帝政もしくは帝国と言う政治形態
帝国となろうで聞けば貴族がいて、皇太子がいて。いやソレ、神聖ローマ帝国のことで
ドイツ貴族寄合組合のイメージだから。宗教指導者に負ける皇帝なんてありえないでしょ?
ファンタジーやSFで言ういわゆる帝国、帝国主義とか帝政とか言われるが、現代日本や令和においてはこれらはなにやら「だいたい」な表現で使われ厳密な基準というものは存在しない。そこで史実や政治形態においていわゆる「帝国」と「帝政」について解説してきたいと思う。
1、独裁・専制の究極の政治形態「帝政」
皇帝という地位を端的に言えば、国家主権、司法・行政・立法を個人の権限に帰すという王権の上を行く
強力な権力である。中国の皇帝、ローマにおける「第一人者のインペラトール」に始まり近代のヒトラーの地位「総統」まで「帝政」におけるトップがこのような権力を掌握する場合、その国家を「帝国」もしくはその政治形態を「帝政」と呼ぶ。いわゆるエンパイアかインペルアルである。
2、「帝国」を構成する条件「官僚」と「軍隊」と「通貨」そして「インフラ」
およそアジアにおける最古の帝国は中国の「秦」であるこの帝国が以前の戦国7国との決定的な違いは
法治国家における官僚制と、度量衡・通貨を含めたインフラの整備、そして国境を守備する強力な軍隊の存在である。統治における広大なインフラを整備し、軍事経済における裏付けと、運営するシステムが整備された国がトップ一人の専制権力に帰す国家こそが「帝国」であり、その条件を外れた国家形態は帝国と呼ぶにはやや難しいのではないかと思う次第である。
3、ローマから遠く帝国が厳密には存在しなかった欧州
実は近世まで欧州には「帝国」は存在しない。唯一帝国としての条件を整えたのはWW1以前の「ドイツ帝国」であり、かのナポレオン帝国は「帝政」である。かれらはローマの後継国家としての帝国の国家地位を夢想したがついには叶わなかった。なぜかは至極簡単で、かれらは中世近世からの貴族制からの脱却が不可能だったからである。フランスにおいては革命が、ドイツにおいてナポレオンがかのプロイセン王国周辺の貴族層を完膚無きまでに潰滅させたゆえに帝国帝政成立の条件を得たのである。
ここでロシア帝国やハプスブルグのオーストリア帝国の存在において異論を唱える方もおられると思う。
端的に言えばオーストリアは近世では神聖ローマ帝国遠くは西ローマ帝国の残骸どころか残滓である。
対してタタ-ルのくびきから脱したロシア帝国も正教会の守護国家となったゆえに東ローマ帝国の残滓として「帝国」を名乗るである。ロシアは近世において帝国と言える体裁を整えたのは実にエカテリーナ2世の治世からの近代化とナポレオン戦争を経てからであった。
4、民主制から国家統治ゆえに帝政に至ったローマ
欧州国家が夢想してやまないローマ帝国。正確には帝政ローマであるが、その成立は国家規模の必然ともいえる。地中海を囲み北はブリタニア、南はエジプト、ゲルマニアやガリアを内敵に、東のオリエント帝国パルティアとの冷戦にアルメニア・シリア・ユダヤを挟みマケドニアやギリシャ都市国家など広大な内政と外交の必要性に迫られたローマは早急な統治官僚制と通貨税制の整備とそこに裏付けられた軍隊の派遣配置に迫られた。臨時独裁官制や執政官での「危機」の対処にあたったローマであったが恒久的な政治対応する地位が必要不可欠となったのである。アウグストゥスの専制移行、ティベリウスのカプア官僚機構と情報網・秘密警察=親衛隊の整備、カリグラ・ネロ以降の属州制と税制。ローマの「帝政」はその国家規模ゆえに対処として実施されたのである。
5、アジアの伝統中華帝国
法治国家「秦」より始まる中華帝国。法治における「官」「軍」「税」の3つを持って唯一無二の「帝国」と「天子皇帝」を推戴する伝統の国家形態。それはアジアのあらゆる国家に文化政治に絶大な影響力を持つに至り、いかなる異民族も、いったん中華を領土とした外部国家もその伝統と呪縛ともいえる統治機構の伝統により「中華化」するという歴史上類をみない状況となった。匈奴であろうが女真族であろうが鮮卑族であろうがいったん中華に都市をもてば中華化し官僚や統治に漢民族を起用せざる得ない、官僚の起用には科挙を用いるというまさに呪いともいえる「伝統」は孫文が中華民国を建てる近代の辛亥革命まで続くのである。
6、帝国主義とはなにか?
帝国主義とは筆者が最初に書いた「官僚」「軍隊」「通貨」「インフラ」それらを備えた近代国家がその国家の覇権や経済繁栄維持のために搾取する植民地を求め膨張する政治形態を指す。ただしこの国家版焼畑農業ともいえる異常な経済搾取状況は植民地という「簿外債務」を外地に作るだけであり、その経済は近代戦争というギャンブルで浪費されその経済破綻をもって植民地が独立する状況が後を絶たずドイツにはじまりフランスほか欧州国家はWW2以後植民地の独立祭りに見舞われるのである。のちに英国病と言われる連合王国の経済状況は一番最後に英国が植民地の負債を清算しただけの話である。
7、大日本帝国という人工帝国
大日本帝国は「明治憲法」によって天皇の地位が定義づけられ法律上の行政権と軍権の掌握がなされている。とはいえ江戸時代からの権威を比べて肥大化した権限は実際の権力行使には至らず、ドイツ帝国を模倣した法律による地位でありながら実際の政治運用は英国に倣うという中途半端というか実に日本人らしい状況となるのである。それゆえに天皇家は日本国家統治機構の重要なパーツとして国家運営の円滑化に粉骨砕身する生涯公務員となりその伝統は今に続くのである。
法治上の「帝国」と「帝政」である大日本帝国であったが政治機構や国家形態の近代化が日本国家繁栄の
必須条件とみる「お上」の意向により立憲君主制ともいえる政治状況を推し進めるに至ったのは慧眼であった。しかしながら貧乏国家日本はそのカネがない状況ゆえに帝国主義を模倣する愚策を犯し史上最悪の結果を招くのである。現在の経済大国となった現代民主主義日本はその反省と2度とあの国家的赤貧からの過ちを犯したくないという先人の実際に血を吐いた思いから成り立っている。
8,「王政」と「王制」、「帝政」と「帝制」の違い
ここで皆様が混乱するのだが、英国つまりUKは未だに「王制」であり、日本国は「帝制」である。
これは国家元首を憲法上に何を設定するかによって成立し、大統領や首相それに類する「民間から選挙によってえらばれる」なら「共和制」となり、それ以外の王家や皇家からの世襲からなる一族から輩出されれば「王制」もしくは「帝制」となる。当然日本国は令和現在でも「帝制」であり厳密には「立憲帝国」である。しかしながら元首を憲法上設定し国事行為や法規に設定される地位であり実際の政治権力や行政上の権力、もしくは法的に権限が担保されているわけではないので大概が政治危機や国民統合の際の仲介役として機能するような役回りとなる。
9、ファンタジーにおける帝国という概念への致命的な勘違い
ファンタジーとりわけなろう系において帝国と言うと神聖ローマ帝国か、欧州ハプスブルグ家がモデルの
貴族制の集合体から有力者=王家さらにその上の権威からの帝権というイメージが固定されているがこれは間違いである。帝国における貴族というのは官僚に立身できる経済力と教育をうけた階級を指し、そもそも「帝国となった国家は帝権を侵犯する有力者の存在を許容しない」。辺境伯とか公爵とかいう地方分権はそもそも許容されない。官僚や知事による地方自治と、軍部鎮台・軍団司令部が中央からの参謀本部や軍令部からの司令訓令をもって国境警備や軍事作戦にあたるのが近世帝国のありかたである。
そのための国民軍隊や徴兵制であり、貴族の私兵や騎士団などはそもそも存在しないのである。
帝国における軍権は皇帝とその直轄する軍令部に帰し、軍隊は「皇帝の軍隊」なのである。
10、ナポレオンフランス帝国とプロイセンドイツが確立した近世帝国
中華帝国に後れをとる事2000年、フランス革命とナポレオンで欧州を軍隊で引っ掻き回した結果。欧州には近世帝国という国家モデルが確立する。中央集権、国民軍隊、国家税制と中央銀行と通貨発行権、地方自治の中央の把握、国家軍隊の軍令部そして国境警備網の確立。フランスでは強力な軍隊をもってナポレオンが、プロイセンドイツはその軍隊と国家確立の鉄の意志でもってビスマルクが近世帝国を成立させる。これらをモデルに遅ればせながらロシアとオーストリアは帝国の体裁を繕うのだが悲しいかな時間切れであった。そしてこの強力かつ脅威となった2つの「帝国」はいずれも「世界の敵」となるのである。
11、帝国が悪役となる必然性。
帝国はファンタジーやSFでもいずれの場合も悪役になる。そのイメージはどこにあるかと言えば
大概に「帝国」となった国家は周辺国家の最大脅威となるからである。大国となった隣国はうとましく
その関係維持に苦慮するものである。当事者である帝国がその意志がなくとも軍事優位と経済優位と
人口の膨張と影響力の増大から周辺国は必然として「帝国」を包囲する政策を取らざる得なくなる。
冷戦のソビエト連邦、現在の中華人民共和国、戦前の大日本帝国、WW2のナチスドイツ。周辺国家が
列強以外帝国に対してどのようなイメージになるか。おわかりだろうか?
12、帝国の限界と崩壊の必然。
帝国とは崩壊するもの。これは歴史の必然というものではなくシステムの必然である。そもそも帝国というシステムは王政以上に中央集権を強化し国家のトップが迅速かつ強力に国家運営を行うためのモノである。しかしながらトップである皇帝はその権限ゆえに決済事項が膨大となりその仕事量や業務は1人の人間の限界を超えるものとなる。皇帝とその周辺の政治首班が国家への仕事奉仕と国家運営への情熱を失い
その業務を放棄する事態が生じた場合、その帝国は崩壊する。かつての中華皇帝は帝国の支持者や有力者がこの崩壊を糊塗するか、なり替わる事があったが近世帝国における当事者は帝国臣民つまり国民である。近代民主制や三権分権はそもそも王国王政もしくは帝国帝政がシステム的に破綻必至から権限移譲によって国家システムの崩壊を防ぐためのものである。帝権を国家危機や最重要決済以外は内閣や政治首班、さらには軍隊の主体である国民に権限を納税の義務と引き換えに参政権や主権を分担させる。
ローマ帝国を知っていれば帝国と言うシステムはいずれ破綻すると近代高等教育を受けた人間なら認識する。我が国のやんごとなき方も当然そのひとりである。
13,欧州人に理解不能の「オリエント帝国」
ヒッタイト・アッシリア・モンゴル。遊牧民や宗教や民族移動におけるヒストリカルリーダーによる
「原始帝国」もしくは「軍事帝国」これらは政治形態以前に民族移動と生存・軍事に全振りの征服帝国で
あり、そもそも国家の態をなしていたのかはなはだ疑問である。宗教運動の末にその権威と経済活動の国家となったイスラム帝国国家などはまだ宗教トップを中心とした法治を実施したが、アレキサンダー帝国をはじめとした征服帝国や対抗したペルシャを皮切りに勃興したオリエント帝国は以後の宗教国家同様に
軍事と交易に特化した政治形態に思える。それらは不安定ながらもトップダウンと軍事行動の迅速化を第一に国家運営がなされていた向きがある。征服帝国とりわけモンゴルなどは内政なにそれおいしーの?な遊牧民や征服帝国特有の脳筋なジャイアニズムに欧州の統治者にはとりわけ理解不能にうつったであろう。ナポレオンにさえ欧州貴族は愚痴ったものである。「キチガイには勝てない」。
筆者が知りうる「帝国」「帝政」への知識認識は以上である。
ナーロッパな世界のハプスブルグ帝国のイメージの強いこと強いこと。
比較すればするほど中華帝国のガチさと近世帝国にビスマルクが命かけた理由がよくわかります。