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誰もがもう苦しまなくていいんだ。大丈夫だからといってくれる言葉に、引きつった無様な笑顔に
「大丈夫だね」と安堵してくれた。
しかし、心の奥深くでは、本当に許されたとは、思ってない自分がいた。
九条さんに連れられ、母の待つ家に帰ってきた。
玄関を開けた九条さんの後から入った俺に、走って来た凪が
「お兄ちゃん、おかえりー」
と、俺の胸に飛び込んできた。
前は俺に甘えてくることなんてなかったのに。
なんだか小さな子供みたいだ。
首にしがみついて離れない凪を抱っこしながら、リビングまで行くと、
「仁くん、座って。話しておかないといけない事があるんだ」
だが、どんな話なのか解らないが、九条さんの話を聞く前に、言わなければいけない事がある。
俺の代わりに父の葬式も警察への事情説明も全て、眠ったまま起きない俺の変わりに済ませてくれたから。
「九条さん、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。」
言葉だけじゃなく、頭も下げたかったのに、凪がずっと俺にしがみついている。
「そんな事は、たいした事じゃないよ。それより、凪君の事なんだが….」
俺を真っ直ぐに見つめ話し始めた。
「仁くん、君が病院にいる間、凪くんはここにいたんだが、夜になると泣きながら、外に出て行こうとしていたんだ。」
「何処に行こうとしていたんですか」
もしかして、父のところ…と、思った。
「解らないんだ。慌てて家に連れもどしたんだが、泣くばかりで何も話さないんだ。だから、家内….お母さんがね、抱いて寝るようにしたんだ。」
「2日程は、泣きながら暴れていたが、泣かなくなった夜から、凪くんの様子が、変わってしまったんだ。」
「どんな風に変わったんですか?」
俺の膝の上で、幼子のように眠ってしまった凪を見た。
彼もまた、悲しげに凪を見ながら、続きを話し始めた。
「今の凪くん、どうかな?以前と同じかい?」
突然の質問に、玄関を入った時から違和感を感じていた事を言った。
「こんな風に甘えてくるのは、小学生になってからはありませんでしたね」
そうなんだ!口に出してみて、違和感の正体が解った気がした。
見た目は成長した、凪のままなんだが、仕草や言葉使いが、母がまだいた頃の凪に似ている。
まさか!と、九条さんを見つめた。
九条さんは、深く頷いた。
何故…..こんな事になってしまったんだ。
俺が逃げていなければ、凪を守ってさえいれば、違った結果が出ただろうか…..凪は幸せだった頃に戻る事で、自分を守っているのだろうか。
俺は、馬鹿だ。今更、過去を振り返ってもしかたないじゃないか、今は、これからどうするかだ。
「九条さんにお願いがあります。凪と俺をここに置いてもらえないでしょうか」
俺の結論に、ニッコリと笑い
「もちろん、そうして欲しいと、私も思っているよ。ずっと、ここで暮らせばいいよ」
九条さんの、申し出は、凄く嬉しかった。でも、俺は、首を横に振る。
「俺が中学を卒業するまでの間だけ、お願いします」
「何故だね、私たちとずっと暮らすのは嫌かな」
「いいえ、きっと幸せでいられると思います」
「なら何故?」
「ここでずっと暮らすと言う事は、ぬるま湯に浸かっているようなものです。俺にも凪にも、進歩が訪れません。」
「仁くんの言っている事も解るよ。だが、実際問題として、どう生活して行くつもりかな」
俺一人ならなんとかなる。たが、凪も一緒となると難しいだろう。だからと言って、また、凪を見放すのか、俺には出来ない。それじゃどうすればいい、どうすべきなんだ。
うつ向いたまま、顔を上げない俺に九条さんは、
「仁くん、私からの提案なんだが、このまま一緒に暮らす事。高校卒業までここから通う事。その2つ。それまで、時間はたっぷりあるだろう。ゆっくりと考えなさい。どうかな?私の提案は?」
子供の俺には、どんなに頑張っても、大人の助けがないと無理なんだろう。
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
膝の上で眠る凪をソファーに降ろし、俺は立ち上がり深々と頭を下げた。
「九条さん、ひとつだけ、お願いがあります。」
「何かな?」
「バイトをすること、認めてもらえますか?」
「なんだ、そんな事か、いいよ。働く事は君の選択肢を広げるには良いと思うからね。但し、どんなバイトをするにしても、責任を持ってしなさい」
この人に失望される事は、絶対にしてはいけないと、
「はい!」
と、誓いの返事をした。
九条さんの勧めで、知り合いが経営している私立中学に通う事になり、バイトを始めた。
俺が捜してきたバイト先がアルコールを出すショットバー、九条さんは難色を示したが、店のオーナーにも会い、信用できる人だと納得すると、頑張りなさいと応援してくれた。
季節外れの転入、まだ幼さの残るその中で俺だけが異質に思えた。
この1年程の間に、身長が180の大台を越した。悩みなど無さげな笑顔…..。羨ましいとは思わないが、別世界の人間たちに見える。
覚めた視線で眺めていた俺に
「ここにはなんかワクワクすることあるんやろか?なぁ~お前、どない思うよ」
と、話しかけてきた。横には、頭ではなく顔があった。俺と変わらない身長の脱色された金髪の男、俺と同じく編入してきた西堀幸輔だった。
俺以外にも場違いなヤツがいたんだなと、フッと口元が緩む。
編入して半年も過ぎる頃には、俺は無口で怖い優等生、幸輔は成績は良いが軽薄な男、異色コンビと言われるようになっていた。
幸輔との腐れ縁が始まって、何度目かの春を迎えた。凪はまだ歳をとる事を拒否し続けてる。
広い敷地に中学、高校と隣接してるため、高校生になったからといって、あまり変わり映えのしない毎日が続いていた。
ちょっとした気の緩み、平和な毎日に普通の高校生になった気になっていたんだろう。母の再婚相手に養ってもらってる事を忘れようとしていたのかも。
幸輔の兄のバイクをちょっと借り、事故を起こしてしまった。もちろん無免許である。
九条さんには、手厳しい言葉を貰った。母は静かに泣いていた。本気で叱ってくれた、泣いてくれた、二人には申し訳ないが嬉しかった。