かに屋敷の周りこそ自然が多いが、レイからしてみればこの屋敷の周囲もずいぶん活気づき賑わっているように思うのだが、王都の人間からすると違うのだろうか。
先程の小さい発言もそうだが、レイとロウディの感覚は些かずれているらしい。
「先に屋敷の者と挨拶を済ませてしまいましょう」
「あ、はぁ…わかりました…」
ロウディの指示に従うほかレイにできる事はない。
なんだか居心地の悪い場所に来てしまったような感覚を覚えつつも、レイは一歩前を歩くロウディのあとを追いかけた。
───道中、じっとこちらを見つめる幾つかの視線に、無視を決め込みながら。
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